「うーんと……」
 土曜日の午後。学園も半日の今日、月邑雫は帰宅後、自分の部屋で洋服を出したりしまったり。
「これは……可愛いけど、ちょっと露出が少ないかな……」
 単純に、これから出かけるので、その為の服を選んでいたのである。
「これは……地味過ぎるよね……」
 今日の「目的」に合わせた洋服を一生懸命に選ぶ。鏡の前で合わせてみたり、また取り替えてみたり。
「あっ、そうだ、下着も一番のお気に入りのにして行こうっと」
 楽しげな独り言と洋服選びをするその姿はまるでこれから恋人とデートをするかの如く。事実、雫が出かける目的はそれに言い様によっては近い物であり、雫本人の気分もそんな雰囲気になり始めていた。
「これと……これと……それで、上がこれで……よしっと」
 下着を含め、着て行く洋服が決まる。それだけで何か満足感が生まれ、そのことに気付き、少し自分でも笑ってしまった。――張り切ってるなあ、私。
 だが――彼女が行こうとしている目的は、デートに近く、そして……程遠い物。
 彼女が抱いている気持ちも、デートに近く――程遠い物。
「さて、軽くシャワー浴びて、髪の毛セットしないと」
 時間もそう残っていない。急いで準備をして、浴室へ。
「……可愛いって、言ってくれるかな、「あの人」」
 そんなことを呟きながら、シャワーのお湯を出すのであった。



