「くっ……!!」
 突然だが、俺は走っていた。何だか以前もこんなシチュエーションがあった気がするが、何も今が体育の授業なわけでも移動教室に遅刻しそうなわけでもなく、当然すももからSOSメールが届いているわけでもない。そんなに頻繁にSOSメールがあってたまるか。
「どれだけ〜走れば〜あの人に会える〜♪」
「呑気でいいですなクライスさん! ピンポイントで走る、の歌詞が含まれている曲を選ぶ辺りは流石だけど!」
「いや、私個人は他人事だしな」
「何か策を講じてくれるとかないのか!?」
「俺は小覇王になる男だ!」
「それ策違いだし台詞の言い方海賊だし!!」
 解り辛いボケをこんな時に入れてこないで欲しい。――ツッコミを入れる俺が悪いのか?
 さて、何故に俺は走っているのか。単純に言えば、逃げているのである。――主に姫瑠から。
 姫瑠と言えば俺にご執心なイメージが強いが、俺以外の人間に対してどうか、と言うとすももや準と同じく「お友達作るの大好きっ子」に分類され、各方面に交流を持とうとしている。一生懸命になれば友達が増えるのが嬉しいらしく、更には本人の元気で明るくて優しい性格もプラスされ、姫瑠の友達は随分増えているようだ。その事自体は俺としても過去のことがあるので嬉しい限りだし、止めるつもりも毛頭ないのだが。
「にしても、迂闊だったな……すっかり姫瑠のこと考えてなかった」
「雄真、釣った魚にエサを与えることを忘れたな?」
「釣ってねえ!?」
 何そのもう俺のものになりましたみたいな台詞。違うから。……って、そうじゃない。
 兎に角、前述通り友好関係を伸ばしている姫瑠。その行動の一環だろう、今日はどうやら隣のクラスの相沢さんと柚賀さんと一緒にお昼ご飯を食べたようだ。それ自体は問題ないのだが――問題は、その時に展開した会話の内容だ。相沢さんと柚賀さんはバッチリ、先日の日曜日のプールデートの話を姫瑠にしてしまったのだ。
 プールデートの話は姫瑠にはしていなかった。前もってしてしまえば行くのが物凄い大変になりそうだし(メンバー決定前の遭遇だったら誘ったけど)、終わったら終わったでいちいち報告することでもない。いや、正確には報告などしたくない。事柄がばれたが最後、自らもまったり分を補給する為に俺の捕獲に出だすのだ。……で、現状、ばれたのでまったり成分を補給する為に姫瑠は俺の捕獲に動き、俺は逃げている、というわけである。
 この手のことは何も今回が初めてではない。そこそこの回数を俺は体験しており、ぶっちゃけ、逃亡に失敗し捕まったこともある。捕まったその日には何とかして春姫を誤魔化し、姫瑠と帰り道買い物したりスイーツを食べに行ったり遊んだりしなければならないのだ。
 俺は別に姫瑠が嫌いではない。好き嫌いで言えば間違いなく好きだし、一緒にいて楽しいのは事実だ(友達としてだぞ!)。だが春姫にばれたら、と思うとこれ程恐ろしいものはない。俺としては友達と遊んでいるだけ、なのだが姫瑠からしたら違うだろうし、春姫からしても違うだろう。
 というわけで、俺は逃げなければならない。――のだが、今回は少々展開が違っていた。――パシュッ!!
「っおおおお!?」
 突然天井から魔法で生成された白い網のような物が降って来た。必死の思いで転がるようにして避ける。急いで体制を立て直し、また俺は逃亡再開。
「相手にダメージを与えて捕獲、なら比較的やり易いんですが……警戒した相手を無傷での捕獲というのはやはり難しいですね」
「そこで冷静な分析はいかがなものかと思いますが琴理さん!」
 そう。今回は何と、姫瑠の援護に親友の琴理がついているのである。これはハッキリ行って予想外だし厳しい。何せエージェント琴理、この手のトラップの上手いこと上手いこと。
「って、しかも涼しい顔して今度は並走ですか!?」
「はい。わたしの筋力ではこの場でタックル等は無理ですけど、並走していればいつかチャンスがまた出てくるかもしれませんし」
 穏やかな笑顔の琴理、息は全然乱れていない。――学園に琴理が転入してきてわかったことだが、琴理の運動神経、特に足の速さはかなりのものであることがわかった。話によると陸上部ホープの加々美さんが体育の授業で琴理の走りを一目見ただけで琴理を陸上部に! と熱烈なアプローチをかけてきたらしい。
「念の為、聞くんだけど……体術で投げてきたりはしないよな?」
「先ほど申しあげました通り、無傷での捕獲が目的ですので、小日向さんが体術の経験があって受身が取れるのなら問題ないんですが、そうではない場合万が一、ということがありますので、控えます。ご安心下さい」
 笑顔でそう並走しながら答えられた。安心していいのか悪いのか。



