ピリリリリ。――午後、相沢家。鳴っているのはリビングに置いてある電話である。
「へいへい、今出ますよーっと。――はい、相沢です」
『兄さん!?』
「おお友香か。やるなお前、愛しの兄が大学の講義が少なくて綺麗に予定もゼロで偶には家でまったりするかって思って寛いでる時に電話してくるとは。わかるぞ、ちゃんと狙ったんだろ、うん」
『兄さん、「あの子」の家、場所って覚えてる!?』
「? 「あの子」の家って……どうしたよお前、そんなに焦って」
『説明してる暇はないの! 覚えてる、それとも覚えてない!?』
「まあ、覚えてるけど」
『教えて! 出来る限り具体的に詳しく!!』
 …………。
『どうもありがとう、兄さん!!』
 ガチャッ!!
「ちょ、おま……ふぅ」
 勢いよく通話を切られたのを確認すると、相沢兄は受話器をゆっくりと置く。
「あら、誰からの電話だったの?」
「おうお袋、友香からだった」
「友香から? 何かあったの?」
「いや、「あの子」の家の場所、覚えてるかって。教えてくれって。随分焦ってたぜ」
 そのことを聞くと、母は嬉しそうに笑う。
「そう。――友香、やっと気付いたのね」
 その言葉に意外そうな顔をしたのは兄。
「あれ? もしかして、お袋も最初からわかってた?」
「当たり前じゃない。直ぐにわかったわ」
「そっか。一目見て気付いたのは俺だけかと思ってたけど。つーか何であいつ今まで気付かなかったんだ?」
「あの子は昔から、集中すると周りが見えなくなる子だったから」
「名前位、何とか頑張って思い出してもよくね?」
「それはそれでドラマチックじゃない」
「ま、そうなんだけどさ。……何にしろ、知らぬは本人ばかりなり、ってか」
 ははっ、と軽く笑うと、兄はソファーにドサッ、と腰を下ろした。
「頑張れよ、友香。お前がずっと探してた物だ。もう見失うんじゃねえぜ、二度とな」 



