――俺の「憧れ」は、いつだって俺の手の届かないことを、していた。
「え……姫瑠ちゃん、日本に残れるの!? やったじゃない!」
「えへへ、ありがと準。――全部、雄真くんのおかげなんだけどね」
「俺は何もしてないよ。お前が自分で頑張ったのと、琴理の一押しがあったからだろ」
「そうやってすぐ謙遜するー。……あ、それじゃ今度は私が雄真くんを一押し」
「謙遜じゃない……って一押しって普通に抱きつきたいだけじゃんかよ!?」
「これから日課になるんだから慣れないと」
「何日本に残ることが決定したからって日課にしてんだよ!? それとこれとは別だ!」
 姫瑠ちゃんは、騒動の末に日本に残ることになったらしい。雄真のおかげ、と言う辺り本当に雄真のおかげなんだろう。そんなに簡単な話じゃなかったはずだ。色々話を聞く限りでは。
 結局、俺と雄真には絶対的な差があるんだろうか。
 結局、俺は何も出来ない、「ハチ」なんだろうか。
 結局、俺は迷惑を掛けるだけの、駄目な人間なんだろうか。
「……いや……俺だって……」
 違う。俺だって……俺だって……俺だって――やって、みせる。



ハチと小日向雄真魔術師団
SCENE 51  「幸せは誰のせいでもないから」




「ハチ……!? お前、どうして……!?」
 俺達は驚きを隠せない。衝撃の姿だ。ハチが単独でここへ来れるわけがない。そもそも今回のことを知っているはずもないのだ。何故……!?
「いきなり、黒髪の綺麗なお姉さんが俺の前に来てよ、「柚賀君の為に出来ること、見つかったか」って聞かれて、はい、って答えたら、ここまで連れて来てくれた」
「な――」
 ハチの言葉からするに、ハチをここまで連れてきたのは久琉未さんだろう。久琉未さんなら出来るとは思う。――だが何の為だ? 今ここにハチがいても何の意味がある? 俺達の危険が増えるだけじゃないのか? そんなこと、久琉未さんだってわかってるはず。
「――いや」
 逆に考えろ、俺。久琉未さんがここまでして連れてきたんだ。何か意味があるはずだ。……って、
「――お前、柚賀さんの為に出来ること、見つかったって言ったのか?」
「ああ。一つだけ、俺に出来ること、あったんだ」
 ザッ、とハチと柚賀さんの視線がぶつかる。――柚賀さんが、笑う。
「高溝くん、か。――よくわからないけど、丁度いいから、一緒に殺してあげる。身勝手な人、嫌いだから。そういう人を否応なしに消したいから、今の力があるんだ」
 ズバァン!!
「ぐわ!!」
「っ!? しまった……っ!?」
 詠唱破棄による突然の攻撃で、ハチが吹き飛ぶ。
「高溝くんみたいな人は、普通に殺しても面白くないから。じわり、じわりってゆっくりと追い詰めていってあげる」
 事実、致命傷にはなっていないようで、ハチはゆっくりと立ち上がった。そのまま柚賀さんと再び視線をぶつける。
「もういい、ハチ下がってろ! 今のお前が何を考えてるかわかんねえけど、本当に死ぬぞお前!! 今のお前じゃ、どうすることも出来ない!!」
 ハチが何を見つけたかはわからないが、今のハチが何をしても柚賀さんが元に戻るとは思えない。普段だったら心意気を買いたいが、今は危険過ぎる。――足手纏いだ、正直。
「ハチ、これはお前が考えてるような温い話じゃ――」
「雄真ぁ!!」
 が、俺の説得を遮るように、ハチが俺の名前を呼ぶ。――その目に、少なからず驚く。
「俺は、今回のことに命を賭けてる!! 俺が成功するか、俺が死ぬまで、絶対に手を出すな!! 俺は一人の男として、ここに立ってるんだ!!」
 ハチの目に、覚悟が見えた。――今叫んだ言葉に、嘘偽りはないと、証明するかの如く。あんな目のハチを見たのはいつ以来だろうか。……もしかしたら、初めてかもしれない。
「……わかったよ、ハチ」
 気付けば俺はそのまま、マインド・シェアを解いていた。
「小日向くん!?」「小日向!?」
「ごめん、二人とも。でも、我慢してくれるか」
 明らかにそれ以上の何かを言いたげな相沢さんと土倉を、俺は直ぐに止めた。
「ハチ、お前の希望通り、俺はお前が助けを求めるまで、絶対に手を出さない。結果として、お前が死ぬことになったとしても、お前が自ら俺に助けを求めない限り、手は出さないからな」
「ああ、それでいい!!」
 俺には、あのハチの覚悟の目を、スル―することは出来なかった。男としてのプライドを掲げられて、止めることなんて、出来なかった。結果がどうなってしまったとしても、今の俺は、あのハチを止めることは出来ない。
「小日向くん、いいの? 高溝くん、死んじゃうよ? 私が、殺しちゃうよ?」
「ああ。結果としてそうなったとしても、それはハチが決めたことだから」
 俺と柚賀さんの視線がぶつかり合う。俺は視線をそらすことなく、ただ柚賀さんを見る。
「――そこまで言うなら、本当にじわじわと殺していこうっと」
