時刻は、間もなく深夜を迎えようとしていた。場所はとある寂れた田舎の街の、あまり整備も行き届いてない道路。そこを走る一台の車。そして――
「――はぁ」
 ――もれる一つのため息。もっとも、
「――そうやって、隣でため息ばっかつくのやめてくれない? 運転してるこっちの気が滅入ってくるから」
 何ももれたため息はそれ一回だけ、というわけではなかった。ため息をついたのは助手席に座っている方で、ツッコミを入れたのは運転をしている方。
「そりゃため息も出るってもんだぜ。何だよこの任務? わざわざ俺達が出向いてまでやるような仕事かぁ? こっちの余ってる人間総動員でやれば直ぐだろ、直ぐ!」
「社長直々の命令じゃない。公にしたくない、今回の任務はあくまで内密に、って」
「内密なのはわからねえでもないが、わざわざ俺達ナンバーズを引っ張り出すことはなくない?」
「心配性なのよ」
「……心配性ねえ」
 助手席の方の人間が、狭い車内で無理矢理体をほぐし、頬杖をつく。
「ちょっとタカ、休んでないで早く直してよカーナビ! それないと現在地すらわからないんだから!」
「へいへい。――しかしついてねえな、普通いきなりカーナビ壊れるか?」
 タカ、と呼ばれた助手席の男――本名を瀬良 孝之(せら たかゆき)と言った――が、そう促され、面倒そうな顔で再び自らのももの上に放置しようとしていた壊れたカーナビの修復作業を再会する。
「せめてもうちょっと都会で壊れてくれたら、場所でも何でもわかったのにね」
「まったくだ。――真夜中の人家の少ない田舎道。不気味で仕方ねえ」
「あら、不便かもしれないけど私はこういう雰囲気好きよ? ほら、ああいう瓦屋根の家とか、田んぼの案山子とか、見てていいなあ、って思わない? 日本って感じがして! 日本の田舎っていいわよね。タカもそう思うでしょ?」
「思わねえよ……前々から思ってたけど、クリスお前、本当にアメリカ人か?」
 クリス、と呼ばれた運転席の女――本名をクリスティア=ローラルドと言った――が、心外、といった顔になる。
「アメリカ人よ。生まれも育ちも国籍も」
「……何で?」
「パパとママがアメリカ人だからに決まってるじゃない」
「いや、まあ、そりゃそうなんだけどさ。日本語、イントネーションとか丁寧語と尊敬語の区別とか完璧だしさ、箸の使い方とか滅茶苦茶綺麗だしさ、えーと、好きな歴史上の人物……誰って言ってたっけ……」
「山県昌景」
「――誰だよそれ」
「前も説明したじゃない。武田二十四将の一人。赤備え隊を率いた武将」
「いや、だから……いいや、何でもない」
 途中で止めたのは「武田二十四将って何だよ」とツッコミを入れようとしたがそれに関して説明されて起きていられる自信がタカにはなかったのである。
「私から言わせたら、タカが日本人のクセに日本について興味なさ過ぎるのよ。この前だって――」
「よーし、こんなもんだろ! 直ったぜカーナビ!」
 これは長くなる、そう感じたタカはクリスの話を強引に終わらせる。その明らかなる行為はクリスにも当然伝わったのだが、本来の目的であるカーナビの修理が終わった、ということなので軽くため息をつくだけにしておいた。
「見てろよ……スイッチオン!」
 コードが繋がったカーナビは、数秒後見事モニターに映像を映し出した。
「お……おおお!!」
「へえ、やるじゃないタカ!」
「ふはははは、どうよどうよ! やれば出来る男だぜ俺は!」
 数秒後、ピー、という案内直前の合図の音がする。
「さあカーナビよ、俺達を導いてくれ! 俺達が進むべき道は――」
『次の交差点で――落下』
「そうそうそう、あの交差点には秘密の落とし穴が……あるわけねええぇぇぇぇ!! 俺達の目的地は大魔境かよ!?」
 ブツッ。――半ば強引にタカはコードを抜く。――運転しているクリスは呆れ顔。
「――そんなことだろうと思った」
「畜生……何のジョークソフトだよこれ……! ああもうやめたやめた! とりあえず進んでりゃいつかは都会に出るだろ! そこでカーナビ位買えば――」
「駄目よ。言われたでしょ、この任務は極秘。あくまで支給された物のみで任務を遂行しなくちゃいけない。それが私達の掟」
「……くっそ」
 舌打ちしながら、タカは再びカーナビの修復作業を開始する。
「修理とかそういうの、隊長なら得意かもね」
「あー、あの人なら何でも出来そうだな。――ってそういえば」
「? 何?」
「ウチのリーダーは止めなかったのか? 俺達の派遣。リーダーが駄目って言ったら社長も無理なんじゃねえの?」
「そうね、きっと隊長が駄目って言ったら派遣なんてされなかったでしょうね。でも現に私達は派遣されている。つまり――」
「リーダーの許可は下りてるってことか。――何でだ?」
「……心配性、なんでしょう。あの人も」
「…………」
 訪れる沈黙。お互い、車の運転、カーナビの修理と手は動いていたが、少しだけ重い、何か嫌な沈黙だった。
「――よーし、今度こそ完璧!」
 その沈黙を破ったのはタカだった。再びカーナビを車に繋げ、電源を入れる。数秒後、モニターに映像が映る。
「ここまでは完璧なんだ。次なんだ、問題は」
 緊張の面持ちで見守っていると、再びピー、という案内直前の合図。そして……
『次の小惑星を、右です』
「いつからこの車は宇宙船になったんだよ馬鹿野郎!!」
 ブツッ。
「……状況が状況だったら楽しめたのにね、そのカーナビ」
「畜生……」
 だがそれでも諦められないようで、タカは再びカーナビの修理を始めた。
「――でもさ、俺思ったんだけど」
 始めて数分後、タカが口を開く。
「何?」
「もしもさ、カーナビが直ったとする。現在地が判明したとして……結局俺達、どの辺りに行けばいいわけ?」
「それは……ほら、見つかりそうな所」
「この日本、全部からか?」
「うん……そういう、任務だから」
 …………。
「はぁ……」「はぁ……」
 同時に出たため息は、車内の空気を益々重くするのであった。