ハチと小日向雄真魔術師団
SCENE 80  「壊れた心が壊す物」




「それじゃ雄真くん、お留守番宜しくね? お土産買ってくるから」
「うん、大丈夫」
「兄さん、わたしとお母さんがいなくなった隙を狙って、姫ちゃん以外の女の子を連れ込んだりしたら駄目ですからね?」
「それこそ大丈夫だ」
 相変わらず何を仰ってるんでしょうかこの妹さんは。
「すもも、そんなに俺が信頼出来ないなら今度監視カメラでも買うといい」
「あ、この前カタログを見てみました」
「マジですか!?」
 ジョークのつもりだったのに。真顔ですよこの人。
 さて今日は土曜日。午後、かーさんとすももは一緒にお出かけだとか。遅くなるから晩御飯は適当に食べててね、お土産買ってくるから、ってやつだ。時折あることなので別に俺も慣れている。
「いってきまーす」「いってきます」
「いってらっしゃい」
 バタン。――二人を玄関で見送り、ドアを閉める。
「さて、俺も支度しなくちゃ」
 自分の部屋に戻り、お出かけ用の服に着替える。――今日は、これから人と待ち合わせ。待ち合わせ相手は……何と、雫ちゃんだった。
 事の発端は先日のこと。土曜日の午後、ハチのことで相談があるから会いたい、と直接お願いをされたのだ。――ハチと雫ちゃんと呂穂崎さんのことで悩んでいた昨今、ハチのことでの相談と言われそれを断る理由は俺にはなかった。
 何だかんだで、雫ちゃんから俺にハチのことで相談が、というのは今までにはなかった。雫ちゃんはどうも一人で抱え込むタイプのような気がする。そんな雫ちゃんからのハチのことで、と前提での相談。――どんな話だろうか。
「……何にしろ、進展するか、話が」
 曖昧だった関係が、一歩先へ進む切欠になることを願う。……例え、誰かが悲しむことになったとしても。もうそれは避けられないだろう。
 男の俺は支度にそう時間はかからない。手早く着替え終わり、持ち物云々の身支度を終え、鍵をかけ家を出る。――待ち合わせ場所はお馴染みもお馴染み、あのオブジェ前だった。
「おっと、俺の方が遅かったか」
 十分前の到着だったが、先に雫ちゃんは来ていた。俺の存在に気付くと、軽くぺこり、と頭を下げて来た。
「お待たせ」
「いえ、時間前ですし。それに、お願いしたのは私の方ですから」
 笑顔でそう言ってくれる雫ちゃん。……その雫ちゃんに、何か違和感。
「今日、何て言ったらいいんだろ……お洒落だよね、雫ちゃん」
「え?」
「あ、いや、いつもがお洒落じゃないとかじゃないんだけど、前会った時とは雰囲気が違っててさ……何て言うか、大人っぽい感じ? ドキッとした」
 そうなのだ。今まで会って見て来た雫ちゃんのイメージだと、爽やかとか、可愛い、みたいな感じの服が多かったのだが、今日は打って変わって大人の雰囲気を醸し出している。肌の露出も多い。
「ありがとうございます。――ちょっと、そういうの意識してみたので、そう言って貰えたら成功です」
 嬉しそうに笑う。意識してか。イメージチェンジ――でも、何でだろう?
「それじゃ……あ、あそこ辺りで本題に入ろうか」
「あ、はい」
 学生御用達のファーストフード店に入り、飲み物を注文し、二人は二階席へ上がる。――とりあえず一口飲んで、気持ちを切り替えた。
「お話は、お願いした時に言いましたけど……高溝先輩のことについて、です」
 雫ちゃんも同じなようで、一口飲んだ後、そう俺に対して切り出してきた。
「小日向先輩。先輩は、高溝先輩と……許久藤学園の呂穂崎さんの関係って、何かご存知ですか?」
「……雫ちゃん、その質問って」
「この前の日曜日、見かけたんです。楽しそうに仲良く二人でいる所を」
 可菜美と相沢さんが見かけた時のことだろう。……俺はその話は知らないことになっているから、ここだけは知らないフリをしなければいけない。
「そっか……雫ちゃん、見たんだ」
「やっぱり、小日向先輩も最初から――」
「あ、誤解しないで。俺も知ったのは、日曜日だから」
「えっ?」
