「――えっと、「本日のおすすめケーキセット」お願いします」
 楓奈は、Oasisのカウンター席に座り、注文を聞かれると、そう答えた。――時刻は昼休みを終え、学園内は五時限目。本来ならば鈴莉の助手である彼女もこの時間は仕事中なのだが、本日はその鈴莉が午後から単独で出張中。早めの終業となり、こうして少々早めのおやつに、と一人やってきていた。偶にこうして一人で食べにくるのが、楓奈の密かな楽しみの一つだったりもした。
「お待たせ致しました。本日のケーキセットです。本日のケーキはガトーショコラになっております」
「ありがとうございます」
 やがて楓奈の前にケーキセットが運ばれてきた。――と、楓奈はここで気になる点が一つ。
「あの、わざわざパティシエールの方が直接運ぶんですか?」
 楓奈にケーキを運んできてくれたのは、Oasis専属パティシエール、沖永舞依だったのだ。
「そういうわけじゃないんだけどさ、君、結構ケーキセット頼んでくれてるでしょ? 作り手としては、リピーターの声は直接聞いてみたくなるものなのよ。――確か、御薙先生の助手さん、だったよね?」
「はい。瑞波楓奈です」
「楓奈ちゃん、ね。――私、沖永舞依」
 二人は、カウンター越しに会話をする形となった。
「――あ、今日のも凄い美味しいです」
「ん、どうもありがと。――ケーキ、好きなんだ?」
「はい。自分でも作ったりしてみるんですけど、中々上手にはいかないですね。和菓子だったら結構作れるんですけど」
「へえ、それはそれで凄いじゃない。――でも、ケーキって「洋菓子」ってカテゴリーだけど、「和」を使ったケーキも結構美味しく出来るのよ」
「そうなんですか?」
「うん。生クリームの代わりに餡子を使ったりとかね。生クリームと違ってデコレーションが大変だけど、フルーツやスポンジにも合う」
「へえ……」
 その後、軽く二人でスイーツ談義。
「それじゃ、私は仕事に戻るから、ごゆっくり」
「はい、ありがとうございます」
 そう言い残し、舞依はカウンターから離れ、仕事に戻った。
「…………」
 ――が、仕事に戻ったのはいいのだが、何故か視線を感じた。ふっと振り向くと、楓奈が何かを期待するような眼差しで見ている。
「――どした? 何か用事?」
「あ、いえ、そういうわけじゃないんですけど……実際、いつ踊るのかなあ、って」
「……はい?」
「その、踊りながら作るんですよね? 姫瑠ちゃんに教えたみたいに」
 その瞬間、舞依はその場でオーバーに膝をついてガックリと項垂れた。
「え? あ、あの、私何か変なこと言いました?」
「――言った。物凄い言った。君が悪いわけじゃないんだけど、私のパティシエール生命に関わる発言を今してしまいましたよ君は……」
 要は、純粋故、あのケーキ対決を見た結果、舞依も姫瑠と同じように情熱的に作っているものだと楓奈は思い込んでいたのである。――力を振り絞って立ち上がり、楓奈に舞依は経緯を説明。
「何だ、そうだったんですか……小雪さんがカウンターの奥を覗いてみると多分インディアン的な仮面を被って踊ってるって言ってたんで」
「あの小娘……一度締めないと駄目ね」
 はあ、とため息混じりで舞依は仕事に戻る。
「…………」
 ――が、再び感じる視線。振り返ればやはり楓奈。
「……今度は、何?」
「あ、いえ、踊らないのはわかったんですけど……叫んだりは、するのかな、って思って」
 その瞬間舞依は以下省略。
「あ、その、これも違うんですね……てっきり「ふんぬらばあああああ!!」とか言っているものだと思ってました」
「私は何処の悪魔のラインマンなのよ……」
 力を振り絞って立ち上がり以下省略。――と、不意にピリリリリ、と携帯電話のコール音が鳴る。
「あ、私です。――もしもし?」
『楓奈か!? 母さんって今学園にいないのか!?』
 雄真だった。――随分焦ったような口調。
「午後から単独出張だけど……」
『! 単独ってことは、楓奈はまだ学園にいるのか!?』
「うん、今Oasis。――何があったの? 今、授業中だよね?」
『頼みがある! 春姫と姫瑠が危ないんだ!』


