私が戻ると、既に教授と――「あの女」との話が始まっていた。
「――成る程。確かに、私が求めていた魔属性過剰性の少女のようだ」
 離れた位置からでもその魔力を正確に把握出来る教授が、意識無く横たわる恵理香ちゃんを見てそう告げる。
「いいでしょう。約束の金は後日、こちらが指定した箇所にてお渡し致します」
「――ありがとうございます」
 あの女――草笛美土里は教授に軽く頭を下げた。
「それで――その横の娘は?」
 教授の視線が、一度戻った草笛美土里から――恵理香ちゃんの横で、やはり意識無く横たわる春姫ちゃんに向けられる。
「恵理香を昏睡させる時、共にいた娘です。魔法使いで今回の事柄にそれなりに精通してしまっています。他の子供達と同じように曖昧にして帰したら私のことがおそらく全てばれるでしょう。ですので止むを得ず連れてきました。――こちらで処分して頂けるわけにはいかないでしょうか」
「ふむ……」
 教授は少しの間考え込むような仕草を見せると、
「――いいでしょう、私が何とか致しましょう。……使い道はいくらでもある」
「はははっ、久々の若い女の実験体だ!!」
 そう騒ぎ喜び出すのは教授の取り巻きである職員達。
「お前達、騒ぐのは勝手だが――私の許可無くこの娘にも手を出すことは許さんぞ。規律を破った者は厳重に処罰する。覚えておけ」
 その重い言葉と威圧に、職員達は黙る。ここでは教授が絶対だ。教授に逆らう者などいない。教授が許可無く手を出すなと言ったら誰も許可無く手を出さないだろう。
 だが、教授が許可を出してしまったら? 春姫ちゃんは、こいつらに何をされてしまうのか?――考え、たくもない。
「――それでは、私はこれで」
 そう告げて、ここを去ろうとする草笛美土里。
「――草笛さん」
 それをドア付近で止めたのは、教授だった。――草笛美土里が軽く、首だけを教授の方に向ける。
「守りたいもの、全てを守れるとは思わないことだ。あなたは守った。犠牲を払って、守りたいものを守った。――恥じることではない」
「……失礼します」
 教授の言葉をどう受け取ったかはわからないが、草笛美土里は正面を向き直ると、そのまま歩いていった。
「――楓奈」
「はい、教授」
 守りたいもの、全てを守れるとは思わないこと……
「ひとまず、彼女達をこのままここで寝かせておくわけにもいかん。部屋を用意しておいてくれ」
「……はい」
 守る。守りたいものを守る。犠牲を払ってでも。――何か、大切なものを失ってでも……?
 私は、何を守りたい……? 誰を守りたい……? 何を、守りたい……?
 失ってでも、大切なものを失ってでも、守りたいものは……何?
 私は――どうしたい? どうして、私は――


この翼、大空へ広げた日
SCENE 11  「この翼、大空へ広げた日」


「……嘘……でしょ……!?」
 クライスが全てを告げ終わった時、一番に分かり易い表情をしたのは、やっぱり柊だった。
「だって、草笛さんは……だって!!」
「俺だって……信じたくなんか、ない。でも、クライスの話を聞けば聞くほど、頭の中で整理すればするほど……楓奈のあの表情を見れば見るほど……それ以外の答え、出てこねえんだよ……」
「…………」
 
