「それじゃ、間もなくの朝礼の時にみんなには紹介しますから、少しここで待っていて貰えますか?」
「わかりました、構いませんよ」
 俺が愛想よくそう答えると、女は一旦奥へ消えて行った。
 ――俺の名前は脇坂康博(わきさか やすひろ)。年齢は二十六。職業はフリーの魔法使いだ。
 今日俺は、瑞穂坂学園内にある人気ファミリーレストラン、「Oasis」の調査活動に来ていた。クライアントはとある駅前ファミリーレストランのオーナー。ここ最近、このOasisという店は驚異的な人気、売上を見せており、こちらの営業が脅かされている。なので内部の調査、そして可能ならば証拠の残らない営業妨害を……という依頼を受けたのだ。――勿論俺はスパイです、と言ってここに今日来ているわけではない。表向きはフリーのジャーナリストという設定で、最近人気のこの店の取材を、という事で来ているのだ。
 自分で言うのもあれだが、俺はイケメンだ。元々の素質もそうだが、普段から手入れは欠かさない。自分のボディラインをキープする為の努力、金の投資は惜しまない。そのイケメンの容姿と愛想の良さで相手を油断させ、俺は数々のスパイ活動を成功させて来た。当然、今日も成功させるさ。
「は〜い、それじゃ朝礼するから、集合〜」
 開店三十分前。その一声で、ホールにスタッフが集まり出す。
「ほらほら、店長の集合命令なんだから、早足で動く動く」
「もう香澄ちゃん、まだわたしは店長じゃないんだから〜」
「九月から店長になるんだし、実質もう店長みたいなもんだって」
 責任者として俺の応対をしたこの女――確か名前は小日向音羽といったか――見た目が若く年齢は不詳だが、二児の母親、つまり主婦であるという。ほんわかとした雰囲気、人柄は良さそうだが、あまり店長だのチーフだのに向いているとは思えない。そんな女が次期店長の店か。これは工作活動もチョロいぜ。
「は〜い、皆さん、おはようございます」
「おはようございまーす」
「今日は、以前にお話した通り、なんとウチのお店に、密着取材が来ています! いつも頑張ってるけど、でもいつも以上に頑張るつもりで、素敵な記事を書いて貰えるようにしましょう!」
「はーい!」
「それじゃ脇坂さん、簡単に自己紹介、お願いします」
「はい」
 促され、俺は軽く一歩前に出て、全員の顔を見ながら挨拶を始める。
「初めまして、脇坂康博と言います。今日はこの素敵なお店、そしてその素敵なお店を作り上げている皆さんを、精一杯取材させて頂きたいと思っています。必ず良い記事を書く事を約束しますので、皆さん、今日一日宜しくお願いします」
 軽くお辞儀をすると、拍手で迎えられる。同時に、何人かの女がキラキラした目で俺を見ているのがわかった。――俺はイケメンだ。そうやって俺の容姿に釘付けにすることで油断させる為に磨いた美貌だからな。精々虜になってくれよ。
「連絡事項は以上かな。それじゃ、皆さんから何か今日の事についてありますか?」
「はーい」
「はい香澄ちゃん」
 手を挙げたのは、先程次期店長の女を軽くからかい、スタッフの早期集合を促したコックの女だった。女は名前を呼ばれると、チラリ、と俺の方を見る。――そして。
「で、さ。――こいつ、何処のスパイ?」
 …………。
「…………」
「…………」
 えええええええええ。



とあるファミレスの有り触れた一日
〜"You and me, and our song" Episode 6〜


「や……やだなあ、いきなり何を言ってくるんですか、冗談きついですよ!」
 はっはっは、と俺は急いで笑って誤魔化す。――あまりにも唐突過ぎてちょっと間が開いてしまったが、これで上手く誤魔化せれば。
「…………」
 だがコックの女は無言で俺を見る。目が合う。――何だろう。この女は「ヤバイ」。まともに相手にしちゃいけないタイプの女だ。ここを切り抜けなければマズイ!
