「雄真くーん! お早う!」
 ダダダダダッ――ガシッ!!
「――って待てい!! 何で何の前触れもなく挨拶と共に抱きついてくるんだよ!?」
「最近抱き付いてなかったから」
「そんな理由で抱きついてくるんじゃねえ!!」
 その日の俺の学園の朝は、そんな姫瑠とのやり取りで始まった。
「大丈夫、春姫はちょっと職員室に用事があるって言ってたから、今は来ないから」
「そういう問題じゃないから!! ええい、離れんかい!!」
 グイグイ。
「今ここで離れたって、二人の想いは離れないんだから、結果として一緒だとか思わない?」
 ギュウギュウ。
「何だその強引な理由は!!」
 グイグイ。
「だから、理由は最近抱き付いてなかったからだってさっき言ったじゃん」
 ギュウギュウ。
「だからそんな理由でいちいち抱きついてくるんじゃねえって言ったろ!!」
 グイグイ。
「私には大切なことだもーん」
 ギュウギュウ。
「ふぬぬぬぬぬ!!」
 グイグイ。
「ふぐぐぐぐぐ!!」
 ギュウギュウ。――必死ではがそうとする俺、必死に抱きついてくる姫瑠。朝っぱらから何ておかしな展開なんだろうか。
「ふぐぐぐ……あっ、お早う!」
「お早う、真沢さん」
 抱きつきつつも、友達を見かけるとそっちを向いて笑顔で挨拶をする姫瑠。
「――ってこの格好のままで挨拶するなよ!?」
「別に出来るんだから大丈夫だって。――お早う!」
「姫瑠ちゃん、おはよー」
 というかみんな普通に挨拶返して来る辺り、多分俺達のこの光景は結構見慣れた光景になりつつあるんだろう。――いいのかそんなことで。
「ぬおおおおお!!」
「うううううう!!――あ、お早う!」
「…………」
 ……あれ?
「聞こえ……なかったのかな?」
 この状況下に置いても姫瑠の挨拶は行き届き、みんなが挨拶を返してくれていたのだが、ここへ来て返事もなく去っていってしまった人が。
「でも、仁科(にしな)さんチラッとこっち見てたぜ」
 俺と姫瑠はつい顔を見合わせて首を傾げてしまう。――彼女の名前は仁科麻貴(まき)さん。同じクラスではないが、仁科さんはMAGICIAN'S MATCHの選抜メンバーの一人。だから俺達は知っていたし、姫瑠も挨拶をした。つまり向こうも俺達のことを知らないってわけでもないのだが。
「うーん、やっぱり私の見間違えじゃなかったか……あ、三津子(みつこ)、お早う!」
「うん、お早う、姫瑠ちゃん、小日向くん」
「お早う、加々美(かがみ)さん」
 と、そこに通りかかったのは、去年同じクラスで、現在はMAGICIAN'S MATCHの選抜メンバーである加々美さん。
「って、仁科さんも今の加々美さんと同じ位の場所にいたよな?」
「やっぱり……聞こえてた、よね」
「? どうしたの?」
「いや、大したことじゃないのかもしれないけど――」
 俺は先ほどの仁科さんのことを加々美さんに簡単に説明する。すると加々美さんはちょっと困ったような顔になった。
「私もね、噂程度に耳にした位なんだけど……なんかね、仁科さんは今の小日向雄真魔術師団のやり方が気に入らないらしいの」
「やり方が……気に入らない?」
「うん。第一回戦、第二回戦、同じ布陣でいったでしょう? 目立って活躍してたのもほとんど同じ人達」