 ――オリエンテーリングを中止して十五分が経過していた。
 アクシデントが起こったと言うことで、急いで全員集合。魔法関連の仲間達以外――つまり、青空の園の子供達、かーさん、すもも、準、ハチには即刻帰ってもらうことにした。
 無論ちゃんとした理由など説明出来ず、すもも、準、ハチの三者は怒って問い詰めてきた。特にすももなんて一部見てしまったから満面の不安顔で。何でいきなり中止なんだとか、草笛さんと春姫と恵理香ちゃんはどうしただとか。――が、
「うん、わかったわ。子供達のことは、この音羽さんに任せなさい!」
 と、何の理由も聞かずにそう言ってくれたのは意外にもかーさんだった。尚も渋る三人を強引に連れ戻すかーさん。そして帰り間際に、
「雄真くん。――頑張ってね」
 と、笑顔でそう告げて帰っていった。何もわかっていないはずなのに、全てをわかっているような表情で。
「あいつは……ああいう奴さ。昔から、な」
 クライスのその一言が、かーさんの全てを物語っているようだった。――そしてクライスは、一呼吸置くと、残った仲間達に全てを語り出した。
 ――恵理香ちゃんを相手に渡してしまったのは、他でもない、草笛さんだった。草笛さんが――大金を貰うことで、恵理香ちゃんを渡してしまっていた。
 俺達の概念に草笛さんが恵理香ちゃんを、なんてのはまったくもって有り得ない。もしも楓奈が今回独断で来なければ真実が明るみに出ることはきっとなかった。この厳重な状態でどうやって、という疑問だけが残り、春姫、恵理香ちゃんは連れ去られ、草笛さんだけが奇跡的に戻ってくる。俺達はただ悲しみにくれ、草笛さんは涙を堪えて残った子供達の為に生きる。――そんなストーリーの上で、踊らされていただろう。
 そもそもこのキャンプも、このような事態に持ち込むためのイベントの可能性が高い。彼女は自らは怪しまれない方法を選んだ。全員がバラバラになることで自分も被害者のフリが出来る方法を。それでいて周囲に発言を誘導させることで証人になってくれる人がいる方法を。
 彼女は、大金を受け取ると同時に、青空の園の園長、草笛美土里のままでいたかったのだ。青空の園の園長は、子供達に慕われる園長は、自らが恵理香ちゃんを手渡してしまうなどあってはならない。――彼女は、悲劇の人を演ずるつもりなのだ。――俺に魔法教師を依頼したのは、危険が及ぶ可能性があるのに魔法関連者を青空の園に近づけたのは、青空の園の園長が、子供に優しい園長だから。子供達のささやかな願いを頑張って叶えようとする人だから。そんな人の……仮面をつけて、あの人は、生きていた……
 「勝ち目のない戦いをさせられていた」――そのクライスの言葉の意味。それは、草笛さんが、あの草笛さんが恵理香ちゃんを売るなど予想出来るはずもない俺達に、最初から勝ち目などなかった。そういう意味だったんだ……

