ガラガラガラ。
「やっほー、今日さ、放課後ボーリング行かない? 割引券貰ったんだー」
 それは五年前のとある日の昼休み、瑞穂坂学園のとある教室での一コマ。
「ボーリングっ!! 行きます、絶対に行かせて頂きますわ! もうコツは掴みました、敗北など致しませんわよ!」
「おお、燃えてるよ美由紀ちゃん」
「前回のビリが余程悔しかったのね……」
「ま、でも実際美由紀は未経験だったからだし、飲み込みは早いからまたやらせたらわからないんじゃない?」
 …………。
「――ってあら、蒼也くん読書モードか。こうなっちゃうと長いか……聖、蒼也くん放課後までに読み終わるかな?」
「流石にそれはわからないかな……」
「うーん……こういうのって蒼也くんいないとつまんないんだよね」
「さつきが蒼也に勝てるのはボーリングとかカラオケとかゲーム位だしね」
「うるさいぞそこのパーフェクトクールビューティ乙姫」
「乙姫って呼ぶな」
「でも、やっぱり行くなら全員で行きたいよねえ。ご飯もみんなで食べた方が美味しいし」
「夕菜の何でも食べ物に結び付けるのって、ある意味才能よね……」
「聖、感心したら負け」
「うーん……あの本自体はそんなに分厚くないし、いざとなったら移動しながらでも読むから、大丈夫じゃないかな? 僕はそう思う」
「そっかー……じゃ、放課後まで一応待ちますか」
「――なあ、聖」
「おお〜!? 読書中の蒼也くんが周囲の存在を認識してるよ!?」
「違うんだな夕菜、これが愛って奴なのよ、うんうん。私にはわかる」
「まあ確かに、さつきにはわかるだろうけど?」
 チラリ。
「あ……う、あ、いや、だからそそっそういう意味じゃなくてさ、その!」
「ふふっ、さつきは自分のことになると弱いわよね」
「聖が冷静過ぎるの!!」
「ふぅ……馬鹿野郎、流石に多少は周囲の状況位把握してるっての。冬子は俺のこういう話滅多なことじゃ聞いてくれないし、さつきも夕菜も本能で魔法撃つタイプだから構築系の話してもよくわかってくれないだろうし、美由紀は七割は頭で捻るタイプだけど本当の大技は本能で撃つタイプだし」
「う、鋭い所を」
「でもでも、わたしだって色々考えてるんだよ? 詠唱を「アンパンチ!」に変えて魔法が撃てないかどうか、とか。ちなみにその詠唱じゃ五割の威力でしか撃てなかったよ……」
「いや待てお前その詠唱で五割も出せるのか!? 俺はその方が驚きだぞ!?」
「――蒼也、将来夕菜を題材に学会に発表したら?」
「うん、マジで俺ちょっと考えますよ冬子さん」
「あれ? 冬子は駄目、さつきも夕菜も駄目、美由紀も場合によっては駄目なのはわかったけど、それじゃ謙太くんは?」
「――お、謙太いたのか。悪い、本に夢中で気付かなかった」
「ええええ!? 何で僕だけ認識してないの!?」
 …………。
「でさ聖、この本、魔法陣の構築に関して書かれてるんだけど」
「魔法陣の……構築?」
