「ねえ、あれ……すももちゃんじゃない?」
 駅前の大手CDショップを出たところで、準が言う。
「あ、ホントだ」
 姫瑠が準の視線を追うと、確かに見覚えのある姿が反対側の道に。だが――
「……何であんなに急いでるのかしら」
 準が疑問を声に出す。――すももは走っていた。その様子からに、二人の存在には気付いていない様子。
「声、かけてみる?」
「うん。――すももちゃーん!」
 少々引っかかるものを感じた二人は、すももを呼び止めることにした。少し大きめの声で呼び、二人で手を振ると、すももも気付いたようで、方向転換してこちらへ向かって走ってきた。
「!! ねえ準、あれ」
「ちょっと――泣いてるじゃない、すももちゃん!」
 近付くにつれ、少しずつ見えてきたすももの表情。――すももの目から涙が零れていた。
「準さんっ……姫瑠さぁん……」
 準と姫瑠という知り合いに会えたことで緊張が少々ほぐれてしまったのか、二人の前に到着すると同時に、一気にすももの涙は濃くなった。
「どうしたの!? 変な人に襲われた、とか!?」
「兄さんが……にいさんがぁ……!! わたしだけ、わたしっ……」
 涙が濃くなると同時に、すももを襲う、パニック。――姫瑠はゆっくりとすももの前にしゃがみ、すももの手を両手で優しく包むように握る。
「落ち着いてすももちゃん。――大丈夫、もう大丈夫だから」
「姫瑠さぁん……!!」
「すももちゃん。――雄真に、何があったの?」
 二人の落ち着いた、優しい問いかけに少しだけ気持ちを落ち着かせたすももが、一呼吸置いて口を開いた。
「偶々、帰り道が一緒になって、二人で帰ってたんです……そしたらいきなり兄さんが、吹き飛ばされて……」
「吹き飛ばされた……? もしかして、魔法?」
「はい、周りに人がいなかったんでそうだと思います……それで兄さん、わたしを庇って、巻き添えになるから逃げろって……それで、わたしっ……!!」
 その時の情景を思い出してしまったのか、すももの目から再び涙が零れだした。ほぼ同時に姫瑠はすももを抱き寄せて、優しく頭を撫でる。
「ねえ準、一応確認なんだけど、雄真くんって、何か色々狙われたりする理由って、あったりするの?」
「――あたし自身は魔法科じゃないから、細かいことはわからないけど……そんな話は聞いたことないわね」
「そう……」
 準の返事を聞くと、姫瑠はすももを宥める役を準に交代し、スクッと立ち上がる。
「準はすももちゃんをお願い」
「わかったわ、ちゃんと雄真の家まで――」
「ううん。――学園の女子寮がいい」
「女子寮……?」
「雄真くんがすももちゃんと一緒に帰ってたってことは、もう春姫は寮に戻ってる。万が一のことを考えて、魔法が使える人に匿ってもらった方がいいから」
「そうね。そうするわ」
「――出来れば、そのまま準も一緒にいてあげて。一人でも多く、傍にいてあげた方がいいと思う」
「それは勿論。――姫瑠ちゃんは」
「雄真くんを助けにいく。――落ち着いたら連絡するけど……そうね、もしも今から一時間経っても私、もしくは雄真くんから連絡がないようなら」
「姫瑠ちゃん。――そんな結末、あたしは許さないわよ?」
 その時の準の表情を見ると、姫瑠はふーっと息を吹き、軽く笑顔になる。
「わかってる。ごめん、言い直す。――必ず、連絡するから」
「了解したわ。――それじゃ、早く雄真の所へ」
「うん。準もお願いね!」