彼と彼女の理想郷
SCENE 13  「姫達の背水の陣」


「う、嘘でしょ……なっなな、何、あれ……!?」
 そう震える声を出しているのは、今回の実習で姫瑠とペアになった田渕 秋穂(たぶち あきほ)。彼女の視線の先、二、三百メートル位だろうか。古代地球に生息していたような、あるいはゲームに出てきそうな赤い竜が、雄叫びを挙げていた。察するにかなりの巨体。
「……っ」
 無論、ペアである姫瑠もその姿を視界に捉えていた。――ちなみに二人の現在地は、ゴール目前。
「逃げなきゃ……!! 真沢さん、早く、逃げようっ!!」
「待って。――戻らなきゃ」
 秋穂の言葉を、姫瑠は冷静な口調で遮る。
「も、戻るって、どうして!? 逃げなきゃ危ないじゃん!! ゴールもう直ぐなんだよ!?」
「アナウンスにあったでしょ? ドア、ロックされてる。出口に行ってもきっと出られない」
「えっ……!? そ、そんなあ、それじゃ」
「だから戻るの。――今戻れば、他のペアの人達と合流出来る。出来る限りの人達で力を合わせた方がいい。――急いで!」
「あ、ま、待ってよ! 置いてかないで!」
 走り出す姫瑠の後を、急いで秋穂は追った。
 姫瑠の戻って他の人と合流する、という判断は実を言えば表向きである。彼女の本来の目的は、「春姫との合流」だった。この状況下、秋穂には言えないがこの施設内にいる人間で自分以外であの異物とまともに戦えると思われるのは春姫のみ。つまりは、手っ取り早く勝機を上げるには春姫と合流するしかなかったのだ。
 百メートル程全力疾走すると、そこには春姫のペアと、もう一組のペアが既に集まっていた。
「あっ、見て! 姫瑠ちゃん達のペア!」
 そう叫んだのは、春姫のペアである、加々美 三津子(かがみ みつこ)。
「良かった、早めに合流出来て。――施設の中にいるのは」
「多分……この六人だけだと思う」
 姫瑠はチラリ、と問題の赤い竜を見る。――百メートル全力疾走した、ということは、百メートルあの竜に近付いてしまった、ということでもある。更に言えば相手も少しずつ接近してきており、その距離は段々と狭くなっていく。
「多分、そんなに時間かからない間に先生達が助けにきてくれると思うけど、その間時間稼ぎをしなくちゃいけない。――私と春姫で囮になって時間を稼ぐから、四人は力を合わせて結界を作って隠れてて。四人掛かりの結界なら簡単には破られない」
 そう告げて、いざ――という時。
「待って姫瑠ちゃん! 囮、私じゃ駄目なの?」
「三津子。――ごめんね、こういう言い方は失礼になるけど、実力を考えると春姫じゃないと」
 加々美三津子の実力は決して悪いものではなかった。クラスでも上位に位置する。――それでもClass A並の春姫に比べてしまえば劣るのだ。それを考えた姫瑠の決断だった。だが、
「そうじゃないの! 春姫ちゃん、今日調子が悪いみたいなの」
「――えっ?」
 意外な一言。――そこで姫瑠は気付く。先ほど合流してから、春姫は一言も言葉を発していない。
「春姫……そうなの?」
