ピリリリリ。――手元にあった携帯電話が鳴り出す。
「…………」
 相手を確認すると、聖はゆっくりと通話ボタンを押した。
「もしもし」
『聖っ! わかった、わかったぞお前が言ってた黒い魔力のこと!!』
「……え?」
『お前に話聞いて、どうしても気になって空いてる時間使って調べた!! いや苦労したぜこれ、普通のルートじゃ何処にも情報なんてなかった、本当にラッキーだったぜ』
「……蒼也」
『まあ俺が提供出来るのは情報だけで、その情報を元に動くのが本番で、本当に大変なのは……どうした? 何かあったか?』
「わざわざ調べてくれて、ありがとう。――でも、ごめんなさい」
『ごめんなさい……って、へ?』
「実は、ね」
 聖は茜から聞いた事の結末を、電話相手に説明する。
「そういうことだから……折角調べてくれたけど……」
『……そうか。なんつーか……悪い、言葉見つからないや。大丈夫か?』
「ええ。――本当に辛いのは、私じゃないわ。だから私は、精一杯支えてみせる」
『そうだな……うん。……うん……?』
「……蒼也?」
『……何だろう。何か……引っかかるような……』
「!!」
 聖はその言葉にハッとする。「何か引っかかる」というその言葉。学生時代から、彼のその第六感は鋭く、蔑ろにしてはいけない節があった。
「蒼也、どういうこと? 何が……気になるの?」
『聖、お前がわかる範囲内でいい。出来事を最初から詳細に話してくれないか。最初から、最後まで』
「わかったわ」
 瞬時に気持ちを持ち直し、聖は出来事を最初から説明を始める。そして――



ハチと小日向雄真魔術師団
SCENE 49  「終わりは始まり」




「失礼します!」
 ガチャッ。――ノックもそこそこに、俺は母さんの研究室に入る。
「雄真くん? どうしたの、そんなに勢いよく」
「大事な話があって、来たんだ」
「大事な……話?」
「うん。――話っていうより、お願いって言った方が近い」
「お願い……そう」
 ふーっ、とゆっくりと大きく、母さんは息を吹く。
「……そうね。確かに春姫ちゃんを説得出来るのは、ある意味私位かもしれないしね」
「そう、春姫を説得出来るのは……はい?」
 春姫を説得? 何の話だ?
「真のハーレムキングを目指す為に、春姫ちゃんとは別れたい。そういうことでしょう?」
「違えええええ!! 今までの流れの何処からそんな提案にたどり着きますか!? というか万が一それだったとしてその内容を実の母親に頼むって格好悪過ぎでしょう!?」
「いいじゃない、その位させてよ、母親として〜」
「頼みませんしそもそも春姫を別れるつもりはありません!!」
「今のところは」
「俺の後ろその補足も間違ってる!!」
 まあ当然俺はそんなことを母さんに頼みに来たわけではない。
「それで? 一体何のお願いかしら?」
「うん。――柚賀さんのこと、教えて欲しいんだ」
「……どういうことかしら?」
「これから柚賀さんがどうなるのか、どうなっていくのか、結果として何がわかったのか、出来る限り俺に教えて欲しい」
「――雄真くん」
「受け止めておきたいんだ。ちゃんと知っておきたいんだ。大切な友達のこと、仲間のこと、把握して、おきたいんだ」
 そう。それが俺が導き出した――小さな唯一の結論だった。今の俺に出来る、唯一のことだった。
「もう俺に何かが出来るわけじゃないけど――それでも、俺達の戦いが終わったわけじゃないと思う。俺達の戦いは、これからだから」
 これからも、前を向いて歩いて行く。その上で、今までの事実を消すことは出来ない。だったら――目を背けずに、知れることは全て知っておきたいと思ったから。
「……雄真くん、男の子なのに、自ら諦めるのね」
「へ? 諦める?」
 今の俺の言葉の何処に諦める的なニュアンスが?
「私はよく知らないけど、大体最後になるとみんなそうやって言うんでしょう?」
「大体最後になるとみんなそうやって言う……?」