彼と彼女の理想郷
SCENE 1  「I wanna be your princess!!」


「はぁ……」
 ため息が止まらない。一体何だったんだろう先ほどまでの出来事は。何か俺悪いことでもしたんだろうか。
「私個人としては、嘘でもいいから『僕も探していたよ、マイハニー』とか言いながら抱き返して欲しかったんだが?」
「……悪い、ツッコミを入れる気力もない」
 重い足取りで、俺は我が家へとトボトボと向かっていた。

 ――Oasisで、謎の美少女に抱きしめられてからのわずか十数分で、俺はエネルギーのほぼ全てを使い切ってしまっていた。
 感激の余り中々抱きついたまま離れてくれないその彼女を引き剥がすのに一苦労、俺自身彼女のことはまったくもって見覚えがないので人違いの可能性が高い、一度交番を訪ねてちゃんと小日向さんの家を訪ねてみるべきだ、と説得するのに一苦労。更に交番の場所を教え、見送った後春姫に本気で彼女のことは知らない、何の関係もない、と説明するのに十苦労(日本語として変だが、何となく俺がどれだけ苦労したかを感じて欲しい)。
 何とか春姫に納得してもらい、寮まで送り、現在俺一人の帰り道に至る。

「――真面目な話、本当に覚えてないのか? 相手は確かに「小日向雄真」と言ってたぞ。この辺りにお前の家以外に小日向家があったとしても、小日向雄真がもう一人いる可能性は著しく低いぞ?」
 ちょっとだけ真面目な雰囲気になったクライスがそう尋ねてくる。確かにクライスの言う通りではある。
「でも、実際全然なんだよ……」
「記憶に無い、か。――酔った勢いで抱いたからとかそんな理由じゃあるまいな?」
「違ぇ!?」
 そんなに俺を女たらしにしたいのかこいつは。
「ふむ……確かあの女、四歳の時にアメリカへ渡ったと言ってたな……つまりお前が会っていたと仮定すると、お前もその位の年齢だったわけだから……雄真が子供の頃……いや、まさかな……だが……」
 なんだかブツブツ後ろで言ってるけどもういいや、とりあえず今日は飯食べて風呂入って速攻で寝よう。こういう日は寝てしまうに限る。
「……ただいま」
 見慣れた小日向家の玄関のドアを開けると、
「あ、おかえりなさーい」
 リビングから聞こえてくる出迎えの挨拶。――ああ、平和っていいなあ。
「? どうかしたんですか、随分疲れてるみたいですけど」
「あー、ちょっと色々あってさ。あまり思い出したくも無い」
「そうですか……とりあえず、お茶淹れてきますから、待ってて下さいね」
「うん、サンキュ」
 パタパタ、と台所へ向かう足音を聞きながら、俺はソファーに体を放りなげるようにドカッと座った。
「えーと……あの、お茶っ葉ってどの辺りにあるんでしょう?」
「どの辺りって……いつもと同じだよ。冷蔵庫の隣の棚」
「冷蔵庫の隣の棚、っと……あ、あったあった!」
 そういえば――落ち着いて考えてみると、我が家で現実逃避してる場合じゃないかもな。他の人達にも一応報告しておかないと、何時何処であの子と遭遇して変なことを言われて何かを勘違いされちゃ困る。そりゃ春姫程説得に大変ってことはないだろうけど、例えば小雪さん辺りの耳に入ると知らない間に学園中に知れ渡ってました、とかありそうだからな……
「ただいまー」