 俺は手短に、日曜日の午後、呂穂崎さんが我が家を尋ねてきて、ハチとの関係を説明した上で友達になりたいと申し出て来たことを説明。
「俺と友達になりたい、っていう申し出は受けた。呂穂崎さんは雫ちゃんのこととかも知らないわけだし、一生懸命だったから、それは俺は拒む理由はなかった。――でも同時に、直ぐに雫ちゃんのことが脳裏を過ぎった。ハチと雫ちゃん、どうするのかな、って」
「…………」
「でも、ハチが俺に何も言って来ない限り、俺から口を出すのも何か変だしお節介だし、どうしたもんかな、ってここ最近はずっと思ってた。で、そんな時にこうして雫ちゃんから話がある、ってお誘いを受けたってわけかな」
「……そうですよ、ね……先輩も、困りますよね」
 雫ちゃんは力なく、軽く笑う。……悲しげな、笑顔だった。
「私も最初見かけた時はどうしたらいいかわからなくて、頭が真っ白になりました。梨巳先輩が高溝先輩を問い詰めに行こうとしたのを私止めたんですけど、多分現実から逃げたかっただけなんだって今になると思います」
「気持ちはわかるよ。俺も相当驚いたし」
「はい。……その後、聖さんに慰められて、深羽ちゃんに勇気を貰って、このままじゃいけないって思って、ハッキリさせてこようって決めたんです。それで、この前学園が終わった後、高溝先輩の所に行こうと思いました」
 ここからは、俺の知らない話だ。――自分から、決着をつけに行ったのか、雫ちゃん。でも……「行こうと思いました」ってことは、実際は……?
「私が高溝先輩を見つけた時、高溝先輩は――呂穂崎さんと、キスをしていました」
「!?」
 もう一度、飲み物を飲もうとしていた俺の手が止まった。
「確かに、前もって連絡をしないで探して見つけた私が悪いって言えば悪いです。それで結果としてその光景を目にして勝手にショックを受けてるのは自業自得です。でも……でも、呂穂崎さんとそういう関係にあるなら、そういう関係になるのなら、そうだと私に前もってハッキリ言って欲しかった。私じゃ無理なら無理ってハッキリ言って欲しかった。そんな素振りを少しだけ見せておいて私がそういう勢いを見せたらそっちに何も言わずに行くなんてありますか? 私、馬鹿みたいじゃないですか。一生懸命になった私、馬鹿みたいじゃないですか。あの人のこと好きになった私、馬鹿みたいじゃないですか……っ!!」
「雫ちゃん……」
 それは、今までに俺が見たことがない、雫ちゃんの姿だった。こんな風に投げやりに少し口調を荒げて口を止めない雫ちゃんを見るのは当然初めてだ。悲しみと悔しさが入り混じり、目に涙を浮かべながら想いを爆発させる雫ちゃん。……余程、辛かったんだろう。
「大丈夫、雫ちゃんは悪くないよ。少なくとも、俺はそう思う」
 俺が落ち着いた口調で、でも出来る限り優しくそう言うと、自分が少し暴走していたことに気付いたか、ハッとした様子になる。
「すみません、私……」
「大丈夫、気にしてない。寧ろ当然のことだと思う。無理しなくていいよ」
 雫ちゃんは手で軽く涙を拭うと、気持ちを整えるかの如く大きく息を吹く。
「それで、私決めました。――あの人とのことは、もう終わりにしようって。追いかけるの、止めようって」
「……そう、か」
 誰かが傷つかずには終われないと思っていた。……やっぱり、誰かが傷ついて、終わるのか。雫ちゃんが――傷ついて、終わるのか。
「小日向先輩は、お知り合いになれた当初から、色々お世話になってきたのに、結果としてこうなってしまって本当に申し訳ありません。……今日は、報告と、謝罪がしたくて」
「ちょ、報告はともかく謝罪の必要はないよ! 雫ちゃんは何も悪くない、それは俺が保障する。雫ちゃんが悪いって言って来る奴がいたら俺がぶん殴ってやる」
 俺が勢いよくそう言うと、雫ちゃんが少しだけ笑う。
「ありがとうございます。――私も、小日向先輩みたいな人を、好きになれてたらよかった」
「雫ちゃん……」
「先輩。――この件に関して、最後にお願いというか、計画していることがあるんですけど、聞いて貰えますか?」
「計画? どんな内容?」
「ここで話すにはちょっと。……今日、これから先輩のお家って、行っても大丈夫ですか?」