 先に、柚賀さんが俺から視線をそらし、ハチを見た。
「よぉぉぉし!! 行くぞ、柚賀さん!! うおおおおお!!」
 そしてハチは、走り出した。柚賀さん目掛けて、一直線に。――バァン!!
「ぎゃあっ!!」
 柚賀さんのいたぶるような攻撃。ハチは吹き飛ばされゴロゴロ回転して止まる。
「く……まだまだ!! うおおおおお!!」
 ハチ、再び走り出す。――バァン!!
「ぎゃああ!!」
 ハチ、吹き飛ばされる。
「まだ……まだだ!! 君の所に行かなきゃ、意味がないんだ!! うおおおおお!!」
 ハチ、再び。――バァン!!
「ぎゃあっ!!」
 ――気付けば、そのパターンの繰り返しが始まっていた。柚賀さんに攻撃され吹き飛ばされるハチ、でも立ち上がり柚賀さんに近付こうとするハチ。
「小日向くん……!! 高溝くんが、このままじゃ……!!」
 耐え切れなくなったか、相沢さんが俺の肩を揺すってくる。……でも。
「ごめん。――俺は、あいつがどうなったとしても、あいつの覚悟を無駄にしたくない」
「そんな……」
 ここでハチを助けてどうなるのか。ハチは助かるだろう。でもその後に――残る物なんて、何もないのだ。
 今はただ、ハチを信じて、ハチの覚悟を見守ることが、俺の、そしてハチのけじめ。そう思ってしまった以上、俺は動けない。
「うおおおお――ぎゃああ!!」
 ボロボロになっても突貫し、吹き飛ばされるハチ。……正直、俺も見ているのが物凄い辛くなってきた。傍目からしてもハチはもう限界だろう。それ程分かり易くハチの見た目は変化していた。
「……っ……」
 だが、ハチが変化すると共に――徐々に、柚賀さんの表情も、変化し始めていた。動揺を隠し切れなくなってきていた。
「何なの……何なの……!? 何でまだ立ち上がるの!? 大人しくしてれば無意味に痛い思いなんてしなくて済むのに!!」
 ハチは倒れない。限界を超えてもなお、突貫を続けていた。――その姿は、柚賀さんに確実に響き始めていた。恐らく一、二発でハチはノックアウトすると考えていたんだろう。普段のハチだったら確かにそうだったかもしれない。でも、今のハチは。今の、ハチなら。
「どうして助けないの!? どうしてそこで見てるだけなの!? 友達なんだよね!? 本当に死んじゃうよ!? 私が殺しちゃうよ!? 今なら助けられるよ!? ねえどうして!?」
「それは――」
「柚賀さぁぁぁん!!」
 動揺の矛先をハチを助けようとしない俺達に向けた――つまり意識が俺達に向いた隙を、ハチがついた。
「っ!?」
 ガシッ、と柚賀さんの腕を、ハチが掴む。
「離して……離して!! 離さないと、今度こそ――」
「柚賀さん、俺、君に渡したいものがあったんだ」
 柚賀さんの言葉を遮り、ハチは柚賀さんの手に、自らのポケットから取り出した物を持たせる。
「……!!」
 そして、渡された物を見た瞬間――柚賀さんの動きが、止まった。何か信じられない物を見たかのような感じで、止まった。
「あれ……屑葉の、屑葉のお父さんの形見の、黒いイヤリング……!!」
 相沢さんの指摘通り、柚賀さんの手に置かれていたのは、以前まで柚賀さんが耳にしていた、黒いイヤリングだった。
 柚賀さんのお父さんの形見で、破壊の衝動を抑えていた大切な物。――ハチが、持ってたのか。
「今の俺に出来る、唯一のこと。――このイヤリングを、君のお父さんの形見を、君のお父さんの想いを、君に返すことだった。俺は君に許されないことしちまったから、俺のことはもう嫌いでいい。でも、お父さんのこと、嫌いにならないでくれ。きっと君のお父さんは、今でも君のことが……大好きで……今でも……君、を……見守って……」
「ハチっ!!」
 ドサッ。――言葉の途中で、ハチは倒れた。限界だったんだろう。
「…………」
 一方の柚賀さんは――ただ呆然とそのイヤリングを見つめたまま、動かない。
「……まだ、預かっていて……くれたんだ……てっきり、どっかやられたと……思ってたけど……」
 ゆっくりと、手を引き寄せ、そのイヤリングを見つめる柚賀さん。
「ガハッ、ゴホッ!!――くっ、ガード共が全員やられるとはな……」
「!?」
 その声にハッとすると、車椅子の男が意識を取り戻したようだった。
「召喚魔法で召喚していたレプリカが全て消えたから意識が戻ってきたんだろう。つまり、鈴莉達が優勢に持ち込んでいる証拠だ。――時間を稼げ、雄真、相沢友香、土倉恰来」
「わかった!」
 クライスの言葉にバッ、と俺達は再び身構える。あの車椅子の男が何をしてくるかわからない。
「柚賀屑葉、体勢を立て直すぞ!! そいつらは放っておけ!!」
「……黙っていてもらえますか」
「何――」
「彼らは私が処理する。それを条件に、あなたに手を貸すと約束したんです。……だから、黙っていて下さい」
 柚賀さんは、黒いイヤリングを見つめたまま、そう答える。そして――