ハチと小日向雄真魔術師団
SCENE 63  「私の方が、あなたのこと」




「はっ、はっ、はっ……くそっ、よりによって結構な位置にあるな……」
 ただでさえ走りっぱなしなのに、ここへ来て軽く山とか。高い気温も単純にマイナスで、体力を削られていく。
「はあっ、はっ、はあっ……」
 俺の横の相沢さんも同様に、相当体力を削られている模様。――俺達は、走っていた。土倉がいると思われる場所へ。土倉の、始まりと終わりの場所へ。
 成梓先生にはあらためて電話をして、場所を説明し、出来る限り早めに来て貰えるようにしてある。俺達は一足先に先行というわけだ。
「相沢さん、大丈夫?」
「ええ……疲れたなんて……言ってられないもの……!!」
 見るからに、体力的には限界が近づいているだろう。でも気力が切れることはない。寧ろ気力は増える一方だ。その増える気力を頼りに、俺達は走り続けていた。
「こんなことで……こんなやり方で……終わらせなんて、しないから……っ!!」
 くじけそうになる心を奮い立たせる為のように、相沢さんはそう口にする。
「にしても……あいつん家、結構金持ちだったんだな……」
 普通、こんな山の方に家は建てないだろう。地主か何かで土地を持っていて、大きな家を建てていたか。――子供に普通に結構綺麗なマンションに住まわせ必要以上の生活費を与えていることを考えても、辻褄が合う。
 そんなことをチラリと考えつつ、どれだけ頑張って移動しただろうか。
「……ん?」
 何か、向かっている先で光ったような気がした。……光った? こんな真っ昼間にか? いや、光ったというよりも、何かあっちだけ明るいというか……
「っ!?」
 不意に、嫌な予感がした。「あっちだけ明るい」。まさか。――まさか。
 俺は気力を振り絞り、走る速度を上げて、目的の方角へ急ぐ。徐々に見え隠れする視界は、俺の予感を徐々に現実にしていく。――そして。
「な……」
「そんな……これって……!!」
 そして――ついに、完璧に、現実の物となった。……大きな家が一軒、燃えていた。炎に包まれていた。
「消防車は私が呼ぶわ! 小日向くんは」
「っ、わかった、少しでもどうにかなりそうなことや場所を探してくる!」
 山の奥で開けた個所、家の敷地と考えると結構な広さだった。庭と考えられる場所も当然広い。俺は相沢さんが消防に電話している間に、家全体の様子、使えそうな物、何か手助けになるものを探す。
「くそ……!」
 あらためて見ても、既に家は結構な勢いで燃えていた。形がしっかり残っているのでまだ「終わり」とは決めつけられないが、急がないとまずいだろう。
「小日向くん!」
「水道とバケツが一個だけあった、でもそれだけだ」
「そっちをお願い! 私は魔法で出来る限りのことをしてみるわ!」
「わかった!」
 俺は水道バルブを全開にし、バケツに水を汲んで、火の勢いの弱そうな個所から消火を試みる。下手に勢いが強い所から始めても、逆に勢い立たせるだけだと思った。
「オーガスト・オフト・ロックル!」
 一方の相沢さんは、魔法球に水の属性を織り交ぜて火に向かって放ち、その勢いを止めようと試みた。だが――バシュウン!!
「!?」
 炎に辿り着く前に、その魔法球は消えた。
「そんな……どうして……!?」
「――結界が貼られているんだろう」
「クライス!? どういうことだ!?」
「そのままの意味だ。この家全体に結界魔法が貼られている。魔法による消火を防ぐ為だろうな。この範囲、威力からして、術者はこの家の中にいると見て間違いはなさそうだが。そして火を放ったのも、その術者と考えていいだろうな」
「っ……土倉……!!」
 土倉はこの中にいる。火を放って、自らの命を絶つ為に。――目と鼻の先にいるはずなのに、その距離は遠く、壁は厚かった。歯がゆかった。――バシャーン!
「……え?」
 明後日の方向から不意に水の音。……見れば、
「ふーっ……」
 水浸しの相沢さんが、そこにいた。――って、
「相沢さん!? 何してんのってまさか」
「恰来……絶対、終わりになんてさせないわ……今、行くから……っ!!」
「っ、よせっ!!」
 食い止める暇もなかった。バケツで頭から水を被った相沢さんは、家の中に走っていく。直ぐに俺も追いかけようとするが――
「!?」
 ガタン! という大きな音と共に、今さっき相沢さんが走り抜けた入口が、倒れて来た燃え盛る木によって塞がれてしまう。これでは通れない。
「相沢さーん!!……くっ……!!」
 俺の声も、もう届かないだろう。……とんでもないことになった。
「相沢さん……土倉……頼む、頼む……二人とも、無事で戻ってきてくれ……!!」
 残された俺に出来ることは、もう神に祈ることしか、なかった。


 ――生前のわずかな思い出の場所を回り、俺は最後の思い出が残る場所――俺が幼少の頃、まだ本当の家族と暮らしていた家に辿り着いていた。もう取り壊されているかとも思っていたが、まだ残っていた。
 家の中は、昔のままだった。おぼろげなままだったが、それでもいくつかの思い出が甦る。――まだ、人を信じていた小さな頃の、思い出が。
 何となく、俺の終わりの場所に相応しい。――そんな気が、した。
「……さて、と」
 念の為に、家全体に結界魔法を張り、ゆっくりと火を放つ。後は俺が焼け死ぬか、その前に一酸化炭素中毒で死ぬか、どちらかだ。どちらにしろ最後は苦しい死に方だが、友香や小日向を俺は裏切ったんだ、この位の苦しみは受けて当然だろう。
 火がついたのを確認すると、俺はこの家の俺の部屋へ。壁に背中を預け、ゆっくりと床に腰を下ろした。
「…………」
 腰を下ろして、昔のことを再び色々思い出してみる。――火が広がれば広がる程、死が近付けば近付く程、思い出されるのは最近のことばかりだった。
 MAGICIAN'S MATCHのメンバーに選ばれて、御薙先生に詰め寄ったこと。
 初めての練習で、友香と初めて組んだ時のこと。
 日曜日、数人のメンバーと遊びに行ったこと。 
 最初の試合の後、友香と名前で呼び合うようになったこと。
 俺のスパイ疑惑を、友香と小日向が解決してくれたこと。
 隣町のレジャーランドへ遊びに行ったこと。
 柚賀さんの一連の事件のこと。
 アスレチックのテーマパークに行ったこと。
 ほんの少しだけど、大切だと思える仲間達と過ごした時間のこと。
 友香と過ごした時のこと。
 友香のこと。
「…………」
 気付けば俺は最後の私物となった、レジャーランドで撮った写真と、昨日友香と一緒に撮った携帯の写真を見ていた。
 どうして俺はこんなに穏やかに笑っているんだろう。
 どうして俺はこんなに楽しそうに写っているんだろう。
 どうして俺はこの時、幸せそうだったんだろう。
 どうして俺はこの時のことを、こんな所で思い出しているんだろう。
 どうして俺はここで、死のうとしているんだろう。
 どうして俺はここで――泣いているんだろう。
「っ……」
 俺は泣いていた。一度気付いてしまえば、溢れる物を食い止めることは出来なかった。同時に、隠しきれない想いが――もう隠す必要もない想いが、溢れ出てくる。
 本当は、もっと笑って過ごしたかった。
 本当は、もっと色々なことをしてみたかった。
 本当は、もっと皆と一緒にいたかった。
 本当は、もっと生きていたかった。
 本当は――死にたくなんて、ない。
 でも――もう、どれも叶う事の無い、願いなんだ。
 どれだけ願っても、もう俺は真っ直ぐは歩けない。
 どれだけ願っても、もう俺は笑えない。
 どれだけ願っても――もう、皆と一緒には、いられないんだ。
「くそっ……クソッ……畜生……畜生っ……!!」
 溢れ出る悲しみを、悔しさを、涙を言葉で誤魔化そうとしても、溢れる痛みは増える一方で。俺はただ、膝を抱えて泣くことしか出来なくて。
 でも、それももう直ぐ終わる。もう、何も考えなくて済むようになる。後少し、後少しの辛抱だ。そう、思った時だった。
 ガチャッ。――ドアが、開く音が、聞こえた。