『俺達の戦いは、これからだから』

「いや別に最終回フラグじゃないから!?」
「あれだな。次回から「こちら瑞穂坂学園内ファミレスOasisウェイトレス係」が始まるな」
「目指せギネスか!?」
 略してこちオア、主人公は杏璃――いやいやいや。
「どうしてそういう風に思ったか……なんて聞く必要はなさそうね」
 俺の目を見て、母さんは優しく笑う。
「雄真くんは強いのね。大人の私達よりも復活が早いんだもの」
「いえ……寧ろ俺、弱い方だと思う」
「あら、どうしてかしら?」
「ただ俺は、必要以上に周囲に恵まれている。その弱い俺を助けてくれる人が、周りにいる。だから俺は前を向いているんだ」
 今回だって、昨日舞依さんに色々言葉を貰えなかったら、今こうしてこんなことを頼みに母さんの所には来ていなかっただろう。
「そう」
 俺の言葉を聞いて、再び母さんは、優しく笑う。
「いいわ。本当なら事実は厳選してみんなには伝えていくつもりだったけど、雄真くんがそう言うのなら、雄真くんには一つ一つ、全てを報告していくわ」
「――ありがとう、母さん」
「お礼を言うのはこちらの方かしら。雄真くんのその前向きな姿は、こちらも勇気を貰えるから」
 と、そんな言葉を貰った時、母さんの携帯が鳴った。
「ちょっとごめんなさいね。――もしもし? あら、聖ちゃん。どうした――え?」
 瞬間、母さんの顔色と顔つきが――変わった。


 ――いつからそこに座っていたんだろう。
「…………」
 気がつけば、相沢友香はその川原の土手に、膝を抱えて座り込んでいた。ただ漠然と、景色を眺めていた。何か特別な景色なわけではない。あり触れた、川原の景色だ。
 ずっと眺めていれば、心が落ち着くわけじゃない。
 ずっと眺めていれば、心の傷が癒えるわけじゃない。
 ずっと眺めていれば――屑葉のことを、忘れられるわけじゃない。
「……っ」
 なのに、友香はそこから離れられなかった。――ただ全てに対して無気力になってしまっているだけなのかもしれないが、ただそこに座っているだけ。それ以上のことを、今はしたいとは思わなかった。……そんな時だった。
「……まさかとは思ったが、ここで君に会うとは」
「え……?」
 声がした。――振り返るとそこには、
「……松永、さん」
「よう」
 黒い魔法服を身に纏った、松永庵司の姿があった。
「……ここで私に会うことに、何か特別な意味でもあるんですか?」
 先ほどの庵司の呟きは、しっかりと友香の耳に届いていた。
「ん? あー……その、丁度ここで、あいつに俺三回程会ってるのよ」
「屑葉に……ですか?」
「ああ。嬉しそうな顔だったり悲しそうな顔だったり、会う度違う顔してた。で、四回目……とはまた違うけど、今日は君がいたってわけ」
 偶然なのか運命なのかはわからないが、それでもこうしてここで友香に会うことに違和感をあまり感じないことを庵司は自然と受け入れていた。そういうもんなのかな、と。
「……俺に対して、恨み辛みとか、ねえのか? 好きに言っていいんだぜ?」
「ない……です。松永さん、いい人だって、なんとなくわかりますし」
「俺はいい人じゃねえよ。俺は悪人。――だからさ、無理しないで感情爆発させちゃえよ。泣いて叫んで、俺のせいにして。それで君が少しでも元気になれるなら、それでいいさ」
 直後、友香の目から、大粒の涙が零れる。