「彼らは私が処理する。それを条件に、あなたに手を貸すと約束したんです。……だから、黙っていて下さい」
 私は安藤さんにそう告げる。――外野の声など邪魔なだけだった。私はただ、誰にも邪魔されずに友ちゃん達と対峙したいだけなのだから。御薙先生達を抑えられないのなら、この人にも要件などない。
「…………」
 私は、高溝くんから無理矢理手渡されたお父さんのイヤリングから、目を離せないでいた。――あの日、強くなる為に外し、高溝くんに預けたイヤリング。
 気がつけば――私はゆっくりと、それを耳につけていた。自分が買ったイヤリングと、お父さんのイヤリングが、並ぶ。
「っ!?」
 瞬間、視界が光に包まれた。――周囲にいた人達も消え、光だけの世界。
『屑葉』
「え……?」
 そこに――お父さんは、いた。
『素敵に成長したんだな、屑葉。庵司に散々自慢しておいてよかったよ。これ程可愛い娘なら、鼻が高い』
「お父さん……? お父さんなの……?」
 お父さんは優しく笑いながら――私を、抱きしめてくれていた。
『屑葉。――駄目なお父さんで、ごめんな』
「……お父さん」
『お前がこんなに辛い思いするなんて、思ってもなかったよ。こんなことなら、意地でもずっと傍にいてやればよかった。――ごめんな』
 その言葉を聞くと――涙が零れた。
「違う……お父さんが悪いわけじゃない……結局、私が弱いだけだった。小日向くんのワンドの言う通りだった。強くなれない自分を、誤魔化しただけだった……」
『いいんだ、屑葉。無理に強くならなくたっていいんだ。――屑葉には、大切な友達がいるじゃないか』
「でも……」
『みんな一緒にいてくれただろう? みんな屑葉の友達になってくれただろう? 屑葉は弱くても、みんなを信じてあげられれば、それでいいのさ。そんな優しい屑葉のことがみんな好きで、友達になってくれたんだから。今のままの屑葉で、いいんだ』
「うっ……うああっ……」
 涙が濃くなる私を、お父さんは優しくあやしてくれる。
『それに、そのことに気付いた屑葉なら、もう大丈夫』
「……えっ?」
『一人が無理なら、二人で。――お父さんがついてる。一緒に頑張ろう。大切な友達を、守るんだ』
 不思議な気持ちになっていた。心が穏やかになっていた。ついさっきまであったザワザワと心の中で渦巻いていたものが、綺麗に並んでくれたような、不思議な感覚。
「――うん!」
 今なら――今の私なら……きっと。