彼と彼女の理想郷
SCENE 8  「グッバイロンリーデイズ」


 ズバァン!!――雄真の詠唱の完了と共に、雄真を中心に弾け飛ぶ光の波動。
「――っと」
 同時に、二人ほぼ同じ箇所にいたタカとクリスが散開。お互い時計回り、半時計回りに移動し、丁度二人で雄真を挟むような位置につく。――肝心の雄真と言えば、
「――ふむ。まだ我が主はこの状態には慣れん、か」
 雄真と言えば、マインド・シェアは成功したものの、『表』の人格がクライスと交代している状態だった。
(悪い、クライス)
 雄真がそうクライスに告げてきている。――気にするな。意思が保たれているだけでも十分な成長の証だ、とクライスは雄真に精神内にて返事をする。
「おい、何のつもりだ? 悪いが、そんなフラッシュのハッタリで俺達を誤魔化そうなんざ――」
 痺れを切らしたタカが雄真に向かいそう言葉を投げかけている途中で、雄真は視線を上げ、軽く首を右に向け、タカと視線を合わせた。
「――!?」
 そして、視線を合わされた瞬間、いきなりタカは今までに感じたことのない、独特の威圧感に押されていた。まるで素手で心臓を鷲掴みにされているような感覚。体の自由どころか、言葉も出ない。
 一定の範囲を自分の素質だけで威圧出来る魔法使いは一流。タカは、そのことは重々承知しているし、事実彼も一流、威圧に負けて動けなくなるようなことは今までなかった。
 だが、油断していたとはいえども、今回彼は相手の威圧に押され、身動きを制限された。更に言えば、
「タカ……?」
 反対側では、クリスが疑問顔でタカの様子を伺っている。――雄真の威圧は、クリスには届いていないのだ。周囲には気付かせず、特定の人物だけを威圧。一流の自分を、このような独特な形の威圧で押さえ込む目の前の少年は――自分よりも位が上、超一流であると、タカは判断せざるを得なかった。
「――めだ……」
「ちょっと、タカ?」
「駄目だ、クリスっ!! その餓鬼、やべえっ!!」
 何とか威圧を振り切り、精一杯の声で反対側のクリスにタカはそう叫ぶ。――タカが威圧されて、わずか数秒間の出来事である。だがそのわずか数秒が、レベルの高い戦闘では勝敗を分けてしまうことをタカは十分にわかっていた。
 バァン!――タカが叫びだしたのとほぼ同時に、雄真の足元で激しい音が鳴り響く。そして――
「――気付くのが、遅い」
 タカが叫び終わる前に、既に雄真はクリスの目の前で、身構えていた。
「な――っ!?」
 バァン!――そのまま雄真は容赦なく用意していた右腕のレジストで、クリスにダイレクトアタックを仕掛ける。完全なる防御に間に合わず、そのまま吹き飛ばされるクリス。
「――エル・シェル・ファリアス・アルウス!!」
 更に雄真は吹き飛ばされるクリスに向かい、魔法を詠唱。自らの前方に魔法陣を繰り出すと、少々太めの炎のレーザーを連続で何発も撃ち込んでいく。――激しい衝突音、爆発音が、連続して辺りに響き渡る。
「くそっ!!――イレイン・メスピアン!」
 タカは急いで牽制の攻撃魔法を雄真に放ち、一旦クリスへの攻撃を止めさせる。その間に、クリスの方へと駆け寄った。
「クリスっ!!」
「大丈夫……なんとか……ごめんなさい、油断してたわ」
 大丈夫、と告げるクリスの息は、既に多少上がってしまっている。
「それは俺もだ。――奴、普通じゃねえぞ。気を抜いたらアウトだ」
「……ええ」
「――エル・アダファルス・チャイル」
「っ!! 来る!」
 雄真の三回目の攻撃は、地をまるで巨大な波のように這う、それでいてかなりの高速な衝撃波。
「ティマリィ・アームラス!」
「ジェ・イレイン・クォーツ!」
 一方の二人は散開しつつ、クリスは相殺、そしてタカが雄真に直接魔法攻撃。――ズバァン!
「――な!?」
「何、今の……左腕だけで、タカの魔法を弾き飛ばした……!?」
 雄真は冷静に、レジストを纏った左腕で、タカの魔法をまるで虫を追いやるような勢いで弾く。――雄真のレジストの特性を知らない二人にしてみれば、衝撃的映像である。
「散々人をけなしておいて、いざという時の実力はこの程度か。――馬鹿馬鹿しくて笑うことも出来んな」
「な……テメエ!!」
 挑発され、怒りをあらわにして詠唱を開始するタカ。――あくまでも冷静な面持ちで様子を伺う雄真。
「っ、駄目タカ、挑発に乗ったら相手の思う壷!」