「おう、お帰りすもも」
 おっ、丁度いい。まずはすももに――
「――って、あれ?」
 すもも、に? あれ? すももは今俺にお茶を淹れてくれてなかったか?
「兄さん、今日は早かったんですね」
 俺にお茶を淹れてくれていたはずのすももが、制服姿で玄関から入ってくる。
「お前……すもも、か?」
「はい、すももですよ」
「今、帰ってきた?」
「ええ、今日は伊吹ちゃんとお買い物の約束があったんです」
 どういうことだ? すももは今帰ってきた? それなら、今お茶を淹れてくれているすももは――すもも?
「…………」
 すもも……だったか? お茶を淹れてくれてるのは本当にすももだったか? そういえば、疲れて投げやりな感じでソファーに座っちゃったから、確認してない気がする。雰囲気だけですももって決め付けた気もする。冷静に考えれば、すももがお茶っ葉の位置がわからない、なんてのはありえない。いや、でも……
「あの……どうしたんですか兄さん? 何処か体の調子でも悪いんですか?」
 俺の様子がおかしいことに気付いたすももが途端に心配そうな顔で俺の顔を覗きこんでくる。
「いや……体の調子は特別悪いわけじゃないんだけど……」
 そう、体の調子は悪いわけじゃないのに――何故か汗が背中を流れていた。まさか……まさか……!
「あのっ」
 そして、俺の真正面にすももがいるにも関わらず、
「おかげさまでお茶っ葉は見つかったんですけど、その、ついでにきゅうすの場所も教えてもらえませんか?」
「…………」
 その声は――俺の後ろから聞こえてきた。
「? 兄さんのお友達の方、ですか?」
「見えるのか……すももに見えるってことは、少なからず幽霊とかではないのか……」
 ならば――結論は一つだけだ!
「兄さん? ですから、後ろの方はどなた――」
「いやいや、今日の俺とすももはうっかりさんだなあ! 帰ってくる家を間違えるなんて!」
 そう。この家は、俺が帰るべき小日向家じゃないんだ!
「というわけで、俺の後ろの見知らぬ方よ、我々は帰ってくる家を間違えたのです。失礼致しました。それでは!」
「え? え? に、兄さん!?」
 そして俺はすももの手を取って、玄関に――
「あら、騒がしいと思ったら雄真くんにすももちゃん、おかえりなさい」
 ――行こうとした所で、更に俺を現実が襲った。後ろからかーさんの声がする。
「あ、お母さん。ただいまです。それで、この方は――」
「二人が帰ってくるのを待ってたのよ〜 さ、さ、リビングでおやつを食べながら自己紹介といきましょう」
「かーさんまで認識してる……我が家の……客人なのか……」
 ガクッ、と俺は膝をついてしまう。
「さっきから兄さん、一体どうしたんですか? ちょっと様子が変ですよ?」
「きっと私に再会出来たのが嬉しいんじゃないでしょうか?」
「うふふっ、そうかも! 雄真くんの照・れ・屋・さん♪」
 …………。
「――選択肢一、すももが魔法に目覚めて所有しているワンドが喋っている、選択肢二、かーさんのスタンドだ、選択肢三、よく出来た留守番電話。――神よ、俺にこの中から選ばせてくれ!」
「選択肢四、先ほど出合った行きずりの女だ」
「イヤーーー!! それだけは俺イヤーーー!!」
 というか行きずりじゃねえよクライス!!


