「いや、中々興味深いデータが取れた」
 瑞穂坂を離れる、一台の高級リムジンの中。――磯根泰明は、笑みを零し、嬉しそうに呟いた。
「初めて実戦で使ったが、普通の魔法と比べても遜色ない。下級兵にも投入したが、改良さえすれば素晴らしいものになる」
 最も、泰明にとってこの「技術」に関して知っている人間がいたのは驚きだった。――が、だからと言って自分の計画が崩れることはない。
「まあ、その為にもこの瑞穂坂は手に入れなければな」
 魔法が発展した街とは聞いていたが、ここまで発展しているとは。――雄真、伊吹、鈴莉の実力を思い出し、再び笑みが零れる。この街さえ手に入れば。彼らの力さえ、手に入るのならば。
「そうだ、君の意見も伺いたいな、光山君?」
 同じリムジンに乗っていた光山に、泰明は話を振る。
「僕はあなたの計画とやらには興味ないですからね。彼らに復讐出来ればそれでいい。偶々あなたに手を貸すことが、復讐に繋がることがわかった。ただそれだけですよ」
 表情一つ変えることなく、光山はそう答える。
「君もそうだろう? 琴理君」
 と、今度は光山が――やはり同じリムジンに乗り合わせていた琴理に話を振った。
「ああ。――私は私の復讐をする。だから私はISONEの配下になったわけでも、光山の仲間になったわけでもない。私の思い通りにならなければ、即刻抜けさせてもらう」
 琴理は光山、泰明、両者の顔を見ることなく、流れ行く外の景色を見ながらそう答えた。
「でも、本当に良かったのかい琴理君? 放っておいても僕や磯根氏の計らいで、真沢親子は不幸になった。君の人生のレールをここで外さなくても構わなかったんじゃないかい?」
「笑わせるな。――それが私に父様の死の真実を伝えた男の台詞か?」
 琴理に、父親のことを知らせたのは、他でもない、光山だった。
「私の気持ちは変わらない。父様の無念を晴らす為なら、レールなどいらない」
「ならいいけどね」
 その二人のやり取りに、泰明は軽く鼻で笑う。
「まあ、我々は持ちつ持たれつ、ということだな」
 口ではそう言いつつ、いずれこの二人も上手い具合に利用、処分してやろう。――そう、泰明は決めていた。
「だが……君達の考えに口は必要以上に挟むつもりはないが、そこの餓鬼は、どうするつもりなんだ?」
「勿論利用する。――姫瑠を、とことん苦しめる為にな」
 泰明が促す先。――そこには、意識無く横たわる、すももの姿があった……


彼と彼女の理想郷
SCENE 25  「Thinking of you」


「――ISONE側からの連絡は、まだ何もない」
 翌日、朝一番で母さん、成梓先生を除く昨晩の戦闘に参加したメンバーは姫瑠の父親――真沢元志朗さんの元を訪れていた。すももは、察するにISONEの奴らに誘拐されている。当然、取引きの連絡があるとすれば、真沢さんの所だ。
 昨日の出来事を改めて真沢さんに説明し、それを今確認したところ、その答えだった。
「連絡が……無い?」
「ああ。取引きの要求以前に、誘拐した、との事後報告すらない」
「…………」
 何でだ? どうして連絡がない? 何の為にすももは連れ去られた? すももは無事なのか? 俺はどうしたらいい? 俺は――
 ポン。――混乱しかけた俺の肩に、誰かの手が軽く置かれる。
「…………」
 その方角に軽く振り向くと、香澄さんが俺を見ている。香澄さん。――昨日の夜の香澄さんの言葉が、同時に思い出される。

『落ち着きな。奴らが、すももに手を出すことはありえない』
『っ……どうして、ですか』
『リスクが大きすぎるのさ。奴ら、今回の事件、協会だの何だの余計な組織に知らせて大事にはしたくないはず。なのにすももを連れ去った。余計な証拠は、余計な組織を動かす鍵になっちまう。必要以上に証拠を残さない為にも、これ以上すももに余計な手出しは出来ないよ。少なくとも、あたしが奴らならこれ以上手は出さないね』
『なら、どうしてすももは……?』
『そこが謎なんだよねえ。――でも、落ち着いて動けば、あたし達の手で奪い返すチャンスは出来る。だから、冷静になりな。取り乱したら、あんたの負けさ』