「――にしても、何故瑞波楓奈をここへ連れてこなかったのだ、小日向」
 不満気な顔で俺に詰め寄る伊吹。気持ちはわかる。てか伊吹が正論だ。――でも。
「楓奈……あいつ、まだ揺れてた。百パーセント、俺達についたわけじゃない。まだ、『教授』と俺達の間で揺れてたんだ」
 その揺れたままの心で、楓奈はおそらく教授から今回の話を聞かされる。草笛さんがお金で恵理香ちゃんを売るという話を。俺達が、圧倒的に不利になる事実を。だから独断で動いた。全てを終わりにする為に。これ以上、俺達が――楓奈に関わらないようにする為に。でも……結果として俺達は真相を知り、圧倒的不利に追い込まれても、楓奈を諦めることなどしなかった。それはつまり、楓奈の心がまだ揺れてるということであって。
「そんな曖昧な状態で無理矢理俺達の方につかせても、きっと後悔させることになる。楓奈が、自分で答えださなきゃ駄目なんだ。――駄目……だったのに……!!」
「雄真……アンタ……」
 俺は、楓奈が自分で――俺達について、俺達に『教授』との和解の協力を正式に求められるようにことを運びたかった。――でも、間に合わなかった……
「――あったで、姉さ〜ん!! こっからちょうど北北東の方角やで〜!! 明らかにおかしな建造物!!」
 と、そこで偵察に向かっていたタマちゃんが声を上げて戻ってくる。集合直後、ここの近辺に変な建物がないかどうか偵察に行ってもらっていたのだ。見事にビンゴ。
「ご苦労様です、タマちゃん」
「ただ……姉さん、あの建物、異質も異質やで。強烈な魔力の波動が空からでもびんびんに伝わってくる。レベルの高い魔法使いがゴロゴロいるんとちゃいますか?」
「そうですか……と、いうことなのですが、雄真さん、どうしましょうか?」
「え? ど、どうしましょうって、それを今みんなで――」
「何を言っておるのだ雄真殿。俺は雄真殿の指示に従うぞ」
「――信哉?」
 みんなで話し合ってるんじゃないですか、という俺の言葉を途中で打ち消してきたのは、信哉だった。
「今まで雄真殿が一人で頑張る箇所が中心だったのだろう? それを今更俺などが意見をしていいはずがない。俺は雄真殿についていく。雄真殿の答えが、俺の答えだ。無論その結果例え何があっても雄真殿のせいなどとは思わぬ」
「私も兄様と同意権です。小日向さんを、信じております」
「信哉……上条さん……」
「雄真のこういう時の行動に付き合うのもう慣れたわよ。それに――こういう時の雄真、きっと間違えないと思うし」
「お主の後先考えない馬鹿者ぶりをフォローするだけの力は持ち合わせておる。だからお主も後先考えずただ今思う通りに決めればよい。――いつものお主の思うように、な」
「柊……伊吹……」
「ふふふ、私からは何も言う必要はもうなさそうですね。――私達、通じ合ってますから♪」
「いや最後の一言余計ですから!!」
 やっぱりいつでも緊張感のない小雪さん。それでも……最初からこういうことだって、小雪さんはわかっていたわけで。
 だから……だから、俺は、答えを口にする。
「――行こう。そのタマちゃんが見つけた、怪しい建物に。乗り込もう」
「だな。――春姫のことを考えれば正直選択肢が他にあったとも思えん」
 クライスの言葉の意味。――それは、春姫の存在。草笛さんによっておそらく恵理香ちゃんと共に連れ去られた春姫。事情を知ってしまって、尚且つ恵理香ちゃんのように特に必要でもない存在。そんな人間がいつまでも無事でいられるわけがない。今この状態で一番危ういのは春姫なのだ。春姫に、何かあってからじゃ手遅れだ。
「オッケー、そうこなくっちゃ! あたし達の実力、見せ付けてあげましょ!」
「神坂殿、瑞波殿、竹原殿、三方とも無事に助け出してみせようぞ!」
 柊と信哉の意気込みで俺達の士気は上がる。
「時間もありませんし、少しでも勝率を上げる為に速攻での奇襲が必要そうですね。――突破口は、私にお任せ下さい♪」
「小雪様……? 何か案があるのでしょうか?」
「任せてーなー♪ こういう時の為の必殺技やで?」
 頼もしい発言の小雪さんとタマちゃん。――何やるか大体想像はつくけどな。
「では参るか、小日向」
「ああ。――行くぞ、みんな!」
 そして――俺達の、僅かな勝率に賭けた戦いが、幕を開けた。