「――何をわけのわからないことを! さっさと殺せば済むことだろう! それが目的だったはずだ!! フン、お前が殺さないのなら、私が殺してやろう!」
 イヤリングをつけて、それでもまだ動かない柚賀さんに苛立ちを覚えたか、車椅子の男の矛先がこちらに向く。
「来るぞっ!」
「ええ、大丈夫。――屑葉の、邪魔はさせない!」
 察するに、柚賀さんは今、葛藤している。以前の柚賀さんと、破壊の衝動とがあらためてぶつかり合っているのだ。――邪魔をさせるわけにはいかない。
 敵の攻撃が来る。俺達三人は身構えて――
「!?」
 ズバァァン!!――身構えていた俺達三人の前に、「黒い」レジストが生まれ、敵からの攻撃を防いでくれた。……これは、まさか。
「――友ちゃん、小日向くん、土倉くん。私、みんなにどう伝えていいかわからないけど」
「柚賀さん……?」
「少しだけ、わかった。――私は、強くなくていい。私は一人なら、弱くていい。みんなが一緒にいる時、お父さんが見ていてくれる時、傍にいる人達と力を合わせて強くなれたら、それでいいんだって」
「それって」
「高溝くんを、お願い。――あの人との決着は、私がつける。……ううん、違う。私と、お父さんでつけるから」
「っ!!」
 言いたいことはわかった。――そして、その言葉の中に、込められた想いも。
「まだ……間に合うかな、私。確かに破壊の衝動は胸にある。でも今、それ以上に自分の為に戦いたいと思う。殺す為の戦いじゃない。勝つ為の戦いが、したい」
「屑葉……ねえ、もしかして……!?」
「友ちゃん。――私は、友ちゃんにはなれない。だから、頑張っても友ちゃんに追いつけるわけじゃない。私は、柚賀屑葉。友ちゃんを越えられなくても、友ちゃんの隣には、いたいから――私は、戦うから」
「……!!」
 相沢さんが涙ぐむ。――そう、柚賀さんは……以前の自分の自我を、取り戻したのだ。あの黒いイヤリングを再びつけることで、彼女の父親の想いを感じ取ることが出来て、最後の最後で、破壊の衝動を克服したんだ。
「友香、泣くのは後だ。――柚賀さんの気持ちを、汲もう」
「っ……ええ!」
 俺達はハチを連れ、柚賀さんの後ろに下がる。――ここからでは柚賀さんの背中しか見えないが、それでもその背中は、以前よりも何処か大きく感じることが出来た。
「馬鹿な……自力で破壊の衝動を乗り越えただと……!? ありえん……!!」
 車椅子の男が、目を見張っている。――確かに、あり得ない。あり得ないから、松永さんはずっと柚賀さんの殺害を目的としていたし、母さん達も色々な対策を講じてきた。俺だって、元には戻らないんじゃないかって思わなかったと言えば嘘になる。
 でも、俺は希望を捨てることはなかった。柚賀さんの中に、以前の柚賀さんがまだいてくれていると、信じていた。――だから、俺は。
「柚賀さん。――ピンチになったら、いつでも言ってくれ。俺達は、いつでも出れる」
 そう、俺はいつも通り、仲間の意志を汲み、仲間の為に動けばいい。特別なことはない。俺達は、この瞬間の為に、頑張ってきたのだから。この瞬間を、信じてたのだから。
「うん。大丈夫、お父さんがいてくれてるから。――ありがとう」
 柚賀さんは軽く振りかえると、穏やかな笑みを俺達に見せた。そして、
「みんなの為なら……大丈夫」
 ゆっくりと、でも確実に魔力を集中し始めた。ビリビリ、と感じる圧倒的な魔力。
「――衝動を乗り越えたとはいえ、安定しているとは断言出来ん」
「クライス?」
「あくまで時間稼ぎと考えておけ。鈴莉達が到着するまで、そしてお前の精神負担が回復し、再度マインド・シェアを使えるようになるまでの。――目を離すなよ。ここまで来て負けるなど、面白味の欠片もない」
「わかった!」
 ハチの応急処置を相沢さんと土倉に任せ、俺は戦況を見守ることに専念。いざとなったらもう一回のマインド・シェアだ。さっきは時間を短くしたおかげで、もう少し時間をおけばクライスの言う通りまだ使えるはず。
「っ……乗り越えたなど、あるものか!! ならばもう一度この黒の欲望に染め上げてやる!」
「させないっ!」
 ズバァァン!!――真正面から、車椅子の男の攻撃魔法と柚賀さんの攻撃魔法がぶつかり合う。数秒間、押し引きを繰り返したそれらは、
「おお……!!」
 柚賀さんが、押し勝つ。百パーセントとはいかないが、それでも相手の攻撃を乗り越えて、相手にダメージを与えていく。
「屑葉……!! 頑張って、屑葉!!」
「頑張れ、柚賀さん!!」
 俺達の声援を背に、柚賀さんは戦闘を続ける。
「ぐ……図に乗るなよ……!!」
 その後も、激しい――激し過ぎる戦闘は続く。
「屑葉……凄い……」
 相沢さんが漏らすように、柚賀さんは凄かった。流石は破壊の衝動、以前の柚賀さんからは考えられない程の威力の攻撃魔法を連発している。戦闘は徐々にだが、柚賀さんが敵を追い詰める形に見えた。――そう、見えてはいた。
「っ……はあっ、はっ、はあっ」
 だが、どうしても気になる点が。――柚賀さんの息遣いが、やけに荒い。大きなダメージを受けたわけじゃないはずなのに、かなり辛そうな表情を見せていた。
「クライス、客観的な意見をくれ。柚賀さんのあれって、もしかして」
「おそらくはお前の考えている通りだな。体が慣れていないから、必要以上の体力を消費しているんだ。確かそもそもの話では破壊の衝動は厳しい修行と儀式で克服するものだったな。それを何が起きたかはわからないが、一瞬の出来事だけで克服。本来ならば厳しい修行云々で体も慣れていっているはずなんだろうが、今回それがない。その結果だな。――もう少ししたら、出る必要があるかもしれんぞ」
「……わかった」
 やっぱりだった。柚賀さんは、体に必要以上の負担をかけてしまっていた。――俺はあらためて身構えて、直ぐに援護に出れる準備をする。
「く……っ」
「余計なことをするなら、貴様も殺すまで!!」
 優勢だった戦況が、徐々に徐々に変わっていく。原因は語るまでもなく、柚賀さんの疲労からだった。――バァン、バァン、ズバァン!!
「うっ……!!」
「ぐおおっ……!!」