「あんたからさあ、その手の職種の匂いがするんだよねえ。あたしも昔そっち側だったから直ぐわかる」
「その手の職種、って、自分はフリーライターで」
「あーもう仕方ない。昔の名前出すのは好きじゃないんだけど、時間もないし店の為だ」
 ふぅ、とコックの女はため息を一つつくと、あらためて俺を真っ直ぐ見る。
「氷炎のナナセって名前、聞き覚えあるだろ?」
「氷炎のナナセ……って、ええええええ!?」
 氷炎のナナセっていったら一匹狼の女魔法使いで、桁外れの実力でどんなヤバイ仕事も平然とこなすっていう業界じゃ知らない人間はいないあの氷炎のナナセか!? 確かに今年の頭頃からバッタリその名前は聞かなくなって色々な噂が流れたが――
「はい驚いたー、はいその驚き方の時点であんたただのライターじゃないの決定ー」
「――あ!?」
 しまった、つい予想外の名前に! やっちまった!――周囲の空気も一気に不穏な物に変わる。皆が俺を不審な目で――
「へー、そういうのって結構本当にあるんだ。――スパイグッツとか持ってないかな? 本部と通信するとか、ああこの顔は実はマスクで破ると中に本当の顔が! フハハハよくぞ見破った的な!」
 ……一部、というより何故だかパティシエールの女がライターって紹介した時よりも逆に興味津々になってたりするが。何この女。状況わかってるのか……ってそうじゃない!
「音羽さん、どうします? あたしと香澄さん二人でボッコボコにして放り出します?」
 一人、何故か制服ではなく魔法服を着ている若い女が、俺を睨みながらそう提案し出した。
「あー、やりたかったら杏璃一人でやっていいよ。こいつは諜報とかそういうのに特化してて戦闘はそんなに上手くないと思うから、杏璃一人でおつりが来る」
 げ、氷炎のナナセじゃなくてこいつも強いのかよ!? 何とか、何とかしないと……!
「おお、属に言うフルボッコってやつ? ああでも杏璃ちゃん一人だとソロボッコ? それとも一人でもフルボッコって言うのかな? スパイさん知ってます?」
「知るかよ!?」
「――もしかして、フルボッコ慣れしてない?」
「何だフルボッコ慣れって!? そんなキャラじゃない!!」
 というかだからこのパティシエールがどんなキャラだよ!! どんだけ緊張感ないんだよ!!
「もう、杏璃ちゃんも香澄ちゃんも先走らないの。暴力で解決とか駄目よ」
 次期店長が困り顔で間に入って来る。
「んじゃどうする? 時間も無いしさっさと決めないと」
「うーん……」
 そのまま数秒悩む次期店長。そして、悩んだ結果出てきた答えは、俺の予測を大幅に外れた物だった。
「――うん、決めた! 今日一日、このまま取材して貰いましょう!」


「…………」
 開店二十五分前。俺は何となく、最終準備中のフロアの様子を眺めていた。
 まさかとは思ったが、本当にあの店長の一言で、俺の取材続行が決定してしまった。氷炎のナナセはいるし、フロアにはあの唯一魔法服の子もいるし、もう余計な工作は出来ないので、俺個人としてはもういる意味はあまりなかったりするのだが。しかも俺スパイってばれてるのに手の内なんて見せないだろうよ。なのにいていいとか。読めない。目的が読めない。
「音羽さんの決定、疑問が拭えない……そんな感じですか?」
「あ……」
「こんにちは。フロア担当で、剣崎織枝(けんざき おりえ)といいます」
 準備をしていたフロアにいた内の一人が、そう俺に話しかけて来た。
「このお店は、「そういう」空気を持ったお店なんです」
「そういう……空気?」
「はい。現に、音羽さんの決定に、反対する人、いなかったでしょう?」
「……それは」
 確かに、あの決定に反対意見を出す人間がいない光景は、異様と言えば異様だった。俺も正直フルボッコされる覚悟をしたのに、皆が「じゃあそれでいいか」みたいな感じで普通に仕事を始めたのだ。
「ですから、思い切って、取材を続けてみて下さい。私達のお店の良い所、きっと沢山見つけられると思いますから」
 ふわり、と柔らかい笑顔で俺に優しく女は伝えてくる。――あらためて女の顔を見る。年齢は三十前後だろうか。結構な美人だ。
(……よし)
 そうだ、取材は自由にしていいと言われたんだ。これは絶好のチャンスじゃないか。この状況を利用すれば、まだ俺にもチャンスはある!
