「なあ雄真〜、最近お前付き合い悪くないか?」 放課後、Oasisにて。ハチに「これからゲーセンでも行かねえか?」と誘われたのを迷いも無くあっさりと断った結果、ハチから出た感想がこれであった。 「仕方ないだろ。今俺青空の園で魔法教師やってるんだから、どうしてもな」 「でもよ、魔法教師は毎週月・水・金曜日だけだろ? 日曜日はまあ姫ちゃんとデートしたとしても他の日は空いてるだろうがよ」 「俺にも色々あるんだよ、色々な。今お前と遊んでる暇無いの」 「そんな〜!! 冷たいわ雄真様〜!!」 「気持ち悪い口調で話しかけるな!!」 まったく、しつこいと言うかしぶといと言うか。 「……大体よ、忙しいって言うけど、今だってこうしてOasisで寛いでるじゃねえか。その辺りはどうなんだよ?」 「待ち合わせだよ待ち合わせ。約束があるんだよ」 そう、俺は今日はここで待ち合わせしていた。そして、その待ち合わせをしている人が、最近の俺の予定をバッチリ埋めている原因の人でもあった。 「――っと、来た来た。おーい、こっちこっち」 俺が手を振って合図すると、彼女は笑顔でこちらへ小走りでやって来たのだった。
この翼、大空へ広げた日 SCENE
8 「初めての一滴」
「……運悪くタイミング悪い時に来ちゃったなあ」 「えっ?」 俺の呟きに軽く疑問顔になる楓奈。そして…… 「か、可愛い……なんて可愛い子なんだ……」 そんな楓奈を見て、今にも襲い掛かりそうな獣ことハチが横に。この状況でハチを抑えるのは俺でも難しい。いや難しいというよりも疲れるという方が正しいか。 そう、俺は最近の空いてる日は出来る限り楓奈と遊ぶようにしていた。彼女に普通の女の子としての感覚を知ってもらう為、彼女に、どんな魔法でも使い方で人を守れるということを知ってもらう為に、春姫を筆頭に仲間も出来る限り誘って――と言えば聞こえはいいが、実は最近は俺も普通に楽しんでる部分が大半を占めていたりもする。楓奈は素直で純粋な子なので、傍にいて疲れることはないし、誘うことで本当に嬉しそうな顔を最近はしてくれるようになったので、その顔を見るのが嬉しかったりもするのだ。 まあでもハチの肩を持つわけじゃないが、楓奈は可愛い。元々可愛らしい顔立ちだったが、ここ最近は春姫と準のお陰で服装も女の子らしい服装になっているし、髪の毛とかもちょっと手を加えるようになったりと、より一掃可愛くなってしまった。――などと分析していると。 「雄真、いやお父さん! 娘さんを僕に下さい!!」 「阿呆が!! 俺は楓奈の父親じゃねえし、百歩譲って父親だったとしてもお前にはやらねえし、父親じゃなくてもお前にはやらねえ!!」 何が娘さんを僕に下さいだ。暴走し過ぎだろ。 「にゃにを……しからば最早残るは駆け落ちのみ!! 若い二人の逃避行が、今――ぐおぅ!?」 「始まるわけないでしょ、もう。馬鹿なんだから」 台詞の途中でお盆でハチを殴ったのは準だった。 「こんにちは、楓奈ちゃん」 「うん、こんにちは、雄真くんに準ちゃん」 笑顔で挨拶をする楓奈。――最近は本当によく笑うようになったなあ。最初の無表情が嘘みたいだ。 「それで……その、この人は……お友達?」 お盆で殴られてうずくまっているハチを見ながら楓奈が尋ねてきた。 「いや知らない。近所でも有名な変わり者だ。お友達だなんてとんでもない」 「何ィ!? 誰が変わり者だ雄真ぁ!!」 「だからね楓奈ちゃん。この人の言うことは聞いちゃ駄目よ。工事現場の騒音だと思うといいわ」 「待てコラァァ!! 準、誰が工事現場の騒音だとぉ!?」 「うん、わかった。要するに、あまり気にしなければいいんだよね?」 「そんなわかってしまわれてるんですか素敵なお嬢さん!? 