 ――そう。俺が落ち着かなければ。すももを助けるんだ。だったら、ここでパニックになってる場合じゃない。
(すみません、香澄さん)
 落ち着きを取り戻させた香澄さんに目でそう合図を送ると、香澄さんは軽く笑い、俺の肩に置いた手を戻した。
「でも、ISONEの奴らが連れ去ったのは十中八九間違いねえし、何しろ光山はスパイ、クリスは重傷。――俺達が黙っている理由なんてない」
 冷静な口調だが、タカさんは明らかに怒り心頭だ。
「社長、本国からナンバーズ本隊の召集を! リーダーが敵で、クリスが不在だったとしても、それでも八人居れば奴らを叩ける! 少なくとも証拠は手に入れられます!」
 そうか、MASAWA MAGICの本社はアメリカ、その本社にはタカさん、クリスさんが所属するナンバーズ、総勢十名の内、残りの七人が居るのか! 確かにタカさんクリスさんレベルの人が後七人来てくれれば――などと思っていたら。
「いや、ナンバーズ本隊は呼ばない」
「え……!?」
 返ってきた答えは、そんな答えだった。――って、呼ば……ない? 今この人、呼ばないって、言ったのか……!?
「ちょっ……パパ!?」
「な……社長、呼ばないって、どういうことですか!?」
 そして俺以上に驚く姫瑠とタカさん。それはそうだ。このシチュエーション、呼んで当たり前だ。
「今回、MASAWA MAGIC側、直接被害を被ったわけじゃない。ナンバーズ、任務中の負傷は被害とは換算しないのはわかっているだろう?」
「クリスのことを言ってるんじゃない! 雄真の妹が誘拐されちまってるんですよ!? MASAWA側云々じゃなくて俺達のせいで起こった結果じゃないスか!! なら助けてやるのが――」
「そんな理由で動いてみろ。逆にあらぬ容疑を向こうからかけられて、我々が不利になるだけだ」
「俺達が不利とか不利じゃないとかそんな話じゃねえ!!」
「そんな話だ!! 私に直接交渉なりの話が来ない限り、我々は無関係だ!!」
「な――!!」
 その言葉に、誰もが怒り……そして、いち早く黙ってられないタイプの人間が、詰め寄る。
「ちょっと、一体何様なんですか!? 無関係って、いくら何でも!!」
「お主、それでも組織を束ねる人間か!? 恥を知れ恥を!!」
「杏璃、伊吹。――いいから、もう」
 でも、香澄さんの言葉があったからだろうか。俺は、冷静だった。冷静で、いられた。
「雄真!! 何でアンタがそんなに落ち着いてるのよ!? すももちゃんが攫われてるのよ!? アンタが一番怒るべきじゃない!!」
「言いたいことはわかる。でも、今ここでただ怒ってたって、すももが帰ってくるわけじゃない。他所からの援護がないなら、俺達で頑張るしかない。頑張ればいい。――俺達で、助けよう。俺は、みんなが一緒に戦ってくれるなら、それだけで十分だ」
「雄真くん……」
 不安そうな気遣ってくれてそうな、何とも言えない表情の春姫。俺は軽く頷いて、大丈夫、と目で気持ちで伝える。
「それから姫瑠」
 そして俺は、釘を刺しておく。
「何度も言うけど、お前一人必要以上に責任とか感じるなよ」
「……雄真くん」
 だって言っておかないと、絶対に自分自身を追い込むような奴だから。
「お前のせいじゃないからな。お前は何も悪くない。俺は、お前も俺達の仲間として、一緒に戦ってくれればそれだけで十分だ」
「ありがとう。――私、精一杯頑張るから」
「うん。――頼りにしてるぜ」
 俺の言葉に、姫瑠は力強く頷いてくれる。何より客観的に見て実力的に頼りになるのは事実だ。
「パパ。――私、行くからね。すももちゃんは、私の大切な友達だから。パパがビジネスのことしか考えないなら、私は友達のことしか考えない」
 そして姫瑠は、そのまま厳しい目つきで真沢さんにそう告げる。
「…………」
 真沢さんは――何も、答えなかった。ただ、姫瑠の目を、じっと見るだけだった。
「みんな。――力を貸してくれ。一緒に、すももを助ける為に、戦って欲しい」
 ――何となくその真沢さんの様子も気になったが、必要以上に構っている場合でもないので、俺は気持ちを改める為に、皆に向かってそう告げる。
「頑張ろう、雄真くん。私は、雄真くんの為に頑張る覚悟、いつだって出来てるから。――私の時に、頑張る覚悟してくれた、頑張ってくれた雄真くんと、同じ様に」
「ありがとな、楓奈」
 代表するかのように真っ先に返事をしてくれたのは楓奈だった。優しくそう告げてくるその笑顔が純粋に嬉しかった。
「任されよ雄真殿。――妹を想う兄の心持、痛い程に心得ている」
「私も、ご家族を大切にする想い、小日向さんの気持ち、心得ているつもりです」
「アンタに頼まれなくたって、最初からあたしは行くつもりだったわよ」
「この様な時に力及ばなかったら、式守の次期当主など務まらぬわ。すももに手を出した罪、とくと懺悔させてくれる」
「高峰小雪、雄真さんの為なら火の中水の中ベッドの中」
「何ですか最後のベッドの中って!?」
 小雪さんの余計な一言はともかく――皆、思い思いに強く承諾してくれていく。
「世の中、正義が勝つとは決まってない。世の中甘くはないからね。勝てるのは、強い意志と力、両方持っている奴さ。――あんたが揺ぎ無い「意思」を持ち続けられるなら、あたしはあんたに出来る限りの「力」を提供するよ」
「俺も行くぜ、雄真。――ここで動かない奴は男じゃねえ」
「ありがとうございます、香澄さん、タカさん。――みんな、本当にありがとう」
 最後に、香澄さんとタカさんの同意。――俺は、本当に心強い仲間達に出会え、恵まれている。
「タカ。――勝手な行動は命令違反と見なし、処分の対象となるぞ」
 その真沢さんの言葉に、タカさんは怒りと呆れが入り混じった、何とも言えない表情になる。
「俺は立派な肩書きが欲しくてMASAWA MAGICに入ったわけでも、ナンバーズになったわけでもねえ。――本当に大切な物守る為だったら、ナンバーズの肩書きなんて、俺にはいらない」
 タカさんは、振り返ることなく真沢さんにそう告げ、部屋を後にした。――そして、それに続くように俺たちも部屋を後にする。
「――パパ」
 最後に残った姫瑠が、もう一度真沢さんを見、口を開く。
「琴理のお父さんが死んだのは……殺したのは、パパっていうのは、本当?」
 訪れる沈黙。姫瑠の目が、嘘や逃げは許されない、と言っているようだった。
「――本当だ」
 その空気に押されたのか、静かに、でもはっきりと、真沢さんはそう答えた。
「……行こう、雄真くん」
 そして姫瑠はその短い答えを聞き遂げると、俺と一緒に部屋を後にした。


