(注意)
 本作は、私ワークレットが書いた「ハチと月の魔法使い」、「この翼、大空へ広げた日」、
 「彼と彼女の理想郷」と世界観が同一の事実上の続編となっております。
 より深く楽しみたい方は、上記三作を読んでからこちらを読むことをお勧めしておきます。
 ご了承下さいませ。



「いい天気だね、こいつは……」
 開店準備の為に外に出ると、空は雲ひとつ無い晴天。属に言う五月晴れ、だろうか。
「……さてと」
 こういい天気だと何処かで昼寝でもしたいもんだが、そういうわけにもいかない。前述通り、今は開店準備中。
 瑞穂坂の駅前の商店街の一角にある俺の店は、「魔法具修繕屋」と呼ばれるタイプの店だ。壊れた魔法道具を修理したり、簡単な範囲内であれば使い易く改造もしたりする。この手の店は大繁盛、なんてことはないが閑古鳥、ということもなく、まあ食べていける程度の生活を俺は送っている。
「お早うございます、松永(まつなが)さん!」
 と、そこで元気のいい挨拶が。――ちなみに松永は俺のこと。松永庵司(あんじ)がフルネーム。年齢は二十七、性別は男。
「お早うございます。――相変わらず元気いいねえ」
「勿論ですよ〜、わたしから元気を抜いたらほとんど何も残りませんから♪」
 あははっ、と笑うその人、俺の店の隣で「Rainbow Color」という魔法関連の小物を扱う店を運営している、野々村夕菜(ののむら ゆうな)。確か年齢は二十二、三だったと思う。ほんわかとした可愛らしい娘さんで、ここいら一帯の店のマスコット的存在でもある。店も若者、特に女の子向けの商品が充実しているらしく、かなり繁盛しているようだった。――店のジャンルが違って助かった、と思うこともあったりなかったり。
「そうそう松永さん、知ってますか?」
 野々村さんも開店準備をしつつ、俺にそう問いかけてきた。
「知ってるって……何を?」
「ほら、これですよ、これ」
 そう言って、野々村さんがポケットから取り出したのは――
「……ドーナツ屋さんの広告?」
 全国展開しているドーナツ屋の瑞穂坂支店の広告だった。
「そう、今度チョコフェアで新作が出て、今ならお試し価格で全品百円で買えるんですよ〜!」
「へえ……ドーナツか」
 あんまり自ら進んで買って食べたりはしないが、偶に食うと美味いのは事実。――成る程良い機会だ、聞いたら食べたくなってきた。折角百円なんだ、今日辺り買って食べるか。
 そんなことを思いながら表の開店準備を進めること五分。
「――ってしまったあ、わたし別に松永さんにドーナツの話がしたいんじゃなかった! ポケット間違えた〜!」
「ええ!?」
 今なのか。気付くの今なのか。散々ドーナツ談義を繰り広げた後なのか。
「ええっと……こっち、ホントはこっちです!」
 そう言って、あらためて野々村さんが俺に手渡してきた紙には、
「『今夜十二時、誰かと誰かでパイルドライバー』」
「ああっ、それでもない〜!」
 というか何だろうこの紙は。誰と誰がパイルドライバーなんだろう。しかも日付変わった瞬間に。
「……野々村さんてさ、普段どんな生活送ってんの?」
 俺の純粋な疑問だった。どんなシチュエーションでその紙がポケットに入るのか。予測もつかない。
「普通ですよ普通。極めて健康な生活を送ってます」
 微妙に返答がずれてる気もしないでもないが、まあこれ以上は追求しないでおく。――俺に返事をしつつも野々村さんは一生懸命ポケットを「これでもない、それでもない」と言いながら漁っている。まるでピンチでパニックになった某ネコ型ロボットの様だ。というかそんなに何をあのポケットに入れてるんだよ。
「っと、ありました、これですこれ!」
 と、やっと目当ての紙が見つかったのか、俺にあらためて手渡してくる。
「瑞穂坂の魔法業界挙げてのイベントですからね、盛り上がりますよ〜!」
 野々村さんが俺に見せてくれた紙には、確かにもう直ぐ瑞穂坂で開かれるとある魔法関連の一大イベントのことが大々的に書かれていた。
「実は実はこれ、前大会の時、わたし出場してるんですよ」
「へえ、結果は?」
「優勝ですよ! メンバーがもう凄かったんですから!」
 当時を思い出しているのか、嬉しそうに野々村さんが語っている。
「あの時も盛り上がりましたから、今回もきっと盛り上がりますよ! イベントっていいですよね〜!」
「ははっ、野々村さんらしい」
 俺は笑ってそう返事をしたが――内心では、イベントっていいね、とは思っていない。イベントとは、普段の生活にはない特殊な事柄のこと。つまり、普段の生活が少なからず変動することを意味している。俺は変動なんて求めてない。俺にとっての生活の変動は――『終わり』を意味しているからだ。
「……はぁ」
 気付けばため息が出ていた。――俺は後、どれだけの間、今の生活を続けられるのだろう?
