「あそこにいるの……柊さん、ですよね?」
 朝の登校時。すももの指摘、そして視線を追うと、そこには校門に軽く寄りかかって誰かを待っているような姿勢の柊の姿があった。まるで……そうまるで、いつも俺を朝待っていてくれている春姫のようだ。
「…………」
 そして、予測はしていたことだが、無論そこに春姫はいなかった。
「どうしたんでしょう、あんなところで……はっ、も、もしかして柊さんにもついに彼氏さんが!?」
「いや……多分、俺を待ってるんだと思う、あれ」
「兄さんを……ですか?」
「うん」
 訪れる一瞬の沈黙。そして、
「……兄さん……姫ちゃんや姫瑠さんに飽き足らず、ついに柊さんまで」
「待てい我が妹」
 ――そして、とても素敵な勘違い娘がここに。
「前々から思ってたんだが、すももは一体兄さんのことをどういう目で見ているのかな?」
「女たらしですけど、自慢の兄さんですよ」
 全然嬉しくねえ。何だ前半。どんなイメージなんだ俺。
「雄真」
 と、俺達の存在に気付いたらしく、柊がこちらへやって来た。俺を見るその目は、真剣そのもの。
「悪い、みんな先に行っててくれ。俺、柊と話があるから」
「待てい雄真、俺は許さんぞ! 杏璃ちゃんと秘密の密談など! 俺も、俺も混ぜて――」
「ハチ。――悪い」
「……え?」
 おふざけモードに入りかけたハチを、つい俺は少し厳しい口調で止めてしまった。怪訝な表情になるハチ、準、すもも。不穏な空気が流れ出した、その時。
「ほら、みんな、先行ってよう? こんなとこで止まってたら変だって」
 そう促しだしたのは姫瑠だった。いつもと変わらない口調で、ハチ、準、すももを促して半ば強引に足を進ませる。
「それじゃ雄真くん、杏璃、先に行ってるから」
「ああ、悪い」
「いいよ別に。――でも、浮気は二回までだからね? 三回目の浮気は大目に見ないからね?」
「浮気じゃないしそもそも付き合ってないし歌は古いし!?」
 俺が一通りツッコミを入れると、姫瑠が動き出し、それに釣られるようにハチ、準、すももの三人も動き出す。
「ハチ、女の子とストロベリートークがしたいなら、私がしてあげるよ。――三十分二万円から」
 高えよ社長令嬢。――と、そんな会話も段々と遠ざかっていき、その場には俺と柊だけが残る。
「みんなに……特に姫瑠に、気、使わせちゃったわね」
「ああ。……でも、俺達だけで食い止められるなら、それにこしたことないからな」
 実を言えば、もっと他のみんなにも相談しようか、と考えた。でも憚られた。――これは、俺の仲間全員の問題じゃない。基本的には俺の問題だ。柊は巻き込んじゃってるけど。
 姫瑠、準、ハチ、すももの後姿を柊と共に見送る。――元に戻さなきゃいけない。その何気ない光景を見て、俺はそうあらためて思うのだった。