ハチと小日向雄真魔術師団
SCENE 27  「KING OF HAREM」



「くっ……!!」
 というわけで、俺は走っていた。……琴理と一緒に。
「小日向さん、腕の振りをもう少し抑えると、疲れにくくなりますよ?」
「余裕あり過ぎだよお前!?」
 ――そんなこんなで埒が明かない並走を続けていると、
「――あっ」
 不意に聞こえるそんな琴理の声。
「って、琴理!?」
 見れば琴理は何かにつまづいたか、その場に転んで倒れていた。
「大丈夫か!? 怪我とかしてないか!? 何処か強く打ったとか」
 俺は急ブレーキし、急いで琴理の所へバック。近寄ると――
「というわけで、捕獲成功ですね」
「……え」
 ギュッ、と抱き付かれました。――っておい!!
「もしかして、俺を捕まえる為に、わざとか!?」
「小日向さんを無傷で捕まえるにはこの方法しか思い浮かばなかったんです。小日向さんでしたら、必ず戻ってきてくれると思いましたし。優しい方ですから」
 そう言いつつも、琴理はズズッ、と更に俺に近付き、完全なる密着状態。琴理のいい匂いとか、意外にもかなりハッキリと伝わる軟らかい感触。……って待て待て待て!!
「琴理さん、その、これは」
「もしかしたら、わたし足を怪我しているかもしれません。それでも――無理矢理振りほどきますか?」
 穏やかな笑みのままそう言ってくる琴理。……いや多分、完璧な受身取っただろ。わざとなら。
「いやでも、怪我していたとしても、何も抱きついている必要はないのでは」
「そう思って、ちゃんと人が来そうに無い所で仕掛けたんです」
 言われて気付く。――ここは校舎裏、かなり人目にはつかない。普通人は来ない。
「って、会話として成立してないよな!?」
「成立していますよ。人目がないから、わたし、小日向さんに抱きつけるんです。誰かの目のあるところでこの行動は、小日向さんお困りになりますよね? 小日向さんを困らせるようなことは、したくありませんから」
「いえその、個人的には現時点で既に困っているわけですが」
 主に理性とか理性とか理性とか。――駄目駄目だな俺! でも仕方ないんだ、琴理は可愛いし……っていやいやいや。
「でしたら――ギブ&テイク、でいかがでしょうか?」
「え?」
「人目のないこの場所、今でしたら、何をしても、されても――ばれませんよ、ね?」
「っ!? 琴理お前、何を言って――」
「いいか雄真、具体的にはまあ触ったり触られたりだな」
「お前が説明せんでええクライス!!」
 というか俺もわかってはいたけどさ!!
「勿論、姫瑠ちゃんがここに到着するまでの間ですから、やれることは限られてしまいますが……でも逆に言えば、やれることは、選べる程度にはあるはずです」
 何を言っちゃってるんでしょうかこの娘さんは! いかん、ここで本当に止めねばとんでもないことになるぞ。
「なあ琴理、こういうことはよくない」
「……小日向さん?」
 俺はちょっと真剣な口調で、琴理に話しかける。
「いくら姫瑠が来るまでの間、捕まえておく為だからって、女の子なんだから簡単にその……何だ、誘ったりするような仕草とかはしちゃいけないぞ。何か問題が発生してからじゃ遅いだろ」
「いえ、小日向さん以外の方にするつもりはありませんから、ご安心下さい」
「俺相手でも駄目なの! 危険なの!」
「小日向さんとなら……構いません」
 ……はい?
「わたしを救ってくれた、わたし達を助けてくれた小日向さんのこと、言葉じゃ表せない位、感謝していますし、一人の人として、好意を抱いていますから。だから、小日向さんなら、小日向さんとなら、小日向さんが望むなら」
「ちょ、待っ」
「小日向さん。わたしの名前、呼んでみて下さい」
「……琴、理?」
「はい。わたしは琴理、それ以上でも、それ以下でも」
 近付いてくる琴理の顔。その笑顔、その瞳、その唇に吸い込まれるように、俺は、俺達は――
「オホン!!」
 ――俺達は、固まった。
「って春姫!? 何故ここに!?」
 予想外の展開だ。姫瑠が来たのならまだわかるが、現れたのは春姫だった。――ってこれは、この状態での遭遇は!! 思いっきり抱きつかれてるし、ぶっちゃけキス寸前だし俺ら!?
「違う、違うんだ春姫! 複雑な経緯があるんだぞ? 姫瑠に追いかけられて琴理が参戦してどんどんちゃらちゃら!」
「折角今日はMAGICIAN'S MATCHの練習が休みだから、雄真くんと何処か行きたいなー、って思ってたら、急に姿を消したから、何かあったのかな、と思って探してたんだけど……まさか、こんな所でお楽しみだなんて、お邪魔だったかな? ふふっ」
 全然俺の言い訳聞いてませんね春姫さん。てか何で最後笑ってるんでしょう。……まあいい、俺終わった。死んだわもう。
「はい。残念ながら、お邪魔でした、神坂さん」
「ぶっ」
 終わった俺にここで拍車をかけている琴理さんがいます。ゆっくりと俺から離れ、真正面から春姫と対峙。
「葉汐さん、あなた一体どういうつもりなのかしら? 私から雄真くんを奪うつもりはないなんて言いながら、こんな所で雄真くんを誘惑して!」
「わたしは、小日向さんには幸せになって貰いたいんです。神坂さんと一緒になって幸せになれるのであれば、お邪魔をするつもりはありません」
「幸せになれます、してみせます! 私はいつだって雄真くんのことを想ってるし、雄真くんのことが好きだし、雄真くんの全てが私の全てだし、それから――」
「そんな一方的な想いで本当に小日向のことを幸せに出来るとでも思ってるのか? とんだ笑い話だ」
 琴理さん、何故か戦闘モードにスイッチ。
「そうだな。――今のお前なら、私の方が余程小日向のことを幸せに出来るぞ?」
 それ違います琴理さん。今俺滅茶苦茶不幸です。主にそこの二人のせいで。
「そんなことないもん! あなたよりも、私の方が絶対に雄真くんを幸せに出来るんだから! どんなことをしてでも、雄真くんを幸せにしてみせる!」
 ならとりあえず今を穏便にお願いしたいです春姫さん。
「……仕方ない、とりあえずここを穏便にする方法は一つしかない」
「属に言うRUNAWAYだな」
「ありがとうクライス、あえて格好よく言ってくれて」
 まあつまり、逃亡だ。
「……私個人はあまり気が進まないが。悪化の可能性も十分だぞ」
「わかるけど、ある種の賭けに出ないともう無理。気持ちを落ち着かせることに専念させたい」
 ただの逃亡では不安なので、囮を置いて時間を稼ぐことにする。……俺は急いで携帯でメールを打ち、とある人物の所へ。そのまま二人の目を盗んで逃亡。
「そこまで言うならハッキリさせよう。小日向の意見をちゃんと聞くべきだ」
「そうね、あなたの言う通りだわ。――雄真くん、私と葉汐さんの意見、どっちが――」
「お〜い雄真、何処だ? 何処に俺を待ちわびている美女がいるんだ?」
 …………。
「――ってあれ? 姫ちゃんに琴理ちゃん? こんな所で……って、何でそんなに俺のことを見てるんだ? ま、まさかついに俺への愛に二人揃って目覚めて」
「何故貴様がそこにいるかは知らないが……とりあえず、死ね高溝」
 ズバァン!!
「ぎゃああああ!!」