「――っ」
 春姫は言葉に詰まる。――体調が悪いわけじゃない。ただ、姫瑠の顔を直視出来ない。直視してしまえば、昨日の情景が勝手に脳内に甦ってしまう。甦ってしまえば、心が乱れる。結果として今日一日、精彩を欠いていた。
「……大丈夫」
「本当に? 無理して取り返しのつかないことになったら」
「心配しないで……大丈夫、だから」
 それはまるで自分に言い聞かせているようだった。――そんなことを考えている場合じゃない、と自分に言い聞かせ、春姫はなんとか前を見る。
 気付けば竜は更に近付いていた。
「これ以上話をしてる場合じゃないかも。――行こう!」
 春姫にいささかの不安を残しつつ、姫瑠は前方に移動を開始、春姫が後に続く。残りの四人がその場で結界を張る形になった。
「何、これ……ホントに映画とゲームの世界じゃない」
 竜に近付いた所で姫瑠はそう呟いた。目の前の赤い竜は見上げる大きさ。――春姫とはちょうど竜の右、左に別れる形となっている。
(っ! 来る!)
 最初にターゲットにされたのは姫瑠の方だった。竜はその口から連続で巨大な魔法弾を姫瑠に向かって放ってきた。
「っ……!!」
 回避、相殺、レジストによる防御――全てを的確に使い分けないととてもじゃないがかわしきれない。何か一つ間違えたらアウト、そんな威力と数を持つ攻撃だった。反撃する暇など微塵もない。
「エル・アムダルト・リ・エルス・ディ・ルテ・エル・アダファルス!!」
 バァン!――姫瑠がガードに徹している反対方向から春姫の攻撃が入る。片方がガードしてる間に片方が攻撃、攻撃している方に注意を向けさせ攻撃対象をチェンジさせる。攻撃対象がチェンジするということはガードに徹する方が代わり、逆に先ほどまでガードに徹していた方が攻撃し、注意を向けさせる。――これの繰り返しにより、時間を稼ぐつもりだった。
 二人が短時間で編み出した作戦は、間違いではなかった。――だが、大きな誤算が一つ。
「!?」
 春姫がそれを忠実に遂行出来るほどの繊細な精神状態ではなかった、ということである。
「春姫、駄目っ! レジストをメインにしてるだけじゃ防げない!」
 竜の攻撃目標が春姫へと移り、攻撃開始。だが春姫は姫瑠のように的確なガードに至っていなかった。レジストとの衝突音が大きいのか、姫瑠の声は春姫には届かない。
「くっ……うううっ……!!」
 呆気なく春姫のレジストが限界直前まで追い込まれる。――次でアウト、と思われた瞬間。
「春姫っ!!」
 姫瑠が春姫の元へ全力疾走でたどり着く。ガシッ、と春姫の体を抱え込み、そのまま押し倒すように横へ転がるように倒れこむ。――見れば直前まで春姫がいた時点に、巨大な魔法球が鋭く落下してきていた。
「はぁっ、はぁっ……春姫、レジストだけじゃ無理……相殺と回避も頭に入れないと、多分やられるから」
「はぁっ、はぁっ……ごめんなさい、姫瑠さん……」
「――っ」
 そこで姫瑠は春姫の目を見て気付く。――目に、力が篭ってない。いつもの春姫の目じゃないのだ。