「俺の家? うん、まあ大丈夫だけど」
 相当重要な話だろうか。余程他人の耳には入れたくないのか。――まあそれなら丁度いいか。かーさんもすももも出かけてるし。
 そんなこんなで俺達は店を出て、小日向家へ。
「さ、上がって」
「すみません、お邪魔します」
 そう言えばすももは行く時に春姫以外の女の子を連れ込むなとか言ってたっけ。事情が事情とは言えまあ見事に連れ込んでるな俺。すももが出かけていてよかった。……監視カメラついてないよな? いやマジで。
 そんなことを思いつつ、雫ちゃんを家の中へ案内する。
「ちょっと待ってて、何か飲み物を――」
「あっ、大丈夫ですから、その――先輩のお部屋、案内して貰ってもいいですか?」
「へっ? 俺の部屋?」
「はい。出来ればそこで、お話を」
「うん、まあいいけど」
 散らかしてはいなかったと思う。このまま通しても問題ないだろう。――言われるままに、俺は自分の部屋へ雫ちゃんを案内する。
「どうぞ」
「失礼します」
 ドアを開けて、雫ちゃんを部屋の中へ。――って、そういえば人を通すなんて考えてなかったから、クッション云々の準備をしてなかった。
「ちょっと待ってて、今クッションを――」
「小日向先輩」
 が――クッションを取って来るから待ってて、と言おうとした俺を途中で雫ちゃんは遮った。――バタン。
「え?」
 雫ちゃんが、俺の部屋のドアを閉めた。そのまま俺の方に向き直る。
「お願いです。――私のこと、抱いて下さい」
 そしてそんな雫ちゃんの口から出た言葉は、一瞬俺が自分の耳を疑うような内容だった。――私のこと、抱いて下さい?
「えっと……え?」
「今日、今だけ、私を先輩の物にして下さい」
 頭の中が、真っ白になった。――何を言っているのかわかるけど、わからない。
「雫ちゃん? その……とりあえず、少し落ち着こうか」
「大丈夫です。自分が何を言っているか、ちゃんとわかってます」
「いや、わかってるって言ったって」
 意味がわかってて言うような言葉じゃないだろう。抱いて下さい。ここで言う抱いて下さいとは――性的行為を意味しているはず。
「私なりに、最後のけじめが欲しいんです。自分が選んだ道、自分が抱いた想い、自分が受けた傷、忘れないようにする為に」
「本気で言ってる……?」
「はい。冗談で頼むようなことじゃありません」
「いや、そりゃそうだろうけど」
 雫ちゃんの目を見る。雫ちゃんも俺から視線を外してはこない。――本気、なのか。
「勿論、今日、この場一度限りです。私の口から他の人に言うようなことはしません。一生、私の心の中に事実を刻みつけておくだけです」
「いや、そういうことじゃなくてさ」
「私、女として魅力、ありませんか」
「いやだから、そういうことでもなくてさ」
「だったら――」
「雫ちゃん!」
 雫ちゃんの言葉を遮る俺の口調がつい荒くなってしまう。
「雫ちゃん、駄目だそんなの。そんなことしたって、何の解決にもならない。絶対に良い方向になんて向かない」
「私だってこれだけで良い方向に進むなんて思ってません。でも、これ以外に方法が思い付かないんです」
「……俺のこと、もしかして馬鹿にしてる? 可愛い女の子だったら実際誰でも抱いてくれるだろ、みたいな」
「違います! 小日向先輩には凄い感謝してるし、尊敬もしてます! だから、だからこそお願いに来たんです! 他の人になんて絶対に頼めません!」
 雫ちゃんの口調も荒くなってきた。――お互いの口調が荒いと、お互いに釣られて酷くなる一方だ。
「だからって抱いて下さいなんて間違ってる!」
「間違ってたっていいんです! 駄目な女でもういいんです!」
「兎に角駄目だ! 雫ちゃんのことは大切な仲間だし何でも助けてあげたいけど、こんなやり方のは俺は受け入れられない!」
 そして、俺のその言葉を切欠とするように――ついに、雫ちゃんが、雫ちゃんの心が、壊れ始めた。
「……じゃあ私……どうしたらいいですか」
「とりあえず落ち着こう。大丈夫、気持ちを落ち着かせて、焦らずに――」