 俺は後、どれだけの間――普通の人間で、いられるのだろう?
 願わくば、いつまでもこのままで。この何もない、有り触れた特徴のない今を、いつまでも。
 だが――『終わりが』、近付いてきている。……そんな気がして仕方が無い、五月のある日の俺だった。


 カチッ。――目覚まし時計のスイッチをオフにし、ベッドから体を起こす。……目覚ましよりも早く目が覚めるのは、いつものこと。この家で暮らしている限り、私は深い眠りになんてつけられない。
「……ふぅ」
 無意識の内に出る小さなため息と共にベッドから降り、パジャマを脱いで、制服に着替える。身だしなみを整えたら、ドアを開け、階段を下りて、リビングへ向かう。階段を一段、また一段と降りていく度に、少しずつ緊張していく。――いつもながら実に嫌な緊張だった。
 やがて辿り着くリビングへのドア。ゆっくりとドアノブを回し、ドアを開けると、リビングが視界に入る。――そこには、誰もいなかった。
 リビングに入り、神経を研ぎ澄ませて、周囲の様子を伺う。――どうやら今現在、この家には私一人だけらしい。そうわかると、一気に緊張がほぐれ、安堵感が私を包む。そのまま台所に行き、朝食の準備をし、作った簡単な朝食をリビングに運び、一人「いただきます」と呟くように口にして、私は朝食を口に運ぶ。
 ――私がこうして安堵感に包まれて朝食を口に出来る確率は、大よそ五割程度だろうか。残り五割の朝は、父か母、もしくはその両方が家に居ることになる。
 客観的なことを言えばおかしな話だ。一人で食事をしている時安心出来て、親がいると安心出来ないなんて。事実、人にこのことを話せば必ずそう言われる。――私が家に親が居ると安心出来ない理由は簡単。――私は、両親に嫌われているからだ。
 私が幼い頃、両親は離婚、私は母に引き取られた。母は結婚して専業主婦をしていたらしいのだが、離婚して一人になり、また働き出した。そもそも仕事に生き甲斐を感じるような人らしく、仕事に力を入れ始め、次第に私とはすれ違うようになり、私の存在が邪魔になっていき――今では、きっと疎ましいと思われている。
 今の父は、そんな母の再婚相手だ。一昨年、気付けば母は再婚しており、気付けばあの男は家に居つくようになった。――どんな人なのか、そもそも何をしている人なのかもよくわからない。ただ、時々感じる私への視線は、少なくとも好意的なものではない。やはり母と同じで、私の存在は疎ましいのだろう。
 この家は、息苦しい。――誰もいない安堵感に包まれている時も、何処かでいつあの人達が帰ってくるか、という緊張感が付きまとっている。一日でも早く、この家を出たい。
「……行ってきます」
 誰も居ない家にそう告げ、玄関に鍵をかけ、学園へと向かう。――三年生になって、一月と少々。卒業まで後十ヶ月。それまでの、長くて短い、辛抱だ。
 卒業さえしてしまえば――あの家を出て、一人で暮らしていける。――そんな微かな希望を胸に、私は今日も学園への道のりを歩く。