『そうじゃないの! 春姫ちゃん、今日調子が悪いみたいなの』

 三津子の言葉が思い出された。
(調子悪いの……本当だったんだ)
 今の春姫はあまりにもここに置いておくには危険過ぎる。――それが、姫瑠の判断だった。結果。
「――三津子! お願い、三津子、来てっ!」
 その場に精一杯のレジストを張り、結界の中にいた加々美三津子を呼んだ。――十数秒後、三津子が二人の下へやって来る。
「お願い、春姫を結界に連れていって。三津子の言う通りだった。春姫、本当に調子が悪いみたい」
「っ!!」
「わかった。でも、姫瑠ちゃんは」
「私は残る。囮役がどうしても必要だから」
「待って姫瑠さん! 姫瑠さん一人じゃ無理でしょう? 私は大丈夫だから――」
「駄目だよ春姫。――春姫が調子悪いのに無理してもらったなんて知ったら、雄真くんに申し訳ないもん」
 そう姫瑠は笑顔で春姫に告げた。――雄真くんに申し訳ないもん。
 雄真くん。
 ユウマクン。
 あなたに、雄真くんの何がわかるの? あなたは雄真くんの何を知ってるって言うの?
 アナタハユウマクンノ何ナノ? ユウマクンヲドウシヨウッテ言ウノ?
 私は雄真くんが好き。雄真くんは私が好き。
 ユウマクンはワタシガ好キ。
 ユウマクンハ、ワタシガ――好キ……?
 ワタシハ、私は、わたし、は……!?
「――時間がない。三津子、お願い!」
「うん! さ、春姫ちゃん、つかまって」
「……っ」
 ――気付けば、春姫は三津子に支えられるようにその場を離れていた。頭が上手く回らない。
 気付けば、残った四人が作った結界の中で膝を抱えてうずくまっていた。――頭が、上手く、回らない。
「――さて、と」
 一方の姫瑠は、レジストを溶いて、再び竜と対面。笑顔で春姫を見送ったものの、ワンドを握る右手は汗で一杯になっていた。――とてもじゃないが一人で対応出来る相手ではない。長い時間は持たない。一秒でも早く、異変に気付いた教師が誰か来てくれることを祈るばかりであった。
 バシュッ!!――再び、竜の口から連続で放たれる強力な魔法球。
 バァン、バン、バン、バァァン!!――回避、レジスト、相殺、ギリギリのタイミングでかわしていく姫瑠。――大丈夫、このペースなら、もうしばらく持つ。
 そう判断した、その時だった。
「ガオオオオオン!!」
「――えっ……!?」
 魔法球の連続攻撃の後、竜は首を振り上げ、雄叫びを上げる。そして首を振り下ろすと同時に、その口から極太い炎の魔法波動が発射された。
(っ、今までと違う攻撃パターン――!!)
 急いでレジストを展開するものの、応対に掛けられた時間の短さ、そして今までよりも数段強力な相手の攻撃。――結果、
「っ……うっ……あああああっ!!」
 ズバアアアァァン!!――激しい衝突音と共に姫瑠のレジストは貫通され、直接攻撃を喰らってしまう。勢いのまま吹き飛ばされる姫瑠。
「はぁっ……はぁっ……ううっ!!」
 起き上がろうとすると、全身に鋭い痛みが走った。思っていた以上にダメージは酷かった。それでも倒れているわけにもいかないので、何とか立ち上がる。――だが。
(嘘……右手が、動かない……!?)
 右腕が痺れたようにほとんど動かない。先ほどの攻撃で一番に攻撃を受けた箇所はどうやら右腕らしかった。魔法服の袖の部分は溶けたようになくなっており、肌が真っ赤になってしまっている。――姫瑠の利き腕は右。つまり、このままだとワンドが握れず、魔法使いとしては致命的だった。
「ニア・ウィルジョイ」
 動く左腕で何とか治癒の魔法を使い、かろうじてワンドが握れる程度までは回復させる。もっと回復させたいところだったが、今は必要以上に魔力を使うわけにはいかなかった。
 ワンドを持ち、身構える。――ズキン、ズキン、ズキン。
「っ……くっ……!!」
 右腕の痺れが、次第に大きな痛みに変わってきていた。泣きたくなるような痛み、気を抜いたら意識ごと無くなってしまいそうな痛み。――挫けそうになる心を無理矢理奮い立たせ、姫瑠は竜と対峙する。
 最早、風前の灯だった。――その一方。
「嘘、嘘っ!? 何あれ、どうなってんの……!?」