 それでもギリギリの所で、五分の戦局をキープする柚賀さん。
「大丈夫……お父さんがいる……みんながいてくれる……だから、まだ戦えるっ……!!」
 柚賀さんが自らを奮い立たせるように、そう呟く。
「死んでしまえ死んでしまえ!! 貴様のような人間に、破壊の衝動を使う権利などないのだ!!」
 敵も再びの攻撃の準備に入る。――そうだよ、柚賀さん。俺達がいる。俺達がいるんだ。――君を、守る為に。君と一緒に、戦う為に。
「行くぞ、クライス」
「ああ」
 俺も決断し、マインド・シェアを再度使おうとした――その時だった。――ズババババァン!!
「!?」
 迸る、黒い波動。……ただ、位置がおかしい。位置的に、柚賀さんの物でも、敵の物でもない気がする。
「え……!?」
 皆が、驚きを隠せないでいた。――その人は当たり前のように現れ、普通に柚賀さんの前に歩き、柚賀さんを守るように立ちはだかった。
 だって現状、ここに来るとは誰もが思ってもいない人だったから。
「……まさか、こういう展開になるとは考えてなかったわ、俺も」
「松永さん……!?」
 そう。柚賀さんの前に現れたのは、あの松永さんだった。
「え……!? 松永さん、傷は!?」
 松永さんと言えば、相沢さんを庇い柚賀さんの攻撃を思いっきり喰らってしまい、瀕死の状態だと聞いていた。言ってしまえば、ここに来れるわけがないのだ。
 なのに彼は、今ここにいる。――何故だろう? それよりも、目的は……!?
「信じられねえわ。はいそうですか、で抑えられるもんじゃないんだぜ?」
「私一人では、抑えられません。でも、お父さんが来てくれました。……今も、近くにいます」
「……おやっさんが?」
「本当ですよ? 私のこと、散々松永さんに自慢しておいてよかった、って言ってましたから」
 松永さんは一瞬目を丸くしたが――直ぐに笑った。
「成る程、確かにおやっさんだ。何もかも奇跡ってわけだ。恐ろしいぜ」
「――松永さん!」
 相沢さんが、松永さんの名前を呼ぶ。松永さんと俺達の目が合う。――相沢さんは、言葉なくとも松永さんの真意を聞いている。ここへ何をするつもりで来たのか。俺達にとって――柚賀さんにとって、敵なのか、それとも。
「お嬢さん……確か、相沢友香ちゃんだったか」
「はい、そうです」
「おやっさん――屑葉の父親が望んでいたものは、結局何だったと思う?」
「――幸せだと思います。屑葉の、幸せを」
「そうだな。俺もそう思う。だからこそおやっさんは俺に屑葉を殺してくれ、と頼んで息を引き取った。……どういうことか、わかるか?」
「……松永さん」
「あの状況下、死んでしまうことが、彼女にとって一番の幸せだった。でも生きる道が一番幸せになっちまったのなら――それを優先させるべきだな」
「それじゃ……!!」
「無くなっちまったよ。――俺が、柚賀屑葉を殺す理由が」
 松永さんは、柚賀さんを守る為に、来ていた。――元々、柚賀さんのことを一番心配していたのは、相沢さんとこの人かもしれない。そう思うと胸が熱くなる。
「松永さん……」
「疲れただろ。少し、休んでろ。――おい」
「あ、はい!――柚賀さん」
 俺達はハチを守るのと同時に、柚賀さんも守れるような体制を取る。――気が抜けてしまったのか、柚賀さんはペタン、と座り込んでしまった。
「さて、と」
 直後、少し、空気の流れがかわった。松永さんの周囲だけだろうか? 独特の黒い刀を持ち身構える松永さんの周囲だけ、何か独特な空気が流れているような、そんな気がしてくる。
「松永庵司、だと……!?」
「よう、久々だな。――俺はあんたの名前、忘れちまったが。俺は善人じゃないんでね、全ての人間に存在価値があるとは思っちゃいねえ。存在価値のない人間の名前なんざ覚えるだけ脳の無駄使いだ」
「馬鹿な……瀕死にしたと聞いていたが!!」
 確かに敵の言う通りだ。松永さんは柚賀さんの攻撃により瀕死だったはず。こんな所へ平気な顔で来れるような状態じゃなかった。
「まあな。正直、立ってるだけで結構辛い。本気で攻撃出来るのは精々一発が限界だろうな」
「フ……フハハハハッ、そんな状態で何が出来る!」
「何が出来るとか出来ないとかじゃねえよ。何の為に俺はおやっさんに生かされてると思ってるんだよ。こういう時、命張らなきゃ俺なんて生きてる意味ねえんだっての」
「ほざけ! ついでだ、貴様も一緒に――」
「俺は魔法陣が生成出来ない。――どういう意味か、わかるか?」
 相手の言葉を遮り、松永さんはそう切り出した。
「魔法陣ってのは体内で生成した魔力を具体的な形に具現化し、術者の思い通りにする為の通過点だ。それが作れない俺が詠唱、一定以上魔力を体内に溜めるとどうなるか。説明するまでもない、危険だ。魔力は放出するもんだ、溜めこみ続ければ体がおかしくなる。――逆に言えば、圧倒的魔力の力を、体内に付加することが俺は出来る。しつこいけど危険だけどな。でもそれは、魔法陣が作れる普通の人間には出来ない技」
「何を……言っている……!?」
「おやっさんには禁止されてんだ、これ。あまりにも危険過ぎるからってな。でも――今日位、今日のこの瞬間位、勘弁な」
 松永さんは、自分の手を、自分の顔に当てて、
「キルザ・ベイア・アウトローク」
 詠唱を、始めた。――直後。
「!? な……っ!?」
 ドドドド、と軽く地面が揺れ始めた。松永さんの体が、黒い魔力に包まれていく。
「……っ……」
 怖い。見ていて、怖かった。――松永さんは味方として来ている。そう心に言い聞かせても、俺の恐怖は抜けない。それ程の存在感を、今の松永さんは放っていた。
「何故だ……それ程の力なら、コントロールなど到底不可能のはず……貴様……!?」
「俺は、破壊の衝動をコントロールしてるんじゃない。――対等の立場にいるだけだ」
「馬鹿な……そんなこと、ありえるか……!!」
「あばよ」
 ズバァァァァン!!――本当に、一撃だった。圧倒的な「黒」。今まで渦巻いていたものを吐き出すような勢いでその黒い力が放出され、敵が倒れると共に――俺達の柚賀さんを巡る戦いも、終わりを告げたのだった。