 ゴオオオオオ、という物凄い勢いで燃え盛る家の中を、友香は走っていた。頭から被ってきた水など、本当に気休めにしかならないであろう程の勢いは、間違いなく自らの命を危険に晒すであろうことは容易に察せられた。
「っ……!!」
 急がなくては、自分も恰来も助からない。――友香は必死の想いで駆ける。手当たり次第ドアを開け、部屋を回る。
(一階にはいない……なら、二階へ……!!)
 階段は、先ほど見かけた。急いで駆け上がる。――二階は、一階よりも比較的まだ火が回っていなかった。急げば、間に合う。気持ちを引き締め、ドアを開けていく。
「!!」
 そして、二階の二つ目の部屋に、彼は居た。――友香はほんの一瞬だけだったが、自らの目を疑った。
 恰来は、確かにそこにいた。でも膝を抱えて、隅っこで座り込んでいる姿は、友香の知らない恰来であった。あそこまで精神的にやつれている姿は、想像していなかった。
「……っ……!? 友香……!?」
 目が合った。恰来の目からは、先ほどまでずっと泣いていた証拠のように、涙が零れていた。
「恰来……!! よかった、見つかった……」
 少しだけ、安堵の表情になる友香。だが逆に、恰来の表情は険しく崩れていく。
「……どうして……来たんだ」
 恰来はゆっくりと立ち上がり、数メートルの距離を置き、友香と向き合う。
「どうして……来るんだよ……!!」
「恰来、私は――」
「いい加減にしてくれ!!」
 友香の言いかけた言葉を、恰来の乾いた叫びが遮る。
「俺はもう無理だ……どうにもならないんだよ……!! 小日向が、友香が、何をしたって何をしてくれたって、もうどうすることも出来ないんだよ!! どうして放っておいてくれない!? どうして最後位そっとしておいてくれないんだ!!」
「……恰来」
「帰ってくれ……帰れよ……!! 頼むから、もう一人にしてくれ……!! もう俺を、苦しませないでくれ……!! 辛いんだ、苦しいんだよ、友香が傍にいると! 苦しいって感じる自分に吐き気がするんだよ!! 俺は友香をこんなつまらないことに、俺の為とかいう理由で巻き込みたくなんてない……!!」
 全てを吐き出す恰来。対する友香は、強い、しっかりとした眼差しを、恰来から外さない。
「恰来。――私は、あなたを助けに来たわけじゃ、ないの」
「!? どういう……ことだ……!? なら、どうしてここへ――」
「私は、あなたを助けに来たわけじゃない。あなたに……お礼を、言いに来たの」
「お礼……?」
「恰来。――あの日、私を助けてくれて、ありがとう」
 友香は、優しい笑顔で、ポケットから――リストバンドを、取り出した。