「えっと、それじゃ――初めまして、小日向家の皆さん。真沢姫瑠(まさわ ひめる)と言います」
 リビングで始まってしまった、紅茶とケーキを囲んでの歓迎会。彼女の挨拶に、かーさんとすももは笑顔で拍手。――というか、
「かーさん……要説明」
 俺としては一体彼女が何者で何故我が家へやってきているのか、説明してもらわないと歓迎は出来ない。
「姫瑠ちゃんはね、四歳まで日本で暮らしてたんだけど――」
「ああ、その辺りは偶然にも知ってるから、要はどうしてアメリカからこっちへ来て、我が家へやってきてるのか」
「だって……やっぱり婚約するからには、ちゃんとお互いのことを知ってないと、って思って。一緒に暮らして、始めてお互いをパートナーと認識して、それで一緒になるんじゃないですか。それで私単身こっちへ来たんです」
「…………」
 何だかよくわからない単語が飛び交ってるぞ……?
「婚約?」
「はい」
「誰が?」
「私が」
「誰と?」
「小日向雄真さんと」
「ふーん、それでわざわざ日本にね」
 俺と婚約ねえ。俺と婚約。俺と……婚約。俺と……婚約!?
「って、えええええええええ!?」「って、えええええええええ!?」
 何も知らない俺とすももは同時に驚きの叫びを上げる。相変わらず愛称バッチリ――ってそうじゃない!!
「何それ!? 俺何も知らないよ!?」
「そ、そうですよ!! いきなり現れて婚約って、そんなのどう考えたって変です!」
 動揺する俺とすももを前にしても、俺の自称婚約者は落ち着いていた。
「あの――雄真さん、本当に私のこと、覚えてませんか?」
「……え?」
「私達、あのファミレスが初対面じゃないんですよ?」
 あの助けたのが……初めてじゃ、ない?
「言いましたよね? 私、四歳まで日本にいたって。私、小さい頃は友達が出来なくて一人でずっと遊んでたんだけど、初めて友達になってくれたのが、雄真さんだったんです」
「俺が……?」
「はい。――その時、私をお嫁さんに貰ってくれるって」
「ぶっ」
 ベタな!! 何だこのベタな展開!? ありがち過ぎて怪しすぎるよ!!
「兄さん……その頃から色々な女の子に手を出してたんですね……」
「違うよ! っていうか「その頃から」って何!?」
 すももは俺をそんな目で見てたのか!?
「――だがな雄真、あながち嘘とも言い切れんぞ」
「クライス……?」
「私自身もうろ覚えなのだが――雄真の友人に「姫瑠」という少女がいたのは何となく記憶している」
「えっ……何で、クライスが?」
「落ち着いて考えみろ。三、四歳ならまだお前は鈴莉と暮らしていたはずだろう。つまり――」
「クライスとも、一緒に暮らしてた?」
「そういうことだ。それで私がその名前に聞き覚えがあるんだ。結婚の約束をしたかどうかはともかく、彼女がお前の幼馴染であったことは十中八九間違いない」
 クライスに真面目な雰囲気で言われてしまうと、流石に事実であることを認めざるを得ない。
「まさか、その子供の頃の約束があったから来たわけ……?」
「まさか、私もそこまで子供じゃないです。小さい頃の約束だけで押しかける、なんて相手のご家族の方にご迷惑じゃないですか」
「なら――」
「雄真さんの、お父様――大義さんとお会いする機会があったんです」
「父さんと……?」
「はい、アメリカへ出張でいらして」
 そんなにワールドワイドな仕事だったのか、父さんの仕事は。
「久々に会って、ついお話が弾んでしまって、当然雄真さんの話にもなって。私の話も色々聞いて下さって、それで日本へ招待して下さって。――あ、これ、雄真さん宛へのお手紙です。雄真さんのお父様からの」
 そう言って彼女は俺に一枚の便箋を手渡してきた。開けてみると、そこには――

『据え膳食わぬは男の以下略 パパより』

「うおおおおいいぃぃぃぃ!! なんじゃこの手紙ぃ!!」
 いつから俺の父さんはこんなエロ親父に!?
「ふむ、さすがお前の父親だな。――私とも気が合う」
「確かに合いそうだけどな今そんなこと冷静に分析されてもだな!」
「あの……これどういう意味なんですか?」
「ふふっ、すももちゃん、これはね〜?」
「教えるなー!! 知らなくていい、すももは知らなくていい!!」
 っていうかこの手紙手渡されて俺にどうしろと!?
「――というわけで、こちらもどうぞ」
 と、そこで更にもう一通の手紙が。
「一通りリアクションを楽しんだら渡しなさい、って、二通くれたんです」
「…………」
 何故俺は海外にいる人間に遠距離で弄られなきゃならんのだ。――渋々二通目の手紙を受け取り、開けて見る。