「その結果が……今じゃないですか……その結果が……この私じゃないですか!! 焦らないで我慢した結果が、これじゃないですか!!」
 一瞬、耳を疑った。これが本当に雫ちゃんなのかと思うような大きな叫び。つい俺は言葉を失ってしまう。
「漫画やドラマみたいに出会えて、別れて、戻ってもう一度会えることを夢見て、そして戻ってきて、それでハッピーエンドだって思ってた! 幸せになれるんだって思ってた! でも違ったんです! 最後の最後だけ、漫画やドラマみたいにはならないなんてことありますか!? どうして私、こんなことになっちゃったんですか!? 私、みんなが思ってるような立派な女の子なんかじゃない、我慢なんて出来ない! もう無理、もう駄目、もう嫌! 助けて……お願いだから、助けてよぉっ……!!」
「雫ちゃん……」
 気付けば俺が抱き始めていた雫ちゃんへの投げやりな態度に対する怒りなど消えていた。目の前にいるのは、裏切られ、壊れた心一つで震える、儚い女の子。
 助けたい。助けてあげたい。――どうしたらいいんだ。
「――月邑雫」
 言葉を無くして立ち尽くす俺、泣き崩れた雫ちゃんの間に口を挟んできたのは――クライスだった。
「確認だ。貴行、本当に雄真に抱かれたら、それで気が済むのか?」
「……はい」
「そうか」
 淡々と尋ねるクライス、ゆっくりと返事をする雫ちゃん。――直後、とんでもない言葉を俺は耳にした。
「雄真。――抱いてやれ」
「ちょ、お前、いくらなんでも――」
「本人がそれでいいと言ってる。本人が自ら望んだ道だ。後悔でも何でもさせてやれ。――その後悔で、強くなれればよし、何も変わらないのならそれまでだ。――何かお前の方にまで問題が生じて影響するようならば、私が打開策を全力で練るからその辺りの心配もするな」
「いや、俺の心配とかじゃなくて」
「わかってるさ。私とて流石に好きで勧めているわけじゃない。でも――どうせお前は、見捨てられないんだろう? その娘を」
「……うん」
「なら抱いてやれ。それからのことは、その娘次第だ」
「…………」
 抱くしか、ないのか。誰もが望んでいないはずなのに、抱くしかないのか。
「……っ!」
 俺は困惑のままの想いを無理矢理閉じ込め、覚悟を決める。そのまま雫ちゃんをお姫様抱っこで俺のベッドまで運び、寝かせ、その上に馬乗りになる。
「雫ちゃん、初めて……だよね?」
「……はい」
「思い直しがあったり、躊躇があるなら言って。その時点で、俺は止めるから。ただ、状況によっては止めようがない場合がある。だから、嫌になったら直ぐに言って」
「…………」
 雫ちゃんの返事はない。ただこちらを見るだけだ。――途中で止めることなんてない、と伝えるが如く。
「それじゃ――始めるよ」
 俺はまだ、覚悟を決めつつも雫ちゃんを信じていた。必ず思い止まってくれると。こんな事、馬鹿げていると気付いてくれると。――その為には、出来る限り取り返しのつかない所まで時間を稼がなければいけない。
 俺の手が、雫ちゃんの肌に触れる。――思えば露出がいつもより多いこの格好、最初からこのつもりだったからなんだろう。
「……っ……」
 服の上から今日の格好のせいでより強調された胸に触れると、雫ちゃんの切ない息が漏れた。
(っ……クソッ……!!)
 その吐息は、俺の覚悟や希望とは裏腹に、俺の男としての本能を燻ぶり、興奮させてしまう。――頼む、頼むから自分を取り戻してくれ、雫ちゃん……!!
 そのまま俺は雫ちゃんの服をゆっくりとたくし上げ、スカートも脱がせる。濃いピンク色の下着があらわになった。――雫ちゃんが、止まる気配は見られない。
「あ……っ」
「っ!!」
 下着の上から先ほどよりもわかり易く直接的に触れると、その分ハッキリとした雫ちゃんの声が漏れた。俺の理性が削られて本能を後押しする。――俺の手が、徐々に躊躇を無くしていく。
(クソッ、クソッ……いいのかよ、本当にこんなんでいいのかよ……っ!!)
 止められなくなってきた俺の手が、ついに雫ちゃんの下着へと伸びた。そして――