「はあっ、はあっ、はあっ……」
「落ち着けよ雄真。まだお前に勝機がないわけじゃないんだ。冷静でいる限りお前の勝機が消えることはない」
「ああ……わかってる」
 クライスの声が俺の心をギリギリのところでキープしてくれる。――要所要所でのクライスのアドバイスに俺は助けられていた。逆にそれがなかったら今頃俺はアウトだっただろう。
 ――怪しげな建物へ到着し、小雪さん&タマちゃんの「タマちゃんズサーティーン」(前はタマちゃんズイレブンだった気がする)なる技で奇襲、俺達は突入を決行した。
 最早その辺りにうようよ敵がいることも覚悟していたのだが、敵の数そのものは多くはなかった。――が、代わりに魔法による防衛システムが洒落にならないものがあった。部外者を感知すると音もなく魔法により関連者を呼んだり、自動で攻撃してきたり。機械と違って分かり辛いので洒落にならない。確かに相手はこの敷地面積にしては人は少ないように思うが、それを十分にカバーしているようだった。
 で、俺達は突入の瞬間こそ上手くいったものの、それ以降は防衛システムに翻弄され、次第にバラバラに。俺は一人。他の皆もどうなっているのかサッパリだ。……だからってここで止まるわけにもいかないけどな。いかない、んだけど……
「こっちには誰か来たか?」
「いや、誰も見てない」
 遠くから聞こえてくるおそらく敵だと思われる人達の声。――俺は完全に止まってしまっていた。
「こうなったら……クエトロス・ミルダ・テルグナム」
「っ!! 雄真、動け!! 索敵魔法だ!!」
「え? 索敵魔法――」
 俺には向こうは小声で何も――と思った時だった。
「……あっちだ! あっちに誰かいるぞ!!」
「!!」
 ヤバイ、気付かれた!!――俺のクライスへの反応がわずか数秒遅れ、敵に気付かれる。
「くそっ!! 今は逃げるしか――」
「いたぞ!! 応援を呼べ!!」
 走り出す俺。追いかけてくる二人の人の足音。――そして、
「こっちだ! 足音がするぞ!!」
「!?」
 更に聞こえてきてしまった、俺の「前方」からの足音。つまり、それは……
「一人だけか? まあいい、潰せ!」
「っ……」
 前方と後方からの挟み撃ちというわけで、俺はアッサリと逃げ場を無くしてしまう。前に一人、後ろに二人。三対一か……
「サポート頼むぜクライス……こうなったら派手にやって誰か来るのを期待するしかない」
「いい判断だ。――持ちこたえるぞ、絶対にな」
 戦闘があることに気付けばそこには確実に味方がいるということだから、気付けば必ず来てくれるはず。だったらあえて派手にやって広範囲にこの戦闘を知らせ、誰かに気付いてもらえるようにするだけだ。他の仲間が一人じゃなかったら儲け物。――俺はそれに賭けることにし、クライスを持ち直し、身構える。軽く風が吹いた。
「……あれ?」
 今俺、可笑しな感想持たなかったか? 軽く風が吹いた? だってここ、建物の中――
「ミスティア・ネイド・アルエーズ」
 俺の頭が整理し切れない内に、不意に俺の背中越しに聞こえてくる詠唱。
「ゼル・レディケティア」
 その詠唱に気付いて振り向けば、俺の目の前には水色の魔法服を着た女の子が立っていて。
「ぐはあっ!!」「ぐおっ!!」
 気が付けば、俺を後ろから追いかけてきた二人組みがその子の魔法でぶっ飛ばされてるわけで。
「――間に合って、良かった」
 そう俺に向かって言ってくるのは――紛れもなく、楓奈なわけで。
「!? 楓奈お前、俺達を裏切るのか!?」
 驚きの表情と共にそう叫ぶ前方にいた一人。確かに相手側からしたらそれは正しい感想だろう。楓奈は、『教授』に忠誠を誓っていたのだから。