「ねえ、相沢さん。……お守りって、持ってる?」
 それは、友香と雄真がここへ来る少し前、恰来のマンションでのこと。
「小日向くん、何を言ってるの……!? そんなことよりも、今は――」
「大事なことなんだ!」
 雄真は真剣な目で、友香を見る。
「俺の質問に、答えてくれ相沢さん! これが、土倉を救う、最初で最後のチャンスかもしれない!!」
 その勢いからして、雄真が本気であることは間違いないであろうことは友香は察することが出来たので、雄真の質問に対し、真剣に考えることにする。――お守り。
「もしかして……小日向くんが言う私のお守りって、これ……かしら」
 思い当たる節はあった。――数ヶ月前、シミュレーションホール完成直後、そこでの始めての授業の時。偶然にも落としてしまった「お守り」を、雄真は拾い、友香に渡していた。当時はまだ二年の三学期だった。それが雄真と友香の始めての会話だった。
 友香は、ポケットから「魔法使いとしてのお守り」を取り出し、差し出す。――何処か年月的にくたびれていた、リストバンド。
「やっぱり……!!」
 それを見て、雄真の考えは確信に至る。――雄真も一枚のリストバンドを手に取り、友香に見せる。
「え……!?」
 友香は自らの目を一瞬疑った。――自分のお守りと今雄真が持っているリストバンド、見た目が同じ……というよりも、最初からペアになっているもの、つまり合わせて一組になっているものだったからだ。雄真が持っている物も年月が経過していると思われる辺り、それぞれがペアであると考えて間違いないと思われた。
「どうして……!? どういう、こと……!?」
「これ、土倉の机の一番下の引き出し、他の幼少用の魔法道具と一緒に入ってた。――相沢さん、そのリストバンド、何処で手に入れた?」
「これは……」