「……う」
「おっ」
 母さん達と合流後、致命傷こそなかったものの、流石にダメージになっていたハチを魔法で治療してもらっていた。
「目、覚めたかハチ」
「……雄真……?」
「安心しろ、大した傷じゃない。魔法で治療して貰ってる」
「そっか……俺、夢を見てた」
「……夢?」
「ああ……世界中の美女が俺の部屋に集まってだな……」
「すいません、誰かこのまま脳の治療もお願い出来ますか」
 お前はそういう夢以外見ることないのか馬鹿野郎。周囲もその根性に苦笑しか出来ない。
「フフフ、私にお任せ」
「錫盛さん?」
「高溝君、君はメイドさんは好きかしら? メイドさんに囲まれたら元気になるかしら?」
「大好きッス……元気になれます……」
「なら特別に、メイドになれる魔法を一つ。フフフ」
「いやハチがメイドになってどうするんですか」
 ハチのメイドとかキモいのでぜひ遠慮願いたい。
「――って雄真、柚賀さんは!? 柚賀さんはどうしたんだ!?」
「安心しろ、わけあって今この場にはいないけど、もう大丈夫だ」
「大丈夫……なのか!? もう何の心配もいらないのか!?」
「ああ。――お前、よく頑張ったよ。お前の登場がなかったら、柚賀さんは元に戻らなかったかもしれない。ちゃんと失態、取り戻してたぜ、お前」
 そう。もしもあの時、ハチが現れず、柚賀さんの手にあのイヤリングが渡らなかったら、どうなっていただろうか。もしかしたら、柚賀さんは元に戻らず、最悪の結果を迎えていたかもしれないのだ。――ハチは、十分過ぎる程、頑張った。そう考えても、いいだろう。
「そっか……柚賀さん、大丈夫なのか……良かった……」
 安心したのか、またハチは目を閉じてしまった。
「――って起きろよハチ、もう帰るんだぞ」
「いいじゃないの雄真くん、寝かせてあげれば」
「……やれやれ」
 母さんに窘められ、俺も何とも言えなくなってしまった。
 ――母さんの話によれば、今回のことはほとんどが闇に葬られてしまうらしい。破壊の衝動に飲み込まれた人達は極秘裏に拘束、連行される。表沙汰にしてしまえば、やはり柚賀さんに色々問題が起きる。仕方がないことだった。
「にしても――本当に、大丈夫だったかしら、あの二人だけで先に帰しても」
 錫盛さんが、ふっと真面目な表情になり、先に帰った「二人」のことを口にする。
「大丈夫です」
 それに対し、真っ先にそう答えたのは、相沢さんだ。
「どうしてだか、聞いてもいいかしら?」
「だって――私の親友と、その人を守ってくれるって約束してくれた人だから」