「……裏切る?」
 ヒュン、と軽く風を切るような音がすると、
「金や自分の欲望を満たす為に教授についている貴方達に、そんなこと言われたくない」
 楓奈は既に、相手の後ろに立っていた。――あ、相変わらず、よくわからんスピードだな。
「ウェンリィア・ミスティア」
「!?」
 ズバァン!!――そして相手に反応する暇もほとんど与えず、楓奈は風を纏った腕でその相手も一撃。ドサッ、とそいつが倒れると同時に訪れる、一瞬の静寂。
「雄真くん、大丈夫だった? 怪我とか、してない?」
「あ、ああ、俺は大丈夫。けど――」
「それなら行こう。このままこの場所に留まると危険だから、走りながら説明するね」
「え? あっ!!」
 けど、楓奈はどうして? という質問を遮られ、楓奈は俺の手を取って走り出す。俺はいきなり手を引っ張られ、危うく転びそうになりながらも一緒に走り出した。
「まず、恵理香ちゃん。――恵理香ちゃんは無事。さっき、伊吹ちゃん達に任せてきた」
 そのまま(俺自身は何処のどちらへ向かっているかもわからないけど)走りながらの説明が始まった。
「伊吹……達?」
「うん。信哉くん、沙耶ちゃんも一緒。あの三人のレベルなら出口までたどり着ける。ルートは教えてきたから」
 確かにあの三人で固まってるなら不安はない。と、いうかあのゴタゴタの中しっかり主である伊吹から離れていないのは兄弟揃って流石だな。――どっちか一人、俺を気遣ってくれればいいのにと思わないこともないけど。
「あと、小雪さんと杏璃ちゃんが一緒。二人にも別の脱出ルートを伝えてきた。一番確実なルートだから問題なく脱出出来る」
 ゴタゴタしてたとは言え珍しいコンビだな。――どっちか一人以下略。
「それで、雄真くんと私で春姫ちゃんを。――場所はわかってるから、急ごう!」
「うん、わかった。でも――」
「いたぞーっ!!」
「!!」
 でも、楓奈はいいのか? という質問が再び遮られる。前方から新手が二人。
「邪魔は……させないっ!」
 と、いち早く動いたのは楓奈。握ってた俺の手を離し、加速。一気に敵との間合いを詰めると――
「ぐはっ!!」「ぐおっ!!」
 バタッ、バタッ。――呆気なく接近戦に持ち込み、相手が反応する前にノックアウトに。
「なあ楓奈、楓奈は――」
「……友達、だよね?」
「――えっ?」
 俺の三度の質問は、一度目と同じく再び楓奈によって遮られた。でも今度はただ会話を変える為に遮ったわけじゃなくて――
「私は、大事な友達が困ってたから、助けてあげただけだよ? 困ってる友達放っておくなんて……本当の友達じゃ、ないよね?」
「楓奈……」
「うん」
 傍から聞けばあまり会話として成り立ってない、楓奈の「うん」。でもその時の楓奈の笑顔が、屈託の無い笑顔が、全てを、楓奈の答えを物語っていた。
 楓奈は覚悟を決めた。迷いを振り払って――俺達を選んでくれたんだ。
「おい雄真、ここでお前が戸惑ってどうするんだ?」
 軽く呆れるようなクライスの台詞。――そうか、楓奈は俺達を選んでくれたんだ。俺の答えを選んでくれたんだ。俺が呆気に取られてどうする。
「――よーし、頼むぜ楓奈! ここじゃお前だけが頼りなんだからな! 一緒に頑張るぞ!」
「うん。絶対に、春姫ちゃんを」
「ああ!」
 俺達は、何の合図もない、何の意識もなかったが、お互いの握り拳を、軽くポン、と合わせる。――通じ合った友達だけが出来る、信頼すべき仲間だけが出来る、友情の証。
「行こう!」
「おう!」
 そして俺達は、再び走り出した。――この先のハッピーエンドを、ただひたすらに信じて。