「お早う、屑葉(くずは)!」
 ポン、と後ろから肩を叩かれる。馴染みのある声。振り返ると、そこには。
「お早う、友(とも)ちゃん」
 私の幼馴染の、相沢友香(あいざわ ともか)――通称友ちゃんが、笑顔でこちらを見ていた。
 友ちゃんは、私の唯一無二の親友で、幼馴染だ。――私の家庭状況を、把握してくれている貴重な人でもある。
 性格は元気で明るくて、誰とでも仲良くなれて、正義感が強い、まるでヒーローみたいな子。事実学園では生徒会長を勤めており、生徒、先生、どちらからの信頼も人気もある。――内気で一人では何も出来ない私とは正反対の性格だ。
 友ちゃんは、私の親友であると同時に――私の憧れでもある。彼女は、私が持っていないものを沢山持っている。私も友ちゃんのようになれたら――私の家も、何か違っていただろうか? そんな風にさえ、時折思ってしまう。
「ね、聞いてよ屑葉。朝っぱらから馬鹿兄貴がね――」
 そんな友ちゃんとの時間は、私の貴重な心安らぐ時間の一つだ。彼女との時間は、嫌なことを忘れ、こんな私でも純粋に笑っていられる。それは、まだ私は普通の子であるという、唯一の希望かもしれない。
 私は――いつまで、こんな生き方をし続けていくのだろう? いつまで、こうして現実から目を背けて生きていかなくてやいけないのだろう?
 卒業したら? 家を出たら?――きっとそれは違う。そんなことでは、根本的な解決になんてならない。
 それをわかっていて、何も出来ない自分が情けなくて――歯痒い。
 そして――その歯痒さを噛み締めたまま、私は、今日も生きていく。


 ピピピピピピピピ――カチッ。
「……んーっ」
 目覚ましを止め、体を伸ばし、目を覚ます。カーテン越しの光は、今日も晴天であることを窺わせる。――きっと、いい朝だ。
 私は起き上がり、制服に着替える為に、パジャマの上着を脱――
「おう、起きたか友香。朝食もう直ぐ出来るぜ」
 ――いだ所で部屋のドアが開き、顔を覗かせて来たのは私の兄。
「――って朝っぱらから妹の着替えの覗きかこのド変態ーっ!!」
「がはぁ!!」
 私は直ぐさま枕を顔面に投げつけ、視界を塞いだ後にキック。部屋から無理矢理追い出し、急いでドアを閉める。
「はぁ、はぁ、はぁ……何、考えてんのよ、馬鹿兄貴……!」
 見られた。絶対に下着見られた! ああもう、朝から腹が立つ!! 何でノックの一つも出来ないのよ、大学生にもなって!
 私は急いで制服に着替え、再びドアを開ける。
「よう」
 ……馬鹿兄貴は、まだ部屋の前にいた。何事もなかったように笑顔で挨拶をしてきた。
「よう、じゃないわよ!! 何考えてるのよ!!」
「何って、起こしにきてやったんだろうが。――目、覚めただろ?」
「もうちょっと普通の方法出来ないわけ!? それとも、そんなに朝から私の下着が気になりますかド変態様!?」
 第一、私は朝は強い方なので、誰かに起こしてもらう必要性は特にはないのに!
