「俺、魔法科へ編入することにしたんだ」
 そう告げられたのは、もういつのことだったか。思えば……俺は多分、この時から心の何処かで、憧れを持っていたのかもしれねえ。
「何ィ!? 講師も生徒も美人揃いの魔法科へ編入だとぉ!? 何をしたんだ雄真〜!! 金か!? 金を払ったのか!?」
「正当な方法だ馬鹿野郎! この前説明しただろうが、俺は魔法科講師・御薙先生の子供で元々魔法使い! 使ってなかっただけで基本魔法は使えるんだよ!!」
 まあ正直、美人に囲まれる生活が羨ましかったのは本当だ。姫ちゃんや杏璃ちゃん、沙耶ちゃんを筆頭に、他のクラスにも可愛い子は結構いたしな。
「でもよ、何で今更になって魔法科へ行くんだ? 行きたかったならもっと早くに――」
「馬鹿ねハチ、春姫ちゃんがいるからにきまってるじゃない。――「雄真くん、私魔法科校舎が直っても、雄真くんと一緒に勉強したいな……」「春姫……春姫が居るところならたとえ地獄でもついていくさ!」「雄真くん……嬉しい!」」
「んなやり取りするか!」
「でも、似たようなやり取りはちょっとありました、って顔に出てるわよ?」
「う……うるせえな!」
 準のツッコミにあからさまに雄真は動揺していた。――姫ちゃんか。本当にラブラブなんだよな……雄真と姫ちゃんがラブラブ……
「許さん! 俺は許さんぞ雄真! 姫ちゃんとのラブラブというものがありながら魔法科へ編入してハーレムを満喫しようなど、この俺が許さぁぁぁん!!」
「だから俺はハーレムを堪能する為に魔法科へ行くんじゃねえ!!」
「そうなると、やっぱり春姫ちゃんのためなんじゃない」
「お前らその二択以外の選択肢を作りやがれ!!」
「雄真……俺も、俺も連れてってくれぇ〜〜!! 一人でいい、恵んでくれ〜!!」
「無茶言うな!! 離せ馬鹿野郎!! 魔法科を何だと思ってるんだ!!」
「ほらハチ、もう離れないと雄真が春姫ちゃんとの待ち合わせに遅れちゃうわよ」
「くぁ〜〜〜っ!! デートか!! デートなんだろう!! 若い二人がバンバン!」
「やめい、何だその表現は!! ああそうだよ、これから春姫と会うんだよ!! だから今日はこれまでだ!! じゃあな!!」
 俺の制止を振り払い、逃げるように走っていく雄真。――姫ちゃんとのデート、か。
 『羨ましい』――確かな感情ではあった。あいつの魔法科編入は、羨ましい。俺だってそんな世界に飛び込んでウハウハしてみてえ。
 でも、本当に羨ましかったのは――


