それは、ケーキ作り対決翌日の朝、校門前、朝の登校メンバーと一旦別れ、春姫と合流した時のこと。 「教室まで……その、手を繋いで、行かない?」 そう、提案された。 「ここから教室まで手を繋いでって……恥かしくないか? 色々言われちゃうぞ?」 事実やったことがあるが、恥かしいことこの上ない。確かに俺と春姫が付き合っているのは学園ではかなりの割合の人が知っていることなので、別に手を繋いでいても驚かれることは流石にないが……それでもやはり人目にはつくようで、ジロジロ見られたり遠目に見られたり遠巻きに色々からかわれたり、etc... 「うん……確かに恥かしいんだけど、でも、どうしても繋ぎたくて」 何だろう。今日の春姫はやけに甘えん坊さんだなあ、なんて呑気に思っていると、 「それとも……私と手を繋ぐのは……嫌、なの?」 「え……?」 不意に、春姫の視線が下に落ちる。揺れる瞳、あからさまに不安げな表情にドキリとする。――な、何だ、急に……? 「……よしっ」 何があるのかはわからなかったが、でもそんな表情をされて繋いでやらないなんて、彼氏としては失格だな。――と思った俺は、春姫の手を取る。恥かしさが何だ! そんなの気になるもんか! 「あ……」 俺が手を取ってやると、パッ、と春姫の表情が明るくなる。――ふぅ、ギリギリセーフ……と、油断した時だった。 「――え」 春姫が指をしっかりと絡めてくる。瞬時に属に言う「恋人繋ぎ」になった。――こ、これか、これで行くのか! チラッ、と春姫を見ると、満足気な、とても安心したような表情。――くぅ、大丈夫だ俺! この程度の恥かしさが何だ! (ジロジロ) (ジロジロ) (ジロジロ) 校門を抜けた瞬間、痛い位視線を感じる。――前言撤回。超恥かしいです。滅茶苦茶気になります。ね、願わくばせめて俺の仲間達には遭遇しませんように――!! 「あら、お早うございます、雄真さん、神坂さん」 「って、いきなりあんたかー!!」 最初の町を出ていきなりラスボスに遭遇するRPGほど厳しいものはない。――小雪さんだった。 「お早うございます、高峰先輩」 「……お早うございます、小雪さん」 とりあえず、諦めて挨拶をする。 「まあまあ、お二人とも、朝から御熱いですね」 「熱々でんな〜、小日向の兄さんと神坂の姉さん」 で、案の定早速弄られた。まあ小雪さんでなくても俺達のこの状態は弄りたくなるだろう。 「ふふっ、私と雄真くんはお付き合いしてますから、熱くて当然ですよ、高峰先輩」 そう言いながら春姫はピタッ、と俺に身を寄せてくる。――っておいおいおいおい! 「は、春姫?」 今日は甘えん坊さんだなあ、なんてレベルじゃ段々無くなってきた。何だ今日の春姫は? 小雪さんを前にして何をアピールしたいんだ? 「ど、どうしちゃったんだよ春姫、何もこんなところで」 らしくない春姫を前に恥かしさを飛び越えてつい動揺してしまう。すると―― 「……私に、寄り添われたり、抱きつかれたりするのは……もう、迷惑なの?」 まただ。再び春姫の表情がフッと不安げなものに変わる。――何だ……? 何だ、今日の春姫? 勘違いとかじゃない。ちょっとおかしいぞ……? 「少なくとも、俺が春姫が嫌とか迷惑とか、そんなわけないだろ。しいて言うならば、そういう風に俺が感じてるって誤解して春姫に信用されないのが痛いかな」 「あ……ごめん、その、そんなつもりじゃなかったんだけど、その」 「大丈夫、怒ってない」 俺が笑ってみせると、春姫は冷静さを取り戻したらしく、ふぅ、と息を吹いていつもの表情に戻った。安心してくれたようだ。 しかし……落ち着いてくれたからよかったものの、春姫の様子が少しおかしかったのは事実だ。俺が春姫に何かした……覚えはないし。何かある気がする。何が原因なんだろう? 「雄真さん、雄真さん」 と、春姫のことで頭を巡らせていると、小雪さんが俺を呼ぶ。 「……私が、雄真さんの夜の世話をしたり、お相手をしたりするのは……もう、迷惑なんでしょうか?」 「何の話ですか!? 迷惑もクソもしてもらったことがないし要求した覚えもありません!!」 しかも明らかにさっきの春姫を意識して喋ってるし!! 「あれは、二月のとても寒い夜のことでした」 「かーさんとすももが偶々居ない日晩御飯何にしようとか思ってる時に偶々商店街で会ってカレー分けてくれたことは決して夜のお世話やお相手にはなりませんからね!!」 ちなみにこの話は事実。 