「普通に起こしたって、面白くないだろうが」
「あのねえ……」
「それに安心しろよ。お前の驚く顔が見たかっただけだから、下着の方までは確認してねえよ」
 そう言うと、兄は満足気な顔で、リビングの方へ歩き出す。反論の機会に逃げられた私は、不服ながらも目的地は同じなので後についていく。
「ド〜はド〜ナツ〜の〜ド〜♪ レ〜はレモンのレ〜♪ ミ〜はみ〜んな〜の〜ミ〜♪ パ〜はパンツのパ〜♪」
「せめてもっと可愛らしい替え歌を歌いなさいよ! どれだけ下着が好きなのよ変態兄さん!」
 これで一流国立大学の成績上位らしいから泣けてくる。
「ほらほら、朝から元気なのはいいけど、早くご飯食べちゃいなさい。遅れるわよ?」
 リビングに入ると、既に母が朝食の支度を終え、席について私達を待っていた。
「お早う、お母さん。――いただきます」
「いただきます。――って親父、いないの?」
「お父さんは会議があるとかで二人が起きる前にはもう出かけたわ」
「そっか、大変だな親父も。――あ、友香、テレビ点けてテレビ。天気予報のお姉さん見るんだ」
「……お姉さんよりも天気予報を見なさいよね」
 私はため息をつきながら、手元にあったリモコンを操作してテレビを点ける。今はスポーツのニュースをやっていた。確か天気予報はこの後だったか。
「あ、そうだ。――お母さん、今日ちょっと帰り遅くなるかもしれない」
「? 何かあるの?」
「うん、生徒会の会議が」
 と、思い出したことを母に報告すると――母はガックリとオーバーに項垂れた。
「……何でそんなに肩落とすのよ? 別に生徒会で帰りが遅くなるのはこれが始めてじゃないじゃないの」
「友香、お母さんは悲しいわ」
「だから、何が」
「いい若い娘が、生徒会、生徒会、生徒会……偶にはそのお母さん譲りの美貌で、男の子とデートで遅くなったりしてみなさい」
「あのねえ……私は好きで生徒会の仕事をしてるし、それに生徒会の仕事に誇りを持ってるの。別にデートが駄目ってわけじゃないけど、生徒会の仕事を軽く見ないで欲しいわね」
「その歳で仕事が恋人だなんて……お母さん、泣いちゃう」
 よよよよよ、と口に出して泣き真似をする母。――こういう時、この人の見た目を私が、性格を兄が受け継いだのだろう、とひしひしと感じる。
「そうだぞ友香、兄も悲しいよ。――お前のその可愛らしい水色のブラジャーは、一体何の為にあるんだ?」
「な――やっぱり見てたんじゃない下着までしっかりと!!」
「安心してくれ。――我が妹ながらいい体をしていると思うが、流石に実の妹に手を出そうとは兄は思わない」
「あ・た・り・ま・え・で・しょ!!」
「それに兄はどちらかと言えば巨乳好きでな。手短な所で言えば――そうだな、屑葉ちゃんのあのバストは、実に魅力的だ。機会があればぜひ一度――」
「ぜひ一度――どうしたいのかしら?」
 気付けば私は、マジックワンドを手に、身構えていた。
「――落ち着こう我が妹よ。何故に君は俺に向かってマジックワンドを身構えている?」
「さあ? 自分の胸に聞いてみたら?」
「この家には友香以外、誰も魔法が使えないのを承知の上でか?」
「ええ、勿論よ。――何か言い残したいことはあるかしら?」
「……実の妹の嫉妬心というのも、これはこれでそそるものがあ――ぎゃああぁ!!」
 …………。
「……とにかく、そんなわけで遅くなるかもしれないから」
「わかったわ。――友香、魔法上手になったわね。お母さん魔法使えないから細かいことわからないけど、昔はこういう時魔法使うとテーブルの上が勢いでごちゃごちゃになったりしてたもの」
 母の言う通り、魔法を使ったにも関わらず、食卓風景は一名程戦線離脱しただけで、それ以外に変化はない。