 そして、それが雄真の罠であることを察したクリスがそう叫んだ瞬間――
「そうだな。――おかげで「貴行も」隙だらけだ」
「!?――しまっ……」
 バァン!――挑発されて怒り心頭のタカよりも、そのタカに気を取られ一瞬だけ出来たクリスの隙を、雄真は狙った。再び目前に身構え、先ほどよりも確実なるダメージを重ねる。
 再び完全なる防御にならず、ダメージと共に吹き飛ばされるクリス。雄真は容赦なく魔法陣を描く。
「チッ、させるか!」
 こちらも再び、牽制の魔法を放ち、クリスへの攻撃を制止しようとするタカ。――だが。
「その言葉、そっくり返させてもらおうか。――同じ手が通用すると思うな」
 雄真がそう告げた瞬間、クリスに向けて描かれたと思われる魔法陣がそのままスッ、と移動し、タカの真正面で止まったのだ。
(な……まさか、今のは最初から俺狙い――!!)
「――エル・シェル・ファリアス・アルウス!!」
 ズバァン!!――炎のレーザーが、タカを容赦なく襲う。牽制の魔法を放っただけのタカは、攻撃とも防御とも言えない中途半端な状況。
「ぐうっ……!!」
 当然防ぎきれるわけもなく、こちらもダメージと共に吹き飛ばされる。
「タカっ!!」
「っ……来るな、クリス! 奴の狙いは俺達のフォーメーションを崩すことだ! 今の位置でいく!」
 近寄ろうとするクリスをタカが制止する。丁度二人は雄真を挟むような立ち位置――戦闘開始時にとろうとしていた立ち位置になっていた。この挟み撃ちは二対一の時、二人が基本とするスタイルでもあったのだ。
 説明しておくと――雄真(とクライス)が圧倒的優勢の状態で進んでいるこの戦闘だが、実の所、有利なのは断然タカとクリスの方である。前述したように二人の実力は一級品、いくら雄真がマインド・シェアを使用しているとは言え、タカとクリスの二人がかりならば十分抑えられるのである。
 が、その事実を最初の威圧、攻撃の時点でクライスに読まれたのが現状の原因であった。真正面からでは勝てないと判断したクライスは、精神的な揺さぶり――つまりタカへの威圧から入ったのである。結果、二人のコンビネーションは乱れ、更には二人にとって未知数な雄真の技、実力。それらは全て精神の乱れに繋がり――結果として、二人は全力を出せないまま雄真にダメージを与えられ、苦戦しているのである。
 逆に言えば、雄真側としては、どちらか一人を抑えてしまえば、マインド・シェアの時間切れを除きほぼ負けはない。精神的揺さぶりが成功した今、後は時間との戦いだった。
「さて――遊びはここまでだ。終わりにさせてもらう」
 そう雄真が言い切った瞬間、雄真の周囲の空気の流れが変わる。全力で集中される魔力は無論絶大。
「っ……何、あれ……!」
「クソッタレが……なんつー餓鬼だ」
 雄真のその魔力に驚愕しつつも、タカとクリスも身構え、魔力を集中し出す。――両者共に勝負に出ようとしていた……その時だった。
「サンズ・ニア・プレイル・レイニア!!」
「――!?」
 バァン!!――不意に、魔法による落雷が起きたかと思うと、
「チッ!」
 バァン、バァン、バァン、バァン!!――雄真を中心に、まるで雄真を守るかのように連続してその魔法による落雷は続いた。攻撃のモーションに入っていたタカとクリスは急遽防御と回避に専念、またしても陣形が崩れる。
「雄真くん! 間に合ってよかった」
 そして、その隙に雄真と背中合わせの状態で身構えたのは……
「姫瑠……!? どうしてここに?」
 先ほどの魔法も含め――姫瑠だった。
「準と買い物してたら、すももちゃんに会ったの。事情は聞いてる」
「そうか。――悪い、助かる」
 姫瑠の魔法使いとしてのClassは「A」。魔法の実力だけでなく、判断力、精神力などの魔法以外の箇所の能力もかなり問われるClassである。それに合格している以上、今の状況ならば雄真は安心して姫瑠に背中を任せられた。
 雄真優勢の中、姫瑠の加勢により、更に優勢は高まり、いざ勝負――と思われた時。
「――へっ?」
 タカが、緊張感の無い声を出す。同時に怪訝な表情。
「……あれ?」
 それに釣られるように声を出したのは姫瑠。
「姫瑠お嬢様……?」
 更に、決定的な言葉を発したのはクリス。
「――はい?」
 そして最後に声を出したのは――状況についていけない、雄真だった。