「くっ……!!」
 突然……じゃないか、まあとにかく俺は走っていた。理由は説明の必要はあるまい。
「もう少し落ち着いたら、とりあえず二人にはメールを送ろう。個別に話し合う必要がありそうだ」
 さっきのやり取りは凄かった。琴理も俺を立ててくれるのはいいんだが。
「……というかさ、クライス」
「何だ?」
「客観的な意見が欲しいんだが……もしかして俺、琴理に告られた同然?」
「何を今更。幸せにするとまで言われたじゃないか。最早プロポーズだぞ」
「あー……」
 やっぱりか。俺に好意を持ってくれるというのは嬉しいのだが、まさかそこまでとは。
「多分、奴は本気だぞ。救ってくれたお前の為になら、という気持ちが大前提だ。だから春姫で幸せになれるなら、という言葉も嘘ではないだろう。ただ奴自身、春姫のお前に対する嫉妬心を快く思っていないようだからな。結果としてああなってしまうんだろう」
「成る程、な……」
 そんなに感謝してくれるのか。――琴理にとって、大きかったんだろうな。俺が考えている以上に。
「……そういえば、人間関係云々なのに、珍しく答えを教えてくれるんだな、お前」
 こういう時はいつも「自分で考えなければ意味がない」だったのに。
「いや、あの娘は抑えておいて損はないな、というのがあったんでな、早めにお前には気付かせておくべきだろうと。能力的にも一人の女性としても」
「……後者の理由はどうなんでしょう」
「抱きつかれて色々感じただろう? 流石お前の仲間になる人材は一味違う。――性格もお前を立てる、という冷静かつ謙虚な姿勢が素晴らしい」
 普通先に性格を挙げるべきだろうよ。……まあ、確かに、予想以上の感触はあったが――ってそうじゃない!
 そんなこんなで逃亡中。一体俺はいつまで逃亡すればいいんだ、とか思っていると。
「雄真センパーイ!」
 俺を呼ぶ声が。……この声、呼び方は。
「深羽ちゃん?」
「探しましたよセンパイ、教室行ってもいないから聞いたらホームルーム終わったらソッコーで教室出たって言われてでも下駄箱見たらまだ靴が残ってるから何処かにまだいるだろ、って思って、で現在に至ります」
「そっか、悪い悪い」
 ……って、
「深羽ちゃん、わざわざ俺を教室に訪ねてくる程の用事が?」
 説明からするに、偶然の遭遇ではなく、完全に俺を最初から探していた感じだ。
「はい、センパイにこれを渡そうと思いまして。――受け取って下さい」
 そう言うと、深羽ちゃんは俺に丁度右手の手の平全体サイズの包装された袋を俺に手渡してきた。
「そ、その……クッキー、焼いたんです。センパイに」
「俺に……クッキー?」
「この前の試合での藍沙っちとのこと、あったじゃないですか。どうしてもあれのお礼がしたくて、はい。乙女の自己満足です」
 まさかここまでしてもらえるとは。……折角だし、断るようなことでもないか。
「ありがとう、頂くよ。――開けてみていいの?」
「あ、はい! ぜひぜひ」
 包みを開けると、一口サイズのクッキーが。見た感じ、数種類の味がありそうだ。
「へえ……これ、深羽ちゃんが作ったの?」
「はい!……ちょっとだけ、美月さんに手伝ってもらっちゃいましたけど」
 錫盛さんか。……一応あの人メイドのスキルあるんだな(失礼か?)。
「そっか、よく出来てるよ。……ちょっと今、食べてみていい?」
 見てたら食べたくなった。美味そうだったのだ、純粋に。
「あっ、じゃあ、あそこ座りません?」
 渡り廊下だったので、程よくベンチが。深羽ちゃんに軽く引っ張られるようにベンチに移動、二人並んで座った。
「いただきます。――ふむ」