「魔法陣ってさ、生まれながらの素質、それから会得した詠唱で形って決まる。何種類も魔法陣を使い分けるなんてのは普通不可能だ。――で、俺思ったんだけど、何らかの力で自分の基本としている魔法陣とは違う魔法陣が作れれば、放てる魔法の種類とか威力とか、かなり幅広くなるような気がするんだよ。――お前さ、魔法陣使わないでの魔力放出、俺なんかより多いじゃん? リディアに溜める時とか」
「ええ、それはそうだけど」
「そういう魔法陣を介さない力を使って、自分の意思とは違う形の魔法陣って作れないかなって思ったんだよ、この本読んでて」
「――それって意味あるわけ?」
「冬子?」
「あたしなんか属性偏ってるけど魔法の種類そのものに困ったことない。ましてやあんたなんて物凄い幅広く魔法使えるじゃない。無理して今以上広げる必要性あるわけ? その手の方向の下手な会得は逆にバランスを崩して自分の実力を下げるきっかけになりかねない」
「おおう、流石だよこのパーフェクトクールビューテへぶっ」
「乙姫って呼ぶな」
「まだ呼んでないじゃん!! カバンで殴ることないじゃん!」
「さつきちゃんなら大丈夫だよ」
「夕菜には言われたくないっ!!」
 …………。
「――ま、実際は冬子の言ってることが正論なんだけどな。俺も今それを会得してみようとは思わないし」
「そうね、私もそう思うわ。面白い発想だとは思うけど」
「いつか余裕が出来たら試してみるか。――で、何だ? ボーリングだっけ?」
「そう、放課後勝負っ! 最下位には罰ゲーム!」
「罰ゲーム、望む所ですわ!! 今度こそさつきさんに屈辱的な衣装を……フフフフ……!!」
「根に持ってるね、美由紀ちゃん……この前のこと……」
「ふーん、罰ゲームねえ……別にいいけどさ、お前謙太が最下位になったら連帯責任でいいのか?」
「へっ!? う……い、いや、それはさ、ほら、あのさ」
「俺は別にいいんだぜ? 聖が最下位になった時連帯責任でも」
「あ、そうね、私もそれは構わないわ」
「そ、それはずるいっ!! その二人が最下位になることはありえない!」
「その……ごめんね、さつきちゃん、僕のせいで」
「あ……その……私の方こそ、ごめん……」
「さつき、顔真っ赤」
「う、うるさいぞそこのパーフェクトクールビューティ乙姫!!」
 …………。
「あれ? カバン飛んでこない」
「恥ずかしがってるさつきをさらした方が面白いし」
「こ、このっ!!」
「さつきちゃん、僕のことは気にしなくていいから。生き生き伸び伸びとしているさつきちゃんを見る方が、僕も嬉しいし」
「〜〜〜〜っ!!」
「さつきちゃん、可愛い〜〜〜〜!!」
 ぎゅーっ。
「抱きついてくるなこのアンパン娘っ!!」
「……結局あれか? こいつらは俺の読書を邪魔したいだけなのか?」
「ふふっ、意地悪なこと言わないの。わかってるでしょう?」
「まあな」
 そんな些細な話。でも、そんな些細な話の一つが、後に―― 