 少し離れて、結界を張っている四人――正確には春姫を含めて五人――が、姫瑠の戦況を見守っていた。とは言っても一定距離があるので細かい状況までは把握出来ていない。
「ねえっ、真沢さん大丈夫かな!? ねえ!?」
 ほとんど田渕秋穂に至ってはパニックに近い状態。
「――私やっぱり、姫瑠ちゃんの所へ行ってくる!」
 一方で、一番冷静だったのは加々美三津子。
「だっ、駄目だってミッコ! 真沢さんがここに居ろっていってたじゃん!」
「でも、このままじゃ姫瑠ちゃん怪我だけじゃ済まなくなっちゃうよ! あんなの一人じゃどうにも出来ない!」
 放っておいたらそのまま飛び出していきそうな三津子を、秋穂が賢明に制止させていた。――余談だが「ミッコ」は彼女のあだ名である。
 確かに、細かい状況までは把握出来ていないとはいえ、赤い竜が放っている攻撃回数や種類を見る限りではとてもじゃないが姫瑠一人で応対出来る相手じゃないことは十分に伝わってきていた。
「…………」
 そして、姫瑠がどれだけ危険かを一番良く知っている『はず』の春姫は、未だに動けないままだった。動かなきゃいけない。自分が姫瑠の援護に回らなきゃいけない。わかっている、わかっているのに体が言うことを利かないのだ。聞こえてくるクラスメートの焦る声も、何処か別世界から聞こえてきているような、そんな感覚。
「春姫」
 そんな彼女を、現実世界に引き戻す声。
「ソプラノ……?」
「あなた、一体いつまでそうしているつもりなのですか?」
 そう厳しい声で春姫を責めるのは、彼女のマジックワンドであるソプラノだった。
「春姫の気持ちはわかります。不安に駆られるのは仕方の無いことかもしれません。でも、この状況下、膝を抱えて丸くなっているような春姫を、雄真様が最終的に選ぶとでも思っているのですか!?」
「っ」
「今ここに雄真様がいらしたら、きっと自らの危険も顧みず真沢様を助けに向かったでしょう。そんな雄真様の横にいる資格なんて、今の春姫にはありません!」
「――ソプラノ」
「立ち上がりなさい! あなたの為にも、真沢様の為にも、雄真様の為にも!」
 そう。きっと雄真なら誰かが必死で止めない限り自らの実力を考えず姫瑠を助けに行った。彼は困っている人間を放っておけないのだ。――幼少時代、そんな雄真に助けられた。そんな雄真に助けられ、春姫は魔法を覚えた。そんな雄真に助けられ、今の自分がある。
 そんな雄真が――本当に、好きなのだ。
(雄真くん――私……!!)
 パァン!!――両手で自らの頬を思いっきり叩く。走る痛みは、彼女の心を奮い立たせた。
「えっ」「え」
 躊躇うことなく春姫は立ち上がり、呆気に取られている秋穂と三津子をすり抜けて、ソプラノを手に、結界を飛び出した。
「エル・アムダルト・リ・エルス・ディ・アストゥム・アダファルス!!」
 たどり着くや否や、春姫は速攻で攻撃魔法を放つ。竜の注意が姫瑠から春姫に動く。
「春姫……っ!?」
 バァン、バァン、ズバァン、ズドォン!!――竜が放つ、連続での魔法球での攻撃。だが先程とは違い、春姫はレジスト、相殺、回避、全てを的確に使いこなしかわしていく。
「エル・アムダルト・リ・エルス・ディ・ルテ・エル・アダファルス!!」
 更に、相手の攻撃が終わった瞬間、カウンターでの攻撃。――ほんの一瞬だったが、竜が怯む。
「姫瑠さん!!」
 その怯んだ隙に、春姫は姫瑠の元へ駆け寄った。
「春姫……どうして」
「ごめんなさい。――もう、大丈夫だから」
 そう告げる春姫の目には、生気が戻っている。先ほどの動きとも照らし合わせても、普段の彼女に戻っているのは明らかだった。
「わかった。――必ず先生が助けにきてくれる。それまで、絶対に乗り切ろう」
「ええ!」
 二人の息が合う。――いがみ合いを続けていた二人の「姫」が、初めてのタッグを組んだ瞬間だった。
「春姫、よく聞いて。――あの竜、連続での魔法球での攻撃の他に、炎系統の魔法波動でも攻撃してくる。威力は断然後者の方が上なんだけど、それを放った後に、かなりの時間、隙が出来るの。そこを狙いたい」
「つまり、その攻撃を防ぎきればいいのね? でも、姫瑠さん、その腕」
「うん。――私のレジストじゃ、防ぎきれなかった。でも春姫がいれば可能性があるの。――『プラズマ・プラス』を使う」