「ど……どうですか?」
「うん。――美味い。美味いよこれ」
「ホントですか!?」
「必要以上に甘くないけど味がしっかりしてるっていうか、食べていて飽きない感じ? 一口サイズで何種類も味があるのも見ていても楽しいし」
 お世辞ではない。これでもかーさん、すもも、春姫、準らのお菓子を食べなれている俺は舌が結構この手のお菓子に関しては肥えていたりするのだが、それでも美味いと思うのだから、本物だろう。
「ありがとうな、深羽ちゃん。俺には勿体無い位のいい物貰ったよ」
「勿体無いだなんて、そんな!――あ、でも、それじゃまた持ってきたら食べてくれます?」
「それは勿論。深羽ちゃんが作ってくれたものなら、いくらでも」
「ヤッタ!」
 笑顔で軽くガッツポーズをする深羽ちゃん。……見ていて思うのは、
「何か、可愛いなあ深羽ちゃん」
 と、いうことだった。そもそもの見た目が可愛いのは当然認識していたが、こうしてお礼にクッキーを焼いてきてくれたり、俺が美味いっていう感想等に対して笑顔でガッツポーズをする仕草とか、今までは知らなかった深羽ちゃんの姿が、とても女の子らしくて可愛かった。
「か……可愛い? 私がですか!? ホントに!?」
「うん。クッキーも嬉しかったけど、そういう可愛い深羽ちゃんが見れたのも、俺には収穫の一つかなあ」
「セ、センパイ……えへへ」
 嬉しそうにはにかむ深羽ちゃん。何だろう、時と場所が許せば抱きしめたくなる位可愛い。
「なあ雄真、一つ質問があるんだが」
「? 何だクライス」
「お前、本当は意識してハーレムエンド、目指してないか?」
「……あ」
 指摘されて気付いた。――可愛い後輩の女の子にクッキーを焼いてきてもらい、その場で二人並んでベンチに座って食べて、クッキーをべた褒めした後、その女の子本人も可愛いといって褒め、挙句の果てには抱きしめたいとか思う「彼女持ち」の俺。
「ハーハキンキンハーキンキン♪」
「非常に世代が限定される替え歌で俺のテーマソングを作らないで下さいクライスさん!!」
 俺の失態は認めるがな!!……とそこへ。
「ゆうまあああああ〜〜〜、あれは一体何の罠なんだ貴様〜〜〜〜」
 うめき声にも近いそんな声。……見れば、
「……お前、何でそんなにボロボロなの?」
 見るも無残なハチの姿が。
「俺が聞きたいわい!! お前に呼び出されて行ったら何故か爆発しそうになってる琴理ちゃんと姫ちゃんがいて俺は琴理ちゃんにボコボコにされたんだい!!」
「……あー」
 怒りの矛先がハチにいったか。流石戦闘モード琴理。
「挙句の果てには俺を呼んだお前はこんな所で可愛い女の子のクッキーを食べてるだと!? 雄真、せめてそのクッキー、クッキー位食わせろ〜〜〜!!」
 ハチがゾンビの如くクッキーに手を伸ばした瞬間、
「駄目ですよ!! コレは雄真センパイに作ってきたんですから!!」
 ズババババァン!!
「ぎゃああああ!!」
 深羽ちゃんに、見事に吹き飛ばされるハチがいた。
「あの……一応謝るわ。悪い、ハチ」
 流石に申し訳なく思った。半分位俺は悪くない気もするが。……しかし、琴理にボコボコにされた、か。事態は思っている以上に深刻かもしれない。
「それじゃ深羽ちゃん、俺逃亡中の身だから、そろそろ行くよ」
 この騒ぎで俺の居場所を突き止められたら困る。俺は行くことにした。
「はい! それじゃまた」
「うん、重ね重ねありがとうな」
 そう言って、笑顔で手を振って俺達は別れた。
「それが新たなる恋の第一歩とは未だ知らずに」
「余計なナレーションは止めましょうクライスさん!!」
 まあ、その……可愛いけどさ、本当に。