「まあ、判断基準がそこってのもどうかとは思うけど……ありがと。自分で言うのもあれだけど、頑張ってるから」
「そうね。立派な魔法使いになるのが、友香の夢だものね」
「……うん」
 そう。私の夢は――立派な魔法使いになること。だから、魔法に無縁だった我が家で唯一魔法を学び、何とか今のレベルにまで達することが出来た。自分にどれだけ才能があるかはわからないが、努力はしているつもりだった。
 でも、細かいことを言えば、本当の私の夢は「立派な魔法使いになること」じゃなくて、立派な魔法使いになって、やりたいことがどうしてもあるからで――
「――おっと、そんなことしてる場合じゃないわね、遅刻しちゃう。――兄さんも、そんなところで寝てないで、早くご飯食べちゃいなさいよ」
「……妹よ、誰のおかげで俺はここでぶっ倒れていると思っている?」
「さあ?――ごちそうさまでした、っと」
 食器を流し台に持って行き、未だ横たわっている兄をかわしつつ、仕度の為に部屋に戻ろうとすると、
「友香」
 丁度リビングを出ようとした所で、呼び止められる。振り返ると、兄が起き上がって、こちらを見ている。そして、
「やっぱり……下着は上下同色が基本だよな! グッジョブ、友香!」
 そう言いながら、兄は親指をグッと掲げて――
「――って、どうして性懲りも無く覗くのよ!!」
「そりゃお前、倒れている所にスカートの女の子が通ったら、それが妹だったとしても普通は見るだろ、中を」
「一体何基準なのよ!」
 何の為に魔法でダウンさせたんだか。何の意味もない。
「でも安心したよ友香」
「? 何がよ?」
「いやあ、自分で覗いておいてあれなんだが、兄としては妹のパンツに変なシミとかが無いか心配――」
「死ねーっ!!」
 ドガッドガッドガッドガッ!!
「ぐおっ!? 待て友香、朝からストンピングは……ぎゃあああ!!」
 …………。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁっ……」
 ほ、ホントに、何を考えてるのよ、この馬鹿兄貴は……!!
「ほらほら、仲がいいのはわかったから、本当に遅刻しちゃうわよ、友香」
「っ、いけない! もう、遅刻したら兄さんのせいだからね!」
 私は急いで部屋に戻り、仕度を整える。鞄の中身などは昨日の内に準備してあるので、そう時間もかからない。
「――それじゃ、行ってきまーす!」
「はい、行ってらっしゃい。気をつけてね」
 私は母の笑顔に見送られ、家を後にした。――空は雲ひとつない晴天。五月の今日は気温も高過ぎず低過ぎず丁度よく、私の足取りも軽かった。――と、しばらく歩いていると前方に見知った後姿を発見した。
「お早う、屑葉!」
 ポン、と後ろから肩を叩く。
「お早う、友ちゃん」
 私の方を見て、笑顔で私を「友ちゃん」と呼ぶ女の子。彼女の名前は柚賀(ゆが)屑葉。幼馴染で、一番の友達――属に言う「親友」というやつだ。今も同じ学園――瑞穂坂学園の魔法科で同じクラスだった。
 性格はちょっと大人しいが、とても優しい、とても「女の子らしい」性格。顔も可愛く、その、兄が考えているように、あの……スタイルもとてもよく、裏には彼女のファンが学園には結構いることを私は知っている(本人は全然気付いていない)。
「ね、聞いてよ屑葉。朝っぱらから馬鹿兄貴がね――」
 こんな性格の私とも何故かとても気が合い、何でも話せる間柄だ。私は自分のことを何でも屑葉には話せるし、その逆もしかり。――彼女の複雑な家庭の事情を知っているのは、恐らく友人というカテゴリーの中では私だけだろう。
 屑葉とお喋りをしながら学園への道を歩く。学園が近づくにつれ、同じ制服を着た子達が周囲に増えていく。登校時間もピークを向かえ、校門をくぐると活気溢れる朝の風景が視界に飛び込んでくる。
