「うーす」
「お早うございます」
「おはよー」
「おおーっす」
 朝、登校時。いつものハチ・準との合流地点。いつも通り四人になり、そのまま学園へ。
「…………」
 ――なのだが、何処となく微妙に違う空気が流れる。原因は無論昨日発覚した話を意識してしまうからだ。
 呂穂崎さんとハチのこと。――事実は大きく、そして素直に喜べない。
「? おい、どうしたよ雄真? 朝から難しい顔して」
「え? あ、いや、別に何でも」
 少し表情に出ていたらしい。ハチに指摘される。――ドン。
「痛っ――って」
 準が無言で俺の尻を鞄で叩いた。表情を見ればこちらは少し呆れ顔。
(昨日の話、忘れたわけじゃないでしょ?)
 声には出していないが、口がそう動いていた。――昨日の話。呂穂崎さんと別れた後、準と会った時の話。

「成る程ねー……はあ」
 俺が一通りの説明を終えると、準は大きなため息をついた。
「何処まで行っても何をやらせてもハチはハチね。詰めが甘いというか何と言うか」
「俺、いい加減あいつの親友止めたくなったんだけど」
「何言ってるのよ、何だかんだで止められない癖に」
「お互い様だけどな……」
「まあね……」
 見慣れた瑞穂坂の街を、見慣れた親友と二人、ため息混じりで歩く。
「ハチも雄真に憧れるのはいいけど、女の子何人も連れ回す所まで真似しなくていいのに」
「その言い方は誤解を招くぞ準。決して俺は自ら望んで可笑しなことになっているわけじゃない。俺の彼女は一人、その人一筋なんだぞ。ちなみにお前は親友だからな」
「まだ何も言ってないじゃない」
「言わなかったら言うだろ」
 いつも通りのやり取りも、何処かノリが悪い気がしてきてしまう。
「話はわかったわ。わかったけど……だからって、あたし達何も出来ないわよ?」
「……だよ、な」
 俺達がハチに対して「雫ちゃんにしなさい」とか言うのは間違ってるだろう。ハチが呂穂崎さんを選ぶならそれはハチの意思だ。
 ただ現時点で、ハチの行動が曖昧だから困る。ハチは呂穂崎さんの言葉を受け入れるような応対をしている。だがハチにとって、雫ちゃんはそんなに簡単に切り離せる存在だろうか? あれだけのことがあって、雫ちゃんはハチのことが好きなのに、ハチだってそれはわかっているはずなのに、何故呂穂崎さんに対してそんな態度を取ったのか。
 どうするつもりなんだ、と問い詰めるべきかもしれない。――でも、問い詰めて追い詰めて切羽詰まって出た答えで大丈夫なんだろうか。それだけ曖昧な状態にしていて、俺達が煽って出た結果なんかでいいんだろうか。
 だったら、俺達は何も言わないで、ハチが自分で出した答えを見守るべきじゃないのか。――その考えに、俺も準も到達してしまったらしい。
「どんな結果になったとしても……誰かが、悲しむことになるか」
「そうね。――もてないもてないって騒いでおいて、いざチャンスが来たら二人同時。相変わらず普通じゃないわよね、ハチは」
「ま、俺達は人のこと偉そうに言えないけどな」
 そう言って、二人で軽く笑う。――俺は不本意ながらハーレムキングの素質あり、準はオカマ。ハチは何だか色々残念。……俺達だからこそ、親友としてやってこれたのかもしれない。――親友、か。
「……俺、一個だけ思い付いた」
「?」
「なあ、準。お前さっき言ったよな? 親友、何だかんだで止められないって」
「それがどうかしたの?」
「今回は、覚悟しよう。――あいつの、親友を止める覚悟」