「俺の……リストバンド……? 俺の机の引き出しから、持ってきたのか……?」
 恰来の問い。――友香はそれに答えることなく、もう一枚のリストバンドを取り出す。友香の手の中で、リストバンドは一組となった。
「!?」
 驚いたのは恰来である。――自分の机の引き出しには、片方しか入っていなかったはずである。だが今友香の手で、リストバンドは一組になっている。つまり友香は、最初からもう片方を持っていた、ということになる。
「私の家はね、父も母も兄も、祖父母も魔法使いじゃなかった。叔母さんが魔法使いだったから、相沢家が魔法とは無縁ってわけじゃなかったんだけど、でも私の家は魔法とは本来無縁の家だった。私も生まれつき才能があったわけじゃなかった。だから、本来なら私、魔法使いになることはなかったの」
 友香はしっかりとした面持ちで、語り出した。
「私がまだ小さかった、ある日のことよ。近所の公園で偶々一人で遊んでいた時、私数人の苛めっ子に絡まれたの。一人だったからどうすることも出来なくて、ただ泣いてた時、一人の男の子が、助けに来てくれた」
 ドクン。――その友香が語るエピソードは、恰来が持つ一つのエピソードと、重なり始めていた。心臓の鼓動が、大きくなる。
「その子は、「やめろーーっ!」って、私を庇うように苛めっ子達の前に。そのまま魔法で、苛めっ子達を吹き飛ばした。私を、助けてくれたの」
 ドクン。――恰来の背中を、汗が流れる。周囲の音が何も聞こえなくなり、鼓動の音と友香の言葉だけが、耳に響く。
「当時の私は、魔法という物を全然知らなかった。だから単純にその男の子が使った力が怖くて、その場は走って逃げ出した」
 ドクン。――確実に、エピソードが、一つに重なっていく。そしてここから先は、恰来の知らない、「相手側」の話。
「でも――少しして、私は逃げ出したことを、後悔するようになった。あの子は私を助けてくれた。ただそれだけだったのに、私はお礼すら言わず、単純に怖がって逃げてしまった。そんな自分が許せなくて、助けて貰ってから数日後、私はお母さんと兄さんに名前も知らないその子の家を何とか調べて貰って、お礼を言いに行くことにした。逃げてしまってごめんなさい、助けてくれてありがとうって、言いに行くことにしたの」
 ドクン、ドクン。――心臓の鼓動の音が、更に大きくなる。
「でも、私がお礼を言いにいったその時――既にその子は、この街から、居なくなっていた」
 ドクン、ドクン。
「小さかった私に細かいことはわからなかったけど、大人の話からするに、その子はあの日、苛めっ子達を魔法で吹き飛ばしたことが理由で、私を助けたことが理由で、この街には居られなくなったことが何となくわかった。――私は後悔したわ。私があの時逃げなければ、あの子はそんな想い、しなくて済んだかもしれない。私があの時逃げなければ、私はちゃんとお礼が言えたのに。――私の手には、その子がその家の庭に落としていった、リストバンドの片方だけが、残ったの」
 ドクン、ドクン。
「私は、その時決めたの。将来は、立派な魔法使いになろう。立派な魔法使いになれば、魔法の力で不意に不憫になってしまった人達を、助けられるかもしれない。立派な魔法使いになれば、いつか私を助けてくれた子に会えるかもしれない。そして会えたら、ちゃんとお礼を言おうって決めたの。その想いを胸に、いままで生きてきた」
 ドクン、ドクン、ドクン。
「恰来。――あの日、私を助けてくれて、ありがとう」
 ドクン、ドクン、ドクン。――激しい心臓の鼓動音と、混乱する思考。
「嘘だ……嘘だ、そんなはずない……そのリストバンドだって、何処かで偶然」
「嘘じゃないわ。私はあの日から、ずっと探していた。追いかけていた。私を助けてくれた、「蒼い瞳」の少年を」
「っ!!」
 恰来の心を、衝撃が走りぬける。――恰来は以前、雄真に幼少の頃の体験を話している。例えば友香の話が雄真から聞いての作り話だったとしたら、「蒼い瞳」の発言は出るはずはない。恰来は雄真に確かに幼少の頃の体験を話しはしたが、それでも最後まで自分が持つ「能力」に関しては話さなかったからだ。
 恰来が最後に自らの「能力」を使ったのは、その女の子を助けた時。それ以降は使っていない。つまり、普通なら知る由もない。
 なのに、友香は知っていた。それはつまり、友香の言っていることが嘘ではない。友香は――あの日、恰来が助けた少女、ということになる。
「友香が……あの時の……女の子……?」
 その結論に達した時、恰来の全身から力が抜け、ガクリ、と膝をついてしまった。これは現実か、それとも夢か。頭の中が真っ白になり、何をどうしていいかわからなくなる。
「俺は……あの日からずっと、誰からも避けられる存在だったんじゃ、ないのか……?」
「違うわ、恰来」
「俺は……この力があるからずっと、誰からも好かれない存在だったんじゃ、ないのか……?」
「違う。私はずっとあなたを探していた。蒼い瞳の少年を探していた。例え他の誰があなたをさけたとしても、私だけはずっとあなたを追いかけていたの。だから恰来は、誰からも好かれない存在なんかじゃない。ずっとずっと、私はあなたの味方だった」
 ゆっくりと、友香が恰来に近付く。恰来は茫然自失のまま動けない。
「俺は――」
「ごめんなさい、恰来……!!」
 何かを言おうとした恰来を、友香は抱きしめる。
「ごめんなさい……!! こんなにもずっとあなたを苦しめてたなんて、知らなかった……!! 私が、私があの時、ちゃんと直ぐにお礼を言えてれば……!!」
「……友香」
「会えて良かった……!! あなたに、会えてよかった……!! 私は、私はずっとあなたを探してた、あなたを嫌うことなんてなかった……だから……だから……!!」
「……っ」
 気が付けば、恰来もゆっくりと友香を抱きしめていた。抱きしめあうその時間は、恰来の心を穏やかにし、ずっと心の奥底に根付いていた黒い物をかき消していく。
 そして、その状態で初めて気付くこと。――友香の肩が、小刻みに震えている。
「友香……泣いてる、のか……?」
「…………」
「……友香?」
「……間に合って、良かった……!!」
 その声は、抱きしめているから間近で聞こえるその声は、完全に涙声だった。
「心配、したんだから……!! 昨日から少しだけ様子が変で、電話しても出てくれなくて、今日学園にも来てなくて、小日向くんと一緒にマンションに行ったら置手紙が置いてあって……っ!! 心配、したんだからね……っ!!」
「……ごめん」
「置手紙なんかで、伝言なんかで、告白なんてしないでよ……!! 好きになってくれたなら、直接言ってよ……!! こっちの気持ち確認しないで、一方的に伝えるだけで終わりになんてしないでよ……っ!!」
「……ごめん」
「私の方が、先に好きになったんだから……!! 絶対絶対、告白しようって、決めてたんだから……!! 私だって、私の方が、あなたのこと、好きなんだからね……っ!!」
「……ごめん」
「謝らないでよ……謝らないでよ……!! 私が悪いんだから……!!」
 そのまま二人はきつく抱きしめ合う。お互いの気持ちを確かめるように。お互いの存在を確かめるように。愛しい時間が、温もりが、そこにはあった。――ドォン!
「!?」
 突如響く、大きな物音。二人は抱擁を終わらせ、周囲を見る。
「火が、二階まで回ってきてる……!? 急いで脱出しましょう、恰来!」
「大丈夫だ、友香」
「!? 大丈夫、って――」
「火を、消そう。――大丈夫、結界を解いて「能力」を使って全力を出せば、何とか消せると思う」
「能力……って、まさか」
 恰来は、ゆっくりと目を閉じて、大きく息を吹く。再び瞼を開いた時、
「あ……」
 恰来の目は、まるで外国人のように、澄んだ蒼い瞳になっていた。
「自分のこの力について、調べたことがある。「蒼想眼(そうそうがん)」って言うらしい。魔法使いとしての血がある一定以下、ゼロに程近い人間同士の子供の中で突然変異で極稀に付加される力らしい。付加された子供は、生まれつき家系からは想像出来ない魔力を持ち、その力を解放した時、絶大なる力を発揮するらしい。力を解放した時に瞳が蒼くなること、魔法波動も蒼くなることからそう命名されたそうだ」
 淡々と語る恰来。その間も、恰来の回りを、整った「蒼い」魔力が包み始めていた。
「この力を使うことで生まれる恐怖が、きっと完全に消えたわけじゃないと思う。いつでも何処でも誰の為にでも使えるようになるには、もう少し時間が必要だと思う。でも――友香の為なら、怖くない」
「恰来……」
 気付けば二人は、手を繋いでいた。――それはまるで、繋がった二人の心を表しているかのようで。
「行こう」
 恰来の蒼い魔力が広がっていく。そして――