 そうだな、まずは手始めにこの女を落とそう。俺にこうして優しくしてくるということは、少なくとも俺にそこまで嫌悪感を持っているわけではない。ここからの俺次第では十分俺の物になる。
「何て言うか……ありがとうございます。あなたみたいな綺麗な人に出会えて、こうやって優しくして貰えただけでも、今日ここに来て良かったって思いますよ」
「まあ、お上手なんですね」
「お世辞じゃありませんよ。もう正体ばれた以上、お世辞を言う必要もありませんしね」
 油断しきった表情を俺は見せて、更なる油断を誘う。実際、この女の容姿に関してはお世辞ではない。上手く物に出来れば、それはそれで実際に得だ。チャンスはある。――ウィーン。
「……ん?」
 と、自動ドアが開く音が。まだ開店前なのに、一人の男がズカズカと店の中に。――チャンスだ。
「まだ随分とマナー知らずな奴ですね、開店前に。――俺、何とかしてきますよ」
「あっ――」
 俺は立ち上がり、男の所へ。ここで格好良くスマートに追い払う事が出来たらこの女だけではなく、他の人間からの信頼も多少向上するだろう。――俺の腕の見せ所だ。
「おいあんた、そこで何してるんだ」
「――あ?」
 俺の呼びかけに、男の足が止まる。
「まだ開店前だろう。そんな事もわからないのか?」
「何だ、お前?」
 俺と男の目が合う。まあいかにも、って感じの無愛想な男だ。
「あのなあ、俺は……ってあれ? テメエ、どっかで見た事あんな」
「何言ってるんだ、俺はあんたみたいなマナー知らずの顔なんて……ん?」
 言われてもう一度顔を見てみると、そういえば確かに何処かで……? あれ、この顔は――
「――あ、思い出した。テメエ確か、赤木(あかぎ)ん所の三下だろ」
「え? 俺が赤木さんの所にいた頃を知ってる……?」
 フリーになる前だから、結構前……まだ俺が駆けだしの頃……
「ってげえっ!! あんた剣崎、剣崎拓郎!?」
 思い出した! 剣崎拓郎、業界では名の通ったフリーの魔法使いで、一匹狼ながら実力は超一流、気に食わない相手だったら例えそれが誰だろうと何人だろうと張り倒して進む負け知らずの一部では伝説の男! 俺がまだ赤木さんっていう人の下で働いてた頃、思いっきり衝突して、こいつ一人に俺達十五人でボロ負けしたのは今でもトラウマだ! 随分前に引退して姿を消していたはずなのに何故こんな所に!?
「な、な、何でこんな所に!?」
「何でって、自分の嫁に忘れ物届けに来たんだよ。――おい」
「あなた。――わざわざごめんなさい、届けて貰って」
「いいよ、どうせ学園に来る用事があった。――ったく、弁当作ったんなら直ぐに鞄に入れろよ」
 そう剣崎に呼ばれて弁当を受け取っているのは、さっき俺と話していた美人のウェイトレス――
「ってええええ!? 嫁って、ちょ、剣崎の奥さん!?」
 そういえば自己紹介の時、苗字が剣崎だったけど、そんな所まで予測出来ないっての!?
「織枝、こいつお前の知り合いか?」
「ううん、何でも今日、Oasisにスパイに来たんですって」
 うおおおいいい紹介がストレート過ぎるわ!! どんな紹介だよ!? いや間違っちゃいないけど!!
「あ、紹介します、スパイさん。私の主人です。主人は、学園で教師をしているんです」
「教師ぃ!?」
 剣崎拓郎が教師!? 何なんだよここ!? 氷炎のナナセはコックでいるし!!
「あん? 俺が教師じゃ悪いか? 何か気に入らねえか?」
「い、いえっ、そういうわけでは――」
「あなた、勘違いしないで、この人スパイだけどいい人よ。さっきも、私の事凄い綺麗な人です、って誉めてくれたの!」
「挙句の果てには人の嫁をナンパか。――骨の二、三本でもいっとくか?」
「いやいやいやいやちょっ待って待った!?」
 目が、目がマジだ! 俺のトラウマが蘇るよ!?
「駄目よ、あなた! 骨の二、三本なんて!――この人、確かフルボッコが好きみたいだから、そういうのにしてあげないと」
「壮絶なる勘違いここでー!?」
「テメエ、挙句の果てに人の嫁が軽い天然なのを知ってておちょくったのか」
「今です今ああああ知ったの今ー!!」


「はあっ、はあっ、死ぬかと思った……」
 命からがら俺はフロアから脱出。まさかあんな所であんな遭遇があるとは。――速攻正体がばれる辺り、今日はついていないのかもしれない。
 そのまま俺は厨房の見学に行く事にした。――時刻は開店の時刻を迎えていた。コックのスタッフが既に調理を開始している。
(にしても……氷炎のナナセが、こんな所でね……)
 当たり前だが、彼女も普通に調理の作業をしていた。
「あんたが何考えてるんだか、当ててあげようか」
「――あ」
 どうやら俺が見ていた事に気付いていたらしい。こちらを見ることなく氷炎のナナセが口を開いた。
「あれだけ名前を轟かせて実力もあって金も稼いでたのに、どうして姿消して、どうしてこんなファミレスなんかで働いてるんだこの女、何かマズイ事でもしたんじゃないか?――そんなとこだろ」
「……まあ」
 大よそは合っていた。――俺の返事を確認すると、氷炎のナナセは軽く笑う。
「まあ、先に断っておくけど、マズイ事は結構してきたさ。あんたなんかよりも恐らくずっとね。でも魔法使いとして動かなくなったのはそれで危険を察したからじゃない。こっちの方が楽しそうだったからさ」
「このファミレスで、コックとして働く事の方が……?」
「ああ。ただ、それだけの事さ」
 清々しい顔で語るが――俺にはわからない。こちらの方が、楽しい……?