「あー、夕焼けが綺麗だなー」
 普段、そんなことには目もくれない癖に、こういう感傷に浸ってる時に限って風景とか景色に目が行くのは何故だろうか。――夕焼けの瑞穂坂の街を、俺は一人歩いていた。
「なあ、クライス」
「何だ?」
 ああ、正確には俺の背中には、いつもの相棒がいた。
「何て言うかさ……人生って、色々あるよな」
「そうだな。色々あって当たり前だ。色々経験して、色々な物を見て、色々な物を感じて、時には傷ついて、時には道に迷って。そうした経験の上で、最後に力強く歩いている人生が、美しい人生だろう。立派だと思える人の人生程、泥だらけの道の上に成り立っているものだ」
「そっか。そうだよな」
 相変わらず俺よりも経験豊富なだけに、凄い説得力があった。
「まあつまり要約するとだな、お前ももっと色々な美女美少女に手を出してだな、色々なプレイを経験してだな」
「要約が強引で極端過ぎませんかねクライスさん!?」
 何故格好良いことを言っていたのに最後で台無しにするかな俺のワンドは。――そんな会話をしていると、目的地が視界に入って来る。
「……夕焼けに染まる公園って、また哀愁を誘うな」
 目的地は俺の家の比較的近くにある、瑞穂坂第一公園。園内に入ると、目的の人は一人、ブランコに座ってゆっくり、小さな幅でそのブランコを揺らしていた。まだ他に人がいても良さそうな時間だったが、公園内は見事にその人一人しかいない。
「呂穂崎さん」
 その名前を呼びながら、俺は近づく。――要は、呂穂崎さんに話があるから会いたい、とメールを貰って、ここでの待ち合わせだったのだ。
「……呂穂崎さん?」
 俺が呼びかけても近づいても、呂穂崎さんは反応しない。ただゆっくりと、ブランコを揺らしているだけ。表情を伺えば、その目は切なく遠く、夕焼けを見ていた。
「…………」
 何となく、その姿に見惚れた俺は言葉を失って――その代わりに、呂穂崎さんの横のブランコに座り、俺もゆっくりと小さく漕いでみた。キィ、キィ、と小さくきしむ音が聞こえる。
 そのまま二人で、無言のままどれだけブランコを漕いだだろうか。――ついに、呂穂崎さんが口を開いた。
「……ふられちゃった、ハチに」
「えっ……?」
 ハチに……ふられた?
「自分には、他に大好きな女の子がいるからって。その女の子の為にも、私に会うわけにはいかないって」
「……そっか」
「知らなかった。失恋って、こんなに辛いんだね。――まあ、初めての恋だったから、知らなくて当然なんだけど」
 呂穂崎さんは、少しだけ泣きそうで、でも笑って俺にそう言ってきた。……無理、してるかな。
「何だかあっと言う間だったなー。でもハチも凄いよね。私も最初からそれっぽいつもりで言ったし、ハチも最初からそれっぽいつもりで承諾してくれてたのに、やっぱり駄目だ、なんて。随分と振り回された感じ? こういうのも経験なのかな」
「……呂穂崎さん」
「よっと」
 パッと呂穂崎さんは軽くジャンプをしてブランコから降りて、隣のブランコに座っていた俺の前に移動して立つ。
「小日向くん。こんな私の為に、今日わざわざ来てくれてありがとう」
 そして、夕焼けをバックに……俺に、謝罪を始めた。
「ハチとのこと、最初から最後まで、全部聞いてくれて、ありがとう」
 やはり表情は、無理のある笑顔のままで。
「短い間だったけど、私と友達になってくれて、ありがとう。――友達になりたいなんて言って、ごめんなさい」
 そして最後は、無理を隠すかのように、頭を下げて来た。
「…………」
 気持ちはわかるが――少し、勘違いしてるな。……友達慣れしてないのかな、今までの話からするに。まあ仕方ないけど。
「呂穂崎さん、俺は何もハチのことがあるから呂穂崎さんと友達になったんじゃない」
「……小日向くん」
「友達になりたいって言ってくれる呂穂崎さんを見て、友達を大切にしようとしている呂穂崎さんを見て、俺も友達になりたいって思ったんだ。例えハチのことが嫌いでも、俺とハチが無関係でも、俺達は友達になれた」
「……っ」
「それとも――呂穂崎さんにとって、友達って意中の人と仲良くしなきゃ、出来ないもの?」
 俺が少しだけ問いかけるように言うと、ぶんぶん、と呂穂崎さんは首を横に振る。
「なら俺達は友達のままだ。ハチとか関係ない。普通に友達。何かあったら遠慮なく話をするし、困った時は遠慮なく助けを求めるし、一緒に遊びたい時は遠慮なく連絡をする。――そうだ、友達なんだから、今日から名前で呼ぼう。俺は今日から史織って呼ぶ。構わないよな、友達だし」
「――小日向くん……」
「史織も遠慮なく名前で呼んでいいぞ。友達だからそんな余所余所しいの可笑しいだろ」
 俺が躊躇いなくそう言うと、呂穂崎さん――史織は、少しの戸惑いの後、でも笑った。
「成る程、ハチ自慢の親友、か。……確かにこれなら、自慢したくなるかな」
「何を聞いたか感じたかわからないけど、自慢とかはしなくていいから。俺は自分の考え貫き通しただけだし」
「ふふっ、クールだね。――ね、それじゃあらためて友達になれた雄真にお願い」
「うん?」
「私、今嬉しさとか悲しさとか、色々入り混じり過ぎて、泣くから……見ないフリ、してて」
「……史織」
「私、きっと今大切な物を無くしたけど、大切な物を手に入れた。だから、一度だけ泣いたら、気持ち、切り替わるから。笑って、またね、って言うから――だから、一度だけ」
「……わかったよ」
「え?――あっ」
 俺はそのまま史織に近づき――引き寄せるように、抱きしめた。
「これで、俺、見えないから。遠慮なく泣いていいぞ」
「……あーあ、何処まで格好いいのかな、もう。……それじゃ、少しだけ」
 そのまま史織は、俺の胸を借りるような形で、小さく泣いた。――泣きやむまで、俺はそのまま史織を優しく抱きしめ続けた。……本当、友達慣れしてないのな。この位でいちいち感動してちゃ、キリないぜ。
「ありがとう。もう、大丈夫」
 やがて少しの時間が過ぎると、そう言って史織は顔を上げる。涙の後は隠せないが、でも笑顔は疑い様がない程に晴れやかで、輝いていた。
「そっか」
 まあその、抱きしめてた状態なので、物凄いその顔が間近にあって、物凄いドキリとしたなんてのはどうでもいい話。――うん、試合の時から思ってたけど、素敵な美少女ですよ。思いっきり抱きしめてるけど体の感触とかも……その、あれだ。レベル絶対高い。
「さっきも言ったけど、これからも、頼りたい時とか相談がある時とか、遠慮なく言ってくれていい。俺も困ったら遠慮なく連絡するから。――まあその、悩んだ挙句抱いて下さいとかは困るけどな」
 あんな相談頻繁にされたらマジで困る。……と苦笑しながら史織に言うと。
「え……えっとそのあのえっと、友達になると、あの、そういうことするようになるの、あの、えっと私不慣れだからその」
「…………」
 えーっと、顔を真っ赤にしてここで慌てふためいてるんですけど、その、これって。
「で、でもね、そういうものだっていうなら、あの、言ってくれれば今度から準備とか覚悟とかしてくるし、雄真にならいいかなって一瞬思っちゃったからその辺りの心配もいらないし、えっとね、その」
「――って違う違う違う! ジョーク、イッツアメリカンジョーク!! 俺なりのライトな冗談だー!! 本気にしなくていいから!!」
「って言って安心させておいてホテルへゴー!」
「黙れ俺の後ろおおおおお!!」
 そんなやり取りをしていて、ふっと思い出す。――先日の、小雪さんの占い。