ハチと月の魔法使い
SCENE 7  「光に包まれし想い


 不思議な光景だった。一瞬、我を忘れていた。
 そしてどうやら、それは俺だけじゃないらしい。俺の仲間たちはもちろん、その仲間たちに襲い掛かっていた奴らも、その光景に目を奪われていた。
 後枢の放った魔法。奴から放たれた魔法は光となってハチを優しく包んでいるように見えた。動かなきゃいけない。わかっていても、何故か足は動かない。不思議な空気が、満月の間を包み込んでいた。
 やがて、少しずつ光が収まってくる。同時に見えてくるハチの姿。雫ちゃんを庇うように立ち尽くしていたハチの姿。
「……ハチ……?」
 そして、その光が完全に収まると同時に、ハチの体が、まるで枯れ葉のように、スローモーションのように――ゆっくりと、床に倒れていった。
「ハチ……ハチっ!!」
 一番に動けたのは、俺だった。動けたのは、俺だけだった。
「ハチ、しっかりしろ、おい!」
「ゆ……うま……?」
 俺の声に、薄らと反応してきた。大丈夫なのか……大丈夫、なんだよな……!?
「馬鹿野郎、何であんな無茶を……!! あんなことしたら、お前は――」
「俺……ずっとさ、羨ましかったんだよ……」
「え……?」
「お前がさ……雄真が、ずっと……羨ましかった……」
「俺が羨ましいって、お前何言って――」
「大好きになった子の為に、何かする……大好きな子を守る……姫ちゃんを守ったっていうお前がさ……姫ちゃんを守る為に魔法科へ行ったお前がさ……凄え格好よく見えて……凄え羨ましかった……俺もいつか、って……ずっと思ってた……」
「ハチ、お前……」
「でも……俺じゃ無理なんだな、やっぱり……俺じゃ……」
「そんなこと……そんなことあるかよ! お前は雫ちゃんの為に頑張ったんだ! 雫ちゃんを、守ったんだよ!!」
「雫ちゃん……無事なのか……?」
「ああ……お前のお陰で、さっきの魔法は、何も喰らっちゃいない」
 自分の肩を抱き、震えながら目に涙を溜めているが、雫ちゃんには先ほどの魔法は届いていないようだった。
「そっか……雫ちゃん……よかっ……」
 その瞬間、ハチの体から、ゆっくりと力が抜け――
「おい、ハチ!? しっかりしろ、おい!! ハチぃーーっ!!」
「死にはしませんよ」
 ハッとすると、後ろから冷ややかな声がした。
「私もこの程度のことで人殺しにはなりたくないのでね。その程度の調節はしてあります。まあ――しばらくの間は影響が出てしまうかもしれませんが」
 何だよ……何言ってるんだよ、お前。なんでそんな冷静なこと言ってくんだよ。
「しかし、まさか生身の体であれを受けて雫さんを守るとはねえ。私も流石に予想外でした」
 五月蝿い……これ以上余計な事言うな。
「でもまあ、これに懲りて余計なことはしないことです。生まれながらにして、人には出来ることと出来ないことがあるのですからね」
 ドクン。
「凡人は凡人らしく、凡人同士で平和に暮らしていることをお勧めしますよ」
 ドクン。――自分の心臓の鼓動がやけに大きく聞こえてくる。何だろう。でも今は、そんなことはどうでもいい。
「黙れよ……」
 ドクン。――あいつを、ぶっ飛ばしてやりたい。
「あんたみたいな性根腐りきってるのが非凡だっていうんなら、俺は一生平凡で構わない」
「おやおや、負け犬の遠吠えですか?」
 ドクン。――次第に、聞こえなくなってくる周りの音。
「負け犬は……あんただよ」
「……何?」
 ドクン。
「あんた結局ハチには勝ってない。ハチの心を、力任せで完全にねじ伏せることは出来なかった。あんたは所詮、中途半端な力で弱い者を従えることしか出来ない、能無しだよ……!」
「小僧……言わせておけば……」
 ドクン。
「いいでしょう! その中途半端な能無しが、徹底的に教えてあげますよ! その私に負けるあなた方が本当の能無しだということをね!」
「…………」
 ドクン。――後枢が、俺に向かって詠唱を開始したのが、薄らとわかる。
「駄目、雄真くん、逃げて!」
 春姫の声が聞けたような気がした。――全部全部、遠のいていく声、音。そして近づいてくる何かの魔法。でも、何も怖くなかった。
 今なら――何でも、出来そうな気がした。