ハチと小日向雄真魔術師団
SCENE 70  「願いの魔法」




 ズバァン、バァン、ドォン、バァン!――絶え間なく響く衝突音、戦闘音。
「っ、速い、何処へ行きやがった!」
「見失うな! この数だ、負けやしねえ!」
 聖一人対、後枢直属の部隊。圧倒的な数を相手に、聖は速度で翻弄するが、決定打を与える暇を作れず、長期戦にもつれ込み始めていた。
「…………」
 ズバァン!――その戦闘の様子を、一歩離れた所で、冷静な面持ちで見守る後枢。
「――随分といいご身分なのね、後枢隆彦? そこで見ているだけかしら?」
 先ほどの衝突で後枢の部隊と間合いが開いた聖がそう問いかけてくる。
「私が出て行かなくても、十分問題ないでしょう」
「あら、随分と私のことを過小評価してくれているのね?」
「そんなことはありません。月邑家にいる頃、あなたは私に実力を見せることはほとんどありませんでしたが、あなたの力が強大なのは知っていましたしね」
 眼鏡をクイッ、と直しながら後枢は続ける。
「寧ろ、あなたが私を過小評価しているようだ」
「どういう意味かしら?」
「私が、あなたのことを計算に入れていなかったとでもお思いですか?」
「…………」
「あなたが雫さんの近くにいることは重々承知の上での計画です。――私としては、捕らえるのはあなたでも良かったんですよ。例え捕まえたのがあなたでも、それをエサに雫さんを呼び出すことは容易。――つまり、あなたをここで捕らえる自信があれば、下手に動く必要性もないでしょう」
「――っ!!」
 不意に、聖の周囲が影で覆われる。気付いた時には、左右にそれぞれ二メートルはあろうかと思われる大男が一人ずつ。その大きな体から、大きな拳を聖に向かって振り下ろしていた。――ズバゴォン!!
「ちっ、避けやがったかー」
「焦るなよアニキー、じっくり行こうぜじっくりよー」
 魔力も相当込められていたか、そのパンチの威力は相当であることが察せられた。まともに喰らったらひとたまりもないであろうことも。
「当然、彼らも私が雇った者達です。そして隠し球は彼らだけではない。状況に応じて、徐々に、徐々に投入していきますよ。あなたが何処まで持つか、見物ですね、沙玖那聖。――さあ、どんどん踊って見せて下さい」
 ニヤリ、と笑い聖を挑発する後枢。……一方の聖は、
「……ふふっ」
 軽く笑みを浮かべ、挑発を返した。
「――何がおかしいのでしょうか?」
「本当に、思った通りの性格、そして行動をとってくれるからかしら」
「……何?」
「あなたがどれだけまだ戦力を隠しているかは知らないけど、例えば最初からそれを全部投入して、あなたも戦闘に参加していたら、私もどうなっていたかわからない」
「どういう……意味です?」
「あなたはきっと、そうやって徐々に徐々に私や雫を追い詰めて、出来るだけ長い時間、苦しめようとしてくる。それを根本に、こちらのスケジュール、こちらから隙を見せるタイミング、それらを計算に入れて、あなたの行動を全て計算した。――私一人じゃ流石に無理だったけれど。頭の回転の速い人間を何人も集めて、徹底的に搾り出したわ」
「……!?」
 後枢は、自分の耳を一瞬疑った。聖の言葉を要約してしまえば、
「まさか……今日この時間に決行することすら、予測通りだと言いたいのですか……!?」
 ということになるからだった。
「その辺りは、あなたの想像に任せるけれど」
 口ではそう言いつつも、挑発的な笑みを崩さない聖。――少しずつ、後枢に焦りが生まれ始める。
「それに――あなたがどれだけ私のことを把握していたか知らないけれど、私の友人関係に関しては、ちゃんと調べたかしら」
「何……!?」
 ズババババァァン!!
「ぐはあああああーっ!!」
「!? あ、アニキー!! チクショウ、誰が――」
 ズバッシャァァァーン!!
「ぐへえええええええ!?」
「な……!?」
 先ほど聖に奇襲を仕掛けてきた巨大兄弟二名が、「七色の魔法球」と「巨大な水属性の魔法球」によって、呆気なく吹き飛ばされる。逆に奇襲を仕掛けられ、防御も甘かったか、その二人が起き上がってくることはなかった。
「聖ちゃーん、お待たせー」
「ふぅ」
 そして姿を見せる二つの人影。――野々村夕菜、静渕冬子の二人である。
「聖ちゃん、どの位力使っていいかなあ? 本気? 本気出したら駄目?」
「いいわよ、本気で。遠慮なくお願い」
「おっけー」
「あたしは七割しか出さないから」
「当然、それで十分殲滅出来る計算なのよね?」
「ま、そういうことかな。夕菜が本気出せばおつりが来るでしょ」