「……う……ん……」
 徐々に、意識が戻ってくる。聞こえてくる街の音、人の歩く音。
「……あ……」
 屑葉は、そこで自分が寝てしまっていたことに気付いた。無理もない。疲れていた最中、この心地よい適度な振動で休んでいたら――
「……あれ……?」
 屑葉更にそこで初めて自分が置かれている状況に気付いた。
「ああ、目、覚めたか」
「松永さん……? って……えっ!?」
 屑葉は今、庵司におぶってもらっている状態だった。心地よい適度な振動も、おぶっている状態で庵司が普通に歩いているからであり。
「あ……あの、その」
 恥ずかしさ云々が急にこみ上げて来て何をどう言っていいかわからなくなる。街中人目がある状態でおんぶは少々恥ずかしかった。
「悪いな、本当はあの御薙先生とやらにちゃんと見て貰うべきだったんだけど、どうしてもって言って、時間貰ったんだ」
 そんな屑葉の状態を知ってか知らずか、庵司は言葉を続ける。おぶって貰っている状態では、屑葉は庵司の表情は窺えない。
「どうしてもって言って時間貰った……?」
「ああ」
「その……まだ、破壊の衝動で、何か特別なこと、残ってるんですか……?」
 破壊の衝動は、克服出来た。もう誰かを殺したいとは思わない。だがこうして庵司が特別な要件があるということは、まだ何か残っているのかもしれない。――屑葉に、一抹の不安が過る。
「安心しろ、違えよ」
「えっ?」
 だがその屑葉の不安は、庵司の軽い笑いで消える。――庵司がどうしても屑葉と二人になりたかった理由。……それは、
「約束しただろうが。――破壊の衝動克服したら、おやっさんの話、してやるって」
「あ……っ!」
 それはあの日、川原での会話。