「っ……ずるい、ですよ……そんなこと言われたら、ますます怒れないじゃないですか……ますますいい人だって思っちゃうじゃないですか……!! 本当は、本当だったら、私だって……!!」
「そっか。――悪かったな。……君は本当、若いのに大したもんだ」
 世の中って、世界って本当に皮肉だな、と庵司は思う。――俺も泣いたら何か変わるのかな。泣かないけど。……泣く権利なんて、ないけど。
「――落ち着いたら、笑ってやれるよな?」
「え……?」
「わかってるとは思うが、君がそうしていつまでも悲しんでいる姿、屑葉は望んじゃいねえよ。悲しむなってのは無理な話だから、今はそれでもいい。でも落ち着いたら、笑ってやれ。屑葉が憧れてたっていう、君でいてやれ。それが屑葉の為でもあり、君の為でもあるだろうからさ」
「……松永さん」
「彼女のことを忘れるわけじゃない。ちゃんと胸に抱いたまま、笑ってやれ。心からの、笑顔を見せてやれ。――大丈夫。君なら、出来る。辛い時は泣いたっていい。我慢は体に毒だ。でも、泣きっぱなしは止めておけ。それはそれで、体に毒だから」
 穏やかな笑みで、庵司は語る。――その言葉は、友香に小さな、でも確実な勇気を与えてくれた。涙を腕で拭き、友香は立ち上がる。
「私、頑張ってみます。――屑葉の為に、他の友達の為に」
「うん、そうするといい。――悪かったな、色々偉そうに語っちまって」
「そんなことないです。――松永さんは、これから」
「あー、最後の後処理。皮肉な話、一連の事件のお陰で奴らも反応してくれてな場所も大体掴めてる」
「破壊の衝動に飲み込まれた人達作っている組織……ですか」
「そ。――だから、君に会うのも、これで最後だ」
 何の躊躇いもなく庵司はそう告げてくる。――つまり、庵司はもう直ぐ死ぬ、という意味合いであった。
「松永さん」
「うん?」
 それがわかった友香は、躊躇いもなく、その提案をする。
「私も――私達も一緒に、戦わせてくれませんか?」
「…………」
 庵司は答えない。――それでも友香は続ける。
「私、松永さんには死んで欲しくありません。仲間のみんなもきっとそう思ってるし、何より――屑葉だって、きっとそう思ってます。だから」
「止めてくれ」
 途中で苦笑しつつ遮った。――本当、大した娘さんだよ、この子。
「耐えられないんだって。おやっさんの娘この手で殺して、生きていくなんて。他の誰が望んだとしても、俺自身が耐えられない。こうしてる今だって、一歩間違えたら発狂しちまいそうなんだぜ?」
 嘘ではなかった。――後少し。その想いがあるから、庵司は自我を保てていたのだ。
「じゃ、お別れだ。――達者でな」
 友香としては、何か言いたかったが、その後姿を見ると、何も言えなくなってしまった。ただ、背中を見送ることしか、出来なかった。
「――っ!」
 パン!――自らを奮い立たせるように、両頬を両手で叩く。
「屑葉。――私、あなたが憧れるような、素敵な女の子じゃ、ないけど」
 届くことのない言葉を、友香は口に出す。
「私、あなたの分まで生きるとか、立派なことは言えないけど」
 目に涙を浮かべつつも、しっかりとした言葉を続ける。
「それでも私は、これからも生きていくんだから――前を向いて、生きていきたい」
 そして――導き出された、結論。
「だから、見守っていてね、屑葉」
 目を閉じて、最愛の友を想う。涙は乾かないが、それでも友香は笑うことが出来た。