「……行こう、雄真くん」
 その言葉を封切りに、最後尾だった雄真、姫瑠が部屋を後にする。
「…………」
 部屋に残った真沢元志朗は一人、思い耽っていた。娘である姫瑠に厳しい視線を送られたからでは――まあそれはそれで彼自身ショックではあるのだが――なかった。
 思い出していた。――いや、思い出すまでもなく、忘れることのない、自らの過去を。

『――馬鹿言うな! これは俺の責任だ、俺が行くのが当然だ』
『駄目だ。僕が居なくても会社は動くが、お前が居なくなったら僕らの会社は終わりだ。お前の会社経営の才能は本物なんだ。社員を困らせるな。君の家族を困らせるな。――折角の僕らの"夢"、ここで終わりにするな』
『だが、俺はっ!!』
『元志朗。――頼みがあるんだ』
『頼み……?』
『娘……琴理のことだ。僕の代わりに、あの子を守っていって欲しい。あれは繊細な子でな。僕が自ら犠牲になった……自らの意思で、琴理を置いて先に逝くなどという真実の重みには耐えられないだろう。――死の隠蔽は流石に出来ない。だから、僕は事故で死んだことにしておいてくれ。絶対に、本当のことは、教えないでくれ』
『馬鹿な……俺にはそんなこと出来ん』
『頼む。お前にしか頼めないんだ。お前が、守っていって欲しいんだ』
『お前……』
『ははっ、父親失格だな、僕は。――お前は、そんな風になるなよ?』