「くっ……!」
 というわけで、未だ俺は逃亡中。間違いなく下駄箱は感知魔法で押さえられている気がする。じゃあ何処へ逃げればいいんだ、ということで色々考えつつも逃亡中。後々ちゃんと話はするつもりだが、出来ればもう少し落ち着いた状態で話がしたい。今のヒートアップの状態では無理だ。
 結論として、俺は関係者が落ち着くまで時間を稼がねばならない。何処か身を隠せる場所があればいいんだけど……なんて思っていると。
「あれ、雄真くん? どうしたの、そんなに急いで」
「おっ、楓奈か!」
 廊下で楓奈と遭遇した。
「楓奈はもう今日は仕事終わりか?」
「うん。今日は練習お休みだし、御薙先生は所用でお出かけしてるし。……雄真くんは」
「実はだな」
 俺は簡潔に楓奈に今の状況について説明する。
「そっか……よかったら、研究室で少し休んでいく?」
「え、いいのか? もう楓奈今日は終わったんだろ?」
「そうだけど、この後特別用事があるわけじゃないし、雄真くんとゆっくりお話するのもいいかな、って」
「そっか、ありがとな。じゃそのご好意に甘えるよ」
「うん、遠慮なく甘えてね」
 二人で軽く笑い、そのまま母さんの研究室へ。
「どうぞ」
「あ、サンキュー」
 研究室に入ると、早速楓奈はお茶を入れてくれた。そういえば喉が渇いていた。美味い。
「ふふっ、喉、渇いてたんだね」
「え? ああ、悪い、みっともなかった」
 テーブルに置かれるや否や、つい俺は一気飲みしてしまった。
「もう一杯、入れてくるね」
 当たり前のようにそのままもう一杯、楓奈はお茶を入れてくれた。流石に一杯一気飲みしたのでもうがっつく必要もない。二、三口……
「……あれ?」
 二、三口飲んで気付く。――最初に飲んだのと、微妙に味が違う。濃さが違うのか?
「楓奈、これ……微妙にさっきと違う?」
「あ、気付いた?――外から喉カラカラで来た時に飲みたい味と、一杯飲んだ後、ゆっくり飲みたい味って、やっぱり違うから、その時に合わせて出すお茶を替えてるの。先生も外から帰ってくる時が多いでしょ? だから」
「へえ……」
 凄い気配りだ。今時そんなことまでしてくれる女の子は中々いない。流石は楓奈だ。素晴らしい。
 さて、落ち着いてあらためて席についた楓奈に、先ほどは簡潔だった俺の今の状況を、詳細に説明することに。
「……というわけで、凄い状況になってしまったわけだ」
「そっか、春姫ちゃんも姫瑠ちゃんも相変わらずなんだね。それに琴理ちゃん、か」
 気付けば本当に詳細をペラペラ喋っている俺がここに。……楓奈だと何でも安心して喋っちゃうんだよな。細かい所までちゃんと聞いてくれるし。
「でも、私は雄真くんには今のまま、頑張って欲しいかな」
「? どういう意味?」
「沢山の人に好かれる、愛されるって、凄い難しいことだと思う。雄真くんがそうやって沢山の人に好かれてるのは、雄真くんがそれだけ素敵な人だ、っていう証拠だと思うの。勿論私も雄真くんのこと、大好きだし」
 そのフレーズに一瞬ドキリとする。……違う、落ち着け俺! 楓奈の大好き、はそういう意味合いじゃないぞ!
「だから今のまま頑張って欲しい、か。……そう言って貰えるのは嬉しいけど、流石に俺の身が持たなかったら元も子もない気がするんだよな……」
「うん、それもわかる。――だから、こういう時は困ったらいつでも声、かけてね? 相談に乗ってあげられるし、こうやって匿ってあげることも出来るから」
 そうやって優しく笑いかけてくれる楓奈。――ああ、女神だ。女神がそこにいます。
「ありがとうな、楓奈……やっぱ楓奈は俺のオアシスだよ。こんなに癒される存在は他にいない」
「またそんなこと言って。――あ、そうだ」
 思い出したように楓奈は立ち上がり、戸棚から何かを取り出して、それを皿に綺麗に並べ、再び戻ってきた。
「和菓子?」
「お茶だけじゃ味気ないかな、と思って。遠慮なくどうぞ」