『大丈夫。――友ちゃんなら、大丈夫だよ』

「っ……」
 そんな声が、聞こえた気がした。

『友ちゃんは、私の憧れの、素敵な女の子なんだから。だから、大丈夫』

「……ありがとう、屑葉」
 気がつけば、自然とお礼を口にしていた。不思議な時間だった。――ピリリリ。
「……っと」
 携帯電話が鳴り、意識を現実に戻す。ディスプレイを見てみると、
「御薙先生……?」
 電話番号は知っていたが、実際にかかってくるのは初めてだった。
「――もしもし?」
『相沢さんね!? 今すぐ、今すぐに学園に戻って来て!!』
「え……?」
 聞こえてくる鈴莉の声は、明らかに焦りが入っている。――ここまで焦っている鈴莉の声を、友香は聞いたことなどなかった。いつだって穏やかで、冷静な人だったから。
「あの……どういうことなんですか?」
『柚賀さんの遺体が、消えたの!!』
「屑葉の遺体が消えた……? え、あの……!?」
『しかも、保管されいた場所に、外部からの侵入の形跡はない。つまり、「柚賀さん本人が」自らその場を去った、ということ、即ち柚賀さんが息を吹き返したということ! 一度死亡が確認されているのにそのような形で息を吹き返すということは、余程巨大な未知の力による作用、つまり破壊の衝動に完全に飲み込まれている可能性が高いわ!』
「そんな……え、あの……!?」
 捲し立てるように事実を告げられ、友香の頭が混乱する。
『破壊の衝動に飲み込まれた柚賀さんが最初にすることとして、あなたを最優先で「狙う」のも十分に考えられるわ! だから、いち早く安全な場所、学園に来て欲しいの! 場所を教えてくれたら、こちらからも迎えに行くわ!』
「っ……」
 友香は、鈴莉の話を、頭の中で落ち着いて整理してみることにする。
 特殊な場所で腐食しないように保管されていた屑葉の遺体が、消えた。
 外部から何者かが持ち去ったといった形跡は見当たらない。
 つまり、屑葉が息を吹き返し、自らの意思でそこを去ったと考えられる。
 完全に死亡が一度確認出来たはずなのに、何故に屑葉は息を吹き返したのか?
 それは――破壊の衝動に飲み込まれた為、つまりあの絶大なる黒い魔力のせいではないか。
 即ち、屑葉は破壊の衝動に、完全に飲み込まれてしまった。
 破壊の衝動に飲み込まれた屑葉が最初に行いそうなこと。それは、親友であった自分を衝動のままに殺害すること。
 その可能性があるから、学園で保護したいと、鈴莉は言ってきているのだ。
「…………」
 そういえば、鈴莉から電話が来る前、目を閉じた時、屑葉の声が聞こえていた気がした。
 もしもあれが――「実際に」後ろから、発せられていた声だったとしたら。
「……っ……」
 ドクン、ドクン、ドクン。――心臓の鼓動の音が、やけに大きく聞こえてくる。意を決し、ゆっくりと振り返ることにする。
 一歩。
 また一歩。ゆっくりと、確実に足を動かし、体の向きを変える。そして、
「!? きゃっ!」
 まさに百八十度回転する、という所で何者かに突き飛ばされ、友香は尻もちをついてしまう。――尻もちをついた友香の目に映る光景、それは、
「っ……くそっ、たれ……が……!!」
 友香を庇い、友香を突き飛ばした庵司の体が、黒い魔法波動に貫かれている姿だった。――力なく、庵司はその場に倒れる。
「松永さん!!」
 頭が完全についてきているわけではなかったが、それでも庵司が「やられた」ことはわかる。友香は急いで庵司の下に駆け寄った。
「しっかりして下さい! 魔法の体内への傷って、どうすれば――」
「いいから……逃げろ」
「でも、松永さんが!」
「俺のことはいい、逃げろ……!! あいつの狙いは俺じゃねえ……恐らくは」
「正解です。――私の狙いは、友ちゃんでしたから」
 声がした。耳に慣れた声。ずっともう一度聞きたいと思っていた声。――今この瞬間、聞きたくはなかった声が。
「屑葉……っ!!」
 十数メートル先、穏やかな表情で、屑葉がこちらを見ていた。
「松永さん。松永さんがここでやられてしまうのは、少し残念なんです。松永さんには残っている他の破壊の衝動に飲まれた人達を、根絶やしにして欲しかった。この力を持っている人間は、私一人で十分。私一人の方が、自由に何でも出来るから。破壊も――殺人も」
「く……そっ……!!」
 庵司は必死に動こうとするが、ほぼ致命傷だったようで、まったく身動きが取れない。
「友ちゃん」
