「――しっかし、当日になっても何となくピンと来ないな、ダンス対決って」
 姫瑠から春姫との五番勝負の第二回戦がダンス対決だと知らされて数日後、ついにそのダンス対決の当日の朝を迎えていた。
「俺自身は、フォークダンス位だからなあ。しかも文化祭とかそういう学校行事での」
「うーん……雄真くんだけじゃなくて、ほとんどの人がそうなんじゃないかな?」
「だよな……ってそういう春姫はどうなんだ? 結構練習したんだろ?」
 やはり未体験ゾーンだったようで、春姫はここ数日、放課後は俺と行動を共にせず、ダンスの練習に集中していたようだった。――ここぞとばかりに姫瑠にベタベタされまくった数日だった、というのは春姫には言えない。絶対に言えない。
「うん。集中して練習して、一曲だけは物にしたつもり。頑張って踊るから、楽しみにしててね」
「おう」
 元々運動神経もいいし、何に関しても会得が早い春姫。これは本番も期待して良さそうだな。
「あっ、お早う、雄真くん、春姫ちゃん」
「お早う、楓奈ちゃん」
 と、そこへ通りかかったのは楓奈。
「お早う。――楓奈も今登校か」
「うん。――今日、ダンス対決とダンスパーティなんだってね。私、そういうの体験したことないから楽しみ」
 まあそうだろうな。俺達と友達になる前の楓奈の生活を考えればダンスはやったことあるまい。
「春姫ちゃんはダンス、出来るの?」
「ほとんどやったことなかったんだけど、今日の為に練習したの」
「そっか……私もね、図書館でダンスの本、借りて読んでみたんだけど、思ってたよりも全然難しくてびっくりしちゃった」
 そう言って、楓奈が鞄から取り出した本には――
「……『パラパラ入門』?」
「曲のテンポが速くて全然ついていけないの。びっくりしちゃった」
 俺と春姫はつい目を合わせてしまった。――パラパラってあれだよな。一時期流行ったガングロの女の子が不思議な振り付けで踊るやつだよな。
「楓奈、いきなりこれに突入するのは俺どうかと思うぞ……?」
「うん、私も……これはあまり初心者向けじゃないと思うな」
 確かにダンスだけど、何となく楓奈のイメージとは違う気が。
「そうなんだ……小雪さんに勧められて借りてみたんだけど」
「ぶっ」
 あの人か、結局あの人なのか!!
「それじゃ、このもう一冊の小雪さんのオススメも私には難しいのかな?」
 そう言って、更に楓奈が鞄から取り出した本には――
「『チークダンス入門』……っておいいいぃぃぃ!! これは駄目だ、絶対に駄目だ!! 何考えてるんだ小雪さんは!!」
「え、そうなの? さっきの本だけで昨日は終わりにしちゃったから、まだ中身読んでないんだけど」
「読まなくていい! いいか、こんなのを踊った日には楓奈が汚れてしまう!! ダンスとは名ばかりで頭が半分位薄くなった中年サラリーマンが、その、何だ……とにかくセクハラ親父に楓奈は渡さん!!」
「雄真くん……それは大げさなんじゃ」
 楓奈には俺の説明が行き届かないらしく疑問顔だが、春姫には伝わったらしくちょっと呆れ顔。――いやでも楓奈にこれを躍らせるわけにはいかん! 俺は自分が許せなくなる!
「とにかく、小雪さんのオススメはやめたほうがいい」
「そうかも……よかったら、私が使った本、貸してあげようか」
「本当に? そうしようかな、ありがとう春姫ちゃん」
 ふぅ、危うく楓奈がセクハラ親父(具体的に誰かはわからん)に汚されてしまうところだった(触られるだけだけど)。――というよりも、
「小雪さん、俺は連れませんからね!!」
 本人もいないのにツッコミを入れる俺を不思議な顔で見る春姫と楓奈。いやでもあの人のことだ、今頃「クスン。この場にいないのに」とか言ってるに違いない。言っておかないと俺の気が済まないのだ!