「じゃ……いただきます」
 パクリ、と一口食べる。
「あ、美味いなこれ」
 和菓子に詳しいわけじゃないが、何処となく高級な味がした。美味い。
「これ、結構高いんじゃないのか? 何処のお店の?」
 その俺の問い掛けに、楓奈は嬉しそうに笑う。……嬉しそうに、笑う?
「楓奈?」
「それはね、全然高くないよ。私が作ったから」
「え……マジで!? ちょっ、全然店で売ってるのと変わらないじゃん!?」
 味もそうだが、見た目も細工が施されており、ちゃんとしたお店で売っている品にしか見えない。……確かに楓奈が和菓子を作る、というのは聞いたことがあったが、まさかここまでとは。
「凄いな、楓奈……この見た目の彫刻っていうのか? 普通の人は出来ないだろ」
「そんなことないよ、ほら、紙粘土とかで何か作ったりするでしょ? あれの延長だから」
 いや、多分絶対違うと思う。
「雄真くんだって、直ぐに出来るように――そうだ、少し余った材料があるから、やってみる?」
 ……というわけで、一通り食べ終えた俺は、和菓子の彫刻作りにチャレンジしてみることに。
「あの楓奈さん、全然難しいんですが」
 何処も紙粘土の延長ではなかった。……恐るべし楓奈、恐るべし天才。どれだけの才能を持ってるんだこの人。
「変に力が入ったり、意識し過ぎなんじゃないかな? えーっと、こういう時はね」
 座ってやっている俺の後ろに立ち、俺の右手を取って一緒にやるような仕草で教えてくれる楓奈。何ていうか、この教わり方はくすぐったい。
「それで、この時に左手でこの辺りを軽く押さえておくと」
 更にそのまま俺の左手も掴み、両手両方の俺の手を操作する楓奈。……結果として、
「っ!?」
 背もたれのない椅子に座っていた俺の背中に楓奈が密着することになり、その、あれだ、柔らかい感触が、その、またこれか畜生!
 しかし、ここでハッキリさせておかねばならないこと。――本日一回目に体験した琴理の場合、向こうは明らかに意識してやってきたが、今回は違う。楓奈は無意識だ。間違っても楓奈はそんなことをしてくる子じゃない。純粋に俺に作り方を教えたいだけなのだ。
 そんな純粋っ子楓奈に、胸が当たって感触が気持ちよくて集中出来ませんでした……などと説明するわけにはいかない。それは楓奈に対する裏切りだ。俺はそんなことはしたくない。
 てなわけで、何食わぬ顔で耐えねばならぬのだが。
「どうしたの? 何かわからないところ、あった?」
「っ!?」
 俺の葛藤がどうも動きを鈍らせていたらしく、それが気になった楓奈が、ひょい、と後ろから顔を覗かせてきた。……いかん、いかんぞこの体制は! 未だ柔らかい感触を与えつつその純粋無垢な可愛い顔で横から覗いてきて間近で俺を見るとか反則だぜ楓奈!!
「い……いや、大丈夫、何でもない」
「そう? それじゃ、続けよっか」
 再び元の体制に戻り(つまり顔だけ戻って密着は続いている)作業再開。――頑張れ俺、頑張れ俺の理性!!
「いや、ここまで来たら理性が無くなってもお前のせいではない気も私はするがな」
「俺もするけど駄目だろ!?」
 集中、集中だ小日向雄真! 目の前の和菓子に全ての神経を傾けろ!! 一心不乱だ、明鏡止水だ!! 心頭滅却すれば火もまた涼し!
「最後微妙に使い方違うぞ」
「わかってるわい!! そんな雰囲気の言葉を並べたかっただけだ!!」
 そんなこんなで信じられない程俺は意識を手の動きのみに集中。
「うわ……雄真くん、凄いね! 初めてとは思えない」
「……え?」
 その言葉にハッとする。気付けば密着状態は終わっており、代わりに出来ていたのは俺の目の前にある意外と綺麗な和菓子の彫刻。
「……って、これ俺が作ったのか?」
 どうも楓奈の為にと意識を集中したのが非常に効いたらしく、成る程どうして、素人にしては中々よく出来ている。……原因が不純ではあるが、中々やるな俺。ちょっと意外。