「待って、今開ける!」
 途中軽い戦闘をこなしながら(主に戦ってくれたのは楓奈)しばらく建物の中を走っていると、とある小部屋の前に辿り着いた。
「ここに春姫が?」
「うん。――ディライト」
 その一言で、ドアからガチャ、という音がする。魔法で鍵をかけていたらしい。――俺は急いで部屋に飛び込むと――
「春姫っ!!」
 ベッドで横たわっている春姫の元に駆け寄った。
「春姫、大丈夫か、おい! しっかりしろ!」
「落ち着いて雄真くん! 大丈夫、眠らされてるだけ!」
 楓奈にそう言われて俺はハッとする。反応がない春姫を目の前にしてちょっと焦ってたらしい。
「悪い、パニックになってる場合じゃないよな。――とにかく行こう。春姫は俺が背負う」
 俺がそう言って春姫を背負い始めた――その時だった。
「――っ!」
 パッと、楓奈が何かを察知したようにドアの方へ振り向く。
「楓奈? どうかしたのか?」
「――何でもない。急ごう」
「ああ」
 春姫を背負い、再び楓奈の先導の下走り出す。――でも、何だ? さっきの楓奈、絶対に何か感じ取ってたぞ……?
「……雄真、楓奈」
「クライス?」
 そんなことを走りながら疑問に思っていると、不意にクライスの声が。
「覚悟は……いいのか?」
 覚悟? 覚悟なんて――
「そんなもの、最初からあるに決まってるだろ! どんな状況だって、どんな敵とだって戦う覚悟はある!」
 今更再確認することでもない。楓奈だって、覚悟が出来たからこうしてるんだろ?
「そうか。――楓奈」
「うん。――ありがとう、クライスくん」
 が、クライスの問いかけに対する楓奈の言葉は、何処かニュアンスが違っていた。
「瑞波楓奈。――我が主、小日向雄真に代わり、厚く御礼申し上げる」
「いいよ、そんなあらたまったお礼。――友達だもん。雄真くんも、クライスくんも」
「すまない。そして……有難う」
「? な、なあ二人とも、その会話変じゃないか? 第一、お礼なんて、無事帰ってからでいいだろ! 今は――」
「ふふっ、そうだね。雄真くんの言う通りだよ、クライスくん」
「ああ……そうかも、な」
「クライス……?」
 何処か煮え切らないクライス。何だ? 何が言いたいんだよ、お前?
「雄真くん、こっち!」
 と、そんな会話のやり取りをしてる間に、俺達は少し大きめの扉を開けてくぐる。すると――
「え? 外……?」
「ううん。正確には、中庭」
 楓奈が中庭だと説明してくれたそこには草地に花壇、小さな池。春先になればガーデニングが出来そうだ……と、そんなことよりも、重要な点に俺は気付く。
「ちょっ……待て楓奈、ここ、行き止まりじゃないのか!? 何処にも先へ進む道ないぞ!?」
 そう。見渡す限りこの中庭に通じる扉は一つだけ。俺達が今入ってきた扉しかなかった。それはつまり、ここが行き止まりというわけで。
「まずいぞ楓奈! 急いで戻って、別の道を――」
「まさか、君が裏切るとはな、楓奈」
 焦った俺の台詞を遮るように、声がした。――ゆっくりと、その声のした方向を向くと、そこには白衣を着た男性が一人立っていた。年齢は四十から五十ぐらいだろうか。
「教授……」
 呟くように言葉を漏らす楓奈。……そう、この人が『教授』か――と思っていると、不意に一瞬だけだが、教授と目が合った。
「――っ……!?」
 ほんの一瞬、ほんの一瞬だけだったのに、俺に重く圧し掛かる威圧。一歩間違えたら立っていられなくなりそうな感覚。――この人は、「ヤバイ」。俺のレベル云々じゃない。もう、「ヤバイ」としか言いようが無い。
「雄真くん」
 そんな俺の心境を悟ったのか、楓奈が俺に話しかけてくる。楓奈は何とも無いのか……
「――終わり、だね」
 が、楓奈の口から出てきた言葉は、落ち着いている様子とは裏腹の、諦めの言葉。
「決め付けるな。――いくらあの人が強いって言っても俺達が一分二分でやられるわけじゃない。先に脱出してる伊吹達がいる。あいつらただ黙って逃げるような奴らじゃない。俺達が出てこないとならば必ず体制を立て直して何か手を打ってくるはず。だから、それまで持ちこたえれば――」
「ううん、そういうことじゃないの」
「……え?」
 そういう……ことじゃ、ない……?
「終わりなんだよ。私と、雄真くんの物語は、今日でお終い」
「楓奈……!? お前、何言って――」
「雄真くん、覚えてる? 初めて会った日曜日の次の日、月曜日、スーパーからの帰り道」
「だからっ! 思い出話に耽ってる場合じゃ――」
「あの日、私雄真くんに言ったよね? 私の魔法は、人を傷つけるものでしかないって。――あれ、撤回しても、いいかな?」
「楓奈……?」
「私、覚えたの。――人を傷つけない魔法。誰かの為の魔法。大切な人を――守る、魔法」
 楓奈がそう言い切ると、春姫を背負う俺の足元に、薄らと魔法陣が生まれ始める。
「私の、初めての誰かの為の魔法。――初めての人が、雄真くんと春姫ちゃんでよかった」
 まさか……まさか、これって……!! そうか、だからさっきのクライスとの会話も……!! 覚悟って、クライスの言う、楓奈が持っている、覚悟って……!!
「止めろ楓奈っ!! こんな方法で俺達だけ無事に戻ったって、何にもならないんだよ!! 楓奈も、楓奈も一緒じゃないと、何の意味もないんだよっ!!」
 次第にはっきりと描かれ始める俺の足元の魔法陣。周囲を包む優しい風。――俺を襲う、現実。
「ありがとう、雄真くん。――そう言ってくれる、雄真くんの為の、魔法だから」
「楓奈っ!! いい加減に――」
「――元気でね、雄真くん」
 バシュッ!!――激しく唸る風に、吹き飛ばされるような、包まれるような不思議な感覚。体が浮いた――ような気がした瞬間、既に俺は気を失っていた。
 最後に俺が見た楓奈の顔は――いつもの、優しい、笑顔だった。