 ――俺達は、ハチの今の状況を把握した上で、何も手を出さず、何も言うことはない。それが親友としての優しさだと、二人で結論を出した。
 そして、起きてしまった結果次第では、ハチの親友は止めよう。――その覚悟を、二人で固めることにしたのだ。
「? どうかしたんですか、兄さんも準さんも。お二人で目配せなんて」
 と、運悪くその様子にすももが気付いてしまった。えーと、何て言い訳しよう。
「安心してくれ、とりあえずやましいことは何もない」
「――その台詞の時点で怪しさ爆発だぞ、雄真」
 クライスのクールなツッコミが入った。……まあその、正論だ。
「準さん?」
 俺が答えるつもりがないと判断したが、すももが準にターゲットを変える。
「えっと――ほら、あたし達ラブラブだし?」
「それは断じて違う」
「そうですね、何だかんだで兄さんは準さんには行かないです」
「すももちゃんそれ何気に傷つく……」
 追求の目を止めないすもも。こうなるとすももはしつこい。
「そんなこと言うなら、ハチだってちょっと変よ?」
「え?」
 準が、俺達から追及の目を反らそうとする。――だが。
「お、俺!? 俺はその、あの……えっと……」
 追及先がまずかった。隠し事をしているハチに向けてしまった。案の定隠し事が下手なハチが動揺する。というかハチのことを隠したいのにハチに矛先が向いたら意味がない。――ドン。
「痛っ――って」
 俺がつい無言で準の尻を軽く蹴る。
(らしくないぞ。もっと上手くお前いつも誤魔化せるだろ)
 俺が口パクでそう伝えると、
(ごめん)
 と、準が口パクで返してきた。……そして、
「…………」
「……あ」
 その不自然なやり取りが、再びすももの目に止まってしまう。ああ悪循環。
「安心してくれ、多分やましいことは何もない」
「お前最早怪しいことを持ってますと告白してる同然だぞ」
 クライスのクールなツッコミが入った。流石のクライスでもフォロー出来ないらしい。
「いいですいいですもういいです! そうやってみんなでわたしを除け者にしてればいいんです! どうせわたしだけ皆さんの仲間外れですよーだ!」
 そしてすももが不機嫌になった。気持ちはわかるしフォローしたいが方法が見つからない。
「……はぁ」
 四人の幼馴染は、いつになく不穏な空気を漂わせ学園に向かうのであった。 