「プラズマ・プラス……?」
「私の特殊魔法。特定の魔法に、私が魔法で作り出したプラズマを付加することで、その威力を底上げする魔法。勿論付加出来る魔法は限られているし、魔法の質も関わってくる。今回で言えば乱れのないレジストじゃないと無理」
「わかったわ。――レジストは、任せて」
 春姫と姫瑠は現時点では知らないことだが、春姫に魔法を教えたのは鈴莉。鈴莉が持つ、御薙特有の力は、マインド・シェア時の雄真も扱う特殊なレジスト。御薙の特殊なレジストは、レジストとして純粋そのものであるからこそ使える技。――つまり、春姫のレジストもそれに程近い、純粋なレジストであり、今回のプラズマ・プラスにはかなり適しているレジストだった。
「エル・アムスティア・ラル・セイレス・ディ・ラティル・アムレスト」
 ビィィィン。――春姫が、前方にレジストを展開させる。
「ライム・ラムス・ニア・プルトア」
 続いて姫瑠の詠唱。バリバリ、という音と共に、前方のレジストが電気を帯びたような形になる。
「ガオオオオオオン!!」
「っ!! 来るっ!!」
 姫瑠に放った一撃目と同じく、竜は雄叫びを上げ、首を振り上げる。そして振り下ろすと同時に、その口から極太い炎の魔法波動が発射された。
「――っ!!」
 バァン!!――やがて衝突を開始する、炎の波動と春姫のレジスト。
「お願い! 耐え切って、春姫っ!」
 実際の所、姫瑠がプラズマ・プラスを放ったとしても、レジストをコントロールしなくてはならないのは春姫。ここは、春姫の正念場なのだ。
 バババババッ、と激しい衝突を続けること数秒間。――フッ、と炎の波動が消えた。それはつまり、
「防ぎきった……!!」
 相手の攻撃を、防ぎきったということであった。――ほぼ同時に、右腕の痛みを堪えながら姫瑠が先に前方に出る。
「リガル・デルフェイス・ニア・サンズ・ニア・プレイル・レイニア!!」
 ズバァン!!――激しい落雷が、竜に落ちる。
「エル・アムダルト・リ・エルス・ディ・アストゥム・アダファルス!!」
 バァン!!――レジストを仕舞った春姫が、数秒遅れて攻撃魔法を放つ。
 ズバァン、バァン、ズバァン、バァン!!――交互に繰り出される、姫瑠と春姫の魔法。二人ともこの瞬間に賭けていたので、全力をここで出し切る威力で魔法を使い続ける。
 その時間が、どれだけ続いただろうか。――実際、一分にも満たない時間が流れる。
「ガオオオオオオン!!」
「嘘……押さえ、切れない……!?」
 雄叫びと共に、再び竜が動き出す。――二人の攻撃は、完全に竜を食い止めるまでには至らなかった。一方の二人、姫瑠は勿論、春姫もほとんど魔力を使い果たしてしまった状態。
 覚悟を、決めないといけない。――二人が、そう悟った瞬間。
「オン・エルメサス・ルク・ゼオートラス・アルクサス・ディオーラ・ギガントス・イオラ!!」
「オーガスト・リアルス・エム・エス・ガリアンヌ・アルト・ディパクション!!」
 それぞれ、ステレオの様に右左から聞こえてくる詠唱。直後、竜の左右を同時に攻撃魔法が襲っていた。――当然、
「杏璃……?」
「相沢さん……?」
 柊杏璃、相沢友香(ともか)、両者である。――施設の外にいたはずの二人の到着。そして、
「真沢さん、神坂さん。――二人とも、よく頑張ったわね。無事でよかった」
 そう言いながら、二人の前に立ち、首を軽く向けて笑顔を見せるのは、成梓茜。
「成梓……先生……」
「もう大丈夫。――ボロボロでしょう? 下がって、休んでいていいわ」
 そう言うと、茜は数歩前に出て、竜と対峙する。
「柊さん! 相沢さん! 打ち合わせ通りに!」
「はい!」「はい!」
 返事と共に、二人は散開。茜はその場で魔力を集中。空気の流れが変わっているのが目に見えてわかるのは、彼女の力が絶大である証拠だった。
「さあ、来なさい化け物。私の教え子、傷付けた罪はたとえ機械だったとしても重いわよ?――成梓の血は、伊達じゃないんだから」