「!?」
 それは到着したてホヤホヤの成梓先生が、結界解除の準備に入って直ぐだった。パアアアアアアアン、と蒼い光が不意に一体を包む。土倉が居ると思われ、相沢さんが突入したこの家を中心にだ。
 他のメンバーも数人既に到着していたのだが、俺を含め誰しもが一瞬その光に目を背ける。
「え……!?」
 光が収まり、再び目を開けたその時――あれだけ激しかった火が、綺麗サッパリ消えていた。何の手品かと思う程に。
「先生が何かやった……わけじゃないですよね」
「ええ、流石にそこまで早くは出来ないわ」
 だとすれば……考えられるのは。――俺達は、中から人が出てくるのを待つ。……出てきてくれるのを、願う。
「あ……!!」
 やがて、ガタン、という音と共に、二人の人影。――足場が悪いのをフォローするように、手を取って土倉が相沢さんを気遣いながら出てきた。
 この状況下で、二人で、手を取って出てくる。――それはつまり、土倉はトラウマを乗り越えた、ということ。相沢さんの過去に触れ、想いに触れ、本当に乗り越えられたんだ。
「! 恰来、あれ」
「……みんな」
 俺達は、土倉と相沢さんと、真正面から対峙するような立ち位置になる。
「友ちゃんっ!! 土倉くんっ!!」
 その姿を見て、真っ先に走り出したのは柚賀さんだった。俺達も後に続く。
「私、二人に助けて貰って、沢山沢山恩があって、少しずつでもこれから返して行こうって思ってて、でもこんなことになって、だから、無事でいてくれて……本当に、本当に……っ」
 堪えきれなくなったか、柚賀さんは泣き出した。言葉が続かなくなる。
「屑葉……ありがとう」
「心配かけて、ごめん、柚賀さん。――もう、大丈夫だから」
「うん……うんっ……!!」
 その返事を聞いて、柚賀さんは、泣きながら笑った。
「悪いとは思ったけど、土倉のことは雄真からある程度聞いたわ」
 可菜美だ。――流石に状況が状況、俺はある程度の所まで、メンバーには喋っていた。
「私はあなたの傷の深さがどれだけかなんてわからないからこんなこと言うのもあれだけど、あなたの気持ち、わからないでもない。――でも安心していいと思う。ここにいるメンバーは、そんなつまらないことであなたを避けたり嫌ったりはしないでしょうから。私みたいな女と仲良く出来るんだから。私からは、それだけ」
「梨巳さん……」
 相変わらず表情一つ変えず、でもストレートに可菜美は言葉をぶつけていた。
「悪ぃな土倉、俺も聞いちまった」
 続いて武ノ塚。
「まあその、思わないことがないわけじゃないけどさ。でももう、大丈夫なんだろ?」
「……ああ」
「なら俺はいいよ。大丈夫なら、これから問題ないなら、それだけで俺はいいよ。結果オーライって言うじゃん?」
「武ノ塚……」
 武ノ塚は、笑ってそう土倉に告げる。あの笑顔であの言い方をされたら、その言葉を疑うようなことは出来ないだろう。
「まったく、ここまで教師に心配をかけるとは、随分と問題児になったものじゃない、二人共?」
「成梓先生……その」
 成梓先生は二人の前に立ち、不敵な笑みを見せる。――そして、次の瞬間、
「でも――無事で、良かった」
「あ……」
 そのまま二人をまとめて抱きしめた。
「ここまで大騒ぎしてくれたんだもの、それなりの成果をこれからは見せてくれるのよね?」
「――成梓先生」
「ほら、返事は?」
「……はい」「……はい」
「声が小さい!」
「はい!」「はい!」
「よし!」
 バン、とそのまま成梓先生は二人の背中を叩くと、二人を解放した。
「さあ皆、遅くならない内に帰るわよ!」
「はい!」
 成梓先生のその号令で、皆が歩き出す。誰の顔も晴れやかだ。
(……良かった)
 本当に、心からそう思った。色々あったが、これで土倉に関しての心配は、無くなったのだ。……本当に、良かった。
「小日向」
「……土倉」
 ふと気付けば、土倉が俺の横に。
「明日は、明日の為にある。――お前、そう言ったよな?」
「ああ」
「俺も、これからは明日の――未来を見て、生きるよ。過去に囚われる生き方なんて、もう御免だ」
「土倉……そうか」
「小日向、ありがとう。――お前に会えて、良かった」
 土倉のお礼。……その顔は、今までの土倉からは想像出来ない位晴れやかで前向きで。……だから、俺は。
「お礼言うの、早いよ、土倉」
「?」
「その言葉、決勝戦で勝って、優勝するまで取っておけって、言っただろ」
 俺の返事に土倉は最初少しだけ驚くが――でも、笑う。
「そうだったな。なら、言葉変える。――優勝しよう、小日向。MAGICIAN'S MATCH。俺達で。皆で」
「ああ!」
 あの時俺が言った言葉を、今度は土倉が言った。そして俺はあの時の土倉とは違い、返事をする。
 あらためて、「仲間」になった俺達は、晴れやかな表情で、帰路に着いたのだった。