違いますよ!! 僕はですね――」 「え、えっと、じゃあ……どうでもいい人?」 「☆▲×%$#@!?」 恐るべし楓奈。恐るべし純粋。そこで連続攻撃とは! 「その辺にしておいてやれ雄真、渡良瀬準。――高溝八輔はともかく、楓奈が困っているだろう」 「クライス。――悪い悪い、ついいつもの癖でな」 というかクライスもハチはどうでもいいんだな。ともかく、って付いたし。 「まったく……楓奈、いいか、落ち着いて横を見てみるんだ」 「う、うん」 クライスの指示通り楓奈はあらためてハチの方を向く。 「いいか? 今お前が見ている席には――誰も座っていない。誰かの姿が見えたらそれは錯覚だ」 「いや待てお前が一番酷いぞクライス!?」 「何もなかったことにするのが一番だろう、どう考えても」 「あれ……私、目の調子が悪いのかな……誰かがいるように見える」 「ほら見ろ!! 楓奈が思いっきり信じ込んでるじゃないかよ!?」 相変わらずクライスは頭がいいだけに性質が悪かった。――と、ここでついにハチに救いの手が。 「ふふっ、その位にしておいてあげたらどうかな?」 「おう春姫、先生の用事は済んだのか?」 そこに現れたのは、先生からの軽い用事を受け持って少々遅れてやってきた春姫だった。 「姫ちゃ〜〜ん!! そうやって俺に優しくしてくれるのは姫ちゃんだけだよ!! こんな僕と結婚して下さホゲェ!!!」 「何故そこからプロポーズに話が流れるんだ、お前は」 「お、お前ら……お盆で殴る以外のツッコミ方法を考えろ……」 再びお盆でのツッコミを喰らい(今度は俺がやりました)うずくまるハチ。――でもまあ、このままじゃ一向に片付かないな。仕方が無い。 「わかったわかった、紹介してやるから、とりあえず落ち着いてそこに座れ」 「ワン!」 犬かお前は。 「えーと、多々省略でハチ」 「なんじゃそれは貴様!! ちゃんとした説明があるだろうが!!」 ハチのちゃんとした説明。ハチの特徴。 「とりあえずあれだ。エロいな。変態だ」 「とりあえずでエロを引っ張り出してくるなぁぁぁ!!」 「確かハチ、ロリコンよね?」 「何が楽しくて自己紹介でロリコンをアピールしなきゃいかんのだぁぁぁ!!」 というか否定は出来んのか。 「ええい、もういい、お前らに任せてたらとんでもないことになる!! 俺が自分でやる!!」 「最初からそうしろよ……」 俺がそう呆れ顔で言うと、わざとらしく「オホン」と咳払いをし、ハチは楓奈の方を向く。 「初めまして、俺高溝八輔! 雄真や姫ちゃんのお友達です! 宜しくお願いしま〜す!」 「瑞波楓奈です。えっと……宜しくね、八輔くん」 そう笑顔でハチに挨拶を返す楓奈。で、挨拶を返されたハチは…… 「は、八輔くん……くぁ〜〜っ!! 雄真、来たぞ、ついに俺の時代が来た!!」 「八輔くん」と呼ばれたのがよほど嬉しかったのか、相当興奮していた。――確かに、名前で呼ぶ奴はみんなこいつのことは「ハチ」だからな。八輔くん、は新鮮だ。で、 「それでは、楓奈さんにはご挨拶の記念に占いを無料で」 「最早ツッコミ所だらけで何処からツッコミを入れていいかわからないですよ小雪さん!!」 以下、そのツッコミ箇所の詳細。――その一、いつからそこにいたのか。その二、挨拶の記念で何故占いなんですか。その三、というか占い勧める前に自己紹介して下さい。 「あの――どちら様でしょうか?」 楓奈の純粋なる質問。さっきのツッコミの項目にもあったように、まだ小雪さんには会わせてなかった。 「初めまして、高峰小雪といいます。この学校の占い研究会の部長をしています。雄真さんとはたった一晩、行きずりの間柄」 「お願いだから非常に誤解を招く発言はやめて下さい!! 