 要は、聖が夕菜の店を訪ねて二人に頼んだのは、今回のことだったのだ。
「な……ん、だと……?」
 一方で――後枢の冷静な面持ちが、かなり崩れ始めていた。
「馬鹿な……あなたがコネを持つ実力者に関しては、全て調べ、状況を抑えておいたはず……!!」
「家柄関係、協会関係に関しては私も抑えられていると思ってたわ。だから、一般人の友達を選んだのよ」
「わたし、魔法具販売店の店長さん」
「大学院生」
「……っ……!!」
 先ほどの一撃を見ても、店舗の店長、学生の実力など遥かに凌駕している二人であることは、後枢は直ぐに痛い程察せられた。背中を、嫌な汗が流れる。
 そして――そんな後枢に、追い討ちをかけるような事実が、もう一つ。
「さて。それじゃ私も、本気を出させて貰おうかしら」
「……は……!?」
 後枢は再び自らの耳を疑う。――本気を、今から出す? それが事実だったとしたら、聖は今まで本気を出していなかったことになる。
「言ったでしょう? あなたが一気に全力投入してきたら、負ける可能性があった。二人が到着するまで、負けるわけにはいかない。つまり、それまではあなたには舐めて貰わなきゃいけなかった」
 説明をする聖の周囲の空気の流れが変わっていく。光の波動が時折迸るのは、その力が絶大である証拠。……聖の言葉が、嘘ではないという証拠。
 つまり――完全に、聖の策略に嵌ったという、痛い証拠であった。
「夕菜、行くわよ。面倒だからとっとと終わらせる」
「うん! こっちは任せて!」
 その声を封切りに、周囲での戦闘が開始。冬子と夕菜が、圧倒的勢いで攻撃、優勢に持ち込んでいく。
「降りてきなさい、後枢隆彦」
「……っ!!」
「決着をつけましょう。あなたと私、一対一で」
「……いいでしょう」
 そして、その戦闘を周囲に、中心で聖と後枢の一騎打ちが始まろうとしていた。一定の間合いを置いて、後枢と聖が睨み合い。
「レイ・ウォルム・ナーザ・アフェクト!」
「シャルヴァーナ・リクスト・メイア!」
 ズバァン!!――激しい攻撃魔法のぶつかり合いで、二人の戦いは幕を開けた。
(わかっている……奴は必ず、接近戦に持ち込んでくるはず……そのタイミングさえ、見逃さなければ……!!)
 後枢は冷静な状態をキープし、聖の接近戦を警戒する。――後枢自身もレベルは高い。接近戦に持ち込まれなければ、という想いはあったし、決して間違いでもなかった。
 一方の聖は、接近する素振りも見せず、魔法の撃ち合いを続ける。
(負けは無い……負けられない……自分自身さえ見失わなければ、必ず……!!)
 松永庵司に対する事実上の敗戦、その後の冬子との模擬戦。その二つの結果、今までの一歩上を行く、沙玖那聖という魔法使いが生まれ始めていた。
 自分は戦士ではなく、魔法使いである。自分が持っている物は剣ではない、マジックワンド。
 自分は接近戦がこなせる。付け焼刃の物ではない、自分を下した庵司に一流と認められる接近戦がこなせる。
 接近戦が可能な魔法使いというのは、そう多いものではない。ましてやそれが一流のレベルの人間など限られている。だからこそ、自分はいつの間にか何処かで接近戦に頭が行くようになっていた。最終的にそちらに持ち込むことで、不意を突くことで、勝利するスタイルを選ぶようになっていた。
 結果として、松永庵司に負けた。
 なら自分はどちらで戦った方が強いのか?――その疑問を持つことは、間違い。
 本当に大切なのは、状況を瞬時に判断し、どちらの方法で、どの方法で戦うか決めるということ。自分は、どちらでも戦える。――どちらでも戦えるようになって初めて磨いてきた接近戦の意味が出来る。だって自分は、「魔法使い」だから。
 基本中の基本。その基本を最大限に生かすこと。――それが今の自分に必要なこと。それが、聖の結論だった。
(何故だ……何故仕掛けてこない……!?)
 一方の後枢は困惑していた。聖は接近戦で来る。そのイメージがあり、その対策を練ってあった。ところが蓋を開けてみれば一定間合いでの魔法の撃ち合い。今の所それで押されることはなかったが、逆に不気味だった。
(根競べ、か……負けるわけには……!!)
 ここで焦って大技を出せば、きっと聖はその隙を狙って接近戦で来る。――冷静になるように自分に言い聞かせ、後枢は体勢を崩すことなく、魔法を放つ。――バシュッ!
「っ!!」
 聖の足元が光る。移動術。つまり高速移動。つまり――接近戦への合図。すぐさまスイッチを切り替え、接近戦に対応しようとするが――
「……!?」
 聖の立ち位置は、ずれこそしたものの、近付いてはいない。横へのステップのみ。