 バシュッ!!――初めて覚えた誰かの為の魔法。「転送魔法」。出来る限り遠くに、出来る限り安全な範囲へと私は雄真くんと春姫ちゃんを転送した。
「転送魔法か……だが、無駄なことだぞ? 何処へ飛ばそうと、お前の魔力を追えば――」
「私がここで……足止めする、と言ったらどうですか?」
 教授は、私が先に雄真くん達を飛ばした後、私も一緒に逃げると思っていたらしい。でも、それじゃ教授からは逃げ切れないこと、私は知っていた。だから……
「裏切り者に待つのは死、と承知の上でか?」
「……はい」
 私は――生き残って彼らを守るつもりは、なかった。私の命を賭けて、彼らを守るつもりだった。
「成る程な。ここで時間を稼いで自分の魔力の跡を消そうということか……だが、それも甘い」
「……そうでしょうか」
「そうさ。私は君の魔力、魔法、全てを知り尽くしている。君がどれだけ強い魔法使いでも、私の前では無力だ」
 そうだろう。私に魔法を教えてくれたのは教授だ。教授は私の魔法のシステムを全て知っている。――いや、今この場でなら、「知っていた」と言うべきか。
「これを見ても……そう思いますか?」
 だから、私は賭けに出る。――いや、違う。きっと出来ると信じてる。大切な人の、友達の為だから。
「? 何を言って――」
 目を閉じて、彼らのことを想う。そして、全ての力を、全神経を集中させる。
「……な、に……?」
 風が、私を包む。風が、私の想いに応えてくれる。今この空気中に生まれる全ての風が、私に味方してくれる。
「風の……翼……!?」
 全て許容範囲内だったから冷静に私の言葉に応対していた教授が、はっきりと驚愕の顔になる。――私を包んでいた激しい風はいつしか翼となり、私の背中に携わっていた。見えるはずのない「風」で生み出された、見えることが出来る「翼」。
「これが、今の私の出来る精一杯です。――教授が、いつか教えてくれた、翼です」
 「翼」――教授に教えてもらったことがある。魔法にある各属性。その属性を極めると、その属性の翼を生み出すことが出来る、と。私は風の魔属性特質性だから、いつか風の翼が生えるように頑張りなさい、と、教授は私に教えてくれた。この翼は――絶大なる力の、証。
 無論、今までこれに成功したことはなかった。だから、教授もこの力のことは知らなかったはず。
「……何てことだ」
 しばらく驚きの表情をしていた教授だが、不意に苦笑する。
「自我を持ち、私を裏切ることで初めて翼が生まれるとはな。――私の研究もまだまだ甘いということか」
「いえ……この翼は、教授のお陰でも、あるんです」
「そうか……」
 軽く目を瞑り、ゆっくりと息を吐く教授。
「――確かに、今のお前なら、足止めが可能だろう。お前が命を賭けて逃がした彼らは私はもう追えまい。だが……わかっているかな?」
「……はい」
 わかっている。――それでも、私は教授に勝つことは出来ない。教授を、足止めすることしか出来ない。教授の実力は、本当に計り知れないのだ。
 裏切り者に待つのは死。――例外は、無い。
「そうか、ならば良い。――安心しろ。私の自らの手で、手厚く葬ってやろう」
「お願いします」
 ゆっくりと始まる、教授の詠唱。そして、私の詠唱。
「雄真くん。――あのね、一つだけ、伝え切れなかったことがあるの」
 お互いの目の前に生まれる、高密度な魔法陣。今まさに、ぶつかり合おうとする私と教授の魔法。
「今日はね、記念日になるんだよ?」
 ズバァン!!――激しくぶつかり合うと同時に、私は自らの機動力を生かして移動、かく乱に入る。奇襲して接近戦に持ち込む為だ。
「そう。――今日が、記念日になるの。私が、この翼をこの空に広げられた記念日になるの。だから――」
 だから……私がいなくなっても、悲しまないでね?

 ずっとずっと、皆で笑い合ってる、雄真くんでいてね?

 私に――ほんのわずかな時間、幸せをくれた、いつもの雄真くんで、いてね――


<次回予告>

「なあ春姫、楓奈は? 楓奈は、どうなったんだ?」
「……それは……」

勝利。
それは、春姫と恵理香を無事助け出した、雄真達に奉げられし栄光。

「止めて雄真くん……何も雄真くんだけのせいじゃない」
「違うんだよ春姫……全部、全部俺のせいなんだよ……!!」

敗北。
それは、楓奈を救えなかった雄真達が背負う、心の傷。

「――本当に、強い人だったら良かったですけど……ね」
「姉さん……」

手に入ったのは、夢や希望の無い、現実。
失ったのは、大切な仲間。

次回、「この翼、大空へ広げた日」
SCENE 12  「雄真の決意、鈴莉の決意」

「その通りだ。――全てがお前のせいとは言わんが、大半はお前のせいだ」
「――分かってるって、言ってるだろ……!! 何が言いたいんだよ、お前っ!!」

お楽しみに。



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