ハチと小日向雄真魔術師団
SCENE 79  「二人の答え」




「ふぅ……」
 結局どうにもならないまま、学園に到着。ため息混じりに俺は自分の席に座る。ため息ばっかりついてるなここ数日。老けないか心配になってくる。
「先日はああ言ったが、八方塞なら口を挟んでやってもいいぞ?」
「クライス?」
「お前でも渡良瀬準でもない、第三者が口を挟めば反応も違うだろう。お前達が甘やかすわけでもないからお前達の関係が悪化するわけでもない」
 クライスの申し出。トーンから真面目に言っていることがわかる。ありがたい提案だし、正論だ。……正論、だけど。
「いや――それはいい」
「そうか。お節介だったな」
「そんなことない。俺の気分の問題だろうから。――サンキューな」
 クライスに言って貰うのも、何か違う。いや違わないが、自分自身のけじめに納得が出来ない。そんな気がして、申し出を受け入れることが出来なかった。
「……なんだかついこの前もハチのことで悩んだばっかな気がするな」
 あれは確か、柚賀さんの時のことだ。柚賀さんの暴走のきっかけをつくってしまい廃人化したハチ。ただあの時は自分の力で復活した。ただ今回はどうだろうか。問題としては全然ジャンルが違うが、方法が真っ直ぐだった柚賀さんの時の方が復活はし易かったかもしれない。
「雄真、ちょっと話があるんだけど、いいかしら?」
 そういえばあの時も手を貸さないと決めた結果だった。――貸さないで何とかしろ何とかしろってばっかだな。……今回は、手を貸すべきか?
「雄真、聞こえてるかしら?」
 いやでも最初に準と貸さないって決めたしな。そんな曖昧な気持ちで俺がいたら駄目だろ。悪化に繋がりかねないぞ。
「――雄真?」
 あー畜生、何でもうハチのことでこんなに悩まなきゃいけないんだよ。いや何もしないって決めたんだから悩まなくてもいいんだけど、そこはほら、どうしても考えちゃうだろ?
「…………」
 つまりだな、俺は――パァン!
「へぶほっ!?」
 いきなり俺の両頬が両手で叩くように掴まれ、無理矢理首の向きを変えさせられた。
「知らなかったわ、これが放置プレイっていうのね。――あれかしら? 普段の仕返しのつもり? そうね、だったら私が悪いことになるけど」
「可菜美!?」
 そして方向転換した視線の先には、薄笑いで俺の両頬から手を話さない可菜美がいた。――怖い。薄笑い超怖い。
「……先ほどの台詞からするに、もしかしてずっと俺を呼んでた?」
「ええ、結果として放置プレイされたけど。――大体わかると思うけど、私はSかMかで分けたら間違いなくS。物凄い屈辱」
「すいません考え事していて気付きませんでした」
 素直に謝ると、俺の頬から手が離れる。――ふぅ。またため息ついたぜ俺。いや自業自得だがこれは。
「って、ここに来るってことは俺に用事?」
「あなたの顔が見たくなったの。我慢出来なくって」
「早速復讐ですね、わかります」
 俺は知っている。友達と話をしながら耳がダンボになっている春姫がこの教室にいることを。
「――ちょっと話があるの。ここじゃちょっと。廊下までいい?」
「あ、うん」
 一通りふざけると、スッと真面目な表情になりそう告げて来た。――俺も素直にその提案を飲み、廊下へ出る。
「まず、勝手なお願いなんだけど、これをあなたに私から話したっていうことは、他の人には内緒にして欲しい。あなたには、話さないっていう約束だったから」
「どういう……意味?」
「それが現時点で説明出来たら苦労しない。条件が飲めないなら、この話は忘れて」
 さっぱり読めないが、それでも何かの約束を破ってまで、可菜美は真剣に俺に伝えたいことがあるということだ。――聞くべきだろう。
「わかった、他には内緒にする」
「ありがと。――昨日のことなんだけど」
「え?」
 そこから可菜美の口から説明された出来事は、俺の心配事の重みを増してくれる話だった。
「見ちゃってる……のか……雫ちゃん……」
 昨日、仲睦まじくしているハチと呂穂崎さんの姿を、雫ちゃんは目撃してしまっていた。――つまり、雫ちゃんは既に呂穂崎さんの存在を、知ってしまっているのだ。
「正に茫然自失、ショック、っていう表情だったわ。私、衝動的に高溝を呼び止めようとしたんだけど、それは止めてくれって止められたわ」
「……そう、か」
「って、ちょっと待って。――あなた今、「見ちゃってるのか」って言ったわよね? 雄真は高溝と許久藤学園の呂穂崎さんの関係、知ってたの?」
「いや、知ってたっていうかさ……」
 俺も他の人に流さないという約束の上で、簡潔に昨日の出来事を話した。
「……成る程、ね」
 可菜美の感想はその一言だった。言葉が見つからない、と言えばいいのか。
「で? どうするつもりでいるの?」
「俺? とりあえず、どうにも出来ないよ。ハチが自分から何か言わない限り、雫ちゃんが自分から相談して来ない限り……どうにも、出来ないだろ」
「まあ……ね。――どうしてかしらね。あなたがどれだけ色々な女の子に手を出しても不思議と友達になれたのに、高溝の今回のことは受け入れられない」
「いやだから四方八方から言われますが俺は別に色々な女の子に手は出してません」
 向こうから迫られるだけでございます。
「まあいいわ。――私はきっと何もこれ以上は出来ないでしょうけど、でもこうして話をした以上、必要なら力を貸すから、遠慮なく言いなさい」
「うん、ありがとう」
 純粋な申し出だ。ありがたいし、心が少し軽くなる。――相談に乗ってくれる仲間は、一人でも多い方がいい。
「あなたがお礼を言う必要性はないけどね。――ああそれから」
「?」
「来週の日曜日、私と葉汐さん、特に葉汐さんは本気よ?」
「ぶっ」
「計画も着々と進んでるから、安心なさい。――それじゃ」
 悪戯っぽく笑うと、可菜美は俺に背を向けて歩いて行く。
「……散々言っておいて自分で俺のフラグを立ててるじゃないかよ」
 俺も苦笑しつつ、教室に戻るのだった。


