ガラガラガラ。
「小日向くーん、準備出来たー?」
 満面の笑みで教室のドアを開け、俺をそう呼ぶのはジャージ姿の成梓先生だ。
「……準備、早いですね」
「だって楽しみで仕方なかったし」
 まあその、次の時間は体育。――フォークダンスである。先生はノリノリだった。
「ほらほら、ちゃっちゃと着替える着替える!」
「え、あ、ちょっ、別にその位出来ますから!」
 俺の体操着の裾等を綺麗に整えてくれる先生。照れるし恥かしい。……そして俺は身だしなみが整うと同時に嫉妬の視線を雨あられのように浴びていた。
「……先生、ノリノリですね」
「そう、そこ」
「?」
「昨日考えたんだけど、私は君の担任教師ではなくパートナーとしてここに来てるんだから、この体育の時間だけ先生って呼ぶの禁止。名前で呼びなさい」
「え」
「ああ、呼び捨てでいいわよ。私も体育の時間だけ雄真、って呼ぶから。当然体育の時間だけだけど。それ以外の時間は担任教師と生徒。オーケー?」
「……断る権利俺にあります?」
「多分ない。私を選んだ以上諦めることね」
 なんたることや。ドンドンハードル上がっていくんですかこれ。
「……せめて俺は「さん」付けで勘弁を」
「まあそれでいいわ。――はい、それじゃエスコート、宜しくね?」
 スッ、と当たり前のように手を差し出してくる先生。……って、
「……もしかして、ここから手を繋いで校庭に出ろと?」
「勿論。本番までに気持ちを暖めておかなきゃ」
 ドンドンハードル以下省略。……で、俺が躊躇ってると、
「ほら、いつまでレディを待たせる気? 行くわよ?」
「あ、ちょっ、これはっ!?」
 グイ、と腕を取られ、完全に腕を組んだ状態にさせられてしまう。強引な密着は、俺に素敵な軟らかい感触を腕に――いやそうじゃなくてだな!
「ほら、みんなもボーっとしてないで、早く校庭に出なさい? 移動の時は五分前行動を心がけること」
「いえ多分みんなボーっとしてるんじゃなくて先生の俺に対する態度にジェラシーというかなんというか」
「もう、茜って呼んでくれなきゃいーやー」
 ぎゅうう。――密着度アップ。感触はもう当たってます所じゃなくなってきてる。
「先せ、いや茜さん、その、ここまで来ると流石にあのっ」
「わかってるわよ、当たっちゃってること位。雄真はパートナーだから、特別に許してあげるから大丈夫」
 ダイレクトな柔らかい感触とマシンガン一斉掃射のような量の痛い視線を浴びながら俺達は廊下へ。――成梓先生案、失敗だった。最早手遅れではあるが。
「雄真くん……何だかんだで嬉しそう……」
「春姫!?」
 と、そんなこんなで廊下で春姫とバッタリ。勿論成梓先生と俺は腕を組んだ状態です。
「違うんだ春姫、確かにパートナーとして選んだのは俺なんだが、決して今の状態は俺が望んだ状態というわけではなくてだな!」
「えー、さっき顔赤くして嬉しそうにしてくれたのに」
「茜さん!!」
「雄真くん……先生のこと名前で呼んでる……」
「ああっ!? いやだからこれもだな!?」
 と、いつもの嫉妬春姫弁解俺をしていると、不意に成梓先生が笑い出す。
「ごめんなさい、神坂さん。こんな風に誘われるとは思ってなかったから、つい楽しくって」
「……成梓先生」
「大丈夫、授業が終われば普通に戻るから。私はこれでも教師、そんな風な道の外し方はしないわ。だから、この時間だけちょっと楽しく過ごさせて。ね?」
 先生、春姫に軽くウインク。
「あ……はい、すいません、私もつい」
 その成梓先生の雰囲気に、春姫もすっかり気持ちは落ち着いたようだ。――流石だな、成梓先生。……ピリリリリ。
「私だわ。――もしもし?」
 と、成梓先生がポケットから携帯電話を取り出す。
「え? 駄目ですよ、今から授業ですから。――ええ、そうですけど、でもフォークダンスなんで。え? ええ。だから――そうですか……ええ。わかりました、でも今日だけですよ? フォークダンス、パートナー制なんで休むと相手に迷惑掛っちゃうんですから。お願いしますね? はい、それじゃ」
 ピッ。――通話を切ると同時に、先生はため息。
「どうか……したんですか?」
「ごめんなさい。どうしても、一時間だけ外せない用事が出来た」
 実際不本意なようで、先生は残念そうな顔をする。
「ああ安心して、フォークダンスはパートナー制だからって念を押したから、次からは絶対に大丈夫だから」
「いえ、気にしないで下さい。元々無理矢理俺が誘ってるんですし、今日の相手も担当の先生に話して」
「その辺りも大丈夫。責任を取って代理を用意するわ。勿論変な人を寄越したりもしないから安心して」
「いやあの、代理って、今からじゃどう考えても間に合わない……」
 そんな俺の言葉を他所に、成梓先生は何処かに電話を。そして…… 