彼と彼女の理想郷
SCENE 15  「Kiss -Joy or Uneasiness-」


「――春姫、朝部屋覗いたらベッドに寝たままで、風邪引いて休むから、って」
 他の人の目にあまり触れない箇所で、と思って校舎裏に移動して、柊の第一声がこれだった。
「風邪……?」
「うん。――昨日、あれから寮に戻ってからも様子を見てたけど、春姫、部屋から一歩も外に出てないわ。食事もきっとしてない。で、今朝顔を見たけど、確かに顔色は悪かった。体調が良くないっていうのは本当だと思う。でも」
「実際のところ、精神的負担から来てる、ってことか」
 嫌な予感はしていた。でも、モヤモヤしたままで具体的にどうするべきか、という所までは達していなかったのだ。
「――雄真は、昨日はあれから」
「電話したけど出てくれないし、メールは何通か送ったけど返事はゼロだった」
 昨日の夜のことだ。――正直、痛いし、不安で仕方なかった。
「そう。――やっぱり原因はアンタに大きくあるわね」
「多分……な。正直、未だに思い当たる節がない自分が情けない」
「姫瑠と仲良くし過ぎなんじゃないの? 正直アンタ達の関係、外から見るとかなり怪しくなってるわよ」
「それだったら、徐々に症状が出て来てもおかしくないだろ。今回に限って言えば一気にガクッ、と来たぞ?」
「あ、そっか」
 二人ともふーむ、といった感じになる。
「ここでああだこうだ言っててもどうにもならないわね。今日、徹底的に話し合った方がいいわ」
「俺だって出来ればそうしたいけど、俺避けられてる」
「だからあたしがいるんじゃない。ちゃんと話するように背中を押して、最初の間は第三者として上手く聞いてあげるから、きっかけだけ出来たらあとは二人で話し合えばいいわ。――大丈夫、ちゃんと手は考えてあるわ」
「手? 特別な方法があるってことか?」
「ええ。――放課後、あたしが連絡したら女子寮の前まで来て」
「わかった。……サンキューな」
「そう思うんなら、絶対に今日中に元に戻しなさいよ」
「ああ、任せてくれ」
 そう言って、俺に笑いかけてくれる柊の存在が、今はとても嬉しく、励みになるのだった。


 ――そして時刻は、
「あっ」
 という間に放課後。
「実際の話、『あっ』の一言だけでは一秒も稼げぬのにな」
「相変わらずこんな状況下でもクールにどうでもいい解説ですねクライスさん」
「逆に私がパニックになっていたら嫌じゃないか、お前」
「まあ、そりゃそうだけど……まあいいや」
 確かに、口には出さないが、いつものやり取りというのは何処か心が落ち着くものがある。そういう意味じゃクライスには感謝だ。――多分、わかっててやってくれてるんだろうし。
 さて前述したように現在は放課後。先ほど柊からメールが届いたので、女子寮の前に移動中だ。
「しかし、私個人の話になるが、ワンドとして女子寮に入るのは何年ぶりか」
「ああ、そういえば何だかんだでお前と契約してからは女子寮入ってなかったな俺も。――って、昔入ったことあるのかよお前」
「鈴莉のワンドだった頃に数回な。鈴莉は教師という立場上、羽目を外すわけにはいかなかったが――雄真、春姫の部屋に行く前に寮の中を一回りするというのはどうだ?」
「何その提案!? 何するつもりだよ!?」
「何って、エネルギー補充だ。こう、何ていうか、フレッシュな感じをだな」
「何がフレッシュだ馬鹿野郎が!!」
 いつものやり取りというのは心が落ち着くというか、最早疲れるというか何というか。――そんな馬鹿なやり取りをしてる間に、女子寮が視界に入ってくる。
「あ、雄真ーっ!」
 と、俺を見つけた柊が、笑顔で手をぶんぶん振っている。
「おう、わざわざ悪いな」
「いいわよ、別に。さ、行きましょ」
 そう言うと、柊は俺の腕を取り、自分の腕を絡めて、歩き出した。
「……あれ?」
 そう言うと、柊は俺の腕を取り、自分の腕を絡めて……?
「ストップ、ストップだ柊」
「? 何よ、今更怖気づいたの?」
「いや、何故に今俺とお前は腕を組んでいるのかと思って」
 そう。何故か今俺と柊は腕をバッチリ組んでいた。まるで恋人同士のように。
「馬鹿ね、女子寮に男子が入るのって大変なのよ? それっぽく見せた方が疑われないに決まってるじゃない。――ほら、時間ないんだから、行きましょ」
「え、あ、おい」
 そう言うと、再び柊は満面の笑みで俺に身を寄せて歩き出す。――逆にこれは駄目なんじゃないでしょうか。男連れ込むってことになってますよ。っていうか俺管理人の人に顔覚えられてないですか以前から出入りしてるんだから。
「…………」
 案の定、管理人さんにかなり怪訝な表情をされつつも、とりあえず寮の入り口は突破。俺達はそのまま寮の中へ。
「さ、ついたわ」
「? ついたわ、ってここ柊の部屋だぞ」
 俺が案内されたのは、春姫の部屋じゃなく、柊の部屋の前。
「とりあえず、作戦会議するの。――ほら、入って入って」
「あ、うん。……お邪魔します」
 促されるままに部屋に入ると、
「そこのクッション使って。――雄真はコーヒーでいいの?」
「ああ、その、うん」
「わかった。――今淹れるから、ちょっと待っててね」
 促されるままにテーブルの近くにあったクッションについ座ってしまう俺。見れば柊は鼻歌混じりでコーヒーを用意している。――何だか俺、初めて彼女の部屋に入った彼氏みたいになってきたぞ。何でこんなことになってんだ?
「はい、お待たせ。――こっちが、砂糖とミルクね」
「ああ、サンキュ」
 俺がお礼を言うと、柊はテーブルを挟んでちょうど真正面に自分も座る。話し合いの体制完了。
「でだな柊、早速なんだけど、お前が考えた作戦ってのを――」
「あ、やだあたしったら、お茶菓子出すの忘れてるじゃない。――ごめん、ちょっと待っててね」
 ――完了かと思ったら、柊は再び立ち上がり、お茶菓子を探しに行ってしまう。――何だ? おかしい、今の柊は何かがおかしいぞ? 思えば寮の前で腕を組んできた時からだ。
「小日向殿、話がございます」
 と、俺が悩み始めると、俺を呼ぶ声。
「……パエリア?」
 執事のようなその口調、柊のワンドであるパエリアだった。
「おそらく小日向殿も感じておられると思いますが……今の杏璃様は、普通の状態ではございませぬ」
「……聞くのが怖いんだけど、どういう意味?」
「杏璃様が、小日向殿をお呼びになる、十分程前の出来事でした……」