「クスン……ツッコミが早いですね雄真さんは。もう少し喋らせてくれてもいいのに」 「滅茶苦茶物語調だったじゃないですか!! 少しで終わらないでしょう!?」 「小日向の兄さん、もっと大らかに生きないとアカンで〜?」 「また意味が違うよそれは!!」 ええい、何時まで経っても話が終わらないじゃないか!! 「大体小雪さんなんでこんな時間に登校してるんです? もう三年生は卒業式前まで自由登校だからこんなキッチリとした時間に出てこなくてもいいはずでしょう?」 「私、毎朝雄真さんの笑顔を見ないと、生きていけないんです」 「嘘付けええええ!! 朝会わない日の方が多いじゃないですか!! あーもう、俺達はホームルームあるんでもう行きますからね!」 と、小雪さんを置いて俺は春姫と一緒に動き出す。 「――雄真さん、神坂さん」 そして、数歩歩いたところで、再び小雪さんに呼び止められた。振り返ると―― 「……?」 小雪さんが、俺達を見ている。いつもの穏やかな笑顔で。それだけ、それだけのはずなのに――何故か俺は不思議な感覚に囚われていた。何だろう。 「ふふふ、こうして見ているとお二人の仲睦ましいお姿、インターネットの動画サイトに投稿したくなりますね」 「ワールドワイドで恥かかすつもりですか俺に!?」 いつも通りにツッコミを入れて、俺達は再び歩き出した。――結局、小雪さんがどうしてこの時間にいたのかは、わからないままで。
彼と彼女の理想郷 SCENE
11 「破綻へのカウントダウン」
「ふぅ……」 小雪は、見慣れた自分の教室の自分の席に、ゆっくりと座った。教室にいる生徒は自分だけ。――雄真の言った通り、三年生はこの時期自由登校。早朝から学園に用事があって来ている者などほとんどいないのだ。 「この見慣れた風景とも、もう少しでお別れなんですね」 一人でに呟く。――卒業後は大学へは進学せず、母であり、学園の理事長である高峰ゆずはの手伝いをしつつ、占い師として本格的に活動することが決まっていた。最終的に理事長の座を引き継ぐのを条件に、それまでは占い師として活動していてもいい、という許可がゆずはから下りていたのだ。 もっとも、占い研究会も気になるし、Oasisの昼休みの占いサービスも時折は来ようと思っている。――教室に縁が無くなるだけで、学園とはまだまだ付き合うことになる小雪だった。 「……姉さん、ほんまによかったんでっか?」 と、そんなことを思っていると、タマちゃんがそう尋ねてきた。 「あらあら、何のことでしょう?」 「小日向の兄さんと神坂の姉さんのことに決まっとるやないですか〜。今日わざわざこの時間に来たのもあの二人に会う為に、見えてしもた不幸の警告に来たんやないんですか?」 そう。今日小雪は何も気まぐれで登校したわけではなかった。昨晩、偶々やった占いで、雄真と春姫に関する「不幸」を先視してしまった。具体的内容までは掴めなかったものの、二人の間柄を完全に揺るがしてしまう、大きな「不幸」を感じ取ってしまった。それを警告しに雄真達に会いに、登校していたのである。 「そのつもりでしたけど……やはり、やめておきます」 「何でや姉さ〜ん、今回のはヤバイかもしれんて姉さん言うとったやないですか〜! 二人の仲が終わってしもてからじゃ遅いんやないですか?」 小雪の占いで出た不幸の大きさ。――それは、二人の間柄が終わってしまうことも十分に考えられる大きさだった。 「姉さん、先に手ぇ打っておけばまだ違うんとちゃいますか? あの二人が別れるシーンなんてみたくないですわ〜」 「確かに、タマちゃんの言う通りです。今日お二人に警告しておけば、回避出来る可能性は上がり、安全になるかもしれません」 「ほんなら、昼休みにでも」 「でも――人間、不幸に出会ったらそれで終わり、というわけではないんです。不幸というのは、逃げるんじゃなく、乗り越える為に存在しているんです。そして、乗り越えた先に待っている幸福――「幸せ」は、何物にも替え難い、素敵なものなんですよ」 「姉さん……でも」 「大丈夫ですよ、あの二人なら、雄真さんなら。ですから私は、雄真さん達が不幸を避ける為のお手伝いではなく、乗り越える為のお手伝いをしようと思っていますから」 小雪は笑顔でそうタマちゃんに告げる。――心底、雄真を信じているのだ。 「頑張って下さいね、雄真さん、神坂さん。私はいつでも、あなた達の味方ですよ?」 私の占いを、不幸を先視するものでなく――幸せの為の占いに、してくださいね?