「しまっ――」
 バシュッ!!――続けての聖の移動術。聖は剣式ワンド「リディア」に魔力を込め、既に後枢の目前で、接近戦の体勢に入っていた。要は最初のフェイントで隙を作り、その隙を狙ったのである。
 夕菜と冬子が到着する前、後枢が用意した部隊と一人で戦っている時、聖はほとんど接近戦のみで戦っていた。そもそも接近戦が得意という情報、そして先ほどまでの目前での接近戦。後枢の頭は、無意識の内に接近戦、というものに囚われていた。
 それに囚われることも聖の策略。――完全に、聖の手の平で遊ばれている状態だったのだ。
「はあああああっ!!」
「く……ぐっ……!?」
 そこからは聖の怒涛の接近戦。一度近付いた間合いを離す必要は既になく、ありったけの速度、攻撃を相手の状況を冷静に見ることを忘れることなく叩き込む。
「がはあ!!」
 ズバァン!!――大きな斬撃で、かなりのダメージと共に後枢が吹き飛ぶ。再び離れる間合い。
「――私は、魔法使い。私が持っているのは剣じゃない。マジックワンド。マジックワンドは本来は主の魔力を介すことのフォロー。……そんな当たり前のことも、忘れてたなんてね」
 そして、ここから先が聖が辿り着いた結論の、もう一つの答え。――技。
 以前の聖だったら、更にここまま近づき、接近戦を続け止めを刺しただろう。無論それでも十分な攻撃ではある。――だが、冷静に相手の立場になってくれば、次の攻撃も接近戦で来ると考えるのが当然。その為の防御を敷いてくる可能性は高い。
 ならどうしたらいいのか?――自分の素早い接近戦よりも、威力も速度も高い遠距離攻撃を撃てばいい。
 単純な結論だが、そう簡単な話ではない。あの聖の速度を越える攻撃など容易く放てるわけがないのだ。……それでも。
「ディンティア・リクスト・エス・メイア・セシル」
 詠唱と共にリディアに魔力を込める聖。そして、ここから先の行動は、周囲の人間誰しもがその目を疑うような行動だった。
「な……!?」
 聖はリディアの剣先を正面に向けると――そのままその剣先を小刻みにかなりの速度で動かし、直接魔法陣を描き始めたのである。
 一般的に魔法陣というのは、詠唱と共に自然と浮かび上がる物。それを聖はあえて自らの手で描くことにより、その魔法陣に込められる魔力を絶大なるものにしていた。簡単にはいそうですか、で出来ることではないが――それでも相当の速度で聖の目前に魔法陣が描かれ、
「くっ!!」
 後枢が対策を講じる前に、魔法陣は出来あがっていた。そして、
「――グランド・クロス!!」
 ズババババァァァァァン!!――強大な聖なる十字架が、後枢に向かい飛んで行く。その威力は既に禁術に程近い物。
「ぐ……お……おおおおおおおおお……っ!!」
 そして――今の後枢がとてもではないが対応出来る威力ではなかった。その眩い光に押し潰されるように後枢は包まれ、吹き飛び――ピクリともしなくなった。
「…………」
 聖はそれを確認すると、ゆっくりとリディアを下ろし、鞘に仕舞う。――圧倒的実力での、勝利である。
「おおお、凄い凄い〜! 何今の聖ちゃん!」
 周囲の戦闘も無事終了しており、夕菜と冬子がやって来た。
「聖、そんなに強くなってどうするの? 何目指してるのよ」
 聖の新技に目をキラキラさせている夕菜に、逆に呆れ顔の冬子である。
「蒼也が知ったら泣いて羨ましがるわよ。自分のワンドで魔法陣手動で書いて攻撃なんて」
「かもしれない。今度自慢するわ。蒼也ならコピー出来るかもしれないし」
「……ホント、これ以上カップルで強くなってどうするつもりなのよ」
「何を目指すつもりでもないけど……でも、二人で強くなれるなら、それに越したことはないから」
「……魔法馬鹿ップル」
「でもでも、その技格好いいな〜! わたしでも出来ないかなあ? わたし一度でいいから、自分の魔法陣をケーキの絵にしてみたかったの!」
「……馬鹿」
「冬子ちゃん酷い〜! わたしも馬鹿の後に何かつけてよ〜!」
「指摘、そこなんだ……」
「……馬鹿馬鹿」
「馬鹿が増えただけ!?」
 直後、三人で笑い合った。
「二人とも、本当にありがとう。おかげで助かったわ」
「別にいいわ。日々大小馬鹿なことから大変なことまで巻き込まれてたこともあるから、慣れてるし」
「そうそう、みんながいれば全然大丈夫だもんね! それにほら、雫ちゃんの為だし!」
「雫ちゃん……ね。その本人はどうなったの?」
「そうね。連絡取ってみるけど……でも、きっと大丈夫。そんな気が、するから」
 聖の顔は、そう信じて疑わない顔だった。