 違和感というのは、大小あれど気付いてしまえば気になるし、解決しなければしない程ムズ痒くなるものである。
「ふーむ」
 そんなことを感じつつ、法條院深羽は一人、学園の廊下を歩いていた。――時刻は昼休み。食事を終え、何となく廊下を歩いていた。
 その違和感は昨日、日曜日の午後からだった。何でもないと思うのだが、何か引っかかる。何かが違う。
「うーん」
 深羽の性格からして、気のせいだ、と諦めたりはしない。当然の如く、その違和感の元と思われる人間に、何かあったのか、と尋ねてみた。だが、何でもないと言われてしまった。その笑顔にも無理はなく、その言葉を信じざるを得なかった。
 でも――違和感が、消えないのだ。
「むーん」
 本人が何でもないと言う以上、どうすることも出来ない。何か方法はないか。本当にただの勘違いではないのか。……そんなことを思いながら、歩いていたのだ。――そんな時だった。
「あー、法條院。丁度いい」
「ふぇっ?」
 自分の名前を呼ばれ振り向けば、担任の教師が。
「悪ぃ、ちょっと教室にプリント運んでおいてくれるか。次の授業で使うんだ。何か用事あるか?」
「あ、大丈夫です」
 呼び止められ、素直に頼みごとを聞き入れ、職員室へとついて行く。――その間も当然考え事は続くのだが。
「これとこれ、二種類。頼むわ」
「あ、はい。――ね、拓センセー」
「剣崎先生って呼べっつってるだろうが馬鹿野郎」
 この男――深羽のクラスの担任教師である――名前を剣崎拓郎(けんざき たくろう)といった。年齢は三十台前半から中盤。少々ルーズな性格、ぶっきらぼうな口調等が時折経営陣から問題視されているが、気さくな性格が生徒からの人気を呼んでいる男でもあった。
「みんな拓センセーって呼んでるじゃん。――拓センセーさ、人生経験豊富だよね?」
「馬鹿かお前、人生経験豊富だったらこんな学校の先生なんていう平和な職種にはついてねえよ」
「えっ、でもヤーサンと繋がりあるとか」
「好きでなったんじゃねえ、俺の昔のダチが勝手に若頭になっちまっただけだ」
「後は昔ウチの生徒が暴走族に目をつけられた時その二百人の暴走族一人でボコボコにしてきたとか」
「話でかくすんな。百人しかやってねえ」
「十分凄いじゃん……」
「第一人生経験豊富、とか俺の経験してることとはまた意味がずれるだろうが。――なんかあったのか? お前つまんない揉め事起こすようなタイプじゃねえだろ」
「うーんと」
 深羽は掻い摘んでの事情を剣崎に説明してみた。
 昨日の昼からの違和感。
 原因を隠している人間の特定も出来ている。
 でもその人間は違和感を否定。
 表情や雰囲気にも無理は感じられない。
 でもどうしても違和感が拭えない。
「どーしたらいいかな、って悩んでたんです」
「ふぅん。――んなの簡単だ、無理矢理脅してでも吐かせればいい」
「拓センセー簡単に言ってるけど無茶ですってばそれ」
 ガタン、と背もたれに体重を預けて、剣崎は書類から目を離し、深羽を見た。
「お前は周囲や自分が思ってる以上に周りが見えてる人間だよ」
「そう……なのかな。自分のことはよくわからないけど」
「馬鹿野郎、これでも俺はお前の担任だ。自分のクラスの生徒のこと位把握してる」
 事実彼は生徒のことを良く見ている人間で、相談を持ちかければ話をちゃんと親身になって聞いてくれた。彼が生徒の支持率が高い理由の一つでもあった。
「お前がそこまで考える程想ってる相手に違和感感じてるんなら何かあるんだろ、きっと。なら無理矢理にでも吐かせろ。それだけだ」
「無理矢理にでも、か……ありがと拓センセー、試してみる!」
「剣崎先生って呼べっつんてんだろうが馬鹿野郎」
 その後、五時限目の授業を終え、放課後になり――目的の人物を屋上へ呼び出した。都合よく屋上は深羽とその意中の人物しかいなかった。
「どうしたの深羽ちゃん、急に屋上で話があるだなんて」
 いつもと何も変わらない笑顔で、雫はそう深羽に話しかけてくる。
「…………」
「――深羽ちゃん?」
 いざ呼び出しておいて、深羽は困っていた。――無理矢理吐かせるって具体的にどうやればいいんだろ。拓センセーに聞いておけばよか……いや拓センセーのやり方が私に出来るかどうか。
「えーっと……ほら、その……あれだ。正直に全て話せ! でないと、えっと……泣くぞ!」
 とりあえず試してみたがどうにもならなかった。雫がくすくす、と笑う。
「深羽ちゃん、どうしたの? 何か変だよ、深羽ちゃん」
「…………」
 何気ない言葉が、深羽の胸に刺さる。――何か、変。
 変なのは、自分じゃない。変なのは――何かを隠して、我慢しているのは――
「……変なのは、雫の方じゃん」
「え?――あっ」
 気が付けば数歩の距離を近付き、深羽は雫を抱きしめていた。
「深羽……ちゃん……?」
「ごめん雫。私はさ、拓センセーみたいに無理矢理吐かせる方法とかわかんないし、雄真センパイみたいに格好良い方法とか思いつかない」
「…………」
「それでも、大切な友達の為に、何かしたいって思う。大切な友達が困ってたら、助けたいって思うから」
「……深羽ちゃん」
「今日、これでも雫が何でもないって言うなら、雫の言葉を信じて、諦める」
 そこまで言って、深羽は言葉を切る。――雫の返事を、待つ。
「……あ」
 数秒後――深羽が一方的に雫を抱きしめる形だったのが、雫からも深羽を抱きしめ返す形に変わる。
「十分無理矢理だし、十分格好良いよ、深羽ちゃん」
「……雫」
「本当、何処まで行っても敵わないね、深羽ちゃんには。――うん。全部、話す。全部、話すから……その前に」
「その、前に?」
「……ちょっとだけ……このまま、泣いても……いい?」
 既に、雫の声は、涙声になっていた。
「うん」
 深羽が承諾すると、雫はそのまま軽く顔を埋めて――静かに、泣き始めた。深羽はそのまま雫を優しく抱きしめ続ける。
「……ありがとう。もう、大丈夫」
 気持ちも落ち着いたか、自ら雫は抱擁を終え――全てを、語った。
「…………」
 話を全て聞いた深羽は、言葉を失った。――中身は、とても重かった。
 深羽としても、色々思うことは当然ある。ハチは何を考えているのか、雄真はその辺りのことは把握しているのか、等々。――だが考えがまとまらない。
「辛いよ。こういうことがある度に、あの人のことが好きっていう気持ちが大きくなって、重くなっていくから」
「雫……」
 そして自分の考え云々よりも、全てをさらけ出して、本音を見せる雫の表情を見るのが辛かった。壊れてしまいそうな雫の表情が、何よりも痛かった。
「……雫はさ、良い子ちゃん過ぎるよ」
「……深羽ちゃん」
「我慢なんてする必要なんてないよ。問い詰めてやればよかったんだよ。裏切られたと思うなら、復讐してやればいいんだって。悪い子になっちゃえばいいんだって。雫が悪い子になったって――私は、友達だからさ」
 優しい笑顔でそう告げてくる深羽。その笑顔は、雫に最後の勇気をもたらす。
「無理矢理連れてくる作戦でも、とっちめる作戦でも、何でも一緒に考えるって。私は、雫の味方だからさ」
 生まれた勇気は、雫に一つの決断を下した。
「深羽ちゃん、ありがとう。――私、もう迷わない」
 力強い目で、雫はそう深羽に告げるのだった。