「……うーむ」 現在、二時限目と三時限目の間の休み時間。――俺はどうしても朝の春姫の様子が頭から離れなかった。小雪さんの登場である程度ははぐらかされたものの、あんな不安定な感じの春姫を見るのはもしかしたら初めてかもしれない。 「というか、この前姫瑠の違和感に関して一日悩んだばっかなのに、今度は春姫か」 「いい傾向だな雄真。一日女のことばかり考えている」 「――言い方一つでも物凄い雰囲気が変わるってことはよくわかったよクライス」 どういう意味でいい傾向なのかは聞かない方が身の為だろう。 「クライスは春姫の感じ、どう思う?」 「ふむ。――まあ確かに少々らしくない感じではあったな。考え過ぎといえばそれまでだが。流石に原因はわからん。いくつか仮説位は立てられるが」 「仮説?」 「仮説一、ヤンデレに目覚めた」 「……聞いた俺が馬鹿でした」 というかそんな春姫嫌だ。 「まあ、もうしばらく様子見じゃないか」 「そうするしかない、か」 と、普通に納得しかけたところで、 「しっかり見ておけよ、雄真。――正直、あまりいい予感はしない」 「…………」 不意にクライスが真面目な口調でそう告げてきた。――あまりいい予感はしない、か。……クライスがそう言うんだ、ちゃんと見ておかないとな。 「まあそんなことよりも、目先の英語のことを考えた方がいいんじゃないのか?」 「へ? 英語?」 「展開からしてお前、今日は当てられる日だろう?」 「……あ」 次の三時限目の授業は英語。担当している教師の当て方はワンパターンで、明らかに今日は俺が当たってしまう日だった。 「ナイスだクライス、危うく授業中に恥かくところだった。――えーと、今日俺が当てられる所は、と」 …………。 「――全然わかんねえ」 何を隠そうこのワタクシ、英語の成績はあまり宜しくありませぬ。 「私が警告してもしなくても同じだった、ということか」 呆れモードのクライス。だが。 「いや、そんなことはない! 場所さえわかっていれば解決方法はあるのさ! そう、俺には瑞穂坂の才女と言われた春姫がいるんだ! 予習復習バッチリの春姫に聞けばもう完璧! おーい、春姫……」 ヒュウウゥゥゥゥゥ。 「いねえ!? 何処行ったんだよ春姫!?」 「先ほど教師に呼ばれていただろう。おそらくギリギリまで戻ってこないのではないか?」 「クソッ、何故こんな時に限って……! 誰か他にいないか……!?」 一生懸命に頭をフル回転させ、色々な人の顔を呼び出して教えてくれそうな人を探す。 「――って、そうだ! 上条さんがいた!」 思い出した。イメージ通りの素敵な成績を持っている上条さんなら春姫と同じように聞けば完璧に違いない! 「おーい、上条さん……」 ヒュウウゥゥゥゥゥ。 「こっちもいねえ!?」 「上条沙耶なら朝からいないだろう。兄の信哉も休みだ、式守の関連の用事ではないか?」 そういえば二人とも朝からいなかった気がする。春姫のことで頭が一杯だったからそこまで深く気にしてなかった。 「な、なんてこった……」 「八方塞りだな」 「――いや、諦めるのはまだ早いぞ! 探せば誰か、頭が良くて気さくに俺に教えてくれる奴がいるはずだ!」 俺が辺りをキョロキョロとしていると、 「あっ、雄真くん、もしかして私のこと探してる? もう、普通に呼んでくれればすぐに行くのに!」 と、とても素敵に勘違いしている姫瑠と目が合う。 「いや悪い、今お前のジョークに付き合ってる暇はないんだ。今の俺に必要なのは英語が――」 ……英語? 待て、ちょっと待てよ? 「なあ、一応確認したいんだけど、姫瑠って英語、喋れるのか?」 「英語? うん、喋れるよ。四歳の頃からついこの前までアメリカに居たんだもん、自然と喋れるようになるって」 いたー!! ここに英語がバッチリな人がいた!! 「姫瑠、俺は今この瞬間ほどお前が愛しいと感じたことはない!」 「……え?」
…………。