「はっ、はっ、はっ……」
「はあっ、はっ……つ、着いた……」
 マラソンのゴールテープを切るように、雫とハチは瑞穂坂学園の敷地内へ入る。流石に疲れは結構な物で、二人共走る足は止まり、ゆっくりと歩き出す。
「後は……他のみんなが無事なら……」
「そうですね……でも聖さん達なら……あっ」
 携帯電話が鳴り出す。雫のだった。――急いで取り出し、通話ボタン。
「はい。――はい、学園内に今。聖さんは……本当ですか、良かった……!!」
 雫の顔から、笑みが零れた。察するに、無事を知らせる電話。
「はい、はい、はい……はい、それじゃ学園で待ってます!」
 ピッ。
「聖さん、無事です! これから他の皆さんと合流して、学園に戻るって!」
「うおおお、マジでか!! 良かった、これで無事助かったんだな、俺達……!!」
 無事助かった。――その言葉が現実味を帯びてくると、急に足の疲れも増してきた。ガクガク、とハチはその場に座り込んでしまう。
「あっ、大丈夫ですか先輩!?」
「ああ、うん、急に疲れが出ただけだから。……雫ちゃんは、大丈夫なのか?」
「はい。疲れてるはずなんですけど……無事だって報告を受けて、興奮していてわからなくなっているのかも」
 ふふっ、と雫は笑う。
「先輩、そこで待っていて下さい。私自販機か何かで飲み物、用意してきます」
「え? あ、ちょ」
 実に情けない話である。同じ量を走ってきたはずなのに、自分はバテバテで女の子に飲み物を買ってきて貰う。
「し、雫ちゃん、待った! 俺が――」
 だが、呼びかけた時、既に雫は動き出しており、伸ばしたその手だけが虚しく中を舞った。
「…………」
 ヒュウウウウウ。――風がやけに冷たく感じるハチであった。暖かい飲み物を頼めば良かったとか無駄に思う。
「? 先輩、どうかしたんですか?」
「いや……うん、何でもないさ。ははは、ありがとう」
 戻って来た雫からジュースを受け取り、飲む。――ハチだけでなく雫にとっても疲れた体にはありがたい一杯であった。
「先輩、飲み終わったら……屋上、行きませんか?」
「屋上?」
 理由はわからなかったが、断る理由もなかったので、その提案をハチは飲むことにした。水分補給を終え、途中階段でハチの足が縺れたりしつつ(!)、二人は校舎の屋上へ出た。
「――お母様が、この瑞穂坂の街の夜景、大好きだったんです」
 雫は棚に手を置いて、広がる夜景を眺めながらそう切り出した。
「……雫ちゃんのお母さん……って確か」
「私が中学生の頃に、亡くなってます。――元々、体が強い人じゃなかったんで」
 クリスマス前のあの騒動の時、既に雫に母親がいる様子はなかった。大方ハチの予想通りではあった。
「母も当然、「弐条蹄形ノ法則(にじょうていけいのほうそく)」で父と結婚した魔法使いです。小さい頃の私にはわかりませんでしたけど、でも母は穏やかな人でしたから、夫婦仲は良かったと思います。最近、容姿が母に似て来た、って聖さんは言ってくれて、嬉しかった」
「へえ……」
 綺麗な人だったんだろうなあ、とハチは素直に今の雫を見て思う。
「母は瑞穂坂の出身ではありません。瑞穂坂に本家を置く月邑に嫁いで来た形になります。それでも、母は瑞穂坂の夜景が好きでした。どうして? って聞いたら、「私達家族が優しく、穏やかに暮らせる街の、生まれたままの姿のような気がするから」って笑顔で答えてくれたのを、今でもよく覚えてます」
「…………」
 瑞穂坂生まれ瑞穂坂育ちのハチだが、そんなこと一度も考えたことはなかった。――そんな想いを余所に、雫の話は続く。
「母も魔法使いで当然魔法の才能があった人ですが、私の魔法は父譲りです。詠唱も月邑本家の物で、父譲り。なので、母の詠唱は使えません。……でも」
「……でも?」
「一つだけ、母に教えてもらった詠唱呪文があります」
 雫はそう言うと、目を閉じ、両手を指を絡ませるようにして前で組む。
「フォルカニカ・ボウイス・アーミュロウ」
 そして静かにでもハッキリとした口調で、詠唱を始める。
「イレ・エイト・リート・エンプル」