『息子、雄真へ。しばらく会っていないが元気にしているだろうか。
 きっと鈍感なお前のことだ、女の子に縁がない生活を今でも送っていることだと思う。
 だから私は父親として、お前にチャンスをあげようと思う。
 この手紙を読んでいるということは、姫瑠ちゃんとも再会しているし、ある程度の話は聞いたはずだ。
 彼女を、お前の婚約者として認定した。勿論姫瑠ちゃんも同意してくれている。
 しばらくの間、一緒に暮らしてみるんだ。女性というものを知るいい機会だ。
 姫瑠ちゃんはとてもいい娘さんだ。顔も可愛いし、きっとお前も気に入ることだろう。
 実際に籍を入れるかどうかの判断はお前達に任せるが、少なくとも父さんは大賛成だ。
 しばらくの間、姫瑠ちゃんを宜しくな。 父より』

「……つまり、あれ? 婚約者として、しばらくこの家で暮らす、ってこと?」
「はい」
 間髪入れず返事をされる。――言いたいことは多々あるが……落ち着いて、一つ一つ冷静に対処していかないととんでもないことになりそうだ。
「かーさん、父さんに春姫のことって伝えてないの?」
「うーん、伝えたんだけど、「俺に気を使わなくていい!」って言って、信じてもらえなかったのよね〜」
 そんなに俺、親の目から見て女っ気がないんだろうか。遠回しに春姫にも失礼な気がしてきた。
「えっと、それじゃ……真沢さん」
「あっ、その……それなんだけど」
「それ……って?」
「私の名前。――お互い素性もわかったところで、出来れば昔みたいに呼び合いたいなあ、って」
「昔みたいに……って、まさか俺」
「私は名前で呼び捨て、そのまま姫瑠。私は、雄真くん、って呼んでました。だから、それで」
「いやでも、昔は昔で、今は――」
「姫瑠、と雄真くん」
「もう十年以上前の話で――」
「姫瑠と雄真くん」
「だから――」
「じゃあ、妥協して今時風に「姫ちゃん」」
「駄目っ!! それだけはダウト!! 絶対無理っ!! 妥協じゃなくてハードル上がってるから!!」
 ナチュラルに俺に死ねと言ってますよこの人!?
「よくわからないけど……だったら、姫瑠と雄真くん」
「う……」
 こ、これは呼ばないと本当に話が進まなさそうだ……仕方がないか……
「えーと……姫瑠」
「うん、雄真くん」
 はあ、と俺は小さくため息をつく。女の子の名前を呼び捨てで呼ぶのがこれほど嫌だと感じたのは久々だ。
「姫瑠は、そんな簡単に俺の婚約者ー、とか、そんなノリでいいの? いくら俺達昔幼馴染だったからって、逆にいえばそれは昔の話だろ? 十数年経てば色々お互い変わるだろうし」
「だから、それを確かめたいの」
「確かめたい……?」
「私の中の雄真くんは、あの日、私と一緒に遊んで、お嫁さんに貰ってくれるって言ってくれた雄真くんのままなの。夢を私にくれた雄真くんのままなの。もし現実の、今の雄真くんが違ってるならば、それはそれで諦めがつく。でもそれを確かめないことには、私はもう後にも先にも進めない」
「…………」
 何処まで本当だかわからないけど、そう言われてしまうと――何とも言えなくなってしまう。
「で、でも、昔はともかく、今の兄さんには素敵な彼女さんがもういるんです! 確かに、小さい頃の兄さんの女たらしな態度が原因と言えば原因ですから、兄さんは土下座でも何でもするべきかもしれません。でもやっぱり、婚約とか今更そんなこと言われても……」
 俺の妹であり、そして俺の彼女――春姫の親友の一人であるすももが、俺達のことを考えた上でそう姫瑠に呈す。――さり気なく俺が土下座の方向に向かいかけてるのはこの際目を瞑ろう、うん。
「……すもも、ちゃん」
 だが――姫瑠はそのすもものコメントを聞くと、すももの方を向いて、目をキラキラさせて――
「え……え? あ、あの?」
 すももの前まで行き、しゃがみ、すももの手をガシッと両手で包むように握り締めた。動揺を隠せないすもも。そして――
「大義さんから伺ってはいたけど――お話通りの、素敵な妹さん。お兄さん想いで優しくて。勿論可愛くて」
「素敵な、妹さん……わたしが、ですか?」
「うん。――ねえすももちゃん、私、すももちゃんとお友達になりたい」
「お友達……」
 ちょっと険しかったすももの表情が、段々と緩んできていた。――これは、このパターンは。