彼と彼女の理想郷
SCENE 6  「彼と彼女の理想郷」


「クスン。あの場にいませんでしたのに」
「ええええええ!? 今、今ツッコミ入れるんですかそこ!?」
 今ちなみに放課後。朝の話は小雪さんにはしてないはずなのに――恐ろしいにも程がある。
「大体ですね、何ですかあの楓奈に勧めたっていう本は!! 何がチークダンスですか!」
「雄真さんは、可愛い女性とチークダンス、嬉しくありませんか?」
「そういう話をしてるんじゃありません!!」
 そりゃ嬉しいけ――いやいやいやいや。
「それならさ、私とチークダンス、踊ろう?」
「いや「それならさ」の意味がわからないから!」
 気付けば、俺の傍には姫瑠がやってきていた。
「雄真くんなら、私ちょっと位触られたって全然大丈夫だから、気にしないで」
「気にするから! 俺が気にするから!」
 俺をセクハラ親父にしたいのかこいつは!
「でね、踊ってる最中に、雄真くんが私の耳元で囁くの。――「出ようか」――頬を少し赤く染めながら、ゆっくりと頷く私。二人はこっそり、会場を後にする」
「だから踊ることを前提に話を進めるのは――」
「でも、その様子を神坂さんはしっかりと見ているんですね。――ぐさっ」
 あ、明らかに俺が刺された。――またかおい!! この前も俺春姫に刺される設定だったし!!
「ええい、とにかくキリがないからこの話は終わりだ!!」
 姫瑠一人ならともかく、今のように小雪さんまで一緒になって弄られては手遅れになる可能性もあるし。
「ね、ね、雄真くん、今日の私、どう?」
 と、そこで不意に姫瑠に言われて、何気なくあらためて姫瑠を見てみる。ダンス用なのか、大人な雰囲気なドレス、それに合わせてある花形の髪飾り、更にはそれを止めて表現されていた、いつもとは違う、手の混んだ髪型。
「――あ」
 合わせて冷静な分析の結果、俺は一瞬言葉を無くしてしまった。――綺麗だった。言葉を無くして、見惚れてしまう位に。
「見惚れてしまうのは悪いことじゃないが、言葉に出してやらんと、少なくとも相手には伝わらんぞ」
 と、ほんの一、二秒の沈黙の理由を見抜いたクライスの言葉で、俺はハッとする。
「ばっ、お前、違っ」
「え? 見惚れてた? ホントに?」
「あらあら雄真さん、顔が赤いですよ?――ぐさっ」
「いやどんだけ延長したらそこから俺が刺されるシーンに持ち込めるんですか小雪さん!!」
 俺何か、小雪さんに恨まれることでもしたんだろうか。――いや、そんな話じゃなくて!
「ねえ、実際の所は?」
 と、姫瑠が俺に答えを催促してくる。――ああもう、仕方ない。
「――正直驚いたよ。凄え綺麗。ドレスも似合ってるし」
「ありがと」
 そうお礼を言って、ふわりとした笑顔を浮かべる姫瑠に、ドキリとする。――春姫がいなくて本当に助かった。ダンス対決は春姫が先行らしく、スタンバイに入っているのだ。
 まあでも、あらためて説明するのもあれなんだが――姫瑠はそもそも、可愛いのだ。多分客観的に見れば、春姫にも負けずとも劣らない素質の持ち主だと思う。そんな女の子が、いつもとは違う、大人なドレス姿で登場してきてるんだ。男としてはそりゃ見惚れてしまう……ってのは言い訳なんだろうか。
「ぐさっ」
「百歩譲って前置きを置いてその効果音使って下さい小雪さん!!」
 まるで俺の心を読んだかの如く。――余談だが、この人も黙ってれば相当の美人なんですけどね、ええ。