 確かに、第一回戦、第二回戦とも大きな苦戦もなく、主に活躍していたのは前線にいた相沢さん、土倉、杏璃、上条さん、梨巳さん、武ノ塚、春姫、姫瑠、法條院さんと限定されてしまう。
「逆に、仁科さんがその二試合でどんな結果だったかって知ってる?」
「えーと、確か」
 確かに俺の記憶にあるのは活躍した人たちのことばかりだったりもする。
「第一回戦では特に何もなかったけど、第二回戦は二十分位の時にアウトになってたと思う」
 実際参加していた姫瑠からの補足が入る。――アウトになってたのか、第二回戦で。
「私、一年の頃仁科さんと同じクラスだったんだけど、プライドの高い子なの。その仁科さんが第一回戦は活躍なし、第二回戦はアウト。一方で前線の人達は大活躍で注目の的。――その、それがあまり気に入らないっていう話を噂で聞いたの」
「――つまり、仁科さんは、活躍していた姫瑠のことも気に入らなかった……?」
「じゃないかな、と思う。……私も同じクラスだったけど、仲良くしてたわけじゃないから、あまり突っ込んで話が出来るわけじゃないから何とも言えないけど」
 加々美さんは気まずそうにそう教えてくれた。――なんともやるせない話だ。活躍出来ないのが悔しいのはわからないでもないが、だからといって敵意を向けるのは間違っている。
「…………」
「……あ」
 気付けば抱きつく力も随分弱くなっており、姫瑠は少し悲しそうな顔で俯いていた。――こいつは誰かに避けられる、というのは過去にトラウマがあるからな。ちょっとこういう出来事は他の人よりも心に響き易い。
「気にするなよ、姫瑠。お前には俺達がいるだろ?」
 ポンポン、と背中を叩き、出来る限り優しく俺はフォローを入れる。
「俺、お前の活躍は凄い格好いいって思ってるし、これからも格好いいとこ見せて欲しいって思ってる。つまんないこと言う奴らを黙らせる位の活躍、見せてくれよな」
「そうだよ姫瑠ちゃん。私も姫瑠ちゃんのこと頼りにしてるし、一緒のメンバーでよかったって思ってる。私じゃ実力じゃ敵わないけど、でも一緒に頑張る気持ちは負けないつもりだから、ね?」
「雄真くん、三津子……うん、ありがと、二人とも」
 姫瑠の顔に笑顔が戻る。そのまま再び俺に抱きついた。――ああもう、そんなに穏やかな顔してたらさっきみたいに強引には引き剥がせないじゃないかよ。
「ねえ雄真くん。優しくしてくれた雄真くんに、一つだけお礼」
「別に大したことしてない。当たり前のことを言ったまでだぞ?」
「うん、そう言ってくれる優しい雄真くんに、お礼がしたいんだ。――お礼に、いいことを教えてあげる」
「いいこと?」
「穏やかな笑顔で雄真くんに抱きつく私を穏やかな笑顔で見守る雄真くんの後ろに、威圧感タップリの笑顔で見守ってる春姫がいる」
「…………」
 …………。
「もっと早く言ってくれええええ!! つーかわかってんなら離れろよ!!」
 怖い、後ろを振り向くのが怖いっ!! でもとりあえず姫瑠は引き剥がさなければ!!
「雄真くん、ここまできたらもう腹括って抱きしめあおうよ」
「アホかああああ!!」
 その後、俺がどうなってしまったかは……まあ、別に語る必要ないだろう。うん。辛かった。