事実無根です!!」 たった一晩行きずりって。どう聞いてもアダルトな表現にしか俺は聞こえないぞ! 「そんな……以前、私のカレーを美味しいと言ってくださったのは嘘だったんですか?」 「何をどうひっくり返したら作りすぎたからって晩御飯におすそ分けしてくれたカレーを美味いって言ったら行きずりの間柄になれるんですか!?」 「クスン……つれないですね、雄真さん」 「ですから何度も言いますけどつれません!!」 誰か止めて下さいこの人。――と、案の定楓奈は疑問顔で小雪さんと俺を交互に見ていた。 「えっと……雄真くんと行きずりの人だから……」 「違うよ!! っていうか楓奈も会話の頭だけで判断するのやめてくれ!!」 会話の流れからしても違うだろ、うん。 「俺と小雪さんも普通の友達。一応先輩後輩の間柄だから、その辺りだけ注意してくれれば」 「うん。――えっと、宜しくお願いします、小雪さん」 「はい、こちらこそ宜しくお願いしますね」 それだけで十分なのに何でいちいちもめないといかんのだ、まったく。 「――まあ、いいではないか、雄真」 「クライス?」 クライスは、俺にだけ聞こえるように、小声で話しかけてきた。 「確かにいちいち挨拶を交わすだけで騒がしいと言えばそれまでだが――お前達らしいではないか。私はこのような挨拶の方がらしくていいと思うぞ? 印象に残り易いし、場も盛り上がるからスンナリ受け入れることが出来るだろう」 「まあ、そりゃそうだけどな」 そりゃそうなんだけど、出来れば一人でツッコミに回る俺のことも考えて欲しい。 「それに――高峰小雪がそれを見越してのあの発言だったとしたら?」 「えっ……?」 小雪さんが……わざと? 確かに小雪さんはいい人で、困った時は何だかんだで笑顔で助けてくれる人だし、不幸を先見して伝えるのは相手のことを想って、というのもあるらしい(からかいたくてやってるのも絶対あると俺は思うが)。今だって何食わぬ顔で笑顔で普通に座ってるけど…… 「――(ポッ)」 「って何でそこで顔を赤くするんですか!?」 「雄真さんからの熱い視線を感じてしまったので……」 「何が熱い視線ですか! 普通にチラッと見てただけでぐおぅ!?」 台詞の途中で俺の右足に信じられないほどの痛みが!! 「ごめん雄真くん、ついうっかりして踏んじゃった♪」 「は、春姫さん……ふ、普通に俺の横に座ってるだけで何故間違えて俺の足をそこまで思いっきり踏めるんですか……」 俺の足を踏んだのは満面の笑みの春姫だった。――いや誤解ですよ春姫さん! 「ふふふ、喧嘩するほど仲が良いとはこのことですね♪」 「誰のおかげでこうなったと思ってるんですか!? というかもう普通に笑顔だし!!」 痛みを堪えつつの俺のツッコミに俺以外の全員が笑う。――まあ、いっか。これはこれで結果オーライだ。
「――雄真くん、今日は魔法教師の日じゃないの?」 更に数日後のとある水曜日。待ち合わせ場所に来てくれた楓奈の第一声がこれだった。ま、無理もないけど。 「ああ、そうだよ」 「じゃあ、どうして?」 「決まってる。今日の同伴の仲間、楓奈にしたんだ」 「えっ……」 そう。恒例となっていた仲間同伴の相手に、今日は俺は楓奈を選んだのだ。楓奈の魔法はあのきっかけの日曜日に一度見ただけだが、相当の実力者であることは間違いない。それに今の楓奈は誰にでも優しく接することが出来るし、そういう意味でも適任。 無論――更に踏み込んで仲良くなる為の方法に選んだのは言うまでもない事実なのだが。 「というわけで、青空の園へレッツゴー」 「あ、あの、でも」 「大丈夫大丈夫、心配ないって。