 そう友香を呼ぶ屑葉の声も表情も、以前と何も変わらない。恐怖と怒り、複雑な感情が友香を襲う。
「屑葉……ううん、今のあなたは屑葉じゃない、そうよね? 屑葉を返して!」
「友ちゃん、友ちゃんは勘違いしてる」
「勘違い……!?」
「破壊の衝動に飲み込まれたからといって、以前の記憶や感情が消えるわけじゃない。だから私は、友ちゃんが知ってる柚賀屑葉、そのものなんだよ? 友ちゃんのことが大好きな、柚賀屑葉なんだよ? 友ちゃんに憧れてる、柚賀屑葉なんだよ?」
「っ……そんな……!!」
「そう、私はまだ友ちゃんに憧れてる。友ちゃんは凄い素敵な女の子。だから――その友ちゃんを殺して、私はもっと素敵になりたい」
「っ!!」
 屑葉は笑う。――屈託のない、穏やかな笑みだ。……複雑だった友香の感情が、「恐怖」一色に変わっていく。
 屑葉が一歩、また一歩と近付いてくる。友香は動けなかった。どうしていいかわからない。何より、体が動かない。危険なのはわかっている。でも、頭がついてこないのだ。
 数メートルあった距離が、徐々に、確実に近付いてきていた――その時。
「……あれっ? 松永さん?」
 屑葉がいる方向とは逆の方向から、その声は聞こえた。
「な――野々村さん……!?」
 買い物の帰りか、右腕に紙袋を抱えた野々村夕菜が、唖然とした表情でこちらを見ていた。
「え? あれ? 松永さん、どうしたんですか、こんな所で倒れて――」
「来るな!! 逃げろ!!」
「逃げる? へ? あれ? あ――」
 状況がまったく掴めない夕菜に――既に、黒い魔力は降り注ぎ始めていた。
「野々村さん!!」
 ズガガガァァァン!!――庵司が再び夕菜を呼んだ時、圧倒的な量の黒い攻撃魔法と、激しい爆発が、既に夕菜を包んでいた。
 何かをする暇などなかった。――どうすることも、出来なかった。
「邪魔なんて、させない。今が一番大事な時だから」
「っ……そっ……クソッ……!!」
「そんな……」
 当たり前の顔で告げてくる屑葉、悔しさを滲ませる庵司、呆然自失の友香。だが直後、三人それぞれにとって予想外の展開が起きる。――ズバシュウゥゥゥン!!
「っ!?」
 未だ視界が晴れない夕菜がいた場所から、巨大かつ高速な「七色」の魔法球が、連続で射出され、迷うことなく屑葉に向かって飛んでいく。
「…………」
 屑葉の予想外の展開だったらしく、完璧なガードによりダメージこそ喰らわないものの、一歩、また一歩と後退。――そして晴れてくる視界。そこには。
「びっくりした……つい勢いで「使っちゃった」よ……」
 無理もないが実際驚きだったようで、あからさまにそんな表情を浮かべつつ「無傷の」夕菜が立っていた。無傷。それはつまり、あの圧倒的な黒い魔法による急襲を、完璧に防いだ、ということである。
「――って松永さん!? 何があったんですか!? 大丈夫ですか!?」
 そこで夕菜はやっと庵司がダメージの末に倒れていることに気付き、駆け寄ってきた。
「しっかりして下さい! あんぱん食べますか!? このあんぱん、その辺の普通のパン屋さんのあんぱんとはパワーが段違(だんち)だ!」
「……あんぱん好きなんだな、野々村さん」
 紙袋の中身はあんぱんらしい。この状況下に置いても天然加減丸出しの夕菜に対し、ついどうでもいいツッコミをしてしまった。――某ロボットネタに関してツッコミを入れなかったのは状況が状況だから、ということに庵司はしておいた。……と、そこで夕菜が友香を見る。
「えっと……前、わたしのお店来てくれたことあったよね?」
「え? あ、はい、その」
「ちょっと少しの間、これ持っててくれるかな? 後、出来れば御薙先生とか、茜さん――成梓先生とかに連絡を取ってくれる? わたしこういう時、どうしていいかわかんなくなっちゃうから。誰か来てくれるまでは、わたしが守ってあげるから」
 唖然としている友香に笑顔であんぱんが入った紙袋を手渡すと、夕菜は立ち上がり、二人を庇うように立つ。
「野々村さん……!?」
「わたしの魔法は普通じゃないから、大っぴらに使うと茜さんとか冬子ちゃんとか聖ちゃんとかに怒られちゃうんだけど、でもこういう時ならみんな怒らないから、大丈夫です」
 夕菜が挙げた名前の一つに、庵司は聞き覚えがあった。――聖。
「野々村さんも……あの子達の仲間だったか……」
 未だ動けない庵司としては、夕菜が時間を稼ぎ、確かに誰かが来てくれるのを願うしかなかった。
「あの……邪魔しないで貰えますか? その、殺したくなるので」