ハチと小日向雄真魔術師団
SCENE 61  「夕焼け、笑顔のさよならを」




 そして体育の時間はやって来た。まずはパートナーごとに並んで集合。担当の先生の話からだ。
「…………」
 そしてそして、俺は更なる嫉妬の視線を浴びていた。――うんわかる。俺もお前らと同じ立場ならその視線を送ってたよ。
「あの……何て言うか、本当にすいません、わざわざ」
「大丈夫。小日向くんが悪いんじゃないわ」
 そう優しく言って貰えると更に申し訳なくなる。
「にしても、緊急事態だって言うから急いで来て見れば、まさかフォークダンスのパートナーの代理とはね。ここまで予想外の理由だと、逆に清々しいかも」
「俺もまさか代理で来るのは聖さんだとは思いもしませんでしたよ……光栄は光栄ですが」
 隣にいる聖さんと、軽く笑い合う。――そうなのだ。成梓先生が電話で自分の代理で呼んだのは、何とあの沙玖那聖さんだった。どんな技術があるのか俺は知らないが、聖さんは成梓先生に電話で(理由を知らされずに)呼ばれると、約四分でバイクで学園へやって来た。何処に居たのか知らないが早過ぎる。そして成梓先生は聖さんと担当の体育の教師を無理矢理押し切り、今日だけ俺のパートナーを聖さんにしてしまった、というわけだ。
 で、案の定浴びなければならない嫉妬の視線。成梓先生の代わりにいるその綺麗な女の人は誰だ、何故お前だけ取替引換綺麗な人と踊ってるんだ、と。……今更ながら、聖さんは魔法使いとして超一流の前に、女性としての外見も超一流の素材の持ち主なのだ(内面もだけどな)。動き易い格好で来てねと言われて魔法服で来ており、印象的な純白の魔法服は神秘的な雰囲気をプラスして更に聖さんの美しさを際立てていた。
「来た以上は、精一杯頑張るわね。久々だから何処まで出来るかわからないから、リードはお願いね、小日向くん」
「こちらこそ、宜しくお願いします」
 聖さんの手を取って、準備万端。――案の定俺は俺でドキドキだった。聖さんは前から知っていたとはいえ、ここまで接近して手を取って踊るなんてことはなかったからな。……俺が目指しているかどうかは別として、ここまで色々な人と触れ合うチャンスがあるのと見ると、確かに俺はハーレムキングとしての素質は高いのかもしれない、と思ってしまう。
 やがて曲が始まり、並んで踊り始める。――直ぐに感じることと言えば、
「聖さん、凄い上手いっていうかステップが綺麗っていうか」
 欠片の隙もない、鮮麗された動き。明らかにリードされてるのは俺。
「どうもありがとう。茜さんに言ったら、物凄い対抗意識燃やされそう」
「あ、確かにそんな感じはします」
 二人で軽く笑う。
「でも……そうね、小日向くんが悪いわけでは当然ないんだけど、フォークダンスって二人で組んで始めて成立するものだから、よりレベルを上げるには、もう少し踏み込んで練習が必要ね、きっと。ちゃんとパートナーとして機能していると、自然とそういう足取りが見えてくるものだから」
「成る程、確かに」
 いくら聖さんが綺麗でも、即席コンビの俺じゃな。
「例えば……あそこのペアは、お互いがとても信頼し合っているわ、きっと。足の動きが凄いスムーズ」
「おお、武ノ塚に可菜美のペアか」
 可菜美の表情に楽しそうとかそういった類のものは一切見られないが、ちゃんと信頼し合っている、か。実にらしいと思う。
「それから、あのペアもコンビネーションはかなりのもの。相当お互いを信頼していないとあそこまでの動きは出来ない」
 足の動きだけでそこまで判断出来る聖さんは凄いな、と思いつつ指摘されたペアを見れば、
「相沢さんに土倉か。成る程な」
 こちらもMAGICIAN'S MATCHでかなりのペア力を見せてるしな。ついでに言えばカップル直前だし。
「……ただ」
「え?」
「彼の方は……何処となく、覚悟が見えるわ」
 覚悟が……見える?
「人の感情って、案外足取りに出易いわ。わかり易く言うと、テンションが高い時はスキップがしたくなったり、逆にテンションが低い時は足取りが重くなったり。慣れてくると、その人の足取りで今どんな気持ちなのかが見えてくるもの」
 ……聖さん、マジで凄いな。――って言うか、
「つまり、土倉の足取りから、あいつが何か覚悟を持って動いているのを感じた……ってことですか?」
「ええ。何か、重大な決意を固めてるのね」
 重大な決意、か。
「……何か、思い当たる節がありそうね?」
「はい。――でも、きっと大丈夫だと思います。あの二人なら」
「そう。小日向くんがそう言うなら安心ね。――それじゃ私も、今日だけとは言えあなたのパートナーなんだから、もっと信頼し合えるように頑張るわね」
 そう言ってふわりと笑顔を見せてくれる聖さんにドキリとドキドキ(我ながらよくわからない表現ですまない)。成梓先生といい聖さんといい、何でこんなに綺麗なのかな畜生め!
(でも……土倉と相沢さん、そして土倉の覚悟、か)
 大丈夫。土倉は頑張ると言っていた。乗り越える為の覚悟だ。それが表に表れている。土倉が戦っている証拠だ。俺は土倉を信じ、必要な時に手を貸してやればいい。
 そう、この時は……まだ、そう思っていた。