気にしない気にしない」 「でも、私、だって……その」 「ほら、時間もないから、行こうぜ」 当然のごとく戸惑って拒もうとする楓奈を、俺はいつもの方法で強引に連れていこうとした。が―― 「――お願いだから待って!」 急に聞こえる力強い言葉に、俺の足は止まる。――楓奈? 今の声、楓奈、だよな? 初めて聞いたぞ、あんな強い口調の楓奈の言葉…… 「楓奈……?」 「雄真くんが……雄真くんが、そう言って、私を誘ってくれるのは嬉しいの」 瞬時に真面目な話なんだと思った俺は、しっかりと楓奈に向き合う。 「でも、私達――ううん、教授は、魔属性過剰性の子のこと、諦めたわけじゃない。教授が、ずっと追いかけていた物だから。あの病気そのものが、教授の全てだから。あの病気の全てを解明することが、教授の全てだから」 教授。以前スーパーからの帰り道、楓奈が言っていた。教授に言われたから、と。その教授が求めているのは――今の楓奈の口調からしてもやはり恵理香ちゃん、ただ一人のようだった。 病気を解明することが全て。確かに珍しい病気だとは言っていた。謎の暴走もする。その研究の為に、恵理香ちゃんを――? 「今でこそこちらの戦力不足で手の打ちようがないけど、またいつ、何をするか、わからない。――私は、またいつ何をするのか、わからないの」 ただ楓奈はそのことを伝えるのが本題ではなかったようで、自分の中で言葉を選び、慎重に発言をしているようだった。――だから俺はもっと詳しく聞きたかったが何か口を挟むのは控えて、ただ楓奈をしっかりと見て、次の言葉を待つことにした。 「私、雄真くんに会えて本当に良かったと思ってる。雄真くんだけじゃない。春姫ちゃんも、準ちゃんも、すももちゃんも、みんなみんな会えて良かった。私にとって、大切な人になった。でも――教授も、私にとって、大切な人なの」 俺達が楓奈にとって大切な人だと言ってくれたことは嬉しかったが――同時に、楓奈が苦しんでいるような表情をしたので、ドキリとする。 「教授はね、身寄りのなかった私をここまで育ててくれた人なの。きっと私が魔属性特質性で、魔属性過剰性に関係している病気だったから、っていうのもあったんだと思う。それでも教授は私に優しかった。私に色々なことをしてくれた。私にとっては――父親のようなものだから」 父親。楓奈の言葉に嘘は見られない。本当にその教授のことを信用しているようだった。 「だから、私は教授の命令には逆らえない。教授がもう一度と言えば、きっと私はもう一度同じことをする。私が雄真くん達の間に踏み込めば踏み込む程――教授は私と雄真くん達との関係に気付く可能性が高くなる、つまり……危険が増していくの。言ってること、わかるよね?」 「――ああ」 「だから、お願い。必要以上に私を誘うのはもう止めて。私は、今のように、何も無い日に時折誘ってくれるだけで、みんなと会えるだけで十分幸せだから。それ以上なんて望まないから」 「…………」 わかる。楓奈の言いたいことは十分にわかる。――でも。 「なあ楓奈。俺達って、友達だよな?」 「――うん」 「友達にさ、遠慮なんかするもんじゃないんだ」 「私のは、遠慮なんかじゃ――」 「楓奈はさ、俺達に危険が及ぶのが嫌――つまり、俺達の為を想ってそう言ってくれてるんだよな?」 「うん……それはそう」 「だったらさ、俺達は楓奈のこと想っちゃ駄目なのか? 俺達が楓奈の――「本当の」幸せを願っちゃ駄目なのか?」 「――っ」 あえて俺が「本当の」に力を多少込めたのがわかったんだろう。楓奈は俺から視線を外した。 「本当のハッピーエンドはさ、その楓奈が言う教授って人に俺達のこと認めてもらって、恵理香ちゃんのことも諦めてもらって、楓奈が両方と仲良く暮らしていくことじゃないのか? 