「これで……ここでよくかき混ぜる、っと」
 魔法書片手に、杏璃はコップの中の液体をカチャカチャとスプーンでかき混ぜていた。時刻は丁度雄真が杏璃と女子寮で出会う十分前。
 杏璃の考えた作戦はこうである。――春姫は精神的に参ってしまっている。思い切って全部を喋らせてしまうには、精神的な勢いを与えるべきだ。そう考えた杏璃は、魔法書片手に、簡単な魔法、材料で出来る精神に効くドリンクを作っていたのであった。これを飲ませ、言いたいことを全て吐き出させればいい。――実に彼女らしいやり方でもあった。
 更に言うならば、この手の作業はいつも危なっかしい彼女であるが、今回は順調に作成を進めていた。問題なしでドリンクは作られていたのである。
「後は、これにリンゴジュースを混ぜて……出来た!!」
 そして、ドリンクは何の問題もなく、無事完成した。
「よーし、これで完璧だわ!」
 満足気な声と共に、「ふぅ」と息を吹く。――作成には魔法も必要だった為、知らない間に相当集中していたらしく、多少の疲労が出てしまったらしい。
「雄真を呼ぶ前に、とりあえず一服した方がいいわね」
 と、先ほど調合に使ったリンゴジュースの残りを別のコップに注ぐ。――ピロリロリ〜♪
「あ、メール」
 テーブルの上に置いておいた携帯電話から、メール受信の音がする。テーブルまで一旦移動、携帯電話を取り、パカッと開きながら再び流しの前に。
 ピッ、ピッ、ピッ。――画面を見ながら、左手でメールを開封。そして右手で手探りでコップを手に取り、水分補給をしたのだが……