 茜が選んだ作戦はシンプル。――自分が目の前の竜を引きつけ、攻撃目標を自分だけにするように展開させるから、その間上手く二人は攻撃を続ける。ただ、それだけだった。文章にしてしまえば簡単だが、実際に――特に、一人で囮役となる茜には、相当の集中力、実力が必要とされる作戦である。この状況下において一人相手の注意を引きつける、というのは自ら捨て身に近い攻撃をしたり、隙を見せたりと防御面に関してかなり危険な行為を行わなくてはならないのだ。
 バァン、バァン、ズバァン!――竜の口から再び連続して撃たれる魔法球を、茜は冷静な面持ちで回避していく。
「成梓先生……凄い……」
 一旦後方に下がった春姫と姫瑠の感想が、これだった。
「ディア・ガムス・テナール!!」
 ズバシュッ!!――竜の魔法球での連続攻撃、春姫と姫瑠は喰らわないようにするのが精一杯だった。だが茜は回避しつつ、何度も途中カウンターで攻撃魔法を放っているのである。杏璃、友香も無論攻撃は続けているので、実質三人での攻撃と化していた。
 Class Aの実力を持つ二人でも出来なかった回避しつつの攻撃を、茜は当たり前のように展開させているのである。その実力の高さに二人が驚くのも無理はないのかもしれない。
 続く三人掛りでの攻撃。だが、それでも決定打には至らない。相手は「Class Aが五人は必要」な相手。たとえ茜がClass A以上だったとしても、それでもあと一人は最低でも戦力的に足らないのだ。
 その事実、誰よりも把握しているのは茜だった。――だから、「その時」が来るのを待った。
「! 柊さん、相沢さん!」
「はい!」「はい!」
 不意に、二人を呼ぶ二人。最初から作戦通りだったらしく、返事と共に、散開していた二人が茜の方に近付く形を取る。茜は動きを止め、一気に魔力を集中し出した。
「先生、動き止めたらやられちゃう!」
 茜は先ほどまで囮役だった。彼女の囮があったから、三人での攻撃が可能だった。だが茜は動きを止めてしまった。姫瑠がそう思うのも無理はない。
 だが、これも全て「作戦通り」だった。――ヒュン!
「えっ……?」
 春姫、姫瑠の横を、不意に風がブワァッ、と通り過ぎる。――囮役の交代である。その風を起こして春姫と姫瑠の横を通り過ぎた人間は、気付けば竜の真正面、誰よりも一番近い位置にて対峙していた。
「楓奈ちゃん……?」
 春姫は、その水色の魔法服に見覚えが無論あった。――瑞波楓奈である。
「ガオオオン!!」
 竜のターゲットが、一気に楓奈に変わる。やはり連続して降り注がれる魔法球。――だが。
「嘘……楓奈って、あんなに凄かったの……!?」
 降り注がれる魔法球を、楓奈は全て自らの機動力のみで回避していた。相殺でもレジストでもない(そもそも彼女はレジストは扱えないが)、ただ自らの機動力のみでの回避。
 姫瑠は楓奈の「魔法使い」としての実力を見るのは初めてであった。いつものあの軟らかい雰囲気からは、微塵も想像出来ない光景が広がっていた。時折目で追いきれないような速度で動く楓奈。客観的に見れば異様、と称されても仕方が無いような光景を前に、姫瑠はただ驚くだけであった。
 その楓奈の囮での戦闘が続くこと約一分。
「瑞波さん!」
 茜が叫ぶ。瞬間、楓奈は地を蹴り、後方に退くように宙を舞う。人間が自力で飛躍出来る高さなど遥かに越えている。背中には、見えるはずのない、風で出来た翼が生まれている。そして――
「ミスティア・ネイド・アルエーズ」
 手を前方に掲げ、抑揚の無い短い詠唱。前方に生まれた魔法陣から、激しい竜巻を称した魔法波動が射出された。更には、
「オン・エルメサス・ルク・ゼオートラス・アルクサス・ディオーラ・ギガントス・イオラ!!」
「オーガスト・リアルス・エム・エス・ガリアンヌ・アルト・ディパクション!!」
 杏璃、友香も同時に詠唱、攻撃を開始。そして、
「ブルー・リズ・ガシィ・ディア・ガムス・ブロッド・テナール!!」
 茜の、全力での詠唱。――結論を言えば、先ほど囮になっている時も攻撃はしていたものの、流石に全力で攻撃をしかける余裕はなかった。
 そこで茜は楓奈の到着を待った。楓奈に時間を稼いでもらい、その間に集中。楓奈は長い詠唱抜きでもほぼ全力に近い威力で魔法が放てるので、結果として四人同時に全力で攻撃が出来たのである。
「ガオオオオオン……」
 そして、その作戦は――見事に、彼女達に勝利を導いたのだった。