 しかし、そんなやり取りで少し忘れかけたが、あの仁科さんのこと。あれこそが、小日向雄真魔術師団に最初に訪れる、大きな問題になるとはこの時の俺は思ってもいなかったのだった。


ハチと小日向雄真魔術師団
SCENE 8  「正義と悪とプライドと」



「全員集まったので、小日向雄真魔術師団、ミーティングを始めます」
 教壇に立つ楓奈の声が多目的教室に響く。――放課後、今日は練習に直行する前にメンバーは多目的教室に集合になっていた。
「第一回戦、第二回戦を終え、今後は段々と強豪チームとぶつかるようになっていくと思います。なので、ここまでの試合を通じて感じたこと、思うこと、意見を集めて少し話し合いの場を持ちたいと思います」
 最もな話だ。試合の様子は当然他の学校にも見られている。このまま何も捻らないでいけるとも思えない。色々な人の色々な意見で、見えてくるものはあるだろう。
「小さなことでも構いません。何か意見があれば――」
「はい」
 楓奈が最後まで言い切る前に、そう言って手を挙げたのは――
「あ……」
 仁科さん、だった。……今朝のことが嫌でも思い出される。――仁科さんは楓奈が当てる前に立ち上がり、教室を見渡す。
「私は、土倉君をスターティングメンバーから外すべきだと思います」
 そして――迷いもなく、ハッキリとそう口にした。……嫌な予感が、した。
「土倉くんを先発メンバーから外す……理由は、何ですか?」
「土倉君は、私達の情報を相手チームに売っているスパイです」
 そのはっきりとした断言に、教室がどよめく。
「ちょっと、それどういうことなのかしら?」
 すぐさま立ち上がり、反論の体制に入ったのは相沢さん。真剣な面持ちで仁科さんと視線をぶつけ合う。
「だってそうでしょう? 第二回戦、あれだけしっかりとした布陣なのに後方にいた私の前にいきなり敵が現れるなんて、普通なら考えられない。誰かが情報を流してなければあんな結果になんてなるわけないわ」
「そんなの言いがかりじゃない。確かに敵を逃して仁科さんの前まで行かせてしまった責任はあるかもしれないわ。でもだからと言ってどうして恰来がスパイにならなきゃいけないのよ?」
「証拠なら、あるわよ」
「証拠……?」
 仁科さんはそう言うとポケットから一枚の写真を取り出し、相沢さんに手渡した。俺を含め近くにいた数人も一緒になって写真を見てみる。そこには二人の男子学生。一人はマジックワンドを持った他校生。そしてもう一人は瑞穂坂学園の男子生徒。こちらは斜め後ろからの姿。
「昨日の夕方、偶々見かけたから撮ったの。そのウチの学園の生徒、土倉君でしょう? こんな風に他校の魔法科の生徒とこの時期に話し込んでるなんて、スパイそのものだわ」
「…………」
 正直微妙だ。土倉と言えば土倉だし、土倉じゃないと言えば土倉じゃない。かなり際どいアングルからの写真だ。
「こんなの証拠として断言なんて出来ないわ。真正面からしっかり顔が写ってるならともかく、似ている人なら誰でもこうなるわ」
 当然、相沢さんは否定する。
「当然、土倉君本人でもこうなる。これにさっきの理由を照らし合わせたら、疑いたくなるわ」
 そして当然、その程度じゃ仁科さんは引き下がらない。
「そんなのこじつけよ。でっち上げもいいところだわ。あり得ない」
「そっちこそこじつけよ! 何よ、生徒会長だったら何でも言ってることが正しいのかしら!」
「な――っ!」
 マズイ。今の発言はよくない。止めなければ酷いことに――
「いい加減にしなさいよ二人とも」
 ガタン、と俺、春姫、姫瑠、杏璃が立ち上がると同時に(どうも春姫も姫瑠も杏璃もそれぞれマズイと思って立ち上がったようだ)その人は座ったままそう口を挟んできた。――相沢さん、仁科さんに丁度挟まれる席に座っていた梨巳さんだった。まず手始めに梨巳さんは仁科さんをジロリ、と睨む。
「あなた、意見を言いたいの? 喧嘩を売りたいの?」
「当然意見を言いたいに決まって――」
「なら言い方を変えなさい。あなたの口調は誰がどう聞いても喧嘩腰だわ」
「っ……梨巳さんも、風紀委員長だからって――」
「悪い? 風紀委員長の肩書きを見せびらかして。実際風紀委員長なもので」
「っ!!」
 怒りに震える仁科さんをそのままに、梨巳さんは相沢さんを今度はジロリ、と睨む。
「疑わしき存在を自分自身の価値観のみで受け入れないなんて、幼稚な子供のすることじゃない」
「ちょっ……梨巳さんまで、恰来がスパイだって言いたいわけ!?」
「実際疑わしい証拠が出されてるじゃない。それに彼、学園での評判を考えれば今回のMAGICIAN'S MATCH、あまり乗り気じゃないんじゃない? そんな風なことをした、と受け取られても仕方ない評価の人よ」
「表面上の評価だけで人を判断してもいいわけ!?」
「表面上の評価を無視していいわけでもないわね。あなたこそ、活躍しているから自己満足しているだけじゃないの? 仁科さんじゃないけど、あなた生徒会長だから、自分が認めた人は大丈夫とか思ってるんじゃないの? 疑ってもみないなんて、自分勝手もいいとこだわ。――立派な生徒会長さんね」