「……その時、間違えて杏璃様は作成したドリンクの方をお飲みになってしまわれたのです」
「…………」
 詰めが甘いというか、相変わらずというか、実に柊っぽいというか。
「杏璃様がお作りになられていたのは、魔法が込められた品。主に人の精神に活力を与えるものでございます。精神的に病んでしまっておられる神坂様の為にお作りになられたんでしょう」
「それを自分で飲んだから、おかしくなったってのか?」
「仰る通りでございます。精神的に病んでいる人間の為のドリンクですから、特に病んでいない人間が飲んでしまえば、必要以上の精神の高揚状態を引き起こしてしまいます。今の杏璃様がまさにその状態なのです」
 つまり、ひらったく言うと、
「今、柊は異様な程にテンションが高い?」
「簡単にまとめてしまえばそうなってしまうかと。正直、今の杏璃様は何をするか予測がつきません。薬の効果は時間がある程度経てば消えるはず。――小日向殿、時間を稼いで下され」
「わかった、何とかしてみる」
 こんなことをしにきたはずじゃないのになあ、とは思いつつもパエリアの話を聞いていると、お茶菓子に入れ物にお煎餅を入れて柊が戻ってきた。
「お待たせー、雄真」
 そして柊は、お煎餅をテーブルの上に置くと、
「よいしょっと」
 ……何故か、自らのコーヒーとクッションを動かして、俺の隣に座りだした。
「あの……柊の席は、俺の真正面じゃなかったっけ?」
「いいじゃない、あたしの部屋なんだもの、あたしが何処に座ろうと」
「いや、確かにそうなんだけどさ」
 とか言いつつ、柊は更に俺との距離を縮めてきた。既に服越しではあるが完全に腕は触れ合っている。――何だ、何なんだおい! テンション上がるっていうか、おかしな性格に変わっちまってるぞ柊!
 落ち着け俺、時間を稼げ――と自分に言い聞かせていると、
「――え」
 俺の肩に、柊は自らの頭を乗せ、抱きつくようにもたれ掛かってきた。――待て待て待て待て!
「ひ、柊!?」
「あたしは、これが一番落ち着くの」
 正反対に俺が落ちつかねえよ!?
「ひっ、柊、お前絶対に落ち着いてない。落ち着け、落ち着こう、落ち着いた」
「明らかにそれ以上にお前が落ち着いてないけどな、雄真」
 ええい、今はクライスのクールなツッコミに反応している場合じゃないのだ!
「……ねえ、雄真ぁ」
「な、何だ? 落ち着いたか?」
「どうしてあたしは「柊」なの?」
「ほえ?」
 どうして柊が柊なの……?
「いや、そりゃお前の苗字が柊だからであって」
「春姫は春姫、姫瑠も姫瑠、準ちゃんも準、小雪先輩は小雪さん、楓奈は楓奈、伊吹も伊吹。なのに……どうしてあたしは「柊」なの?」
「……あ」
 そういう意味か。――ってことは。
「あたしも……名前で、呼んで欲しいなー」
 柊は、俺の肩に頭を乗せたまま、上目遣いでそう俺に訴えてくる。――っていうか可愛い女の子のその表情はズルイって何度言ったらわかるんだよ!!(誰に言ってるのかわからんけど)
 と、そこで嫌という程にあらためて再確認させられる。――つい忘れがちになるが、柊はそもそも可愛いのだ。春姫と同じく、幅広い人気を持つ美少女なのだ。
「……雄真ぁ」
 と、俺が考察していると、柊が更に上目遣いで俺に訴えてくる。――だ、駄目だ、俺はこの視線には耐えられん!
「……あ、あ、杏璃?」
「うんっ」
 名前で呼んでやると、柊――杏璃はパッと表情をとても嬉しそうなものに変え、そのまま「抱きつくように」だった体制を、俺の腰に腕を回し、完全に横から抱きつく格好になる。
「――っ!?」
 そしてそんなことをされた日にゃ、軟らかい女の子特有の感触が、その、何だ。――危険だ、物凄い危険だこれは!!
「ひ――いや、杏璃、その、俺達、こういう格好になる関係じゃないから、こういうのはどうかと思うわけですが」