「それでは皆さん、お待たせ致しました! 只今より、本日のメインイベント、ダンス対決を開催したいと思います!」
 ダンスパーティが開始されて、一時間位経っただろうか。マイクを通して柊の声が会場に響き渡る。会場の注目が、一気に司会進行の柊の言葉に集まる。――ちなみに会場には、俺達の関係者の他に、抽選で選ばれた二十名ほどの一般人が。……倍率は物凄いことになっていたらしいが。
「皆さんには、審査員としてこの企画に参加していただきます。演目終了後、会場に入場の際お渡しした投票用紙にどちらのダンスがよかったか、の記入をして、ステージ中央にあります投票箱にお入れ下さい。より多く票を集めた方の勝利になります!」
 手持ちの投票用紙には二人の名前と、チェック欄がある。よかった方に印をつけて投票か。
「それではステージにご注目下さい! 先行は、我等が瑞穂坂の才女、神坂春姫!」
 歓声と共に、春姫がステージに登場。――スタンバイ前に少し見せてもらったが、贔屓目無しでかなり可愛い衣装だった。その時から期待はしていたけど――
「おおおっ」
 春姫の選曲は、人気の某アイドルグループの有名な一曲だった。テレビで見たことがあるが、振り付け付きのまさにアイドル! な一曲だったが、今まさにそれが神坂春姫ヴァージョンでステージで再現されていた。――ヤバイ。何て言うかもうヤバイ。可愛いと通り越して表現の仕様がない。笑みを絶やさずに踊る春姫は可愛らしさもダンスも完璧で、あらためて惚れてしまう俺がいた。彼氏としてマジで鼻が高い。
 やがて春姫の曲は終了。会場からは溢れんばかりの拍手。春姫は笑顔でペコリ、と頭を下げると、舞台を離れた。
「こりゃ、二回戦も春姫の勝ちかな……」
 姫瑠のダンス経験がどの位だかはわからないが、春姫のダンスは十分に対抗出来るレベルだったと思う。何より可愛かった。(少々腹が立つが)会場の一般の野郎どももその可愛らしさに興奮気味だった。
「続きましては、アメリカから舞い戻ってきた帰国子女、そして小日向雄真の婚約者、真沢姫瑠の登場です!」
 再び会場が歓声に包まれる。――どうでもいいが俺の婚約者っていう説明はいらないだろ、柊。
 姫瑠がステージ中央に立ち、ペコリと頭を下げて、スッとポーズを取る。――瞬間、会場の照明が落とされ、姫瑠の居る辺りにのみ、スポットライトがパッ、と当てられる。
 静かなピアノ伴奏から曲が始まり、数秒後、ギターの音が加わり、少し曲のテンポが上がると、姫瑠は流れるような動作で踊り出した。
「う……わ……」
 俺は、開始されて直ぐにその姫瑠のダンスに魅了されていた。何の曲かはわからないが、その切なげなメロディーと姫瑠はまさに一体化しているようだった。一つ一つの大胆かつ繊細なその動きは、正に「美しい」と称するのに相応しいと思う。以前本人が言っていた、音楽と一つになれる瞬間。見ていても、何となくだがわかる気がした。
 今の姫瑠のダンスは、ただダンス、と表現するだけでは勿体無い。芸術というかなんというか――人を魅了して離さない、そんな魅力に溢れていた。
 やがて、会場の全員の目を捉えていた姫瑠のダンスは、音楽の終わりと共に終わりを告げる。会場に明かりが戻り、ステージの姫瑠は最後のポーズを取ったまま動いていない。
 緊張から解き放たれるように、一つ、二つ、と拍手が始まり――瞬く間に会場は大きな声援と拍手に包まれた。全員、笑顔で大きな拍手を姫瑠に送っていた。まるで、祝福が拍手だけでは足りない――そんな気持ちが、会場に溢れているようだった。
 その拍手の大きさに、最初は唖然としていた姫瑠も、やがて笑顔で答え、何度も何度も頭を下げて、ステージを降りた。
 盛大なる拍手は、いつまでもいつまでも鳴り止まなかったのだった。