「成る程……これからお前の魔法の特訓をする時は、常に楓奈に後ろから抱き着いていてもらえば」
「理屈は合ってるけど無理だろそれは!!」
 そんなツッコミを最後に、無事和菓子講習会は終了。作った和菓子をおやつに、再び俺と楓奈は他愛のないまったりトークを再開。
「……って、あれ? もうこんな時間か」
 そのまま色々と喋っていたら、気付けば空が夕焼けに染まっていた。そろそろ帰らねば。
「なんだか楓奈と喋ってたら楽しくてつい時間を忘れてた」
「ふふっ、それは私もかな」
 そんなことを言いつつ、俺達は帰宅準備に入る。――ここに来る前に何だか今日は色々あった気がするが、楓奈と一緒の時間のおかげで、全てが癒された。何と言うか、一緒にいるだけで幸せになれる気分だ。
「俺、将来は楓奈みたいな奥さんが欲しいなあ」
 気付けばそんなことを口走る俺がいた。一緒にいるだけで癒される存在。いつでも俺を気遣って、優しく接してくれる人。料理も家事も何でも出来て、会話も合う。魔法使いとしても超一流で、見た目も驚く程に可愛い。ちょっとだけ天然さんなのもまた可愛かったりするんだよ。……何だ、もう完璧じゃないか楓奈。そりゃ結婚したいって思っちゃうわ。
「ふふっ、そう言って貰えるのは、女の子冥利に尽きるかな」
 俺の言葉に、そうやって嬉しそうに笑ってくれる。
「それじゃ、帰りましょうか? 「あなた」」
「うおっ、それは来るぞ! かなり来るぞ!……って、今の俺ハチっぽいな」
 そんな風に新婚さんごっこをしながら、研究室のドアを開けた。
「ふーん、雄真くんは、将来楓奈と結婚するんだー」
 そして開けた先には、地獄が待っていた。……って、
「姫瑠に春姫に琴理!? 何故ここに!? 何故に三人とも満面の笑み!?」
 しまった。あまりにも楓奈に癒され過ぎて今回楓奈に癒されることになった原因をすっかり忘れていた。……俺、逃亡してたんだ。
「ひとまずね、肝心の雄真くんがいなかったら意味ない、ってことになって、春姫と休戦して、琴理と三人で雄真くんを見つける所から始めたの」
「三人で手分けして部屋を探して、感知魔法を使って、残った部屋が先生の研究室だけになったの」
「ですので、こうして三人で小日向さんをお迎えにきたわけです」
 成る程、事情はわかった。約すと俺は死ぬということだ。……うん、多分。
「いや、違うんだぞ? 俺はとりあえず三人ともヒートアップしてたから、クールダウンして欲しくて時間を稼いでいたんだ。落ち着いたらちゃんと姿を見せて話し合いをするつもりだったんだぞ?」
 ただちょっと楓奈との時間が楽しくてな。……とは言えない。というか、
「にしても、楓奈かー。前々から気にはなってたけど、こうも一気に来られちゃうとなー」
「うん……ちょっと警戒しないと、駄目かもしれない、楓奈ちゃんも」
 俺の話、全然聞いてないですよこの人達。
「小日向さん。――先ほどと同じで、私は瑞波さんをお選びになって、小日向さんが幸せになれるのならそれはそれで構わないんです。……ですが、流石に現状の回復に努めていただかないと、何とも言えなくなりますので……」
「……うん、わかってるよ……」
 俺、連行される。これから長い長い討論の始まりだ。……と。
「雄真あああああ〜!! 散々俺を酷い目に合わせておいて、まだお前は美女に囲まれているのか〜!!」
 ハチだった。
「っていうか、この場面にハチって面倒。あっち行ってて」
 ズバァン!!
「ぎゃああああ!!」
 一瞬にして消えた。流石ですね姫瑠さん。……まあ、連行される俺にしてみれば、どうでもいいことなんだけどな! ふはははは!
「雄真、何故お前はこの状況下を上手く使おうと思わんのだ。お前は今、ハーレムエンドの入り口に足を踏み入れているんだぞ? ここを乗り越えればだな、素敵な世界が」
「熱弁ありがたいと言いたい所だが俺はその世界目指してないの!!」
 ……一応な。