『それなら……私が期限までに、破壊の衝動を克服したら、お父さんの話、してくれますか?』

「少しでいい。さわりでいい。――今のお前と、おやっさんの話、したかったんだよ」
「松永、さん……」
 気がつけば――周囲の目や音など、何も気にならなくなっていた。
「――昔、おやっさんに言われた言葉がある。俺が破壊の衝動を克服する、全然前の頃だ。あの時おやっさんに貰った言葉、今のお前に送るよ」
「お父さんの……言葉……」
「世界を、自分一人で生きてるだなんて、思うな。お前は一人じゃない。だから、辛い時は辛いって言っていい。苦しい時は苦しいって言っていい。嬉しいことがあった時は好きなだけ報告してくれていい。たとえ、お前が俺のことが嫌いだったとしても――俺は、いつでもお前の味方でいるから」
 その言葉を聞き遂げたその時、屑葉の中に残っていた最後の壁が、崩れた。
「う……あ……ああっ……」
 そして、同時に零れてくる、大量の涙。
「明日がいい日になるか悪い日になるかなんて、結局は自分次第なんだ。誰のせいにも出来やしねえ。だから、頑張ろうぜ。頑張ってみせようぜ。俺を助けてくれた、おやっさんの為に。――お前の幸せをずっと願ってる、おやっさんの為に」
 一人の影と、その一人に背負われた一人の影が、夕焼けに染まる街並みに消えていく。二人にとっての明日が、これからが――きっと幸せになるものであろうことを、感じさせながら。


<次回予告>

「だってお前、普通女の子に弁当作って来て貰うって言ったらあれだぞ? 
普通男は色々期待するぞ? 子供の名前考えるぞ?」
「朝から何の話してるのよ!!」

屑葉の騒動も落ち着き、迎える新たな朝。
爽やかな朝……とは少しだけ違った朝から、あらたな物語が幕を開けようとしていた。

「今度の日曜日、オープン記念でイベントがあるみたい。
――今度の日曜日は試合ないし、一緒に行ってみる? デートも兼ねて」
「イベントか……」

気持ちも平和になったか、ほのぼのとした学園生活に戻る雄真。
そこで不意に持ちあがった話題に雄真は乗ろうとするのだが。

「相沢さん、本当に土倉くんとは何もないの……? 普通そこまでするってことは」
「好きってことだよなあ。俺だったら間違いなく期待する」

そして、不意に生まれる疑問、薄々感じ取っていたもの。
それは恋の始まりか、それとも――!?

次回、「ハチと小日向雄真魔術師団」
SCENE 52 「総菜パンは微かに恋の香り」

「なあ、土倉」
「……何だ?」
「お前さ……ぶっちゃけ、相沢さんのこと、好きか?」


お楽しみに。



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