「ばかばかばかばか馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿バカバカバカバカ馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿ばかばかばかばか馬鹿バカばかバカ馬鹿ばかっ!!!」
「……面目ない」
 小日向家リビング。――姫瑠の説教は止まらなかった。
「親切にしてもらってる、お世話になっている人への恩を仇で返すってどういうこと!? もうホントに信じられない!!」
「――申し訳ございません」
 俺を襲ってきた二人組への怒りが収まらない姫瑠。下手すると、姫瑠本人がその場で泣き出しそうな勢いだった。――これは止めてやらないと皆が可哀想になるな。
「姫瑠、もういいから」
「雄真くん、でもっ」
「実際俺も結構やっちゃったし、そういう意味ではおあいこだからさ」
 マインド・シェアの時間がそこまで長くなかったおかげか、俺の反動は流石に自分一人で動けないまではいかず、助かっている状態。どっちかと言えば相手側の方がダメージがあると思う。
「それに――すももはどうだ?」
 すももも既に我が家の方へ戻ってきていた。
「――確かに、怖い目には遭いましたけど……わたし自身は直接何かされたわけじゃないですから、兄さんがもういいと仰るなら、わたしももう大丈夫ですよ」
「と、いうわけで俺たち兄妹は構わないわけなんだけど」
 俺たちが笑顔でそう告げると、緊張の糸がほぐれたのか、ふーっと大きく姫瑠は息を吹き、
「うん……雄真くんとすももちゃんがそう言うなら」
 と言って、説教を終わりにしてくれた。
「まあ……でも、お二人が何者で、どうして俺が攻撃されないといけなかったか、辺りの具体的な説明は欲しいかな」
 結局、その辺りの説明はまだだったのだ。
「そうね。――あらためましてお二人とも、本当にごめんなさい。全ては私達の手違いでした」
「そういう意味じゃ、お前が俺らより強くて助かったけどな。――っと、一応あらためて自己紹介しておくか。俺は瀬良孝之。タカ、でいい」
「クリスティア=ローラルド。私もクリス、でいいわ」
「タカさんにクリスさん、ですか……」
「私達は「MASAWA MAGIC」――つまり、姫瑠お嬢様のお父上である真沢 元志朗(げんしろう)氏が経営している会社に所属する、選抜された魔法使いの部隊――通称、『ナンバーズ』のメンバーなの。社長を初めとした、上層部の護衛等が主な仕事」
「言うなれば、ボディーガード、SP……戦闘用の集団だ。メンバーは全部で十人。自慢じゃねえが、そんじゃそこらで成れる代物じゃねえ」
 成る程、あれだけ強いのも頷けるか。
「で、そのお二人が、どうして俺を?」
「そりゃ、お嬢様誘拐犯の容疑者だったから」
「……はい? 誘拐?」
 誘拐ってあれだよな。要は人攫い? 俺が姫瑠を誘拐?
「誘拐騒ぎにもなるわ。大会社の一人娘、社長令嬢がある日突然姿を消すんだもの。それはもうパニックよ」
「…………」
 何か、とても嫌な予感がするんですが……いやでもここは勇気を振り絞って確認しておかないと。
「……なあ姫瑠、その、今回俺の家への居候は、もしかしてお父さんには無許可?」
「う……ち、ちゃんと連絡はしたもん」
「何でだよ? 方法は?」
「その――置手紙? 『グッバイロンリーデイズ』って書いて」
「それじゃ家出だろうがこの家出娘!!」
 何がグッバイロンリーデイズだ!!
「『ナンバーズ』は社長の命を受け、家出と誘拐、両方の面での捜索を開始。するとね、姫瑠お嬢様の失踪には、「コヒナタ」っていう名前の日本人が絡んでることがわかったの」