「――で、こういう文になるんだけど、これだと会話上のくだけた感じだから、学校の授業の答えってことを考えるとこっちの長い方の文がいいかな」 「ふむふむ、成る程な」 姫瑠の説明は、実にわかり易いものだった。パッと見全然わからなかった文だったが、おかげで俺にもスンナリと理解することが出来た。 「サンキュー、これで当てられても困らないで済む。助かった」 「いえいえ、どういたしまして」 これからは英語に困ったら姫瑠を頼ることにしよう。――あっ、春姫が居ない時な! 「そういえば、姫瑠って学業の方はどうなんだ? 魔法が出来るのは知ってるし英語が出来るのは今わかったけど、他の一般的な教科はどんな感じなわけ?」 不意に気になったので尋ねてみる。 「うーんと……嫌味に聞こえたらごめんね? 多分、雄真くんなんかよりも全然いいと思う。アメリカではやらなかったけど特待生の話とか飛び級の話とかよく貰ったから」 「へえ……」 学業もバッチリですか。――魔法も含め成績はトップクラス、性格は明るくて優しくて沢山の人と仲良くなれるタイプ、家はお金持ち。――ついでに言えば、顔も可愛いし。 「凄えなあ、お前」 いちいち行動がオーバーだったりとかを除けば大きな欠点が見当たらない。――俺の婚約者なんてやってる場合じゃないだろ……とか言うと多分怒りそうなので言わないが。 「そんなことないよ。――アメリカに居る頃は、学校行っても勉強以外することなかったから。そりゃ成績も良くなるよ」 そう言いながら、ふっと少しだけ悲しそうな表情を見せる。――ああそうか、友達居なかったから、何をするわけでもなかったのか。 「――あ、ごめん。暗い話になっちゃったね」 と、自分の表情に気付き、すぐに無理して笑顔に戻る姫瑠。 「なあ、姫瑠」 「うん? 何?」 「今お前、毎日学校楽しいか?」 俺が咄嗟にそんな質問をぶつけてやる。すると―― 「うん。――毎日、楽しくて夢みたい」 無理して作られていた笑顔が、直ぐに本当の笑顔に変わる。 「そっか。――なら、いい」 ――わかってはいるつもりだったが、そう素直に答えてくれてよかった。姫瑠はこちらでの生活を楽しんでくれている。だからこそ――終わらせるわけにはいかないんだ。 「勿論、これで雄真くんが春姫と別れて私を選んでくれたらもっと楽しいんだけどなー」 「馬鹿野郎、それとこれとは話が別だ」 「でもさっき私のこと「愛しい」って」 「おう、俺に英語の答えを教えてくれる「時の」姫瑠は愛しい」 「時の」に力を込めて答えてやると、「むぅ」といった感じの不満顔になる。 「――実際さあ、雄真くんって、私のことどう思ってるの?」 「へ?」 と、そんな風に返された。 「純粋に、男と女としてだよ?」 姫瑠のこと……どう思ってるかだって? 「…………」 答えに詰まった。――そういえば、姫瑠の客観的な特徴や現在の姫瑠の状況とかは色々考えているけど、そういう単純明快なことは考えたことがなかった。 俺は姫瑠のことは嫌いじゃない。好き嫌いで言ったら間違いなく好きだ。でもそれはあくまで俺にとって友達、仲間としての「好き」。そういう類に関して言えば、柊だって好きだし小雪さんだって好きだし、etc... つまり俺は、姫瑠のことを女の子として意識していなかった……という結論に持ち込もうとした瞬間。 「……えへへ」 不意に姫瑠が嬉しそうな顔になる。 「? 何で何も言ってないのに嬉しそうなんだよ?」 「だって、考える余地があるんだもん。結構な進歩だよ? 友達としてしか見てないなら、今までの経緯からして直ぐに断言出来るはずじゃない? それなのに雄真くんは答えに戸惑った。それってつまり、私に対する感情で悩んでしまう、ってことだもん」 「…………」 再び、答えに詰まった。――俺が、姫瑠をただの友達だと断言するのに、躊躇した……? 「――んなわけないだろ。何でも自分の都合よく展開させるな」 ツッコミを入れる。――そう。そんなわけない。俺には春姫がいるんだ。姫瑠をそれ以上の存在になんて見てるわけない。姫瑠を、女の子として好きになるなんて……ありえ、ないんだ。 モヤモヤしそうになる気持ちを振り払っていると、チャイムが鳴った。 「っと、それじゃ戻るわ。