「はっ、はっ、はっ……」
 ハチは走っていた。――無意識の内に。気付けば、走り出していた。
 気持ちの高揚が抑えられない。
 日々日常の嫌なこと、少しだけ心に積もった曇ったもやが消えていくような感覚。
 ただ――会いたくて、仕方がなかった。
「はっ、はっ、はっ……」
 やがて視界に入り始める、目的の人。
「――あっ」
 向こうもハチの存在に気付いたか、笑顔で軽く手を振ってくれた。走っていたので、直ぐに目前に辿り着く。
「はっ、はっ……お、お待たせ……」
「何も遅れてるってわけじゃないんだから、走ってこなくてもよかったのに」
「あ、あはは、そうなんだけどさ、でもなんとなく」
「ふふっ、そういうとこ、ハチらしいけど」
 そんなハチを、待ち合わせの相手――呂穂崎史織は優しく嬉しそうな笑顔で出迎えた。ハチの息が整うのを待って、二人で歩きだす。
「そういえば、どうしても行きたい場所があるっていう話だったけど、何処?」
「それはついてからのお楽しみです。――あっ、あそこ」
「?」
「あのパン屋さん。良かった、まだあったんだ」
「おう、あるけど……あのパン屋、何かあったっけ?」
「初めてハチに貰ったプレゼント、あのパン屋さんのあんドーナツだったよ? これ、僕の気持ちです! って言って」
「ぶっ」
 流石のハチも情けなさからくる恥ずかしさが襲った。当時の自分は何が楽しくて好きになった女の子に自分の気持ちと称してあんドーナツをあげていたのか。
「でも、あれからあそこのあんドーナツに嵌ったんだよね。――何だか食べたくなっちゃった。行こう?」
「え? あ、おう!」
 そのまま二人はあんドーナツを買い、食べながら思い出話から近況まで、色々な話に花を咲かせた。
 話が尽きることはなく、楽しい時間はいつまでも続いた。
 その姿は、並んで歩く姿は、まるで――
「はい、つきました」
「ついた……って、ここ?」
 史織がついた、と称する場所は、何の変哲もない、住宅街の道。
「ここは、ハチと私が初めて出会った場所」
「あ……」
 指摘されてハチは思い出す。――そう、ここでハチが史織に話しかけたことから、二人の関係は始まった。色々な思いが、ハチの心を過ぎった。
「どうして私が、ここにハチをつれてきたか、わかる?」
「……史織ちゃん」
「ここから、始めたかった。一歩先へ。二人が始まったこの場所から今までより、もう一歩先へ行きたかった」
「!!」
「ハチ」
 史織は、ハチの名前を優しく呼ぶと――ゆっくりと、目を閉じた。何を求めているかは、一目瞭然だった。そして、その行為が、何を意味しているかがわからない程、ハチは馬鹿でも子供でもない。
「……っ」
 ドクン、ドクン、ドクン。――高なる心臓の鼓動に後押しされ、ハチは一歩、史織に近づく。
 その手で、史織の両肩をそっと掴んだ。――その気持ちに、応える決意を、固めた。
 ゆっくりと、顔を近付ける。まるでその美しい顔に、唇に吸い込まれるように、二人の距離が近づいていく。
 そして、今まさに――と思われた、その時だった。
「っ!?」
 ハチの視界に、入ってしまった。――道の向こうで、二人の様子を見ている、一人の少女の姿を。
 自分が好きになった、もう一人の少女の姿を。
 月邑雫の――寂しげな、その表情を。
「雫ちゃん……」
「えっ?」
 ハチが無意識の内にその名前を口にしたのと、史織がそのハチの言葉に反応して目を開けて振り返ったのと、
「……っ!!」
 雫が百八十度向きを変え、走り出したのはあっと言う間の出来事だった。
「ま、待ってくれ、雫ちゃん! こ、これは、そのっ!」
 ハチが叫んでも、雫が止まることはなく――直ぐに、視界から消える。
「ハチ……?」
 不安そうな目で、史織がハチを見た。
「史織ちゃん……俺、俺……」
 そして――ハチの出した、結論は……