 あれだ。――父さんの馬鹿ー!! あんた立派な犯罪者だよ!!
「で、ナンバーズを代表して、ナンバーW、ナンバーXの俺とクリスが探しに日本へ来てるってわけだ」
「……なんとなく、俺が襲われなきゃいけない理由がわかりました」
 あらためて父さんの話等を聞かせると、タカさんとクリスさんも少々呆れ顔だったが納得してくれた。何とか一件落着?
「――っていうか姫瑠、気持ちはおまけでわかるけど、連絡無しで来たら騒ぎになること位、わかるだろ? 何でこんな無茶なこと」
「そんなの、決まってるよ……パパに言ったら絶対に無理だもん。それこそ私の周りに日々昼夜問わずにナンバーズの誰かが見張りでつく」
 姫瑠の表情が、一気に不機嫌なものになる。――なんとなく予測はついてたが、父親と上手くいってないのか。
「――まー、そうだろうな。あの社長のことだ。それこそ五人位ついてもおかしくない」
「それどころか、姫瑠お嬢様用に新しく親衛隊を作りかねないわ」
 軽いジョークなのかと思ったが、二人の表情は至って真面目。――本当のことなんだろうな。
「何にしろ、社長は今こちらに向かっております。まもなくのご到着ですので、一度ご報告なりお話し合いなりが必要ではないかと」
「えー!? パパ日本に来てるの!?」
「ええ、俺らがこっち来てすぐに社長もこっちに来てます。何でもこっちの支社で色々あるとかないとか……その辺のことは俺にはよくわかんないですけど。――とりあえず俺らは立場上、出迎えしなきゃならないんで、玄関に行ってます」
 そう言い残し、タカさんとクリスさんは立ち上がり、玄関の方へ。――しばらくすると、我が家の前に車が止まる音。チャイムが鳴って、玄関に出るかーさん。そして……
「姫瑠ちゃん、お父さんが見えたわよ」
 そのかーさんの一言に姫瑠はあからさまに視線を反らし、思いっきり不機嫌な顔をした。やがてリビングに入ってきたのは……
「うお」
 ごつい体格、ごつい表情、何処のヤクザだプロレスラーだ、といった感じの男の人。見た目の年齢からしても、彼が姫瑠の父親、真沢元志朗だろう。言っちゃなんだが、何をどう引っくり返したらこの人の娘が姫瑠になるんだとつい言いたくなってしまうような外見とオーラ丸出しだ。
「姫瑠……」
 真沢さんはズンズンとリビングに入ってくると、ソファーで腕を組んで不機嫌な姫瑠の前に立つ。
「お前という子は……勝手に家を飛び出して心配かけただけじゃなく、人様に迷惑までかけおって」
「何しにきたの」
 姫瑠はギン、と言った感じで真沢さんを睨みつけた。
「何しにきたの、じゃない。――帰るぞ、これ以上この家の方々に迷惑をかけるわけにはいかん」
「雄真くんも音羽さんもすももちゃんも一ヶ月は居ていいって言ってくれた! 生活費は入れてるし、家の手伝いもしてる! パパが考えてる迷惑なんてかけてない!」
「そういうことを言ってるんじゃない! 我侭を言うな!」
「触んないで! 離してよ!」
 真沢さんが姫瑠の腕を持って強引に立たせるが、立ったところで姫瑠が強引に振りほどく。
「とにかく帰って! 私は、約束してもらった期間はこの家にお世話になるって決めたんだから! もうほっといてよ!」
「放っておけるわけないだろう! 一人娘なんだ、心配に決まってる!」
 そして――何がいけなかったのか、姫瑠にその瞬間、スイッチが入ってしまった。
「……何よ……心配って何よ……パパが心配してるのは私のことなんかじゃない!! 会社のこと、仕事のことでしょう!? 私が勝手な行動をしたら、世間に示しがつかないから!! そうしたら、会社のイメージが悪くなるから!! だから心配なんでしょう!? そうじゃなかったら私が生きようが死のうがどうなってようが関係ないくせに!!」