<次回予告>

「え、合宿?」
 「うん。次はとうとう決勝戦だし、今度の休みにかけて最後の追い込み……みたいな感じでやろうか、って。
正式には、今日の放課後の練習で成梓先生から発表になると思う」

MAGICIAN'S MATCHも残るは決勝戦のみ!
小日向雄真魔術師団も気合を入れ直す為に、合宿スタート!?

「って、深羽ちゃん俺に用事?」
「あっ、はい! ちょっとだけいいですか? 話聞いてもらって」
「うん、それは別に構わないけど。――ここじゃあれだから、廊下に行こうか」

そんな頃、不意に雄真の元を尋ねる深羽。
果たして彼女が持ち込む、相談事とは。

「――だから、こいつマジなんだって。ちょっと位前向きに考えてやってくんねーかなー」
「言いたいことはわかるし、気持ちも嬉しいけど、さっきも言ったように私は今は」
「でもさー、今付き合ってる奴がいるわけじゃねーんだろー? だったらさ」

そして、ほんの些細な事件から、新たな物語が走り出す――!?

次回、「ハチと小日向雄真魔術師団」
SCENE 64 「みんながいるから大丈夫」

「よくさあ、告白すると壊れちゃう、関係がおかしくなる、とかあるじゃん? 
でも、きっと私達なら大丈夫だよ。だって雄真くんとその仲間達じゃん、私達」
「……真沢先輩」


お楽しみに。



NEXT (Scene 64)  

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