 思い出されるは、友の言葉。あの日交わした、約束の言葉。――最後の、言葉。
「隆(たかし)……」
 気付けば、友の名前を呼んでいた。応えてくれる友が、もう居なくなって、何年も経つというのに。


「……失礼します」
 小さめの声で俺はそう断り、その部屋に入る。――ここは瑞穂坂大学病院。クリスさんが運ばれた病院だった。俺は皆で真沢さんの元を訪ねた後、クリスさんのお見舞いをする為に、タカさん、姫瑠と共にやって来ていた。
「…………」
 覚悟はしていたが、直接見てしまうとやはりその光景は辛かった。――クリスさんは結局あの戦いで、意識不明の重体となった。今現在も無論意識は戻らず、呼吸器を始めとした医療器具を体のあちこちにつけられて、無機質に定期的に機械音が鳴る部屋で、一人目を閉じて眠っているのだ。
「――ほれ、ボーっと立ってないで、座れよ。――お嬢様も、椅子を」
「あ……すいません」
「ありがとう、タカさん」
 タカさんに椅子を用意され、俺と姫瑠はその椅子に大人しく座る。
「――俺とこいつは、俺がMASAWA MAGICに入った頃からの縁でな」
 タカさんも、自ら椅子を出し座ると、不意に語り出した。
「世界規模、超一流の会社だ。俺はいわゆる魔法の才能だけで、新製品等のテスト・モニター要員、それから下っ端のガードマン的役目で入社出来たんだが、周りはやれ何処の一流大学だの、何の資格をいくつ持ってるだの、そういう頭のいい奴らばっかでさ。まあ俺みてえな何処の馬の骨かもわからねえ奴は、当然白い目で見られるわけよ。で、俺も頭にきて、いつかもっと上に言って、全員見下し返してやる、とか思って必死こいてた」
 その頃のことを思いだしているのか、タカさんは少し苦笑する。
「でもよ、そんな馬鹿俺一人なのかと思ってたらさ、もう一人いやがってな」
「あ……じゃあ、それが」
「俺みたいに家飛び出して単身アメリカに渡った、とかじゃ流石にねえけどさ、こいつはアメリカの田舎の田舎、ド田舎の出身でな。子供の頃は大自然で暮らしてたような奴だったって話だ。更に入社した理由は俺とほぼ同じ、流石に俺よりかは学はあるが、魔法の才能が主な理由だ。で、やっぱそういう田舎とかを馬鹿にする阿呆が世の中居てな。こいつはこいつでそれにムキになって、絶対に見返してやる、って息巻いてた。――色々な意味で二人共有名になっちまってな、知り合いになるのにそう時間はかからなかった」
「初めて聞いた……そんな馴れ初めなんだ」
「案外会社では有名な話っスよ、俺とクリスの入社したての頃の話は」
 姫瑠にそう返事するタカさんは、少しだけ恥かしそうな、嬉しそうな顔だ。
「で、色々経緯はあっても目的は同じ、それに何だかんだで気が合って、ずっと一緒に仕事してきた。頑張って、苦労して、頑張って、俺達はMASAWA MAGICでも最高峰の一つと言われるナンバーズになった。なってからも色々あった。実際、結構危ないこともあったけど、結局俺達は負けることはなかった。俺達二人なら、何でも出来る。失敗なんてない。――そう誓って、信じて、今までやってきた。なのに」
 そこで、タカさんの顔が、フッと悔しそうな、辛そうな顔になる。……何を考えているかは、痛い程にわかる。
「俺は、こいつを助けてやれなかった。守ってやれなかった。絶対に、どんな時だって二人で戦うって、助け合うって、守ってやるって、決めてたはずなのによ……!!」
「タカさん……それは」
 タカさんのせいじゃないです、という言葉を俺は飲み込んでしまう。――きっと、タカさんはそんな言葉、望んでいないし、俺が言った所でどうにもならない。
「雄真。俺は、お前らと一緒に戦う。社長にも言ったように、これはナンバーズの戦いじゃない。俺の戦いだ。俺の意思で戦う。だから俺の立場とか、そういうのは一切気にするな」
 スッ、と俺を見るタカさんの目には、揺ぎ無い意思が込められている。
「攻撃の日取り、手順、必ずお前らの考えに従う。俺に出来ることな何でも言ってくれ。――その代わり、条件が一つ」
「条件……?」
「ああ。――光山は、あいつだけは、俺がやる」
 予感はしていた。――俺がタカさんだったら、きっと同じことを考え、言うだろう。男として、ケジメをつけたいんだ。
「わかりました。――それを断る理由は、俺にはありません」
 だから迷わず承諾する。
「絶対に、勝ちましょう。――これ以上、相手側の好き勝手にはさせない」
「当然だ」
 守りたい人がいる。助けたい人がいる。譲れないものがある。だから――俺達は、これ以上は負けられない。負けるわけには、いかない――