「雄真くん云々抜きで、すももちゃんとはお友達になりたい。だってこんな素敵な女の子、滅多に出会えるものじゃない。雄真くんと婚約出来ない結果になったとしても、すももちゃんとは仲良くしたい。お友達になりたいの。――駄目、かな?」
 『お友達』。多分姫瑠は知らないで使ってるんだろうけど、すももを落とすにはかなり有効なキーワードの一つ。あんな真正面から、あんな風に言われたら、すももは――
「――そうですね。兄さんのことを抜きにするなら、わたしも姫瑠さんとお友達になりたいです」
 落ちた。陥落だ。何て単純なんだ我が妹よ。
「いい……の? 友達に、なってくれるの?」
「はい♪ これから、宜しくお願いしますね」
「すももちゃん……ありがとう、すももちゃんっ!」
「え?――あ、ひゃわっ!」
 感激したようで、姫瑠はガバッとすももに抱きついた。――アメリカ暮らしだったみたいだから、オーバーリアクションなのかも。
「――それで? 雄真くんはどうする? 雄真くんがどうしても駄目、って言うなら、かーさんも考え直すわ」
「う……」
 とそこで、かーさんから結論を迫られた。
「雄真くん……お願い。小日向家に――雄真くんの学校の、三学期が終わるまででいいから、いさせて下さい。私に、頑張るチャンスを下さい」
 続いて、すももの抱擁を解き、今度は俺の方へと近付いてくる姫瑠。
「姫瑠さんの、兄さんへの恋はわたし応援出来ないですけど……でも、姫瑠さんの頑張り、蔑ろにはして欲しくありません、兄さん」
 更に、お友達のキーワード一つでかなり姫瑠に傾いてしまったすもも。――いつの間にか孤立無援の俺。
「――雄真、いいじゃないか」
「クライス……?」
 そして、宥めるようなクライスの言葉は――
「男は――必ずしも一途であればいいってものじゃないさ」
「うおおおおいいぃぃぃ!! 俺に何をさせたいよお前!? 一途じゃなきゃ駄目だろ!?」
 ――ハーレムエンドを促してました。本当に主に仕えるワンドの台詞かよこれが。
「…………」
 でも、真面目な話――ここまで真剣に言われてしまうと、俺としても考えてしまう。
「……三学期が、終わるまで――後一ヶ月。本当に、それで大丈夫?」
「うん。それで駄目だったら、諦めてアメリカに帰る」
 まっすぐな瞳は、揺るがない気持ちを俺に伝えてきている。――仕方が無い、か。
「……わかった。その約束が守れるなら、いいよ」
「本当……?」
「うん。俺自身は記憶にないけど、実際に子供の頃の俺がそう言ったなら、確かにこの位はすべきだと思うし。何より俺は今彼女がいて、その子のこと大切に想ってるから、君が望むような結末には多分たどり着かないと思う。それでも構わないって言うなら、三学期が終わるまではウチにいてもいい」
「雄真くん……雄真くん……っ!」
 俺がそう言い切ると、姫瑠は再び目をキラキラとさせ――
「ありがとう、雄真くんっ!!」
 ガバッ、と俺に抱きついてきた。
「――って、何でもかんでもいちいち抱きついてこないでくれえ!!」
 そんなにモロに抱きつかれると、軟らかい感触だとか、いい匂いだとか――ってそうじゃなくて!!
「キース、キース、キース、キース」
「そこでキスコールとかするなああぁぁぁぁ!! しないから絶対に!! 本当に何なんだお前は!?」
 間違っても、主に仕えるワンドの台詞じゃない!!

 ――こうして、期間限定で、居候婚約者との同居生活が、始まることになったのだった。トホホ。


<次回予告>

「不束者ですが、どうぞ宜しくお願い申しあげます」

戸惑う雄真の精神を他所に、
不本意ながらも開始された婚約者との同棲生活。

「アメリカー!? どいつもこいつもアメリカから舞い戻って来やがってー!!」

片手に姫瑠、片手に春姫。
両手に花ならぬ両手に姫となった雄真。

「まあ、我が主が望むのならば、パトラッシュに改名しても構わんが」

果たして、彼に待ち受けている運命とは一体!?

次回、「彼と彼女の理想郷」
SCENE 2  「両手に姫、心に涙」

「やめるのだ皆の者!! 雄真殿はそのような不埒な男ではない!!」

お楽しみに。


NEXT (Scene 2)

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