「はい、そこまで! 話し合いに入って下さい!」
 放課後、シミュレーションホール、小日向雄真魔術師団の練習中。今日の練習はポジションごとに微妙に違いがあった。ペアが完全固定されている所はペア同士の二対二の模擬戦を展開、時間を定めて戦った後、戦った人同士でお互いの戦いかたの良かった点、悪かった点を討論し合う。
 完全固定ペアは小日向雄真魔術師団では土倉・相沢さんペア、杏璃・沙耶ちゃんペア、武ノ塚・可菜美ペア、春姫・信哉ペア、そして琴理と俺のペア。で、俺達は先ほどまで杏璃・沙耶ちゃんペアと模擬戦をしていたのでその結果の討論に入る。
「雄真、アンタ琴理のフォロー、っていう概念強過ぎなんじゃない? アンタ場合によっては琴理より攻撃力あるんだから、もっと前出た方がいいわよ」
「沙耶は動きが少し単調な気がする。確かに隙がない動きだが長期戦になると動きを読まれるかもしれないぞ」
「葉汐さんの二回目の連続射撃、あれは全てを攻撃にするのではなく、少しフェイントを混ぜるとまた違ってくる気がしました」
「杏璃さ、何歩か下がって沙耶ちゃんと並んで攻撃に出たのあっただろ。あれ良かったと思う。あれはもっと使っていいって」
 ……とまあ、こんな感じなわけで。で、一通り討論が終わると、対戦相手をチェンジ、というわけだ。次はいよいよ決勝戦。基本的な見直しから入るのもそれはそれで大切なはず。
 そんな練習時間がしばらく続き、一旦休憩に入る。それぞれ水分補給をしたり、座って体を休めたり。
「……ん?」
 と、不意に俺の視界に入る物が。――土倉だった。少し離れた所で、一人ポツン、と座って何処か遠くを見ていた。……気になったので、近くに行ってみる。
「よう、どうしたんだこんな所で一人で」
 俺が話しかけると、まるで自分に話しかけられているのが最初わからなかったかのように、数秒かけてから、土倉は俺の言葉に反応し、こちらを向く。
「……小日向、か」
「何かあったのか? 何だか遠くを見てたぜ、お前の目」
「……そうか」
 土倉は再び視線を景色に向ける。俺も何となく、そのまま一緒に景色を見た。
「……ふふっ」
 と、不意に土倉は少し笑った。
「どうかしたか?」
「いや……そういえば、お前と最初に話をした時も、こうやって俺が一人でいる時だったな、って思ってな」
「ああ、そういえば」