 その姿は、まるで神に祈る天使のようで、ハチは思わず見惚れてしまう。
「アイアリース・イシ・シクツ・シンクラウン」
 雫が言っていたように、そもそも使用している詠唱と違うせいか、魔法陣等が生まれる様子はなかったが、
「トックスル・ハット・ピタセート」
 まるで魔法を本当に使っているかのように、雫は光って見えた。
「メイ・グレット・ヨウバンソ・エルメンス」
 そして、詠唱が終わる。……雫は、ゆっくりと目を開け、手を下ろす。
「――これは、母曰く「願いの魔法」なんだそうです」
「願いの……魔法?」
「何か大切なことを願いながら、この詠唱をすると叶うって。おまじない……みたいな感じですかね。だから私も母に教えて貰って、覚えているんです。――先輩」
「?」
「もしも、願いが叶うなら――先輩なら、何をお願いしますか?」
「え……」
 もしも、願いが叶うなら。……そんなことなど、考えたこともなかった。願い事なんていくらでもある。溢れる程のお金が欲しいとか、女の子に囲まれてウハウハしたいとか。アイドルになってキャーキャー言われたいとか。
「私は、もしも願いが叶うなら――今、父と母に会いたい」
 でも、雫が願うのは、やはりそんなことではなくて。
「お父さんと……お母さんに?」
「お礼が言いたいんです。私を、瑞穂坂で生まれさせてくれてありがとう、って。もしも瑞穂坂に生まれてなかったら、こんなに素敵な人達に、私の為に戦ってくれるような仲間達に、出会えることなんてなかったから。――今の私は、なかったから」
 そしてハチはその雫の言葉を聞いた時に、自分の小ささを改めて痛感した。両親にお礼なんて、瑞穂坂に生まれてよかったとか、考えたことなかった。
 あれ程愛しく感じた少女の姿が、やけに遠く感じる。
 隣でその手を取っていたはずの少女の背中が、やけに遠く感じる。
「…………」
 今回も、結局自分は何も出来なかった。聖を中心とした沢山の仲間達に、守って貰っただけだ。
 いざという時、自分では雫を守れない。――違う。結局月邑家での騒動だって、自分は雫を守ってないじゃないか。雄真達に守って貰っただけじゃないか。
 自分は雫に対して――何も、出来ない。
 普通だったら、好きならそれでいいのかもしれない。――でも、好きになるだけじゃ、駄目だろう。そんな考えが、ハチの脳裏を支配する。
 自分は、月邑雫という少女を好きになる資格なんて……もう、ないんだと。あの恋は、一時的に許されただけのことだったんだと。……悲しい想いだけが、過る。
「先輩。――決勝戦、頑張って、優勝しましょうね。このメンバーで、沢山の、素敵な人達と一緒に」
 屈託のない笑顔でそう告げる雫。――ハチの胸が、痛んだ。
「おう!」
 精一杯の笑顔で、返事をした。――泣きそうになるのを、必死に堪えて。
 些細な切欠と思い込みから――二人の物語は、歩く道は、徐々に徐々に、離れ始めていたのだった。


<次回予告>

「おおお……」
 「学園の生徒も、普通科魔法科問わず応援に来てるみたい。来る人数の調査・調整を
先生達に頼まれたって、他の役員が泣いてたわ」
「相沢さん。そっか……普通科もか」

ついにやって来た、決勝戦当日!
泣いても笑っても、最後の試合が目前に迫っていた。

「ちなみに、祝賀会の準備が前日の内に終わってるから。もしも負けちゃったら準備台無し」
「わかってる。絶対勝つさ」
「うんうん、その意気その意気。――本当は、勝っても負けてもいいから、悔いの残らないように、精一杯ね?」

沢山の支持者に囲まれて、小日向雄真魔術師団は決勝戦の舞台に立つ。
今までの戦いの全てを背負って――

「小日向雄真魔術師団、行くぞ!!」
「おおーっ!!」

小日向雄真魔術師団、出陣へ!

次回、「ハチと小日向雄真魔術師団」
SCENE 71 「決勝戦! 小日向雄真魔術師団」

「――どんな結果に、どんな終わり方になったとしても、私達、友達だよ。だから……いざという時は」

お楽しみに。



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