『雄真さん……雄真さんに、あらたな女難の相が』

 女難ってこれなのかな、とか今日の二人の女の子の反応を見て思った。――まあ、もういいんだけど。
「さて、と」
 これで、残る大きな問題は……一つだけ。


 ハチ。俺はお前を――このまま許すわけには、いかない。


<次回予告>

「おす、雄真。珍しいな、日曜日にわざわざ俺を呼び出しなんて」
「おす。――んー、まあちょっとな」

一つの大きな決意を固めた雄真。
決着をつける為に、ついにハチと全てを話すことに。

「それだけじゃない。――雫ちゃん、俺に抱いてくれって、お願いしてきた」
「な……え……!?」
「最後のけじめが欲しいって。お前に受けた傷、一生忘れないように刻みつけたいから、
抱いてくれって俺に泣きながら頼んできた」
「そ……それで、お前……どうしたんだ……!?」

二人の少女の大きな悲しみを胸に、雄真はハチに非情なる鉄槌を下す。
最悪の現実を前に、ハチはどうすべきなのか?

「雫ちゃんに会いたいです!」
「却下。そんな一言で通す位だったらここで待ち構えてないわよ」
「雫ちゃんに謝りたい!」
「却下。謝って済む位だったらこんな大事に月邑もしてない」

そして――大切な物を取り戻す為の最後の戦いが、ハチの戦いが、幕を開ける。

次回、「ハチと小日向雄真魔術師団」
SCENE 81 「とてもとても、大好きでした」

「これが――雫の、願いだったから」


お楽しみに。



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