「何だかんだで、凄え盛り上がりだったなあ」
 やがてダンスパーティ・ダンス対決終了後。俺はOasisから瑞穂坂学園女子寮までの道のりを、春姫を送っていた。
「春姫も滅茶苦茶可愛かったしな」
「結構恥ずかしかったけど……雄真くんが喜んでくれたなら、頑張ったかいがあったかも」
「あれ一回だけってのは勿体無いな。今度もう一回だけ、もうちょっと近くで見せてくれよ」
「うん。雄真くんだけ、特別なんだからね?」
「わかってる。ありがとな」
 と、いい雰囲気の最中、小声で何かが聞こえてくる。
「我が主の性癖に、コスプレを追加、と」
「うおおいいぃぃぃぃ!! すぐにそういう方向性に繋げるんじゃないよお前!!」
「――ここでお前のもう一押しであの格好で抱かせてくれるかもわからんのに」
「ばっばっお前なあっ!!」
 確かに、いつもとはまた違う興奮が得られて――いや違うぞ俺!!
「でも……結局、一勝一敗になっちゃった」
「……あー」
 投票の結果、ダンス対決に勝ったのは姫瑠。柊の話によれば結構な大差をつけての勝利だったらしい。
「姫瑠さんのダンス……悔しいけど、本当に凄かった」
「だよ、な……経験ある、とは言ってたけどあそこまでとは流石に思わなかった」
 思い出してみても、いつもの姫瑠の明るい雰囲気とはまるで違う大人な哀愁漂う本当に凄いダンスだった。流石の春姫もあれでは勝てない。
「ま、でもまだこれでイーブンだ。次で勝てばいいさ」
「うん、今度は頑張るから。内容決まったら、教えるね」
「おう」
 ――こうして春姫を寮まで送り、再び引き返し、我が家の方向へ。家についたら丁度晩御飯の時間だろうか。上手い具合に腹も空いてきた。
「ばあ」
「ぬおぅ!?」
 ……などと考えながら歩いていたら、突然姫瑠が現れた。お前はロープレのモンスターか。
「かーさんとすももと一緒に帰ったんじゃなかったのかよ?」
「そうなんだけど、やっぱり雄真くんと一緒に帰りたくて、待ち伏せしてた。――私が急に綺麗になったのは雄真くんとこんな風に会ってるからなの」
「――お前も今時の若者がわからないネタを使うのか」
 っていうかアメリカ暮らしだったのに何でそんな曲を知ってるんだろう。
「ね、ね、今日の私のダンス、どうだった?」
 と、姫瑠は俺の顔を覗きこむようにして尋ねてくる。その目には思いっきり期待の色。
「正直驚いた。何ていうかな、格好いいんだけど綺麗っていうか、とにかく凄いと思った。得意って言ってた意味がわかったし、あれなら確かに大差で勝ったのも納得がいく」
「ありがと」
 えへへ、といった感じであからさまに嬉しそうな顔をする。そして。
「――ねえ、雄真くん」
「うん?」
 呼びかけられたのでふっと横を向くと、姫瑠の表情は、とても穏やかなものになっていた。どうしたのかな、と思っていると、
「ありがとう、ね」
 再び、お礼を言われた。
「何度もいいよ、お礼言わなくて。姫瑠のダンスが凄いって思ったのはお世辞じゃないし」
「ううん、そのことじゃないの」
「……へ?」
 そのことじゃ、ない?
「私を、小日向家に迎え入れてくれて、どうもありがとう」
「――どういう、意味だよ。それこそ何を今更」
「ホントはね。ホントのことを言えば――不安で仕方がなかったの。初めて小日向家を尋ねた日。もしかしたら、何だコイツ、って白い目で見られるかもしれない。雄真くんだけじゃない、音羽さんやすももちゃんだって。確かに雄真くんのお父様から大丈夫、って言われてたけど……それでもね、不安で仕方なかった」
「…………」
 なんとなく、俺は黙って姫瑠の言葉に耳を傾けることにした。
「ダンスもね、人に見せるの、初めてだったの」
「え……?」
「習い事、色々したことあったけど、ダンスだけは自分で始めて、誰にも教わらないで、ただ自分の為にずっとやってた。やればやるほど、覚えれば覚えるほど、踊れば踊るほど、そこに自分の意思がある、そんな気がして。だから、今日踊り終わって、みんなが拍手くれた時、私自身が認められた気がして、本当に嬉しかった」
 姫瑠の口調は、今までにないほど、落ち着いた口調だった。
「私はね。ずっと、一人ぼっちだった」
「――ああ」
 思い当たる節がある。日曜日、いくつかのキーワードから、なんとなくそんな気がしてた。
「四歳の時アメリカに行って、六歳の時にママが病気で亡くなって、パパは仕事に打ち込むようになった。パパの会社はあっと言う間に大きくなって、私はお金持ちのお嬢さんになった。お金に不自由しなくなった代わりに――それ以外のものは、何も手に入らなくなったの」
「どういう……意味?」
「近所の家からしたら、私は別世界の生き物。私は一緒に遊びたくても、向こうは遠巻きに私を見るだけ」
「金持ちの子供だったから、警戒されてた、ってことか?」
「うん。小さい頃だけじゃない。学校へ行ってもそうだったし……っていうより、日本に戻ってくるまではずっとそうだった」