「えっ……!?」
 激しく響き渡る、ズバァン、という音。後枢の放った魔法が、雄真に直撃した音――だろうと、誰もが思っていた。だが、雄真は立っていた。ハチのようにそのままそこに崩れることもなく、ほぼ無傷の状態で、ハチを庇うように立ち、ただ後枢を睨みつけていた。
 何があった?――それは、その光景を目にした全員が抱いた疑問だった。何もしないで、あれだけの攻撃魔法を防げるわけがない。
「っ……一体、何をした……!?」
 そしてそれは、魔法を放った後枢が一番に思っていた。それ程、手加減をしたつもりもなかった。
「まあいいでしょう、ハッタリもそう続けられませんよ!」
 そう言うと後枢は再び呪文を詠唱し、雄真に向けて魔法を放った。大きな魔力の塊が、雄真に向かって飛んでいく。
「…………」
 ズバァン!――再び響く音。そして今度は、誰もが見逃さなかった。
「何……今の……!?」
「左手だけで……弾いた……!?」
 雄真は、後枢の魔法が目の前まで来た時に、自らの左手をその魔法に向かってかざした。そして魔法の玉が雄真の手の平とぶつかった瞬間、魔法の玉は先ほどの激しい音を立てて消滅したのだ。
「雄真くん……!? もしかして、先生からもらった指輪の力……!?」
 春姫がそう思うのも無理はないかもしれない。あの指輪にどれだけの力が込められているのか、具体的なことを知っているわけではなかったが、未知数なその力を、彼女は間近で体験した一人だ。が――
「違うぞ神坂春姫。――小日向の腕を、よく見てみるがよい」
 伊吹に指摘される。春姫は雄真の腕を目を凝らして見てみた。すると――
「薄い光を纏ってる……?」
「あれは御薙鈴莉の指輪の力ではないぞ。小日向雄真独自の力だ」
「そうですね……あれは雄真さんの……レジスト、でしょうか」
「レジスト……って、小雪先輩!? レジストって、もっと、こう――」
 小雪の言葉に一番に杏璃が驚く。
 杏璃が疑問に思うのは当然のことである。レジストとは本来、自分の身を守る為に、自分の体の全面に大きく出すバリア式のものであって、範囲を広げる・他の者の箇所に出すなどのことは可能だが、その範囲を狭め、一箇所に纏う、というのは形式としては有り得ない。そもそも防御の為の魔法である。体の一箇所だけを守っていても何の意味もないのだ。だが――
「小雪の言う通りだぞ、柊。おそらく小日向は一般的なレジストを圧縮させて自らの両腕に纏っておる。――無意識のうちにかもしれぬがな。私もあのような形のレジストは初めて見るが……おそらく、圧縮させていることで、レジストとしての効力は一般的なものよりも遥かに高くなっておるだろうな」
「圧縮……って、そんなの、いつ雄真が出来るようになったのよ!? だってあいつ――」
「杏璃ちゃん、わからないけど……雄真くんを信じましょう」
 まだ実習でだって大したこと出来ないじゃない、という杏璃の台詞を春姫が遮る。
「そうだな。――最終的な勝利の結果は、雄真殿の戦いにかかっている」
 いつの間にか、他の人間は戦いをやめ、雄真と後枢の一騎打ちに集中していた。信哉の言うとおり、戦いの勝敗は二人に委ねられていたのだ。――と、その時だった。
「小日向さん、いきなりしゃがみ込んで、一体何を……?」
 スッ、と雄真は不意にしゃがみ込むと、右手を床に当てた。――そして、次の瞬間。
「え――」
「なっ――」
 ズバァン!――三度目の衝撃音は、雄真の床に当てた右手で起こった。激しい爆発の衝撃。そしてそれを利用した雄真が信じられない加速で後枢の懐に飛び込んだ。
「何――!?」
 呆気に取られている後枢の腹部ゼロ距離に、もう一方の手である左手を雄真はかざした。
「小僧、待――」
「――カルティエ・エル・アダファルス!!」
 ズバァン!――四度目の衝撃音。それは、呆気ないほどに訪れた勝負の結末を知らせていた。