「この……っ!!」
 バァン、と机を叩いて梨巳さんに向かおうとする相沢さんを、
「相沢さん、落ち着け!!」
「友ちゃん、待って、お願い!」
 俺と、相沢さんの隣の席にいた柚賀さんが食い止める。
「三人とも落ち着けよ!! そんな立ち上がって攻め口調で話し合いなんか出来るわけないだろ!?」
「五月蝿いわね、小日向君には関係ないじゃない!」
「関係ないわけないだろ!?」
「関係ないわ!! フン、御薙先生の子供だからって何様なのよ!!」
 その仁科さんの言葉に――俺も、あまり宜しくないスイッチが入る。
「ふざけんなよ……今それは全然関係ないだろ!!」
「いいご身分よね!! 取り巻きが優秀なのも結局先生のお陰なんでしょう!?」
 更にその言葉に、俺の周囲の全員にあまり宜しくないスイッチが入る。
「アンタ、いい加減にしなさいよね!! 何よ、自分が活躍出来ない腹いせ? 悔しかったら努力して活躍すればいいじゃないのよ!」
「杏璃の言う通りだよ! 気に入らないからって朝挨拶も返さないなんて最低! 雄真くんに八つ当たりするなんてもっと最低!」
「俺の大事な友を貶すのであれば、黙ってはおらぬぞ!!」
 そして、教室が最悪の状態になろうとしていた――その時。
「もういい!」
 バァン!!――机を叩き、立ち上がる音。……土倉、だった。
「もういい。――俺が抜ければ、それで丸く収まるんだろ?」
「土倉、そういう問題じゃ――」
「そういう問題だろ、根を掘り返せば。――それに俺、こうなったから言うけど、MAGICIAN'S MATCH、最初に御薙先生には辞退を申し込んでた」
「え……?」
 相沢さんの顔に、困惑の色が走る。
「本当……なの? 恰来」
「……ああ。――俺は、MAGICIAN'S MATCHなんて、出場したくなかったんだ」
 俺の頭に……嫌でも、初日のことが思い出される。
「梨巳さんの言う通りだ。俺はそういう評価を持つ人間だし、実際そういう人間だ。皆に負けろ、とは言わないが勝ってても特別嬉しいとか思ってなかった。これがいい機会だ」
「恰来! 気にすることなんて――」
「それに、俺は友香にこれ以上迷惑はかけたくない。――例え今回の騒動が落ち着いたとしても、俺の評価が変わるわけじゃない。今後似たような問題が起こる可能性は十分にある。その度に友香に迷惑をかける位だったら、俺は辞める。今以上、負担になる位だったら、辞めるよ。何度も言うけど、そもそも未参加で終わらせるつもりだったから。――だから、もういい。もういいんだ。そもそも無理な話だったんだよ、俺と友香なんて」
「そんな……」
 困惑が走った相沢さんの表情に、悲しみが混じった。
「俺みたいな人間に、わざわざ気を使ってくれてありがとう。――でももう、そんな無理する必要もないから」
「土倉っ――」
 そのまま振り返ることなく、土倉が教室を後にする。――動けなかった。いや、動けたとしても、今のこの状況、一度落ち着かない限り解決は無理だ。そんな冷静な判断をする俺が何処かにいた。
「…………」
 教室の空気が重くなる。誰もが言葉を捜している。でも適当な言葉が見つからない。――すると。
「? どうしたのかしら、何があった?」
 職員会議か何かで遅れたのだろうか、成梓先生が姿を見せた。
「あの……先生、実は……」
 楓奈が先ほどの出来事を説明する。
(あ……)
 そこで気付く。――楓奈はちょっと泣きそうだった。しまった、確かに指揮官として適任だし、あの性格から直ぐにメンバーにも馴染んだ楓奈だったが、こういう仲間内でのドロドロしたシチュエーションにはあまり慣れていない。――悪いことをした。
「成る程……ね」
 ふぅ、と成梓先生はため息をつくと、教壇に立つ。入れ替わりに楓奈がこちらの席へ座った。
「楓奈、その……ごめんな。もうちょい空気考えるべきだった」
 成梓先生の話が始まる前、直ぐに俺は小声で楓奈に謝った。
「雄真くん。――うん、大丈夫。雄真くんが悪いわけじゃないから」
 楓奈がそう言って笑いかけてくる。少しだけ無理しているのがわかった。――情けないな、俺。もっとしっかりしなければ。
「話は聞いたわ。各個人で言いたいことはあるだろうし、言い分もあるでしょう。――とりあえず今日はもう解散。明日までに私も考えておくから、何か個別に言いたいことがある人は、私の所まで来るように」
 成梓先生は少しだけ厳しい雰囲気でそう全員に告げると、更に言葉を加える。
「話し合いっていうのは自分の意見をぶつけること。自分の意見を押し隠すのは良いことじゃないけど、自分の意見をぶつけることで相手がどう反応するのか、どう思うのか、頭に入れて発言しなければそれは話し合いにはならない。――それを忘れないように」
 そしてそう言い残し、成梓先生は多目的教室を後にしたのだった。