「そっか……そうだね。それじゃ、こうしようか」
「――え」
 そう言うと、杏璃は真横だった位置を、抱きついたままズルズルとすべるように移動。そのまま俺の真正面へ。完全に真正面から抱きつかれている格好へとチェンジ。
「ちょっ、まっ、お前っ」
「この方が、もっとあたしを感じられるでしょ?」
「ぶっ」
 お前は先ほどの説明を聞いていやがりませんのでしょうか!? まずい、まずいですよこの体制は!? 俺の理性がガリガリと音をたてて削られてますよ今!?
「ねえ、雄真ぁ」
 杏璃はそのまま俺の腰に回していた腕を、俺の首の後ろにもっていき、そのまま組んだ。要するに、俺の視界の真正面、直ぐ目の前に杏璃の顔があるのだ。
「雄真――今、ドキドキ、してる?」
「しっ、してるわけないだろう」
 嘘ですよ。最早俺の全身がサタデーナイトフィーバー寸前ですよ。土曜日でもないのに。
「あたしね、こんなにドキドキするの、初めてなの」
「そ、そうなのか、そりゃよかった」
 よくねえ!? いいわけねえよ俺!?
「ね。――あたしがどれだけドキドキしてるか、確かめて、みない?」
 そう言うと、杏璃は俺の手首を握り、そのまま杏璃の胸へ――
「――って、ストーップ!! ストップシーズンインザサン!!」
 最早俺も故障寸前だ。夏でもないのに。
「どうしたの?」
「どうしたの、じゃないよ!? そのまま言ったらその、何だ? 触っちゃうじゃん!?」
 俺の手は、杏璃の胸のわずか数センチ手前でギリギリストップ中。
「触らないと、あたしのドキドキが伝わらないじゃない」
「いや、わかった、わかったからもう大丈夫だ!」
 というか、ここで触ったらもう帰れないから。俺男として引き返せないから。
「ねえ、雄真はドキドキしてくれないの?」
「あ、当たり前だ。夢が呼んでるからフライデーミッドナイトブルーだ」
 嘘です、バクバクですよ心臓が。いや、この状況下でドキドキしてなかったら最早変人ですよ。
「悔しいなあ、あたしだけドキドキしてるんだもん」
「だ、大丈夫だ杏璃、お前のそのドキドキは一時的なものだ。もうしばらくしたら落ち着く。だから一旦離れて――」
「なら――落ち着いちゃう前に、雄真もドキドキさせてあげる」
 杏璃はそう言うと、一旦俺の首に回していた手を自らの方に戻し、
「――な」
 ゆっくりと、制服のボタンを上から順に外し始めた。――っておいいいい!!
「ちょっ、まっ、お前、そのっ」
 俺が動揺している間に、杏璃はピンポイントの箇所一つだけ残し、全てボタンを外してしまっていた。
「これで――ドキドキ、出来る?」
 杏璃は、襟元を手で広げ、わざと俺にその先を見せようとしてくる。――いかん、いやいかんなんてもんじゃない、この視界は!
「くっ――!」
 急いで俺は目を反らす。一瞬見えた軽い谷間は、俺の理性を一気に削りやがった。
「小日向雄真の理性、残り三十パーセント」
「冷静に分析してないで解決策を考えてくれよクライス!!」
 しかし……クライスの指摘、あながち間違いではなかった。多分もう数秒凝視したら俺は間違いなくアウト。何とか、何とかしなければ……って、そうだ!
「杏璃」
 俺は時間稼ぎ、最後の手段に出る。
「雄真? ドキドキしてくれたの?」
「お前、先にシャワー浴びてこいよ」
「あ……そっか。あたしったら……そうよね。うん、先に浴びてくるから、待っててね!」
 そう言うと杏璃は俺の体から離れ、浴室へとダッシュで消えていった。
「……た、助かった」
 そう、何も俺は杏璃を正式に抱くつもりで言ったわけではない。今出来る時間稼ぎの方法は、これ以外に思い当たらなかったのだ。
「チッ、つまらん」