『よう。――さっきの、凄かったな』
『……小日向、か』
『ああ。応援団長の小日向だ。宜しくな』

 小日向雄真魔術師団、最初のシミュレーションホールでの練習の時だ。
「あれからまだ二ヶ月も経過してないのに、随分と長い時間が過ぎたような気がする」
「まあ、濃かったからなあ」
 試合もそうだし試合以外の箇所でも色々あった。
「一つ一つが、全てが俺が求めていない物ばかりだった。だから俺は直ぐに諦めて嫌になって止めると思ってた。でも、まだ俺はここにいる。小日向雄真魔術師団のメンバーとしてな。……不思議で、仕方が無い」
「もう慣れただろ?」
「かもな」
 今度は二人で軽く笑った。
「小日向。――明日って、何の為にあるんだと思う?」
「……え?」
 明日が、何の為にある……?
「……また随分難しいこと聞いてくるんだな。どうしたよ?」
「ただ、何となく……だ」
「そっか」
 難しいが、でも考えてみる。……明日、か。
「明日はさ、明日の為にあるんだと思う」
「……どういう意味だ?」
「明日のことを考えないわけじゃない。明日あれがある、これがある。明日だけじゃない、明後日、明々後日、一週間後、一ヶ月後、一年後。先のことは色々考えるよ。でも、いくら予測を立てても、今日、今を頑張らなくちゃその考えた明日には辿り着けない。だから、ひとまずは今この時を頑張る。で、明日になって、明日が今になって、今を頑張る。……そういうことなんじゃないかな。精一杯、今を頑張れば、明日に繋がるってことなんじゃないか?」
「精一杯、今を頑張る……か。――お前らしいよ」
 土倉はそう言って、また軽く笑った。
「小日向。――ありがとう、な」
「土倉?」
「お前と会えて、良かったよ。お前は俺に色々な出来事を運んで見せて体験させてくれた。今までの俺の人生に無かったものばかりをな。輝いてたよ、お前は。お前だけじゃない、お前の周りはみんな輝いてた。その中に俺を置いていてくれたこと――本当に、感謝してる。だから、ありがとう」
「――お礼言うの、早いよ、土倉」
「?」
「その言葉、決勝戦で勝って、優勝するまで取っておけよ。その方がキリがいいし、格好良いだろ、お互い」
「そうか。……そうかも、な」
「土倉。――優勝しようぜ、MAGICIAN'S MATCH。俺達の手で――みんなの手で、優勝しようぜ」
 俺の言葉に、土倉は穏やかに笑った。……思えば、予兆はこの時もあったんだ。
 だって土倉は穏やかに笑ってくれるだけで――明確な返事は、しなかったのだから。