 屋上は、程よい風が吹いており、景色を眺めるには絶好の日和であった。
「…………」
 そういえば、この場所から景色をこうしてまじまじと眺めることなんてなかった、なんてことをその景色を眺めている人間は思っていた。そういえば、どうして自分はこんな所で景色を眺めているんだろう。そんな風に思ってしまう程、気付けばその屋上からの景色をただ漠然と眺めている自分がいたのだ。
 そして、そんな風に景色を眺め続けて――どの程度の時が流れただろうか。
「自己嫌悪に陥る位なら、あんなキツイ言い方しなけりゃいいじゃんかよ」
 その声で、不意に現実に戻された。チラリと声のした方を見ると、一人の軽く呆れ顔をしている人間が。
「――誰が自己嫌悪に陥ってるってのいうのよ」
 景色を眺めていた人間――梨巳可菜美は直ぐに自分を取り戻し、いつもの口調で、その軽く呆れ顔をして自分に話しかけてきている武ノ塚敏にそう答えた。
「お前だよお前。そんな顔で景色眺めてたら誰だってそう思うっての」
「悪かったわね。生まれつきこの顔なんだけど?」
「――はいはい、そうですか」
 素直じゃない奴、とでも言いたげな気だるい返事をし、敏は可菜美の横に並び、景色を眺める。
「私に何か用件があったんじゃないの?」
「用件っつーか、様子を見に来た。相沢さんが土倉を心配するのと同じで、俺もパートナーを気遣いに来たわけよ」
「そんなプライベートなパートナーになったつもりはないんだけど?」
「プライベートじゃねえ、どう考えてもMAGICIAN'S MATCH関連だろうが」
「…………」
 可菜美はため息をつく。反論するのが面倒になった、といった雰囲気のため息であった。
「…………」
「…………」
 そのまま無言のまま、二人並んで景色を眺める時間が過ぎる。――実際には数分間の短い時間なのだが、まるでもう何時間もそうしていたかのような感覚がする、不思議な時。
「――私は、誰にでも厳しい人間じゃなきゃいけないのよ」
 先にその沈黙を破ったのは、可菜美だった。景色を眺めたままで、そう口を開いた。
「どういう意味?」
「私、この学園に進学する前――中学生の時、軽い苛めにあっていた頃があるのよ」
「え……?」
 敏は一瞬、自分の耳を疑う。――苛められてた? 梨巳が?
「瑞穂坂は魔法で有名な学園だから、私は進学したら成績上位に食い込むだけでトップになることはなかったけど、私が行っていた中学校はそこまで魔法が盛んじゃなくてね。その中で私は、一人飛びぬけて断トツの成績を誇ってた。それ以外の普通の筆記の科目の成績もほとんどの教科でトップ争いをする成績を持っていたわ」
「……妬まれたのか」
 そんな説明をされれば、誰でも予測がつく。――返事をする変わりに、可菜美は苦笑した。
「くだらない話よね。自分よりも目立つからって、取り巻き使って、クラス中巻き込んで。――よく報道されるような酷い苛めじゃなかったけど、誰も私と話そうとしなくなったし、時折物が隠されてたり、ノートに落書きされてたり、上履きにガムが仕込んであったり」
「お前、それ十分に酷えよ」
「もう過去の話よ。――私はそれこそ屈したら負けだと思ったから、成績をキープして、絶対にトップを譲らなかった。そしてもう一つ、状況を打開する為に徹底した」
「? 何したんだ? 頑張ってお友達にでもなったのか?」
「真逆ね。――主犯格の校則違反の証拠を徹底して集め、言い逃れの出来ない状況を作って、学校側に訴えた」
「ぶっ」
 思わず敏は吹いてしまった。――怖い、怖過ぎるぞ梨巳。
「主犯格は再起不能、転校していったわ。恐怖心を植えつけられた取り巻き達も、私への苛めをそれ以上してくることはなかった。まあ、逆に恐怖心で結局誰も私と話すような人間はいなかったけど」
「凄いなお前……」
「言ったでしょう、私は誰にでも厳しい人間じゃなきゃいけないって。――私、三つ下に双子の弟と妹がいるのよ。私の苛めの影響を、弟達に引き継がせるわけにはいかなかった」
「だから徹底したのか?」
「ええ。私のせいで弟達まで苛められたりしたら、それこそやりきれないじゃない。幸い歳が三つ違ったおかげで弟達が入学したのは私が卒業してからだから、影響はなかったわ。――後は流れよ。私は弱い人間になったらいけない。弱みを見せて漬け込まれるわけにはいかないの。心の無い冷たい人間じゃないと自分自身も家族も守れないのよ。――間違ってるなんて、思ってない」
「そっか……」
 初めて聞く可菜美のことに、敏も色々驚いたし、思うことはあったが、そんなことよりも言っておきたい言葉があった。
「ま、別に構わないだろ。色んな梨巳がいたってさ」
 その言葉に、ずっと真正面を向いて景色を見ていた可菜美の顔が、少しだけ動き、敏を捉える。
「否定……しないの? どう考えても私は変なのよ?」
「他人に厳しくする梨巳。家族を大切に想う梨巳。自己嫌悪に陥る梨巳。どれも梨巳で、全部まとめて梨巳なんだぜ? それ否定したらお前自身を否定してんのと同じじゃん。俺は人ををそんなつまらない理由で否定なんてしねーよ。――後、安心しろ、他の誰かに喋ったりもしないから」
「…………」
 再び生まれる沈黙。――それを破ったのは、やはり可菜美だった
「……馬鹿ね」
「はい!? 馬鹿!?」
「馬鹿よあなた。――私にそんなこと言ってくるの、あなたくらいよ」
「あ……」
 その時、敏は見てしまう。――今まで見たことがなかった、可菜美の穏やかな笑顔を。
(マジかよ……こいつ、普通に笑うとこんなに可愛いのかよ……)
 そもそもが可愛いのはわかっていた。だが敏が今見たのは、初めて女の子としての可菜美の姿だった。敏が高鳴りを感じるには、十分な程、おつりが来る程の笑顔だった。
「――って、あれ?」
 我に返ると、既に隣に可菜美はいなかった。ハッとして周りを見てみると、既に屋上から戻る為にドアに手をかけていた所だった。表情はいつもの雰囲気に戻っている。そのまま去ってしまうのか、と思っていると――
「帰らないの? 放課後なのよ?」
 ドアを開けて、軽く振り返り、そう促してきた。
「――もしかして、一緒に帰ってもいい?」
「好きにすれば? 今日位だったら、あなたのうざったい存在、隣にいても気にならないから」
 そう告げると、今度こそ可菜美は屋上を後にする。――ったく、本当に素直じゃない奴。
「って、いけねえ、追いかけないと本当にあいつ一人で帰りそうだな」
 敏は走って、可菜美の背中を追うのだった。