「はっ、はっ、はっ……」
 どれだけ走っただろうか。気がつけば雫は随分と長い距離を走っていた。――周囲を確認。ハチが追いかけてきている様子はなかった。
「…………」
 気持ちは驚く程冷静だった。涙が出ることもなかった。覚悟をしていたからか、それとも――もう、枯れる程泣いてしまったからか。
 思ったよりも、大丈夫だ。それが、雫の今の結論だった。大丈夫、この調子なら、ショックもそう遠くない未来に消える。
「……っ……」
 だが――雫の心は、本人が考えている以上に、既に……壊れて、いた。
「ふーっ……」
 大きく息を吹いて、携帯電話を取り出し、登録してあるとある番号にコールする。
「もしもし? うん、ごめんね、すももちゃん。ちょっと聞きたいことがあるの。――ううん、違う。私が聞きたいのは、小日向先輩の方なんだ」
 そこからしばらく通話は続き、雫は求めていた情報を得ると、お礼を言い、通話を終える。
「深羽ちゃん。……深羽ちゃんの言う通り、私、悪い子になるから」
 ポツリとそう呟くと、雫は歩き出したのだった。


<次回予告>

「小日向先輩。先輩は、高溝先輩と……許久藤学園の呂穂崎さんの関係って、何かご存知ですか?」
「……雫ちゃん、その質問って」
「この前の日曜日、見かけたんです。楽しそうに仲良く二人でいる所を」

ハチの姿を見て、全ての答えを固めた雫。
大きな想いを胸に、ついに雄真と二人で会う。

「それで、私決めました。――あの人とのことは、もう終わりにしようって。追いかけるの、止めようって」
「……そう、か」

ありのままに語られる雫の想い。そして答え。
それを前に、雄真は何を想うのか。

「間違ってたっていいんです! 駄目な女でもういいんです!」
「兎に角駄目だ! 雫ちゃんのことは大切な仲間だし何でも助けてあげたいけど、
こんなやり方のは俺は受け入れられない!」

そして、壊れた心が生み出した決断が、全てを壊そうとしていた――

次回、「ハチと小日向雄真魔術師団」
SCENE 80 「壊れた心が壊す物」

「短い間だったけど、私と友達になってくれて、ありがとう。――友達になりたいなんて言って、ごめんなさい」


お楽しみに。



NEXT (Scene 80)  

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