 少し申し訳なさそうにそう言う屑葉は、確かに友香の知っている屑葉であった。――言葉の内容は、まったくもって違っているが。
「ほんじゃがばんばんほんじゃかばんばん」
 一方の夕菜は――謎の呟き。
「……野々村さん、何それ」
「あっ、そのわたし、つい人の話何でも聞いて隙が出来ちゃうらしいので、本当に強そうな人と戦う時は敵の話は聞かないようにしなさいって」
 要は屑葉の話に耳を傾けない為であった。何処までも緊張感を感じさせない姿に庵司も友香も不安を隠せない。――だが。
「ふーっ……」
 夕菜が大きく息を吹いた瞬間、その不安は消える。
「!?」
 周囲の地面が揺れ始めた。圧倒的量の魔力の集中による結果である。夕菜の性格故か、威圧感はまるで感じ取れないが、それでも真正面から対峙したら、生半可の実力者では対抗する気は起きないだろう波動が走る。
「……マジか」
 庵司もつい自らの状況を忘れ、驚く他になかった。聖の戦闘に関する才能に驚いたのは記憶に新しいが、根本的な魔力に関しては、夕菜の方が断然上であることを感じ取れた。――言ってしまえば、異常な程、である。
「…………」
 一方の屑葉も、無言で魔力を集中し始める。その圧倒的魔力の集中は、友香の知らない屑葉の姿であった。
 ここまで来ると、どちらが上かはわからない。ただどんな結末を迎えたとしても、ここでぶつかり合う以上、全員が無事で終わるとは到底思えない空間が生まれ始めていた。戦闘不能で済めば良いが――現実味のある戦闘を今まで幾多も経験していた庵司にしてみれば、恐らくは誰かがこの戦いで死ぬであろうことは察せられた。それ程の空間なのだ。それは屑葉なのか、夕菜なのか、それとも。
「セシル・ディア・プロカボス」
「レインアウト・ラップル・ワンズ!」
 バアアアァァン!!――ほぼ同時に始まり同時に終わった屑葉と夕菜の詠唱。巨大な黒い魔法波動と巨大な七色の魔法波動が、真正面からぶつかり合う。
「っ……!?」
 真正面から衝突した瞬間、その爆風だけで友香は吹き飛ばされそうになる。怪我した庵司を庇うだけで精一杯だった。
(あれが……屑葉なの……!?)
 確かに、暴走の時の屑葉も恐ろしい程であった。だが今は意識ある状態。にも拘わらずこの威力の攻撃魔法を放つ屑葉など、友香にしてみれば考え付かない光景であった。
 一方で、冷静さをキープ出来る庵司があらためて驚いたのは、夕菜の実力である。屑葉の「破壊の衝動」の才能は高い。飲み込まれてしまった今、純粋な魔力で真正面から対抗出来る人間など、いないのではないかと思える程。
(野々村さんの力……あれは……何だ……!?)
 だが夕菜はその屑葉に対し、真っ向から力で対抗していた。普通ではない。七色の魔法球といい、何かを会得しているのか……という結論に達する。
 そんな屑葉と夕菜の実力は、ほぼ互角に見えた。
「――っ!?」
 だが、状況が互角ではなかった。――友香、負傷している庵司の存在である。夕菜は動けない二人を守りながら戦わなければならない。その微妙な差は、状況を徐々に屑葉に傾けていく。
「あっ――!!」
 一瞬の隙を付き、屑葉が広範囲の攻撃魔法を放つ。――友香、庵司にも十分な量が届くように。マズイ、と夕菜が動きを変えようとした――その時。
「え……!?」
 ズバアァァン!!――夕菜、庵司に降り注いでいた分は、現れたその人間により相殺される。その相殺に成功した人物は、戦闘態勢を既に取っており、そのままザッ、と夕菜の横に並んだ。
「御薙先生!!」
 鈴莉である。――直後、鈴莉と屑葉の視線がぶつかり合う。
「柚賀さん。一つ、確認していいかしら?」
「何ですか?」
「もう、無理なのかしら?」
 主語が抜けているが、十分に意味は通じる。――屑葉はその問い掛けに、ゆっくりと首を横に振った。
「無理だと思います……みんなと一緒にいたいと思うより、みんなを殺したいと思う衝動の方が圧倒的に強いです」
「……そう」
 鈴莉が厳しい表情で、でも悔しさを滲ませた。
「……先生には、とても感謝しているんです」
「どういう意味かしら?」
「最後、成梓先生と治癒魔法使ってくれましたよね? あれのお陰で、こうして私は息を吹き返したんです」
「……ええ、そうでしょうね」
「? 知って……いたんですか?」