「姫瑠――」
「今更父親面しないでよ、都合いい時だけ父親になんてならないでよ!! パパなんて……パパなんて、大っ嫌い!!」
 涙目の姫瑠の叫び。誰もが言葉を失う。つまり、訪れる静寂。
「……姫瑠……んなこと……ら……」
 そして、その沈黙を、真沢さんが破ろうとしている。――何か小声でボソボソ言い出した、と思ったら。
「そんなこと姫瑠に言われたら……パパ泣いちゃうじゃないか〜〜〜!!」
 …………。
「えええええ!?」
 驚きの声を挙げる小日向家の三名。真沢さんは、本当に泣き出した。――待ておい!! 何だよこの人!?
「パパは……パパは、姫瑠のことが本当に心配だったんだぞ……ひぐっ」
「はいはい、社長は男の子なんですから、簡単に泣かないで下さい」
「クリスく〜ん……姫瑠が、姫瑠が……ひうっ」
 泣き止まない真沢さんを呆れ顔でクリスさんが慰めている。――なんだろう、何だこのシュールな風景。どうしたらいいんだ俺達。
「――社長が怖いのは、見た目だけでね。普段……特に姫瑠お嬢様のことになると、いつもあんな感じなんだ。初めての人は驚くが、出来れば慣れてくれると嬉しい」
 そう戸惑う俺にに話しかけてきたのは、見知らぬ男の人。どうやら真沢さんから少し遅れて我が家に入ってきたらしい。
「ああ、失礼。自己紹介が先だったね。――僕は光山 亮輔(みつやま りょうすけ)。「MASAWA MAGIC」専属の魔法特殊部隊「ナンバーズ」の隊長を務めている。今回は社長の護衛役として同行している」
 つまり、タカさんやクリスさんの上司、ってことか。――優しい雰囲気と共に、凛とした雰囲気も纏っている、成る程何となく隊長、というのも頷ける感じがする人だった。
「まあ、社長を悪く言うつもりはないけど――僕は姫瑠お嬢様の気持ちもわかる気がするよ。社長が仕事に打ち込んでしまっているのは事実だしね」
「まー、それは俺も同感っすよ。俺が姫瑠お嬢様でも家出しちまう」
 気付けばタカさんも俺の横に戻ってきていた。
「でも社長は姫瑠お嬢様のことを勿論大切に思っている。ただ、それを伝える機会がないだけなんだ」
「すれ違い……ですか」
「うん。その機会さえあれば、姫瑠お嬢様も社長に対して愛情を持ってくれると僕は思っている」
 まあ、それは俺も同感だ。姫瑠は人からの好意を簡単に蔑ろにするような奴じゃないし。
「リーダーの言うことはもっともなんですけど……とりあえず現状どうします? 社長が泣きモードに入った以上どうにもなんないっすよ」
「わかってる。その為に「彼女に」わざわざ来てもらってるんだ。――まずは、お嬢様のご機嫌を直そうじゃないか」
 光山さんがリビングの入り口に視線を向け、軽く合図を出す。すると――
「ふふっ、姫瑠ちゃん、あまり真沢のおじ様を苛めたら可哀相ですよ」
 リビングに入ってくる、一人の少女。年齢は俺と同じ位か。清楚な雰囲気、整った顔立ちから零れる笑顔は、とても穏やかだった。
 そして、その少女の顔を見た瞬間、姫瑠の顔が一気に綻ぶ。
「琴理(ことり)っ!」
 そう呼ぶとそのまま姫瑠は、
「ふごぉっ」
「あら」
 障害物の如く真沢さんを横に跳ね除け、その現れた少女に満面の笑みで思いっきり抱きついた。
「嘘みたい!! 久しぶり、元気にしてた?」
「はい、お陰様でわたしは元気です。――姫瑠ちゃんも、元気そうで安心した」
 あれは誰だろう……という表情をどうも俺はしていたらしく、
「彼女の名前は葉汐(はしお)琴理さん。――お嬢様の唯一、アメリカでのご友人だ」
 その光山さんの説明に、思いだされることがある。