「――香澄さんって、素敵な方ですよね」
 と、まるで俺の疑問に答えるかの様に、俺の横に一人の男が立ち、そう話しかけてきた。年齢は俺よりも二、三個位下になるだろうか。
「俺、小さい頃から料理人になりたくて、イタリアに留学して修行して来たんですけど、自分なりの味っていうか、料理の答えっていうか、そういうのが見出せなくて、途方に暮れてたんです。――そんな時、この店の料理に出会ったんです」

『はぁ……』
 男――名前を角多透(すみた とおる)といった――は、失意のままにその席に座っていた。
 料理人になることが、彼の昔からの夢だった。その為に努力し、その為にイタリアに単身留学し、色々な物を学んで帰国した。――だが、何かが足りない。自分だけの、自分だからこその何かが。それが見つからなければ、いつまでたってもこの先に進めない。
 このまま、ずっと見つからないままなのだろうか。自分の今までの努力は一体何だったのだろうか。――ネガティブな考えばかりが過ぎっていた、その時だった。――コトン。
『……え?』
 見れば、目の前に一皿のチャーハン。そしてそれを置いたのは一人の女コック――香澄だった。
『悪いけど、それ食べたら帰って貰えるかい? もう閉店だからさ』
『あ……』
 そう、透が無意識に足を運んでいたのはOasis。回りを見れば客は自分一人。――しまった、という想いで一杯になる。
『あ、その……すいませんでした』
 実際にいい迷惑だったに違いない。素直に謝ると、香澄は軽く笑う。
『ま、いいよ別に。人間悩み事の一つや二つあって当たり前だしねえ。――あ、でも悩みながら、とかため息つきながら、とかしながらあたしのチャーハン食べるのは止めておくれよ。あたしのチャーハンはそんな雰囲気の時に食べるもんじゃないから』
『ご自分の料理に、自信があるんですね。――羨ましい』
『まあね。――って、羨ましい?』
 透は気付けば、手短に今の状況を香澄に話してしまっていた。
『だから、そうやって自信を持って料理を作れる方が、羨ましくて』
『ふぅん。まあ、悩みは人それぞれだけど……あたしに言わせたら、そんな風に悩んでたら一生自分の味になんて出会えないと思うけどね』
『どういう、意味ですか……?』
『目的も無しに自分の味を追い求めたって辿り着かないってことさ。何が目的で料理をするのか。その料理で何がしたいのか。自分の味なんて、その結果おまけでついてくるようなもんだってあたしは思ってる。少なくとも、あたしのチャーハンはそうやって出来たからさ』
『この……チャーハンが……』
 透は、ゆっくりとチャーハンをレンゲですくい、口に運んだ。そして――

「――そして、その時のチャーハンの美味しさが、味が頭を突き抜けて、記憶から離れなくなったんです。このチャーハンを作る人の近くで、もう一度料理を見つめ直したい。この人と一緒に働きたい。――そう思って、俺はこの店に就職したんです。――まあ、勝手に弟子入りしてるだけで、香澄さんは俺が弟子だなんて認めてくれませんけどね」
 ははは、と笑いながら男は語る。――イタリアに留学までしてるのに、ファミレスに就職か。自分の味もくそもない、腕があればもっといい所で働けるだろうに。俺にはわからない。
「透、喋ってないで手を動かしな!」
「あ、はい!」
 と、氷炎のナナセの叱咤に男が動きだす。――チラリ、と氷炎のナナセが俺を見た。
「そうだ。透、今日はゲストもいる事だし、ちょっとだけあたしの料理のヒント、教えてあげるよ」
「えっ……本当ですか!?」
「ああ。――そこのスパイ、ほれ」
「え?――っと」
 パシッ。――氷炎のナナセから投げられたのは、一口大のおにぎりだった。「食べてみ?」といった感じで氷炎のナナセが俺を見る。良くわからないが、素直に口に運んでみる。
「え……? 美味い……? あれ?」
 見た目普通のおにぎり、具も特に無しのまさにただの握り飯……のはずだが、やたら美味い。何でだ? 何が違うんだこれ?