今のままでいても、いつかは駄目になる――それは楓奈だって何処かで思ってるんじゃないのか?」 「それはそう……でも、そんなの出来るわけがない……!!」 「ああ、出来るわけがない。――楓奈一人だったらな」 そう。楓奈は今まで一人だった。何をするのも一人だった。だから一人でやれないことは何でも出来ないと思っている。でも、それは違う。 「楓奈一人でやるんじゃない。俺もいる、春姫もいる、みんながいる。俺達、みんなで頑張るんだよ。――困ってる友達見捨てるような奴、俺達の中には一人もいないから。だから、頑張らせてくれよ、俺達にも。――友達だろ?」 「雄真……くん……」 「それにさ、俺達のこと見縊るなよ? 結構色々やってきたんだぜ? 先祖代々伝わる秘宝を巡る争いにケリをつけたりとか、名家の跡取り問題に口出して力付くで縁談を破談にしたりだとか。危ない橋結構渡ってるんだ。全部、友達の為にさ。だから……」 「だから……?」 「楓奈のワガママ、願い、苦しみ――楓奈の心、俺達に、少しでもいい。預けてくれよ。俺達、楓奈の為に頑張る覚悟、もうしてるからさ。楓奈も俺達と一緒に頑張る覚悟、してくれないか?」
「ふぅ……」 私は、ちょうど木陰にあった小さなベンチに腰をかけ、一休みすることにした。 「うおっ!? 汚いぞお前ら、俺一人ってどういうことだよ!?」 「だって先生、僕らの中で一番足が速いじゃん」 「そうですよ兄さん、その位のハンデ、わたし達にくれる位の根性を見せて下さい♪」 「いやにしても人数差有りすぎだっての!! って、おい、ちょっと待てー!!」 孤児院の庭では、魔法の授業も終わり、雄真くんと後から合流したすももちゃんが子供達と遊びまわっている。私も最初は参加していたけど、ちょっと離れて休憩することにしたのだ。 そう。――結局私は、青空の園へ、雄真くんのお友達として、仲間として、一緒に魔法を教えに来てしまっていた。子供達は私のことは覚えていないようで、私を笑顔で出迎えてくれた。――少し、胸がチクリと疼いたけど、多分隠せたと思う。 「…………」 私は――ここで、何をしているんだろう? どうしてこんなことになったんだろう? 私は教授の命令が絶対だ。つまり、教授の為に生きてきた。そして生きていく。教授が私をここまで育ててくれたのだ。それが当たり前だと――そう思っていた。いや思っていなくてはいけない。 ここで今、問題の恵理香ちゃんを奪い、教授の下へ連れていけば、教授はきっと喜んでくれるだろう。私をとても誉めてくれるだろう。――でも、今の私は、もうそれが出来なくなっていた。それ程までに、彼らとの――雄真くん達との間にあるものは、確実なものになっていた。 「……どうして……」 どうしてそこまでしてくれるんだろう、と呟きかけて、口を閉じる。――そんなの分かりきっている。いや正確には雄真くんが何て答えるかが分かっている。友達だから、だろう。出会いは偶然でも、私達はもう友達になってしまった。少なくとも私にとって掛け替えの無い人達になってしまった。 彼らは、私の知らない世界で生きていた。彼らの基準は私とはまったく違うものだった。そして雄真くんは、私の知らないものを、私とは違う基準を、私に与えてくれた。教えてくれた。 私の知らなかった世界は、本当に素晴らしいものだった。私の知らなかった私が芽生え、幸せを感じていた。失いたくないと感じていた。――うん、私は失いたくない。今の幸せを、もう失いたくない。 でも――当然、このままずっと、いけるとは思えない。私は教授の為に、動かなければならない。
『楓奈のワガママ、願い、苦しみ――楓奈の心、俺達に、少しでもいい。預けてくれよ。俺達、楓奈の為に頑張る覚悟、もうしてるからさ。楓奈も俺達と一緒に頑張る覚悟、してくれないか?』