「じゃあねー」
「バイバイ、また明日」
 一日の別れの挨拶が飛び交うその時間。放課後、小日向雄真魔術師団の練習も終わった頃。
「さてと。――今日こそは」
 一人、気合を入れた相沢友香の姿があった。――昨日の放課後は、気付けば恰来には帰られていた。今日は捕まえて、一緒に帰っておきたい。その地道な一歩一歩が最終的に「答え」に繋がると信じて。
 急いで帰り支度を済ませる。教室に姿はなかった。もう靴を履き替えている頃かもしれない。急ぎ足で下駄箱へ。
「……え?」
 そのままの速度で靴を履き替えていると、目的の姿を発見。でも、少し不思議な光景だった。――恰来は、下駄箱を出て少しの所で、魔法科校舎を見上げていたのだ。
「恰来……?」
 近付いて、その名前を呼ぶ。でも、恰来は校舎を見上げるのを止めない。
「……こんな風に、学園の建物をゆっくりと見てみる機会なんて、なかった」
 しばらくすると、ゆっくりと恰来は口を開く。
「勿論、見て何かあるわけじゃないこと位わかってる。建物のシルエットを記憶してないわけじゃない。でも……何だか、新鮮だ。どうしてこんな風に見てみたくなったか、自分でもハッキリとしたことはわからないけど」
「あらためて見つめてみて、わかるもの、見え方が変わるものってあるわ。目に見える物だけじゃない。人の気持ち、心だってそうだと思う。理由はどうあれ、そういうことを見直してみたくなるっていう気持ちは、良いことだと私は思うわ」
「そうか」
 それから十数秒、そのまま恰来と友香は二人で校舎を見上げていたが、
「……行こうか」
「ええ」
 恰来の促しにより、見上げるのを止め、学園を後にする。
「……そういえば、こうして友香と一緒に帰るなんてこと、今までなかったな」
「ええ、そうね」
 本当は昨日だって一緒に帰りたかったのに――と、つい友香は言いかける。焦っては駄目、と更に言い聞かせ。
「いつも、普通に帰ってるだけなのか? 何処か寄ったりとか、してるのか?」
「あ、それなら少し、何処か寄ってから帰る?」
「そうだな。遅くならない程度に」
 友香、心の中でガッツポーズ。またとないチャンスである。――デート気分? ううん、もうデートって断言してもいいんじゃないかしら?
 そのまま二人は駅前へ。特に目的もないが、色々な店を見て回り、色々な話をした。
 途中でソフトクリームを買って食べながら歩く。
 勢いで写真を撮ろうと持ちかけた。
 恰来は「……ソフトクリームを買った位で、記念に撮るものなのか?」と疑問顔だったが、友香はそういうものだ、と押し切った。
 携帯電話の画像データにお揃いの物を食べてるツーショットの写真が欲しかった、なんて本当の理由は言えるはずもなかったけど、とにかく押し切り、撮影に成功した。
 良い写真が撮れた。笑顔の二人は、まるで本当のカップルの様だった。
 それを見せるという名目で、友香は恰来に寄り添う。
 恰来はそれを見て、「本当だ、良い写真だ」と、写真と同じ穏やかな笑みで言う。
 友香はその時、写真は見ていなかった。――間近にあった、恰来の顔を見ていた。バレないギリギリの所まで、恰来の顔を見ていた。
 胸が、ドキドキした。自分は恋をしていると、あらためて認識させられた。
 それからも、二人で話をしながら歩いた。他愛もない話だが、話が途切れることはなかった。――楽しい時間が、途切れることはなかった。
 特別ではない、でも二人にとって特別な時間が――そこには、あった。
「……もう、こんな時間か」
 気付けば空は茜色に染まっていた。時刻は既に夕方。
「時間って、過ぎるの早いって、こういう時はどうしても思っちゃうわね」
「ああ」
 そのまま二人は、お互いの家への分岐点となる十字路に差し掛かる。
「ありがとうな、友香。楽しかった」
「こちらこそ。――それじゃ、また明日」
 友香は笑顔で手を振って、歩き出す。――高揚は簡単に終わるはずもなく、何処までも気持ちは晴れやかだった。家に着くまでに落ち着かせなくては、家族に何を言われるかわからない。――そんなことを、考えていた時だった。
「友香」
 恰来が、名前を呼んだ。――その場で、振り返る。
「……?」
 その距離、大よそ十メートル。その間合いのまま、二人は無言で見詰め合っていた。……長く、でも実際はわずか数秒にも満たないその時間の後。
「――じゃあな、友香!」
 恰来は、笑顔で友香に手を数回振ると、振り返り、背中を見せ、歩いていく。……振り返ることは、なかった。
「……恰来……?」
 一方の友香は――つい先ほどまであった高揚感が、一気に消えていた。その恰来の後姿に、言い様のない寂しさ、切なさ――不安を、感じた。
 まるで、次の瞬間、何処かに消えてしまうのではないか。――そんな気が、してしまっていた。
「恰来……私ね、あなたのことが……好きなの。だから……」
 届くことのない呟きが――夕焼けの空に、消える。
 友香はしばらく、その場から動くことが、出来なくなっていたのだった。


<次回予告>

「いやあの……わかりましたって、何を調べてるんだすもも」
「兄さんの、姫ちゃんへの愛情度チェックです」
「……はい?」

有り触れた朝。いつものように明るいやり取りで始まる朝。
――その時既に、崩壊の序幕が上がっていることに、気付く者はおらず。

「お早う、春姫、相沢さん」
「あ、雄真くん、お早う」
「お早う、小日向くん。――小日向くん、恰来から何か連絡ってなかったかしら? 昨日の放課後辺りから」

ほんのわずかな不安。一握りの違和感。
大丈夫だと言い聞かせていた各々の想いの結果は、あまりにも唐突に。

「……だったら、意地でも土倉を捕まえておかないとな。協力するよ」
「ええ。――ありがとう、小日向くん」

揺るがない想いがあった。大切な気持ちがあった。
――届き過ぎていた、想いがあった。

次回、「ハチと小日向雄真魔術師団」
SCENE 62 「いつまでも仲間のままで」

「あの……馬鹿野郎……っ……!!」

「彼」が伝える、小さな本音は、あまりにも――弱く、切なく……純粋で。


お楽しみに。



NEXT (Scene 62)  

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