「お早う、相沢さん」
「ええ、お早う」
 私は立場上性格上、見知った顔も多く、朝のこの時間、校門から教室までの道のりはほとんどが挨拶に費やされることになる。友達は勿論、生徒会関連で知り合った各委員会の人、部活の人、後輩等。
「お早う、土倉(とくら)くん」
「……ああ、お早う」
 と、クラスメートの土倉くんに挨拶をした所で、ちょんちょん、と屑葉が私の腕をつついてくる。
「? どうしたの?」
「ねえ、友ちゃんって……土倉くんと、仲良かったっけ?」
「別に特別親しいわけじゃないけど……何で?」
「だってほら、今普通に挨拶したから……」
 その屑葉の質問に、つい私はため息をついてしまう。
「あのねえ屑葉、クラスメートなんだから、普通朝会ったら挨拶位交わすでしょう? 私が挨拶してる横に居て何も言わない屑葉の方が駄目なの」
「でも……ほら、土倉くんって、唯我独尊って言うか、近寄り難いっていうか」
 屑葉の言うことはわからないでもない。確かに土倉くんはそういうオーラを持った人だ。私とて土倉くんがあまり友達と仲良くしているシーン等を見かけたことはない。見かける時はいつでも一人。クラスでも少々浮いた存在でもある。本人がそれを苦にしている様子も見られない。
「でも、挨拶したらちゃんと挨拶を返してくれたじゃない。これで無視されたら屑葉の言うこともわかるけど。私は土倉くんは悪い人じゃないと思うわ」
 そう、人を第一印象だけで判断してはいけない。その場の勢いだけで判断してはいけない。それは――幼き日の私が、痛い程に悟った一つの事実。私はいつでもその想いを持って生きている。
「そっか……凄いな、友ちゃんは」
「凄くなんてないわ。こんなの、誰にでも出来るわよ。勿論、屑葉にだって」
 そう、私は凄くない。――凄くなかったから、今こうして魔法使いを目指してる。
 私が、魔法使いを目指してる理由なんて、本当に小さなことなんだから。だから、私は凄くないのよ、屑葉?
「さっ、突っ立ってないで、早く教室行きましょ」
 だから私は歩く。前を見て、迷わずに。
 少しでも――あの日の自分を、乗り越える為に。


 走っていて感じる風が気持ちいい。――運動するには、丁度いい季節だ。
(もうしばらくすると、段々暑くなってくるんだろうな……)
 ラストスパートをかけながら、俺はそんなことを思う。――最も、暑くなったからといってこの早朝のジョギングを止めるつもりなんてないが。
 人気もまばらな町並みを走るのは、気分がいい。昼間に比べたら空気も澄んでいる。――余計なことを考えずに済む、この時間が俺は好きだった。
「ふぅ……」
 ゴールは、住んでいるマンションのロビー。そこまで来たら後はゆっくり歩いて、三階の自分の部屋へ。ドアを開け、軽くシャワーを浴びて、朝食の準備。食パンをトースターに入れ、同時にフライパンに卵を落とす。冷蔵庫から昨日の内に作っておいたサラダを取り出して、ドレッシングをかける。一人暮らしなので慣れたものだ。――いや、そもそも誰かと一緒に暮らした記憶がほとんどない俺には違いなどよくわからないのだが。
 朝食を済ませ、身支度を整え、再び家を出る。――この時間になると、人の姿を段々と見かけるようになる。通勤通学の時間だ。無論、俺と同じ制服――瑞穂坂学園の生徒の姿も、多々確認出来る。そしてその数は、当たり前だが俺が学園に近づくにつれ増えていく。
「おはよー」
「うん、おはよう」
 周囲で交わされる挨拶、楽しげな会話。……言ってしまえば、耳障りだった。