――英語、サンキューな」 「うん、ばいばい」 軽く手を振って、俺は自分の席に戻る。 「――姫瑠さんと、何の話、してたの?」 で、戻る早々、春姫にそう聞かれた。――いつの間にか戻ってきてたらしい。 「おう春姫、探してたんだぞ?」 「え? 私を?」 「うん。次英語だろ?」 俺は大まかに何故に姫瑠の元へ行っていたかを説明する。 「で、春姫には申し訳ないとは思ったんだけど、背に腹は変えられないというか、そういうわけで姫瑠に答えを聞きにいってた。あいつアメリカ帰りだろ? 英語はバッチリだったからさ」 「そっか、ごめんね、居てあげられなくて」 「ははっ、別に春姫が謝ることじゃないだろ。わかんない俺が悪いんだし」 と、俺が会話を終わりにして、十五秒後位してから。 「――それだけ、だったの?」 「ほえ?」 間を開けて、春姫がそう訪ねてきた。 「姫瑠さんとの話……英語の質問、だけだったの?」 春姫が目を合わさない――と言うよりも、少し俯いた感じでそう尋ねてきた。――まただ。朝と同じ。何だってんだよ……? 「おう、それだけだけど?」 「……そう、なんだ」 それっきり、春姫は黙ってしまう。 ――正直にちゃんと話すべきか、と一瞬思ったが、今の春姫の不安定の様子を見てしまうと躊躇してしまう。俺が姫瑠のことを心配している、なんて言ったらもっと春姫は不安定になってしまうんじゃないか。そんな気がして、俺は言うのを躊躇った。 「……ふぅ」 何だか、心配事ばっかだな、俺。――などと思う辺り、この時の俺はまだ心の何処かに余裕があったのかもしれない。 後に俺は、思い知ることになる。――もうこの時に、いや、正確には今朝の時点でもう取り返しのつかない『破綻』は始まっていたのだと。 そして――そんなことを思いもしなかった俺には、春姫の呟きは、これ以上は届かなかった。
「――私には……話せない話を、二人でしてるんだ……」
「へえ……」 俺は、その建物というか装置というか、とにかくそれを見て驚きの一声だった。辺りを見ると、驚いているのは俺だけではない。結構な割合の生徒が興味津々だ。――まあ無理もないか。 さて時刻は昼休みを過ぎた五時限目、魔法実習。今日の内容は、なんと今年になって校舎裏の膨大な自然の土地の一部を利用して作られた超巨大なシミュレーションホールでの実習。実際に生徒が使うのはこの時間が初ということで、みんなしてその建物の凄さに圧倒されていた、というわけだ。 ちなみに今回は隣のクラスとの合同授業なので、結構な人数が集まっていた。 「ウチの学校って、凄い金あるんだな」 「うん……私も、驚いちゃった」 俺の横の春姫も流石にこのスケールには圧倒らしい。 「でもさ、この学校の経営者っていうか理事長は、小雪先輩のお母様なんでしょ? そうなると小雪先輩がお金持ちってことになるの?」 「……わかんねーな、あの人のことは」 柊の疑問は最もなんだが、あの人のことは最早謎だらけだからな。少なくとも式守家とも繋がってるみたいだし。 「どうするよ、この中で小雪さんカレー作ってたら」 「あははははっ、失礼だよ、雄真くん!」 とか言いつつ馬鹿ウケし過ぎだ、姫瑠。余程お前が失礼だぞ。――いやでももしかしたら今日朝からいたのはその為だったらどうしよう……なんて思った時だった。 「……うん?」 俺の立っている位置の数歩前方に、リストバンドが落ちていた。誰かが落としたのだろうか。 「随分古いやつだな、これ」 悪く言ってしまうとボロボロだ。さて誰が落としたのかな、と思って回りを軽く見回してみると。 「ごめんなさい、小日向くん! それ、私のなの」 そう言って小走りで俺の所へやってくる女子が一人。俺のクラスの女子ではない。 「助かったわ〜、何処で落としたのかと思ってた所なのよ。ありがとう、小日向くん」 「相沢(あいざわ)さんのか。――随分ボロボロだけど、どうかしたの?」 「うん、まあちょっとしたお守りみたいなものかしら」 そう言いながら、相沢さんは俺からリストバンドを受け取った。――って、 「……そういえば相沢さん、よく俺の名前知ってるね。