「いやお前今ここであいつ抱いちゃったらそれこそ最悪の結末しか待ってないっての」
 多分ジョークなんだろうけど、何となく本気で残念がっているような気もするから怖い。
「と、そんなことをしてる場合じゃない。とりあえずこの部屋から脱出を――」
 ガチャガチャ。
「……あれ?」
 ガチャガチャガチャ。
「…………」
 ガチャガチャガチャガチャ。
「――開かねえ!?」
「杏璃様は小日向殿を部屋に招き入れた時点で魔法で鍵をかけておられました……」
 なんてことでしょう。つまりあいつ最初から俺とドンドコドンなつもりだったのか!
「どんな表現だ、ドンドコドンって」
「お前はどれだけ俺の心の中を読むんだよ!?」
 いや俺もその表現はどうかと思ったけど何て表現したらいいかわからなかったんだよ!――と、その時。
「雄真……」
「――ばっ、びっ、ぶっ、べっ、ぼっ」
 後ろから抱きつかれた。無論誰かなど今更詮索の必要もない。
「ちょっ、待つんだ杏璃! 俺はまだシャワー浴びてないぞ!」
「もう……いいよ、そんなの」
「いやよくない、とても大事なことだ!」
「だって、あたしもう我慢出来ない」
 馬鹿野郎、誰よりも我慢出来ないのはこの俺だ!!
 何とか逃げようとする俺、必死にしがみつく杏璃、もつりもつれ、その結果――
「きゃっ」
「ぬおぅ!?」
 ――二人して、見事な程にベッドに倒れこんでしまった。しかも体制として、俺が下、杏璃が上。最早逃げ場もない。
「う……わ……」
 そこで、初めて杏璃の状態を再確認させられた。――何とまあ、見事にバスタオル一枚。風呂上りだからか艶やかな肌、そしていつものツインテールではなく、髪の毛を下ろしたその姿は、女性らしい美しさで包まれていた。
「雄真ぁ……」
「小日向雄真の理性、残り五パーセント」
「やかましい!!」
「小日向殿、杏璃様を宜しくお願い申しあげます……」
「頼んでくるなよ!? それでいいのかよお前は!?」
 しかし……もう駄目だ。クライスの言う通り、俺の理性ももう限界だ。もういいじゃないか。だってそうだろう? 杏璃が俺を求めてるんだ。男として応えてやらなきゃいけないじゃないか。
 そうさ、俺は悪くない。もういい、本能のままに――ピピピピピピピ。
「……うん?」
 何かのアラーム。見れば杏璃の携帯が鳴っている。
「そういえば、申しあげるのを忘れておりました」
「……何を?」
「杏璃様は念の為、薬の効果が切れる時間にアラームが鳴るようにセットしておられたのです」
 と、言うことは、言うことはですよ。
「薬の効果が、もう切れる?」
「はい」
 それは、つまり、その、何でしょう。
「……あれ?」
 杏璃が、素っ頓狂な声を上げる。
「あれ? あたし、ここで何して……」
「…………」
 そして、自分が馬乗りになっている、俺と目が合う。
「……雄真?」
 そしてそして、少しずつ自分の置かれている状況に気付き、
「……な、な、な」
 更に更に、少しずつ顔を赤くしていっていったわけで。
「キャーーーーーッ!! こっこっ、この変態ーーーーっ!!」
 ドガバキドコッ!!
「ぐおっ!? 馬鹿野郎、待て!! 馬乗りの状態で連続パンチは――ぐはぁ!!」
「あああああんた、あたしに何するつもりなわけ!?」
「誘ってきたのはお前だー!!」
 バキズゴドカッ!!
「いいからとっとと出て行けこの変態馬鹿ーっ!!」
「ぐぬぅ!? で、出て行きたかったのにお前が魔法で鍵かけちまってるんだろうが!!」
 ガチャガチャガチャガチャドガバキドスドスドス!!
「痛い痛い痛い痛い!! っていうかお前馬鹿、あんまり暴れるとバスタオルが」
「え……キャーーーーーッ!!」
 ドガシャンドボシャンズドーン!!
「ギャーーーッ!!」
「何であんたが悲鳴あげんのよー!!」