『友達……一人もいなかったのか』
『一人だけいたよ。パパの会社の人の娘さんでね。でも、頻繁には会えなかった。一年の間に、数えられる程度。――それ以外はずっと一人だった』

 そうか……多分、彼女があの日姫瑠が言っていた、偶にだけ会える友達のことだろう。
「でも琴理、どうして日本に?」
「おじ様が姫瑠ちゃんに会いに日本へ行かれると聞いたら、わたしもどうしても久々に会いたくなって」
「そっか……わざわざ来てくれてありがと! 嬉しい」
「ふふ、わたしも嬉しい」
 姫瑠の無邪気な笑顔。相手の女の子、琴理ちゃんもそうだが、本当に嬉しそうだ。
「……って」
 そういえば、さっき光山さん、わざわざ琴理ちゃんをこの為に呼んだ、みたいなこと言ってたよな?
「――確かに、円滑に物事を進める為に上手く利用してしまった、ということに関しての罪悪感はあるよ。折角のご友人との偶然の再会のように思っている姫瑠お嬢様には、特にね」
 俺の視線を感じたのか、光山さんが口を開く。
「でも、君も見てもらえればわかると思うけど、あの二人は純粋に再会を喜んでくれている。それは決して、悪いことではないだろう? そういうことで、勘弁してもらえるかな」
 確かに――今の姫瑠の嬉しそうな顔を見てしまうと、そんな細かいことはどうでもいいのかな、という気がしてきてしまう。
「あの……わたしなんかが色々言うのは、本当に申し訳ないと思うのですけど……」
 と、そこで琴理ちゃんが姫瑠との抱擁を終わらせ、真沢さんと姫瑠と丁度中間の位置に立ち、意見を述べ始める。
「おじ様も姫瑠ちゃんも、落ち着いて話し合う機会が必要なのではないかな、と思うんです。お互い、思っていても相手に伝えていない箇所というのが沢山あると思うんです。頭ごなしに相手を否定するだけじゃなくて、相手の考えを聞いて、自分の考えと重ね合わせてみて。相手の意見を認めるかどうかはまた別ですが、何を考えているか、わかってあげるというのは大切なことだと思います」
「…………」
「…………」
 しっかりとした意見に、姫瑠も真沢さんも気まずくなったらしく、つい目を反らしている。
「おじ様。――その、姫瑠ちゃんがこのお家の方々と約束された期間までは、このお家にお世話になることを、許してあげられませんか?」
「琴理ちゃん! それは――」
「勿論、条件つきです。――その期間が終わったら、姫瑠ちゃんはちゃんとおじ様と落ち着いて話し合いをする機会を設けること」
「っ……」
「琴理……」
「それでいいかな、姫瑠ちゃん。――宜しければ、その時に間にわたしが入っても構いませんし」
 穏やかな表情のままで、両者を見る琴理ちゃん。――そして数秒後、
「わかった……琴理ちゃんがそう言うなら、そうしよう」
「うん、琴理がそう言うなら、私もそうする」
 二人が折れた。一気に我が家のリビングに安堵の空気が流れる。知らない間に全員沈黙で三人の流れを伺う格好になっていたようだ。――凄い子だな、あの琴理ちゃんって子は。
「は〜い、それでは日も暮れてきたことですし、晩御飯の準備に入ろうと思いま〜す」
 そしてかーさんの一声。――ああ、そういえばもうそんな時間か。
「おっと、長居してしまいましたな奥さん。――我々はこれで。勿論今回のことに関してはあらためまして後日謝罪とお礼をしたいと考えておりますので」
「あら、宜しければ皆さんご一緒に召し上がっていってください」
 と、帰ろうとした真沢さんをかーさんが引き止める。
「いやしかし、そこまで甘えてしまうわけには」
「気にしないで大丈夫ですよ。食事は大勢で食べた方が美味しいですし、それに姫瑠ちゃん――娘さんと一緒の食事も久々でしょう?」
「奥さん……奥さん、いい人ですな……!! うっ」
「――また泣いてる」
 呆れ顔の姫瑠。――かーさんの優しさに感動したらしく真沢さんはまた泣いていた。