「さっき、電話で報告を受けたの。以前の教え子にそういうのを調べることに関して日本でも一、二を争う子がいてね。彼の仮説によると、あなたの破壊の衝動に関しての才能、肉体をまったく傷つけない、特殊な殺害方法、その直後の一定レベル以上の治癒魔法。以上の条件が重なった時、何パーセントかの確率で、破壊の衝動に飲み込まれその力により息を吹き返す、と。事実、過去に一度だけ同じ例があったそうよ」
「そうなんですか。私は感覚だけでそんな気がしていましたけど……それじゃ、私がここにいるのは、奇跡かもしれませんね」
 淡々と語る鈴莉。友香、そして流石の庵司も驚きを隠せなかった。……あまりにも、皮肉な話である。
「いくら奇跡だったとしても、私は相応の責任を取らなきゃいけないわね」
「責任?」
「あなたを殺してでも、あなたを食い止める」
「それは無理です」
「何故かしら?」
「先生は、私を殺せません。だって先生だから。御薙先生は、生徒を殺すなんてこと出来ない、優しくて素敵な先生です」
 屈託のない笑顔でそう告げる屑葉。弱みに付け込んだ、付け込まれた。――そう、思った。……が。
「――大人を舐めないでくれるかしら?」
 そう告げた時、既に鈴莉は屑葉の真横で攻撃態勢に入っていた。――ズガァァァァン!!
「……っ」
 激しい衝突音、爆発音が響く。――レジストのダイレクトアタックに、爆発系統の魔法を混ぜ合わせた、相当な威力の攻撃魔法である。一気に屑葉と鈴莉の間合いが開いた。
「あなたが知っているのは、教師としての御薙鈴莉。一人の人間としての御薙鈴莉を、生徒であるあなたに見せた覚えはないわね」
「……っ!?」
 屑葉が、怯んだ。――夕菜のあの圧倒的魔力を前にしても、何の動揺を見せなかった屑葉が、その鈴莉の一言に、怯んだ。
 夕菜に比べて圧倒的に強いわけではない。それでもその圧倒的な存在感に、実力以上の何かに、屑葉は本能的に怯んだのである。
(これが……御薙鈴莉……か)
 それは友香に必死の応急処置を受けている庵司も同じであった。屑葉よりも断然経験豊富ではあるが、それでも真正面から対峙した時、動揺するなと言われたら無理だろうことを客観的に察することが出来た。
 御薙鈴莉。――日本屈指と言われた魔法使いの存在は、伊達ではない。
「それに、あえて教師として言うのなら、間違った道を歩もうとしている生徒を正しい道に連れ戻すのは当たり前のことじゃないかしら?」
 再び身構える鈴莉を前に――屑葉は、ゆっくりと息を吹いた。
「やっぱり、先生達を先にどうにかしないと、私の自由は保証されないんですね……」
 ズッ、と屑葉の体が、黒い魔力に包まれていく。
「仕方ないです。――折角松永さんがまだ処分してないんです、その人達を上手く利用してみます」
「野々村さん、捕獲するわ! 方法は問わない!!」
「あ、はい!!」
 逃げられる。――真っ先にそう察した鈴莉が夕菜を呼び、二人掛りでの捕獲に動く。……だが。
(っ……!? この捕縛魔法を強引に突破するの……!?)
 その魔法すら跳ね返し、屑葉の体はどんどんと黒い魔力に包まれていく。
「諦めません。折角、一人で戦えるだけの力が、強い心が手に入ったんです。……昔の私なんかに、戻りたくなんてないから」
 バシュッ!!――その言葉を残し、鈴莉と夕菜の魔法を潜り抜け、屑葉の姿は消えたのであった。


<次回予告>

「今回は、ここにいるメンバーだけで行くことになるわ」

最悪の事態、勃発。
彼らに課せられた任務は、破壊の衝動に飲み込まれた屑葉の、処理。

「っ! あいつらは」
「小日向、知ってるのか?」
「式守家に行った時に襲ってきた奴らと、同じだ……!!」

時間もない。躊躇も許されない。
立場的にも精神的にもあまりにも厳しい戦いが、幕を開けようとしていた。

「消してやる……殺してやる……みんな、いなくなればいい、そうすればもう誰にも何も言われない……
何に囚われる必要もない……っ!!」

突き進む雄真達の前に立ちはだかる敵は……屑葉。
果たして、彼の、彼女の、行きつく先は――

次回、「ハチと小日向雄真魔術師団」
SCENE 50 「彼女が手に入れた物」

「笑わせてくれる。貴行それで本当に相沢友香よりも強くなったと言い張るか?
 貴行が手に入れたのは物理的な力のみ。そんなものに頼っている時点で
貴行は以前よりも弱くなったと見るべきだ」


お楽しみに。



NEXT (Scene 50)  

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