「……死ぬ……マジで死ぬ程痛え……」
 杏璃――柊との激しい格闘(?)続けること十分後、やっとの思いで俺は柊の部屋から脱出。ボロボロの体を引きずって春姫の部屋へ一人移動中。っていうか当初の目的はそれだったはずなのに何でこんなことになっちまったんだか俺は。
「春姫……どうしてるかな」
 春姫の部屋の前に到着し、軽くノック。――返事はない。
「…………」
 どうしようかと思ったが、軽くドアノブを回してみると――ドアが開いた。
「……春姫……?」
 軽く呼んでみたが、返事がない。――俺はあまり音を立てないように、部屋に入ってみる。
 春姫はいた。ベッドで、静かな寝息を立てて眠っていた。俺はベッドの横、床にゆっくりと腰を下ろす。
「…………」
 穏やかな寝息。――そういえば、こうしてまじまじと春姫の顔を見るのは、久々な気がする。最近はずっとドタバタしてたからな。
「……ごめんな、春姫」
 気が付けば、俺は寝ている春姫に、一人口を開き始めていた。
「俺のせいなんだろ? 調子悪いのってさ」
 勿論、春姫からの返事などない。
「色々考えてみたんだけどさ、結局俺根本的な原因が何だかわからないまんまなんだよ。情けないよな。今日だって、柊の助け借りて、やっとこうして来てる。でも謝ることしか出来ない。そんなんじゃ駄目なのにさ」
 それでも俺は、一人語り続ける。
「でもさ、それでも――俺やっぱり、春姫のことが好きだから。本当に、春姫のことが好きだから」
 あらためて思う。あらためて感じた。目の前の女の子が、自分にとってどれだけ愛しい存在かを。
「もう、無理だって言うならそれはそれでいい。俺が悪いから、潔くその答えを受け止める。でも、春姫が許してくれるなら、俺はこれからも春姫のこと、大切にしていきたいと思ってるよ」
 嘘じゃない。今の、俺の正直な気持ちだった。
「――それじゃ、今日のところは俺、帰るから。……また来る。今度こそ、ちゃんと謝りに来るから」
 俺はそう言い残し、ゆっくりと立ち上がる。春姫に背中を向け、一歩足を出した――その時。
「……雄真くんが……悪いんじゃ……ないよ」
 振り返れば、春姫が目を覚まして、ゆっくりと上半身を起こしていた。
「春姫。――もう起きて大丈夫なのか?」
「うん。――元々、体調がそこまで悪かったわけじゃないから」
 そりゃそうか。精神的なものだったわけだし。……というか、
「……もしかして、俺の独り言、全部聞いてた?」
「……うん」
 やってしまいました。超恥かしいんですけど!!
「あの……つまりですな、その」
「本当にね……雄真くんが悪いわけじゃないの。私が、勝手に塞ぎ込んじゃってるだけなの」
「春姫、でも――」
「でもね。雄真くんの気持ち、聞けたから、もう大丈夫」
「……え?」
「雄真くんが、私のこと、好きって言ってくれたから。大切にするって言ってくれたから。雄真くんがそう言ってくれたから――私は、もう大丈夫」
「春姫……」
 春姫が、そう言って俺に笑いかけてくれる。それだけで、心が満たされていく気がする。
「明日から、学園来れそうか?」
「うん。――あ、でも……一つだけ、お願い、聞いてもらってもいいかな」
「俺に出来ることなら、何でも」
 俺が迷いなくそう返事をすると、
「……キス、して欲しい」
 そんな、可愛らしいおねだりをしてきた。
「――お安い御用だ」
 そのまま俺は春姫を抱き寄せる。目を閉じる春姫に、ゆっくりと顔を近づける。
 長くて短い、俺達のキスは――とても、愛しさで溢れていた。

 でも、この時の俺も、まだ知らない。思いもしない。

 そして、後の俺が、ふっと思ってしまうこと。

 ――神様は、なんて残酷なんだろう、と。

 この愛しい瞬間。優しい時間。心が繋がった瞬間。全てが――

 ――全てが、「破綻」の単なる一歩に過ぎなかった、だなんて、この時の俺は、知る由もない。


<次回予告>

「そ、その、お早う、柊杏璃さん」
「……雄真くんは何でフルネームで杏璃のこと呼んでるの?」

春姫との仲直りの翌日。
一部関係に(?)違和感は出来たものの、有り触れた朝を迎えていた。

「それじゃ雄真くん、先に行っててね」
「おう」

久々に訪れる、春姫との優しく、少し甘い時間。
喜びのままに、雄真はその幸せに浸るが……

「――最初から、物語がハッピーエンドじゃないこと、シンデレラは知ってた」

遭遇してしまう、意外な一面、意外な展開。
引き金は、気付けない、些細な言葉からで――

次回、「彼と彼女の理想郷」
SCENE 16  「ハッピーエンドじゃ終われない」

「単刀直入に伺う。――貴様、何者だ?」

お楽しみに。


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