 ――こんなに大勢で我が家で同時に晩御飯を食べるのは、中々ない話だと思う。場所はリビング。食器等は紙の皿やコップ・割り箸等があったからいいものの、流石にこのテーブルだけでは足りないので各部屋や押入れから折りたたみ式のテーブルやテーブルの代わりになるものを引っ張り出してきて繋げてなんとか全員の前にテーブルが出来た状態だ。
 今日、我が家で晩御飯を食べるのは総勢九名。色々なタイプの人が入り混じっているので客観的に見ると中々シュールな光景だと思う。
「それじゃ皆さん、遠慮なく食べて下さいね」
 かーさんのその一言で、皆思い思いに「いただきます」を言い、食事スタート。女性陣全員参加で作られた今日のメインのおかずは正に小日向家の味である「コロッケ」だ。無論俺が大好物なのは言うまでもない一品。何枚かの大皿に種類ごとにコロッケが山盛りになっていた。
「雄真くん、私が取ってあげる」
「あ、お前、ちょっ」
 と、俺の制止を無視してバッチリとピッタリ俺の横の場所を確保していた姫瑠が、甲斐甲斐しく俺の取り皿にコロッケを取ってくれていた。――ってちょっと待て、まずくないか!? 今姫瑠の父親がいるんだぞ!? 父親からしたら娘が満面の笑みでおかずをよそう相手は敵になるんじゃないのか!?
 チラリ、と真沢さんの方を見てみると――
「ひ、姫瑠……そんな……パパにはよそってくれないのに……ううう」
 泣いてました。――何だこれ。ちょっと違う意味で俺は敵になってるんだろうなあ。
 姫瑠は順番に俺の皿にコロッケを入れてくれている。左から順番にオーソドックスのすももコロッケ、かーさん作成のカレーコロッケ、クリスさん作成のクリームコロッケ、そして石炭。
「って――ちょっと待て、ちょっと待て俺」
 何だ? 何だ今の俺の解説? 何か一つおかしな物が混じってなかったか?
「はい、どうぞ」
 姫瑠が俺に皿を手渡してくる。その皿には左から順番にすももコロッケ、カレーコロッケ、クリームコロッケ、石炭。――って、おい。
「――なあ、姫瑠」
 どうやら、俺の見間違いではなかったらしい。俺の皿には明らかに石炭が乗っている。勿論石炭は食べ物ではない。
「わざわざ取ってくれたことには感謝するが、何故俺の皿に石炭を乗せた?」
「――石炭?」
「ほら、これ」
 俺が皿に乗せられた石炭を指差すと、一気に姫瑠の顔が膨れる。
「――それ、私が作った牛肉コロッケ」
「ぶっ」
 やってしまいました。――初心者だから仕方がないと言えばそれまでだが……流石にこれはキツイぞ。
 よくよくテーブルを見ると、大皿のうち一枚はこの石炭――いや姫瑠作成の牛肉コロッケが山になっている。――多分減り具合を見ても他に誰も手をつけてないぞあれ。
「すまん姫瑠、俺にはこれがどうしても食べ物には見えない。スルーさせてくれ」
「折角、雄真くんの為に一生懸命作ったのに」
 姫瑠はちょっと悲しそうな顔でそう呟く。――だ、駄目だ駄目だ、その台詞でそんな表情されても食べれないものは食べれない! ここは妥協ポイントじゃないぞ俺!
「姫瑠、最初は誰でも失敗するんだ。またチャレンジして、食べられそうならちゃんと食べるから」
「……うん、わかった。じゃあちゃんと出来たら絶対食べてね?」
「ああ、それは約束する」
 姫瑠の表情が戻る。――ふぅ、何とか納得してくれたか。
「それじゃ雄真くん、替わりに私が食べさせてあげる!」
 ――とか思ったら今度は違う方向に流れやがりますよこの人。
「はい、あーん」
「いやいらないからそんなシチュエーション。一人で食べられるから――って待ていお前、何さり気に俺に食わそうとしてるのがお前の牛肉コロッケなんだよ!?」
 姫瑠が「あーん」させようと箸で持っているのは石炭ならぬ牛肉コロッケ。――姫瑠さんは全然納得してませんでした。
 無理矢理俺の口へと運ぼうとする姫瑠の腕を掴み途中で止める。それでも何とか俺に食べさせようとする姫瑠。
「雄真くん、食べてくれたらキスしてあげるから!」
「何の話だよ!? はなっから望んでないよ!!」
 一進一退の攻防が続くかと思われた、その時だった。
「フハハハ、安心するんだ姫瑠、パパはちゃーんと姫瑠のコロッケも食べるからな!」
「あ」「あ」
 ここは姫瑠の好感度アップポイントだと悟った真沢さんが意気揚々と姫瑠のコロッケを口に運ぶ。呆気に取られる声を挙げてしまう俺と姫瑠。
「――はぴれぽるべら!?(バタッ)」
「社長ぉ!?」
 直後、奇声を発して真沢さんはその場に倒れた。――怖い、怖すぎるぞこのコロッケ。
「社長、しっかりして下さい、社長!」
「クリス、気付の魔法だ!」
「ええ!」
 クリスさんの気付の魔法で、真沢さんは何とか目を覚ました。
「う、うーん……」
「大丈夫ですか、社長」
「わ、私は……確か……」
 よかった、大事には至ってないみたいだ。――何て思っていると。
「そうだ、思い出したぞ! 姫瑠のコロッケを食べようとしていたんだ! 安心するんだ姫瑠、パパはちゃーんと姫瑠のコロッケも食べるからな!」
「あ」「あ」
 パクッ。
「――へべりゃかちょりんしょ!?(バタッ)」
「社長ぉ!?」
 …………。
「無限ループ……?」
 人様の親にこんなこと考えるのもあれだが、馬鹿かこの人は。

 そんなこんなで、騒がしい晩御飯はいつまで経っても終わらなかったのだった。


<次回予告>

「もしかして――昨日、光山さんに言われたこと、考えてた?」
「あー、うん、ちょっと」

あらためて開始される日常。
少しの事実と不安を残しつつ、雄真達は普段の生活に戻っていく。

「さてと、それじゃ仕切り直しで、第三回戦の対決の内容をくじ引きで決めたいと思いま〜す。
――折角だから雄真、あんた引いてみる?」
「俺が?」

そして再び開幕、春姫vs姫瑠の五番勝負!
第三回戦の内容とは!?

「ううん、そうじゃなくて……雄真と姫瑠ちゃん、凄い仲良いじゃない、と思って」
「――へ?」

そして、雄真と姫瑠の関係にも変化が――?

次回、「彼と彼女の理想郷」
SCENE 9  「Sweet & bitter princess」

「それじゃ、舞依さん……いえ師匠!! 宜しくお願いします!!」
「おお、任せなさい我が弟子よ!! 目指すはハーレムエンドよ!」
「最初から目的が違え!?」

お楽しみに。


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