同じクラスじゃないのに」 「あら、有名人じゃない、小日向くん。――特に「最近」は」 そう言いながら、悪戯っぽい笑みでチラリ、と視線を俺の後ろで女の子同士でお喋り中の春姫と姫瑠に向ける。 「……さいですか」 「それに、同じ学園の魔法科の同じ学年なんだもの。名前、苗字位覚えていて当然じゃない?」 「偉いな」 「そういう小日向くんも、私の名前は知っていたみたいだけど?」 「当然だ。我が主の美人に対する記憶力は計り知れぬものがある」 「それはお前だ!! 俺個人としてはワンドの癖に女の扱いが上手いお前の方が怖いわ!!」 ワンドと言い合いをする相変わらず変なマスターな俺を見て、相沢さんは笑う。 「中々面白いマジックワンドなのね」 「まあ……色々、ね」 そもそもは相当優秀なはずなんだが、その遍歴を人様に見せる機会がほとんど無いからな。 「でもまあ、誉められて悪い気はしないわ。ありがとう、小日向くんのワンドさん」 「気にするな。全ては我が主の賜物だ」 「違うから。そもそもこの学園で相沢さんの名前知らない人余程のことがない限りいないから」 実を言えば相沢さんは瑞穂坂学園の生徒会の生徒会長。魔法科の女子が生徒会長になるのは創立以来二人目とかで、学園内では結構な有名人だ。無論俺もそれで知っていた。 「でも、小日向くんのクラスが羨ましいわ。担当、成梓先生なんでしょう?」 「ああ、そうだけど……ってそうか、相沢さんのクラス」 「ええ、小清水(こしみず)先生」 相沢さんが少々呆れ顔でそう答える。――小清水先生とは魔法科の先生なのだが、何と言うか覇気が無いというか生気が無いというかオーラが無いというか影を背負ってるというか、そんな感じの中年の男の先生で、生徒の中でも実に不人気な先生だった。一方俺らの成梓先生は若くて行動力溢れる美人で人気の高い先生。その差は歴然だ。相沢さんが羨ましがるのも無理はない話だったりする。 「悪い先生じゃないと思うのよ。授業は丁寧だし。でも何というか、心が感じられないというか」 「まあ、相沢さんとは合いそうにないなあ」 相沢さんは流石生徒会長だけあって、成梓先生と似たタイプ。男子生徒からの人気も高いようだ。 「――友(とも)ちゃーん」 「っと、呼んでる。――それじゃ小日向くん。リストバンド、ありがとうね」 「ああ」 軽く手を振って相沢さんは自分のクラスの友達の所へ戻っていった。俺も自分のクラスの輪に戻る。 (ひそひそ) (ジロジロ) (ひそひそ) (ジロジロ) ……すると、どうも周囲の様子がおかしい。遠巻きに俺を見たり、コソコソ俺を見ながら小声で話していたり。――何だ、何かしたか俺? 「雄真、アンタ相沢さんと仲良かったの?」 と、怪訝な表情で尋ねてくるのは柊。 「いや、まともに会話したの、多分今のが初めてだと思うけど……って、まさか」 「更に相沢さんにまで手を出したのか、って話になってるわよ、ウチのクラス」 「…………」 何故に軽く会話しただけでそんな話になるんだろうか。どんだけ酷いんだ俺のイメージ。 「この際だ、春姫も姫瑠も捨ててあの女で落ち着くというのはどうだ? 私は好みだぞ」 「何をどう引っくり返して「この際」なんだよ!?」 というかお前の好みで決めるな!!
<次回予告>
「はーい、それじゃ今回の実習の内容について説明するわね」
本格スタート、新施設での魔法実習。 果たしてその内容とは? 雄真に可能な内容なのか?
「アンタさ、春姫に何かしたの?」 「…………」
少しずつ、少しずつ変化していってしまう日々。 些細な疑問は、確実に膨らみ、仲間達を巻き込んでいってしまう。
「でも……真沢さんは順調なんだけど、神坂さんは調子悪いみたいね。 あまり途中経過でのポイントが良くないわ。体調でも良くないの? 彼女」 「……え?」
そして、春姫を襲い続ける、「異変」は――
次回、「彼と彼女の理想郷」 SCENE
12 「見抜いていた人、見抜かれていたもの」
「――悪い。俺は、皆と一緒には行けそうにない」
お楽しみに。 |