 正直、俺は学園は好きじゃない。周りの楽しそうな人間達は、一体何が楽しいのかさっぱりだった。俺自身は学校を出ていないと社会で不利になるから来ている。ただそれだけだ。それなりの成績を取っておけば、社会に出たら一定以下の学歴はほとんど意味がなくなる。本当の一流以外はただ卒業したか、していないかの違いだ。だから俺はこの学園は卒業する。――それだけの為に今日もこうして足を運んでいる。行事とか云々とかは正直うざったいだけだ。
 まあ……卒業して、何がしたいわけでもないんだけど、な。――そんなつまらないことを考えながら、昇降口で靴を履き替え、階段を昇っていく。
「お早う、土倉くん」
 と、廊下に辿り着いた所で不意に挨拶された。
「……ああ、お早う」
 誰だ、俺に挨拶なんてする物好きは――と思ったが、見ればクラスメートの相沢さんだったので納得し、一応挨拶をする。詳しいことを知っているわけじゃないが、彼女はそういう人だ。俺みたいな人間でも、クラスメート、それ即ち仲間と判断し、当たり前のように挨拶をしてくる。大したものだ、普通出来ることじゃない。――現に横に居る柚賀さんは俺に挨拶をする相沢さんを見て明らかに戸惑っていた。――普通は柚賀さんの心境が正しい。俺は学園じゃそういう人間だ。
 言っちゃあれだが、相沢さんは俺には信じられない人種だ。俺一人削っても、相沢さんの評価が落ちるわけじゃないだろうに。俺とは考えも生き方も何もかもが違うんだろう。住む世界が違う。俺と関わるのは、朝すれ違った時に挨拶を交わす程度。
 その程度なら流石に挨拶位は構わないか、と苦笑する。――何をしてきたら彼女のような人間になれるのか、なんて……考えるだけ無駄だ。
 教室のドアを開け、自分の席に座る。誰も俺が通ったことなんて気にしていない。俺もクラスの誰がどうなったって気にしない。それでいい。俺は――誰とも、関わりたくない。
 やがてホームルームの時間になり、担任の教師が入ってくる。――ここで担任が喋ることなんて大したことはない。あったとしてもどうせ何か行事関連だ。――俺には関係ない。
「――というわけで、そこに記してある奴は選抜メンバーだから、放課後多目的教室に集まること」
 そんな言葉と共に、プリントが前から回ってくる。流石にこれを無視するわけにもいかないので、受け取って、一枚自分の分を抜いて、更に後ろの席へ。――気付けば、少々教室が沸き立っている。選抜メンバーとか言っていたから、行事関連で選ばれた人間は誰か、ということで話題になっているんだろう。――俺には、どうでもいい……
「……え?」
 ――どうでもいい、と思ったその瞬間、その紙のとある一行に目が止まる。恐らくその選抜メンバーとやらが書かれているその内の一行に、「土倉恰来(かつき)」――俺の名前が、記してあったからだった。


「おーす」
「お早う」
 教室のドアを開け、見知った顔に挨拶をしながら、席に着く。――三年生になって早一ヶ月、大分このクラスにも慣れた。
「ふむ、私も一定以上のレベルの女子に関してはもう完璧に把握したぞ。名前と顔は勿論、趣味、得意科目、etc……」
「何便乗して語ってるんだよ!? 俺のクラスに慣れたとお前のその女子把握しました全然違うから!!」
「折角お前の為によかれと思ってやったんだが。主であるお前には無料で情報を提供してやろう」
「誰も頼んでねえええ!!」
 早朝からワンドであるクライスと揉める俺。俺のワンドは紳士な女性好きなので綺麗な女子には目が無いのには流石にもう慣れた。――というか名前と顔はともかく趣味や得意科目まで把握って、一体いつどうやってだ。お前俺のワンドだろ。
「ああ、そうか。――春姫の居る所では聞き辛いな。気が回らなくてすまん」
「雄真くん……?」
 そのクライスの発言を耳にした春姫が、不審そうな顔で俺を――って待て!