「ここにあいつ一人で住んでるのか……」
 そのマンションは、学園を中心と考えると俺の家とは丁度反対方向にあった。そんなに大きいマンションじゃなかったが、綺麗で、見た目好感が持てるマンションだった。
「――っと、ここで見てる場合じゃないな」
「そうだな、じっくり鑑賞するのは景色と美女だけで十分だ」
「……ここで一応景色も数に入っていることに安心している俺が負けなんだろうか」
「ちなみに二択だったらお前はどっちを選ぶ?」
「そりゃお前――」
 …………。
「悩む位なら何故美女、とキッパリ断言しない」
「お前程俺はまだ大人じゃないんだよ、多分……」
 そんなクライスとのやり取りを挟みつつ、俺はそのマンションへ。ポストを見て部屋を確認。三階だった。――階段を上り、部屋のチャイムを鳴らす。
『……はい』
「俺。小日向」
『……小日向……?』
 数秒後、ドアが開いた。
「よう」
 爽やかな俺の挨拶とは対照的に、出迎えてくれた土倉の表情は微妙だった。慣れたけど。
「……どうして俺の家を知ってるんだ?」
「成梓先生に調べてもらった。俺が行くっていったら喜んで調べてくれたぜ」
 というか俺が行って当たり前みたいな顔してた。
「……とりあえず、あがれよ」
「ああ、そうさせてもらうよ。――お邪魔します」


<次回予告>

「なんて馬鹿なんだろ……」

広がる波紋、恰来のスパイ疑惑、そして離脱。
各々の想いは、取るべき道は。

「――俺は、突然変異で生まれた子供だった」
「突然……変異?」

恰来のマンションを訪ねる雄真。
彼の話を耳にした雄真に走る――衝動。

「――それでも俺は、お前を見捨てない」
「小日向、それはだから――」

雄真が選ぶ道とは?
そして――恰来が語る、彼の真意とは……

次回、「ハチと小日向雄真魔術師団」
SCENE 9  「いつか消えるだけの想い」

「雄真?」
「おす、杏璃」
「お早う。――何よ、鞄も置かないで、ウチのクラスに何かあるの?」

お楽しみに。


NEXT (Scene 9)

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