彼はそう言った。気休めじゃなく、本気で言っていた。私の為に、覚悟をしていた。 「駄目だよ雄真くん……あんなこと言われたら私……本当に、我侭言っちゃうかもしれないよ……」 それは彼らを危険な目に合わせることだって知ってるのに、私の心は揺れ動いていた。――許されない。でも、その言葉に甘えてしまいたい。その優しい言葉に――包まれてしまいたい。 「――えっ?」 不意に、服の袖が軽く引っ張られた。――視線を向けると、一人の女の子……あの恵理香ちゃんが、私の服を軽く引っ張っていた。 「どうしたの?」 出来る限り平静を装って尋ねてみると、彼女は私に、自分のであろう、ハンカチを差し出してきた。 「これが……どうかした?」 「だって、お姉ちゃん……」 そう、何かを言いたげな雰囲気で、恵理香ちゃんは私の目を見ていた。――目? 「……っ」 そこで、初めて気付いた。――私は、泣いていた。私の目から、涙が零れていた。 「あれ……何で……?」 私は泣いた、という記憶がない。泣くほど嬉しかったことも泣くほど悲しかったことも、きっと今まで体験したことがなかった。いや、そういう感情を持ち合わせていなかっただけかもしれない。 その私が泣いている。今まで泣いたことなんて無かったのに。 「泣けるんだ……私……」 止まらない。何故だろう、私の涙は止まってはくれない。どうして泣いているのかもわからないのに、私の涙は零れ続けていた。 「大丈夫? 使っていいよ」 「うん……ごめんね……ごめんね、恵理香ちゃん……」 こんな情け無い私で、本当にごめんね。恵理香ちゃん何も知らないのに、本当にごめんね。――私は恵理香ちゃんから手渡されたハンカチを素直に使わせてもらい、涙を拭った。――と、その時。 「おおーい楓奈ー!! ヘルプ!! ヘルプ!! 皆が俺のことを苛めるんだ!! 楓奈だけは俺の味方だろー!? だから今すぐヘルプミー!!」 ハッとして声の方を見ると、すももちゃんと子供達に追われている雄真くんの姿。――それを見ていたらつい笑ってしまう。 「よし、一緒に皆と遊ぼうか、恵理香ちゃん」 「うん」 私は、恵理香ちゃんの手を取って、雄真くん達の方へ駆けていく。 「おお、来てくれるのか楓奈!! 愛すべき心の友よ!!」 「駄目ですよ兄さん、楓奈さんが兄さんの味方になったらわたし達に勝ち目がないじゃないですか。というわけで、楓奈さんもこちらです」 「こらすももー!! お前は兄を殺したいのかー!?」 神様、お願い――あ、そういえば私、神様に願いを託したこともなかった。初めまして神様。 あらためまして――神様、お願いします。どうかこの些細な幸せが、いつまでも続きますように。 どうか私がいつまでも、あの笑顔の中にいられますように。
<次回予告>
「上条くん、何だって?」 「ああ、今日もいい天気で良かったなって」
ある晴れた冬の日。目指すは山。 求めるは自然との触れ合い。
「酒は高峰小雪のエプロンのポケットを探せば出てきそうだが?」 「確かに……って、そうじゃなくて、第一草笛さんとかーさん以外全員未成年だろ!?」
理想は笑顔の交流会。現実は一部特定仲間の暴走。
「あっ、ご飯炊けたみたい」 「待てい!! お前まさか、今のがご飯が炊けた合図だと!?」
膨らむ不安。有り得ない生と死のサバイバル。 ツッコミにひた走る雄真は生き延びることが出来るのか!?
次回、「この翼、大空へ広げた日」 SCENE
9 「ゴー! ゴー! キャンプ!」
「御大将、布陣完了致しました」
お楽しみに。
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