「雄真くん!!」
 その駆け寄ってくる春姫の声で、俺はハッとした。
「あれ……? 春姫……? どうした?」
「どうした、じゃないわ! 手、大丈夫なの!?」
「手……?」
 手? 春姫の奴、一体何のことを――
「――って、痛ってええぇぇ!! 何だこれ!?」
 見ると、俺の手は両手とも、火傷のような症状を負っていた。
「何だこれ、って……あんた、覚えてないの!?」
 柊が驚きの表情で俺を見ている。
「そういえば……ここで俺、何してんだ? ハチの奴を助けにいって、後枢にムカついて……って、それからのこと覚えてない」
「あら……雄真さんは夢遊病の気があるんでしょうか。チーン」
「百歩譲って夢遊病だったとしても何故死なないといけないんですか小雪さん!?」
 それは全国の夢遊病患者の方に失礼じゃないですか……!?
「流石だな雄真殿! 夢遊病になりつつも後枢を倒してしまうとは!」
「だから俺は夢遊病患者じゃないし――って、え? 俺が後枢を倒した……?」
 そういえば、後枢の姿が見当たらない。その他で残っている俺達を襲ってきた奴らも戦意喪失しているようだった。
「うむ、見事な戦いっぷりであったぞ小日向雄真。レジストを必要以上に圧縮させてあえて暴発させ、その爆風で加速、奇襲。更に再びの圧縮暴発に攻撃魔法を組み合わせることで絶大なる攻撃力を醸し出した。野蛮ではあるが、見事であった」
 レジストの圧縮だの暴発だの、よく覚えてないが、伊吹がここまで誉めてくれるってことは、相当のことをしたらしい。
「――そんなに俺凄いことしたのか?」
「うん。凄い格好よかった」
 春姫が嬉しそうな笑顔を見せる。――なんとなく、実感が沸いてきたな。そっか、俺が倒したのか……
「誰が誰を……倒したと……?」
「――後枢!!」
 声のした方を向くと、ボロボロの体を無理矢理に起こし、フラフラとこちらに向かってくる後枢の姿があった。
「まだ終わってませんよ……私は負けてはいない……さあ小僧……!!」
「もう止めて下さい。――あなたの、負けです」
 俺を庇うように春姫が前に出て、後枢と対峙する。――情けない話だが、もう俺は手の痛みもあるし、魔法一つまともに放てないだろう。でもそれは後枢も同じことのはず。
「邪魔をするのなら貴様からだ!! レイ・ウォルム・ナーザ――」
 搾り出すような後枢の詠唱。春姫を中心に、みんなは俺を庇うように身構える。――が、
「クレイム・レイン」
「――っ!?」
 何処からか聞こえてくる一瞬の詠唱により、後枢の魔法がキャンセルされた。
「もう止してくれないか、隆彦君」
「お父様! それに聖(ひじり)さん!」
 雫ちゃんが声を上げる。視線を追うと、そこには車椅子の男性と、その車椅子を押す一人の女性。女の人は見覚えがある。俺達がここに入れなくて揉めていた時、門番に俺達を通しなさい、と言った人。つまりOasisのハンカチの人だ。――って、今雫ちゃん、お父様って言った……!?
「お父様、ってことは……」
「あの人が月邑家当主で、雫ちゃんの父親の月邑藤次……?」
「お父様、お体に障ります! どうして――」
 雫ちゃんが、月邑さんの元へ駆け寄る。――そういや危篤状態だって先生が言ってたっけ。雫ちゃんが心配するのも無理はないかもしれない。
「すまなかったな、雫。――もう少しだけ、我慢してくれないか。もう少しだけ我慢してくれたら、もうお前を縛り付けるものは何もなくなる」
「お父……様? 何を――」
「隆彦君。――雫との結婚話、無かったことにさせてもらおう」
「!!」 
 一瞬、沈黙が訪れる。――そして浸透してくるその言葉の意味。
「なっ――馬鹿な!! わかっているのですか!? 今ここで私との婚約を破棄してしまえば、月邑家が――」
「わかっておるよ。私は当主失格だ。家を守ることと、一人娘の本当の幸せを天秤にかけてしまったのだからな」
「お父様……」
「格好いいことを言っているが、本当は聖君に散々言われたんだよ。「亡き紀美枝(きみえ)様がいらしたら、きっと今の状態を見て何を仰るか、わからない藤次様ではございませんでしょう」とな。――今思えば聖君には酷な願いをしてしまった。月邑家の未来と、雫の未来。――両方叶えることなど、出来るはずもない願いだったよ」