 ――先生と柊と相沢さんが突入してどれだけ時間が経っただろうか。楓奈を呼んできて、楓奈が突入してどれだけ時間が経っただろうか。
「――少しは落ち着け、雄真。あのメンバーならば大丈夫だ、と何度も説明しただろう?」
「わかってる、わかってるんだけど、落ち着かないんだよ……」
 そう、俺は結局中のことが心配で心配で先ほどから施設の今回出口となっていたドアの前をウロウロしていたのだ。――ちなみに他のクラスメート、隣のクラスの人は小清水先生の指示の元、一度教室に戻っていた。ここにいるのは現在俺一人。
「よ、よし、こういう時は何かを数えればいいんだったな。――ハチが一匹、ハチが二匹、ハチが三匹」
「……ツッコミ所満載だぞ、雄真」
 そんなこんなで、やがてハチを八十八匹程数えた時だった(よく考えるとハチは「匹」じゃなかった)。
「お待たせ、小日向くん」
「成梓先生! みんな!」
 シュッ、とドアが開くと、そこからゾロゾロとみんなが出てきた。先生、柊、相沢さん、楓奈は勿論、
「無事だったんだな……よかった」
「うん。先生達が助けに来てくれたから」
 先に中に閉じ込められていた春姫、姫瑠達も一緒だ。――ふぅ、と俺は息を吹く。同時に力が抜けた。相当緊張していたらしい。
「でもまあ、今回頑張ってくれたのは神坂さんと真沢さん――特に真沢さんかな。一定時間一人で相手にしてた、その精神力は素晴らしいと思う」
「そっか、流石だな、姫瑠――」
 ……うん? 姫瑠?
「!? ちょっ、お前、どうしたんだよこの腕っ!?」
 よく見ると、姫瑠の右腕、魔法服は溶けたように無くなっており、あらわになっている素肌は火傷をしたように赤くなっていた。
「あ――うん、ちょっとドジっちゃって」
「ドジっちゃってとかそんなレベルじゃないだろこれ!? 大丈夫なのかよ!?」
「大丈夫、先生が治癒魔法使ってくれたから、全然平気」
「――なわけないでしょうが」
 と、呆れ声を出すのは成梓先生だった。
「心配かけたくないのはわからないでなないけど、無理しないの。――丁度いいわ、小日向くん、真沢さんを保健室まで一緒に連れ添って行ってあげて」
「わかりました。――姫瑠、行くぞ」
「あ……うん。その、ありがと」
「気にするな、この程度。俺にはこの程度しか出来ないんだし」
「それじゃ、保健室までおんぶで」
「よしわかった、保健室までおんぶだな」
 そして俺は、姫瑠を保健室までおんぶで――
「って、行くわけないだろうがー!! お前怪我してんの右腕だけだろ!? 足は全然無事じゃん!?」
「ちぇっ、気付いたか」
「あのなあ……」
「いいじゃないか、雄真、背負ってやれば。紳士たるものその位のエスコートが必要だし、男たるものここぞとばかりに色々堪能しておけ」
「後半の理由をあからさまに掲げられて誰が背負うかよ!?」
 確かに男たるもの堪能はしたい――いやいやいや!!
「リクエストがあれば、後ろからギューってしてあげるのに」
「やかましい! 馬鹿やってないで、行くぞ!」
「はーい」
 俺と姫瑠は、集団を離れ、二人保健室の道を行くことになった。
「……?」
 ――のだが、何だろう。何か、違和感が俺の中に。
「――そっか」
 そこで気付く。春姫だ。春姫からのリアクションが、何もなかった。いつもならば何かあっても良さそうなものに。
 チラッと、春姫を見てみる。――笑っていた。穏やかな笑顔で、俺達を見ていた。笑顔の裏に殺気、とかそんなんじゃない。普通に、笑って俺達を見送っていた。でも何だろう。何かが違う。
 その笑顔が、有り触れた笑顔が――何処か、俺の心に引っかかるのだった。


<次回予告>

「何と! 竜が出たというのか!?」
「まあ、機械っていうか、魔法で作られた特殊なターゲットだけどな」

シミュレーションホール騒動の翌日。
平穏を取り戻した雄真達は、変わらぬ日常を過ごしていた。

「どうしても返品した場合は、今から校庭のど真ん中でキスしてくれたらいいよ?」
「返す意味がねえ!?」

相変わらずのやり取り。何も変わらないはずの距離。
そう、誰もがそう思っていた、なのに――

「クライスは、何が……言いたいの……?」

――形は違えど、想うべき人間は同じ。
導き出される結論、それは……

次回、「彼と彼女の理想郷」
SCENE 14  「Can't say "Good-bye"」

「そして私は、雄真が、我が主が望まないことはワンドとして望むつもりはない」

お楽しみに。


NEXT (Scene 14)

BACK (SS index)