「はあ……」
 さてこちら、幸も不幸も両方体験した雄真とは違い、不幸しか体験出来なかったハチ。姫瑠に攻撃されつつ美女に連行されていく雄真を見送った後、普通科の下駄箱から帰る所である。
「何で俺は、こうも女の子にもてないかな……こんなに一生懸命にみんなのことを想ってるのに」
 原因はその想い過ぎだということに、どうしても一人では辿り着けないハチである。想いがそのままそく行動に出てしまう、更にはタイミングの悪さも重なり、彼は結局として美味しい目にはどうしても遇えない。気付けば学園三年生、学園生活もそう長く残っているわけではない。今の生活も楽しいのだが、出来れば可愛い女の子とウハウハな生活も送りたい。
 やっぱり、俺は駄目なんだろうか。――つい一人になるとナイーブになってしまうハチが、自分の下駄箱を開けた時だった。
「……あれ?」
 自分の靴の上に、一通の手紙。可愛らしい封筒だ。
「…………」
 緊張感が一気に襲う。……ゆっくりと、その手紙を手に取り、裏を見て、差出人の名前を確かめる。
「!! こ、これは……!!」
 そこに書かれていた名前。それは――


<次回予告>

「座らないの?」
「え? いいの?」
「別に、このベンチは私だけのものじゃないから、空いている部分をどう使おうが、構わないんじゃない?」

ある日の昼休み。
ハーレム騒動もひと段落(?)した雄真に訪れる、ちょっとした出会いの機会。

「雄真さん、最近の深羽さん、一段と可愛らしくなったと思いませんか?」
「え?」
「な、藍沙っち!?」

切欠は些細に、でも結局は美女だらけ!?
そんな昼食タイムを、雄真は堪能していたのだが……

「団長、本日のフォーメーションの指示を」
「あの、今までそんなの決めてましたっけ」

そして始まるMAGICIAN'S MATCH第五回戦!
再び応援団長に戻った雄真に、果たして立場はあるのか!?

次回、「ハチと小日向雄真魔術師団」
SCENE 28 「触れてはいけないものがある」

「これからあたしがする行動に関して、結果が出なかった場合、
あんたはあの坊やの親友として、精一杯あたしを怒りな。いいね?」
「え? あ、ちょっ!?」


お楽しみに。



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