 月邑さんが、横に居る女性、聖さんをチラリと見て、苦笑しながら語る。
「出過ぎた真似をしたとは思っています。でも、お嬢様には純粋に親の愛、というのを直接感じて欲しかったんです。――自分自身の経験からの自己満足になってしまいましたけど」
「構わんよ聖君。これで私も父親の端くれだ。君には感謝している。――雫」
「はい」
「私は、もう長くない。――わかるな?」
「……はい」
「そして跡継ぎが居ない今、私が死ぬことで月邑家は大きく揺れる。少なからずお前にも苦労をかけてしまうだろう。――でもその期間が一生続くわけじゃない。長い人生の中でなら、ほんの一瞬だ。その一瞬が終われば、お前はもう自由だ。お前の、好きなように、やりたいように、生きなさい」
「……は……い……」
 雫ちゃんの目には涙が溢れていた。もう返事も出来ないほどだ。
「お嬢様。――微力ですが……藤次様亡き後も、私が全力をかけてお守り致します」
「……ありがとう……聖さん……ありがとう……お父様……」
 涙で上手く回らない口を、精一杯動かして、雫ちゃんがお礼を述べた。上手く言い表せないが、凄い心が温まる風景だな……って、ん?
「…………」
 ちょうど俺の横にいた伊吹の様子がおかしい。――って言うよりも、
「伊吹……まさかお前、泣いてるのか?」
「ななな、何を言い出すのだ小日向!! こ、この私がこの程度のことで、泣くわけなかろう!!」
 と、言いながら一生懸命服の裾で目をこすっている。――そうか、家柄とか、そういうことに関しての苦労を知っているから、俺達なんかよりも尚更に今の状態がどういうものか、伝わってくるんだろうな。
「無理すんなよ。別に感動の涙は、恥じゃないぞ?」
「だっ、誰も無理などしておらぬわ!」
 いや、目茶苦茶泣くの堪えてるの、モロバレだっての。
「伊吹様、宜しければ私のハンカチを……」
「沙耶! 別にハンカチなど――自分で持っておるから、必要ない……」
 そう言うとコソコソと伊吹は自分のポケットからハンカチを取り出して、目頭を押さえていた。強がりが可笑しいが、笑うとまた何を言い出すかわからないので必死にここは我慢だな。
「ふざけるな……ふざけるなァァァ!!」
 その声に、一同がハッとする。――後枢だ。
「認めません!! 認めませんよこのようなことは!! 力ずくでも!!」
 後枢はボロボロの体を無理矢理奮い立たせ、詠唱を開始していた。
「――あいつ、馬鹿じゃないの? この状態でまだやる気?」
 柊が呆れ声を出す。確かに戦意のある敵は既に後枢一人。更にあのボロボロの状態ではろくな魔法も放てないだろう。
 と、そんな後枢の前にいち早く立ちふさがったのは、聖さんだった。
「……レイ・ウォルム・ナーザ・アフェクトぉぉぉ!!」
 放たれる後枢の魔法。その瞬間俺は――自分の目を疑った。聖さんは、レジストを出すわけでも、相殺の魔法を出すわけでも、魔力によるキャンセルをかけるでもなく、ただその身を翻すかのように、後枢に向かって、奴の魔法に向かって行ったのだ。
「なっ――危ない!!」
 だが、次の瞬間――
「ぐはあぁぁっ!!」
 後枢の痛々しい悲鳴。あまりに瞬時の出来事に何が起きたのかは俺にはわからない。ただわかるのは、聖さんの動きが、完全に後枢の上を行っていた、ということだけ。
「後枢様。――まだ続けると仰るのでしたら、命の保証は出来ませんが」
 あまりにも冷静なその台詞とは裏腹に広がる、信じられないほどの気迫。そこでやっと気付いた。
「春姫、あの人――」
「うん。――もしかしたら、先生並かもしれない」
 先生並。俺個人としては母さんの本当の実力は詳しくは知らないけど、日本でも有数の実力を持っているはず。その人と同程度。――その実力は計り知れないんだろう。
 と、その聖さんが、俺の方へ向かってきた。
「あの、俺に何か……?」
「いえ、宜しければ、手のほうの応急処置を、と思いまして。火傷を負っていられませんか? あまり治癒の魔法は得意ではありませんが、少しでも楽にはなれるはずですから」
「あ、じゃあお願いします」
 そういえば、ずっとズキズキいってたもんな、手。――あれ? 俺何か忘れてないか? 手の治療?
「――って、俺よりもまずハチをお願いします!! あいつ一般人なのに後枢の魔法をモロに――」
「お友達でしたら、心配いりません。――彼は、無傷ですよ」