 酷く寂れた街外れに、その墓地はあった。
 お世辞にも立派とは言えないその墓地の更に隅、指摘されなければ誰も気付かないような箇所に、小さな、名も無き墓石。
「…………」
 一人の男が、ゆっくりとその名も無き墓石の前でしゃがみ、静かに花を供え、手を合わせ、目を閉じる。そもそも人気の無い墓地、聞こえてくるのは風に揺れる草花の音程度だった。
 だからだろうか。――近付いてくる足音は、男の耳には、必要以上に、はっきりと届いていた。やがて足音は、自分の後ろでピタリ、と止まる。
「……何の用だ?」
 男は立ち上がることも振り返ることなく、そう切り出した。
「あなたと同じ。――墓前に、花をお供えに来たのよ」
「そうか。ならば、俺には特に用件はないな、御薙」
 その言葉に、後ろに立っていた人間――御薙鈴莉は苦笑する。――わかってる癖にそういうことを言うのね、相変わらず。
「頼みごとがあって来――」
「断る。――俺はもう現役じゃない。任務だの依頼だのは御免だ」
 男は鈴莉の言葉を途中で遮ると、ゆっくりと立ち上がる。――客観的なことを言えば、男の言葉には大きな違和感がある。身長は百九十センチ近く、体も相当鍛え上げられているのが見るだけでわかる。年齢もまだ三十台前半といったところ。――十分「現役」、最前線の存在であった。無論それは、彼を知らない人間が見たら、の話であるが。
 事実彼の実力そのものは何の問題もなかった。――だが、知っている人が聞けば直ぐにわかる、その「現役じゃない」の言葉の意味。その重みを鈴莉は知ってはいたが……それでも、言葉を続ける。
「せめて内容位、聞いてみてくれてもいいんじゃないかしら」
 男は軽く息をふぅ、と吐くとそこでやっと鈴莉の方を向く。左目には黒い眼帯。その眼帯には薄くであったが、魔法陣が描かれていた。――その眼帯は、男のトレードマークだった。
「あんたが俺に頼む位の話だ。少なくとも軽い話じゃあるまい」
「ええ、残念ながらね」
「ならば断る。――別にあんたのことが嫌いなわけではないし、あんたには義理もあるが……それとこれとは別の話だ。あんたならわかるだろう? 世の中には、語り継いではいけないものがある。存在してはならないものがある。――俺の名前を、これ以上歴史に刻むわけにはいかん」
 男はそう言い切ると、迷いもなくその場をザッ、ザッ、と後にする。
「――『ART』のシステムの流用が確認されたの」
 だが――その鈴莉の言葉に、男の足が止まる。
「お願い、力を貸して。あなたの力が必要なのよ。――『ゼロ』」


<次回予告>

「――本気で言ってるようだな」
「ええ。だとしたら、こんな箇所でわざわざあなたには会わないわ」

鈴莉が極秘裏で接触する一人の男。
彼女が自ら足を運び、依頼をするほどのその男は、一体何者なのか。

「そんな簡単な話ではもう無いんだ。私が今生きている意味全てなんだ。
父様の無念を晴らす為に私は今存在しているんだ。
――もう、私は戻れない。戻るつもりもない。一人で、何処までも戦ってやる」

垣間見える、優しさと厳しさと、悲しみ。
全てが混ざり合ったその時、感情はわずかに道を外し、

「っ!! 何を根拠に――」
「手が震えてるぞ」

新たな引き金を、引いてしまうだけなのか――

次回、「彼と彼女の理想郷」
SCENE 26  「英雄は、消えない痛みと共に」

「どうして……そんなに自分を卑下するの? 謙遜するの? 
あなたは、もっと評価されていい人間なのよ? 沢山の人達に感謝されるべき人間なのよ? 
あなたは――世界を救った英雄なのよ?」

お楽しみに。


NEXT (Scene 26)

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