「そういう意味じゃねえ!! というかお前わざと春姫が聞こえるのわかってての発言だろ今! 春姫、違うんだ、俺は何もクライスの情報が欲しいわけじゃないぞ!」
「そんな雄真くんには、私の極秘情報を特別に教えてあげる! 何が知りたい? どうしても、っていうならキス一回位で下着の色も教えてあげてもいいよ?」
「お前は黙っていなさい姫瑠(ひめる)!」
 そんな日常茶飯事のやり取りをしながら、俺こと小日向雄真は、自分の席につく。――日常茶飯事なので慣れたと言えば慣れたのだが、疲れないわけではないので、出来れば勘弁して欲しい所だったりもするのだが。
 ――三年生になり、クラス替えになり、俺の親しい仲間達は流石に全員一緒になることはなかった。俺と一緒のクラスになったのは春姫と一ヶ月前、騒動の末に俺達の仲間になり、日本に残り一緒に進級した姫瑠のみ。杏璃は隣のクラス、信哉と上条さんは更にその隣のクラスとなった。――まあ、別々のクラスになったとはいえ、放課後や昼休み等で結局つるんでいる、相変わらず気のいい仲間達だったりはするのだが。
「はーい、ホームルーム始めまーす。後十秒以内に席に着かないと遅刻だから」
 と、席に着いて喋っていると、チャイムの直後に教室に入ってくるのは担任の成梓(なるし)先生。学園魔法科では母さん――御薙先生と肩を並べる人気美人先生で、始業式で成梓先生が担任だと発表されたウチのクラスは狂喜乱舞し、他のクラスの連中にはかなり妬まれたのは記憶に新しい。俺個人としては去年も副担任で繋がりがあったし、それに姫瑠のことで手を貸してもらったりでも関わりがあった先生なので、そういう意味でもとても信頼出来る先生だと思う。
「さて。――みんな、もう直ぐ瑞穂坂で全国の魔法科のある学園対抗のMAGICIAN'S MATCHってのがあるのは耳にしたかな?」
 それはここ最近の話。ここ瑞穂坂を中心に、魔法、魔法使い、更に細かく限定すると俺達学生に関する大きなイベントがある、というのは噂になっていた。俺は細かいことまでは把握していなかったが、周囲の様子からするに、知っている人間はその「MAGICIAN'S MATCH」というタイトルも知っていたみたいだ。
「色々学園側で協議を重ねた結果、ついにウチの学園の選抜メンバーが決定しました。今から配るプリントにその選抜メンバーが記載されてるから、そこに名前が載っている人は、放課後多目的教室に集合すること。ああ、細かいイベントの内容に関しては選抜メンバーの人には今日、それ以外のみんなにも近日中に発表になるから。――それじゃ、配ります」
 わっ、と一気に教室がざわめく。学園側が協議の結果選んだ、ウチの学園の魔法使いの選抜メンバー。当然皆気になるに決まっており、雰囲気はまさに一喜一憂だ。
 それは当然俺も論外ではない。プリントが前から回って来る。――さてどんなメンバーだろうか。まあ俺以外の俺の仲間達は選ばれて当然だろう。学園内でもトップクラスの奴らだからな……
「!? ゆ、雄真くん、これ……!?」
 と、列の違いで一足早くプリントを見ていた春姫が、一気に動揺し出す。――珍しい。
「どした? まさか春姫がメンバーから外れてるってことはないだろ」
「そうだよ春姫、そんなに驚くようなメンバーでも――」
 やはり列の違いから、俺はプリントを受け取りつつ、更にその横の姫瑠は前からのプリントを待ちつつ、動揺している春姫にツッコミ。――さて一体何に春姫は動揺しているのかな、と思いプリントを見てみると、書かれている選抜メンバーの一番上の行には。
「何々……総大将、普通科三年、高溝八輔……」
 …………。
「えっと……総大将、普通科三年、高溝……八輔……?」
 …………。
「えええええええええ!?」「えええええええええ!?」「えええええええええ!?」


 俺、春姫、姫瑠のほぼ同時の驚きの叫び。
 それこそが、瑞穂坂に、俺達に再び巡って来た、笑いと涙の物語の、新たなる始まりでもあったのだった。



ハチと小日向雄真魔術師団
〜"Workret" presents the after story of "Happiness!" 4th〜



「――!! ゆ、雄真くん、それに、一番下……」
「一番下……応援団長、魔法科三年、小日向雄真……」
 …………。
「はいいいいい!? おうえんだんちょお!?」
 ――その時の俺のその叫びは、後に客観的に聞いた話では、エコーが効いていたとかいなかったとか。


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