「……え? 無傷って、いや、その」
「後枢が彼に放った魔法は私の魔法で相殺させたんです。同時に目くらましの為の光の魔法、更には彼が魔法を喰らったように感じるよう、睡眠状態に陥る魔法を」
 その言葉を聞いて、その場にいた全員が驚きを隠せなかった。あの時少なくともこの人の姿は見えなかった。影に隠れた状態でほぼ同時にそこまで魔法が放てるものなのか?
「ちょっと……凄過ぎませんか?」
 本音が漏れた。
「いえ、あの時は私も必死でしたので。――表立って私が出て行っては、本来の解決には導かないのではないかと。私と、藤次様が姿を見せるのは、ギリギリまで控えたほうがいいと思いまして、あのような形を」
 聖さんが少しだけ恥ずかしそうに苦笑した。というか必死になったら出来る技なんですかそれ。
「雄真さんも、必死になれば三途の川の一つや二つクロールで」
「俺を殺す気ですか小雪さん!?」
 でも……良かった。俺達がいなくても、雫ちゃんは一人じゃなかったんだな。心強い人がいる。この人が居てくれたら、雫ちゃんも安心だろう。
「……って、ということは、ハチは」
「単刀直入に申し上げれば……寝ているだけですね」
 ――手に治癒魔法をかけてもらった俺は、ハチを起こすことにした。
「おい、起きろ、ハチ」
「う〜ん……」
「ハチ、お前無傷なんだろ? 起きろよ」
「う〜ん……」
 起きないなこいつ。爆睡してやがる。
「あれでしたら、タマちゃんに起こさせましょうか?」
「……面白そうですけど、俺達にまで被害が及びそうですので今回は遠慮します」
 前触れなしでドカーン! とかやりそうだからな。
「ふっふ〜ん、甘いわね雄真。あたしに任せなさい!」
 柊はそう言うと、ハチの方へ近づく。そして――
「まあ! こんなにベッドの下にエッチな本を隠して!!」
「おい、何だその古風な手――」
「うおおおおぃぃぃ!! それは俺の宝だぁぁぁ!!」
 …………。
「――あれ? 何だ、ここ? あれ? 俺の部屋じゃない?」
 俺達は全員、呆れ顔の白い目でハチを見ていた。本当に引っかかりやがったこいつ。
「って、雄真ぁぁぁ!! 貴様という奴は!!」
「何!? 何だいきなり!?」
「お前は、姫ちゃんというものがありながら、そんな綺麗な人と!! 許せん、許すものかぁぁ!!」
 一瞬ハチが何を言ってるのかよくわからなかったが、ふっと右横を見ると、偶々そこには先ほどまで手の治療をしてくれていた聖さんが。――って、
「違うわ馬鹿野郎!! というか起きて早々なんでそんなことにしか頭が回らないんだ!! 一生寝てろ!!」
「高溝八輔さん、享年17歳。チーン」
「……何だか高峰先輩が言うと、凄くリアルに聞こえちゃう……」
 分かる、分かるぞ春姫。……というか、
「こ、小雪さん! 俺まだ死にたくないッス!! 何とか!!」
 完全に鵜呑みにしてる奴がいるしな。
「それでは、後一年の猶予をあげましょう」
「やった!! 助かったぜ!!……って、助かってねえぇぇぇ!!」
 ハチのノリツッコミに、皆で大笑いした。俺達だけじゃない。月邑さんも、聖さんも、そして……雫ちゃんも。
 そして気付く。いつかの俺のささやかな願い。ハチと雫ちゃんも一緒に、一緒のメンバーで笑い合いたい。それが叶った瞬間だった。
 俺達はいつまでも笑い合った。さっきまでの戦いが嘘のように、笑い合っていた。そして……

 ……そして、雫ちゃんが、この街から居なくなる、ということを知ったのは、翌日のことだった。


<最終回予告>

「短い間でしたけど、色々お世話になりました。――ありがとうございました」

訪れた、別れの日。
わずか数日間だったハチと雫の物語が、幕を閉じようとしていた。

「高溝先輩。――私きっと、弐条蹄形ノ法則で適合しなくても、相手役に先輩を選んでました」

限られた時間の中で、繋がった想い。
二人の行き着く先は、本当に別れしかないのか?
ハチと雫が導き出した結論、それは――

次回、「ハチと月の魔法使い」
LAST SCENE  「ずっといつまでも」

「綺麗な星空ね……」

物語は、星空の下で、フィナーレを迎える。


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