「友達……一人もいなかったのか」
「一人だけいたよ。パパの会社の人の娘さんでね。でも、頻繁には会えなかった。一年の間に、数えられる程度。――それ以外はずっと一人だった」
 父親は仕事のみ、唯一の友人も数えられる程度って、親戚の従兄弟並か……しかもそれ以外は一人……
「私、ずっと憧れてたの。朝起きて、家族にお早うって言って、皆で笑顔で朝ご飯食べて、学校行って、友達と一緒に勉強したりお喋りしたり、時には喧嘩してみたり。学校終わって友達と遊んだり、家に帰ってお母さんの手伝いしたり、今日あったことを話したり。そして……男の子に、恋してみたり。そんな普通の、極有り触れた、歳相応の生活が、私の憧れの世界――理想郷だったの」
「姫瑠は……その憧れを叶える為に、日本に戻って来たのか」
「うん……雄真くんと、笑って遊んでいたあの頃の私を、取り戻したくて」
 俺や俺の友達が当たり前のように過ごしている毎日が、姫瑠の憧れだった。そんな些細な幸せを求めて、姫瑠は日本へやって来た。幼い頃友人だった、俺だけを頼りに。そして俺やみんなにダンスを――自分自身を証明出来るものだと信じていたものを通じて認めてもらった今、こうして俺に本当のことを言う気になったんだろう。
 一人でいることの寂しさを抱え、当たり前の人の温もりを求めている、儚げな少女。――それが姫瑠の、本当の姿だったんだ。
「雄真くん。――私を、小日向家に迎え入れてくれて、ありがとう」
 そう言って、穏やかに笑う姫瑠の、
「……っ」
 目から、ゆっくりと涙が零れ落ちていた。――本人も気付いたらしく、一生懸命手で拭うが、その量は、少しずつ確実に増えていく。
「あれ……? あ、はは、なんでだろ……ごめん、ごめんね雄真くん……こんなの、私らしくないよ、ね? 雄真くんが知ってる、私じゃないよね」
 俺が知ってる姫瑠、か。
「――姫瑠らしいとかそうじゃないとか、よくわからないけど」
「……え?」
「笑ってる姫瑠も、春姫と喧嘩する姫瑠も、俺をからかう姫瑠も、泣いてる姫瑠も――姫瑠は姫瑠だろ。少なくとも、俺はそう思う」
 むしろ、こうしている今、始めて姫瑠のことをしっかりと見た気がしている。姫瑠は普通の女の子だ。笑って泣いて。敬遠される理由なんて、一人ぼっちにならなきゃいけない理由なんて、何処にもない。
「だから、泣きたい時は泣けばいい。我慢なんて、するなよ」
「雄真、くん……雄真くんっ!」
 どんっ。
「――っと」
 姫瑠が俺に抱きついてくる。でもそれは、いつものわざとらしい愛情表現じゃなくて。ただ俺の、存在を確かめたいだけであって。温もりにすがりたいだけであって。――そんなだから、いつもみたいに引き剥がすわけにはいかなくて。
「なあ、姫瑠。――今のお前にしてみれば、辛い言葉かもしれないけど」
「え……?」
 俺は抱きついたままの姫瑠の、背中をポンポン、と叩きながら続ける。
「たとえ最後、俺が姫瑠を選ばなくて、春姫を選んだとしても――姫瑠が望んでくれるなら、俺は姫瑠の友達でいられるから」
「!!」
「俺だけじゃない。かーさんだって、すももだって、柊だって準だって、みんなだって。それに……きっと春姫だって、お前が望んでくれるなら、ずっと友達でいられるよ。だからさ、もう一人ぼっちだなんて言わないでくれよ。一人ぼっちだなんて思うなよ。俺達は、お前の友達は、お前の傍に絶対にいるから」
 姫瑠が望む、有り触れた、それでいて姫瑠が手に入れられなかった世界。俺達なら、きっと姫瑠の理想郷が作れるはず。
 だって、姫瑠が望んだ有り触れた世界は、理想郷は――きっと俺の理想郷でもあるから。
「雄真くん……ありがと、ありがと……ごめんね……ありがとうっ……」
 それからしばらく、姫瑠は俺に抱きついたまま、ありがとうとごめんねを言い続けていた。


<次回予告>

「雄真、昨日姫瑠ちゃんと何かあった?」
「何かあった……って、どういう意味だ?」

何も変わらないはずの日常。
今日も明日も、またいつもと同じように過ごしていけると思っていた。なのに――

「雄真、台詞を間違えるなよ? 春姫が来たら、「俺も今来たとこ」って言うんだぞ?」
「――そこまで無理してベタベタな展開を作り上げる必要性もない気がするぞ俺」

互いに自らの道を信じ進み続ける二人。
交わることの無いはずの道は、それでもその距離をいつしか縮めていく。

「……姫瑠、か」

直面する想い。
雄真はその時、姫瑠に何を想うのか?

次回、「彼と彼女の理想郷」
SCENE 7  「Little love cofession」

「何時まで経っても、一人じゃ何も出来ない、弱くて、情けないマスターで、本当にごめん」
「……私に言いたいのは、謝罪だけか?」

お楽しみに。


NEXT (Scene 7)

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