「美味いだろ」
「え? ああ、ええ」
 特殊なお米でも使ってるんだろうか……と思っていると。――パシッ。
「?」
「さっきのを踏まえた上で、それ食べてみ」
 また渡されたのは、おにぎり。見た目はさっきと何も変わらない。――やはり素直に食べる事にする。
「っ!?」
 と、一口噛むと同時に衝撃。
「な……何だこれ!? 滅茶苦茶美味い!!」
 見た目は勿論、中身もさっきと同じ具も特になしのまさにただの握り飯。さっきのも何故か美味かったが、今回はそのさっきのを遥かに超えて美味い。とてもただのおにぎりとは思えない。――氷炎のナナセが、してやったり、といった顔になる。
「美味かっただろ。さっきのよりも、断然」
「た、確かに……!! でもどうして!? 作り方もまるで同じだったはず!?」
 握る所も見ていたが、普通に握っているだけだった。なのに何故こんなに違いが出る!? このおにぎりならおかず無しで何個でもいけそうだ。
「この謎が解けるようなら、あたしの料理のコツも掴めるよ。――透?」
「いや……近くで見てましたけど、相変わらず分からないです……」
 隣で見ていたイタリア修行帰りすら何もわからないか。俺がわかるわけないな、それだと。しかし……氷炎のナナセ、か……ますますわからなくなった。何者なんだ、こいつは。
「じゃあ、今日は特別にもう一度だけレクチャーしてあげるよ。――ほれ」
 パシッ。
「!?」
 再びおにぎりが俺の手元に渡される。三個目。
「――って、まさか」
 まさか、更にさっきのより美味くなってるとでも言うのか? あれだけ美味かった、今まで食べた事のなかった位美味いおにぎりを、更に越えたおにぎりがここに?
 氷炎のナナセの表情をチラリと確認すると、挑発的な目で俺を見ている。食べられる物なら食べてみな、とでも言いたげな。――食べたらどうなってしまうんだろう。もしもさっきのよりも更に美味しかったらもう二度と他のおにぎりは食べられなくなるかもしれない。でもそこまで美味しいおにぎり、食べてみたい……!
「くっ!」
 結局俺は欲望に負けた。おにぎりを口に運ぶ。一口だ。ゆっくりと噛む。そして瞬時に口の中に広がる、圧倒的な刺激! そう、これは辛子……! 大量の辛子だ!
「……え?」
 大量の……辛子……
「って辛えええええ!! 辛い辛い辛い!! がっ、げっ、水、水ぅぅぅ!!」
 今度のおにぎりは具が入っていた。大量の練り辛子だ。
「透、覚えておきな。まず人間、期待なんてするとロクな事にならない。それから、料理一つで人の気持ちの上げ下げをやろうと思えば自由にコントロール出来る。以上今日のレクチャーお終い」
「勉強になります!」
「水っ、水っ、そんな事より水っ!」
「ああそうそう、料理とは別に、ボケる時もこうしてオチというのが大切」
「勉強になります!」
「ぐわああああああ!!」
「更に付け加えるなら、あの叫びはリアリティに欠ける。もっとこう、心の底からあんたも叫んでみ?」
「叫んどるわいいいい!!」

 
「♪〜♪〜」
 聞こえる鼻歌。俺は厨房――とは言っても氷炎のナナセ達がいた場所とは違い、あのパティシエールがいる所に来ていた。あのパティシエールが一人、鼻歌混じりに作業をしている。
「♪〜……おっ、スパイさん、いらっしゃい。ごめんね、この部屋天井裏から侵入出来なくて」
「だから俺はそういうのじゃない!」
 何処まで本気なんだろうか。俺に挨拶、俺へのからかいを入れつつ、作業を止める事無く動いている。――にしても、ファミレスにパティシエール、か。
 普通、ファミレスにパティシエールなんてものは存在しない。完成品をある程度の数仕入れるか、完成していないにしても誰でも作れる位の工程を残した材料が来てそれを組み合わせて終わり、というのが当たり前だ。しかしこのファミレスはこのパティエールがいる。専用の厨房付きで。――わからん。
「スパイさん、もしかして私の腕、疑ってません?」
「あ、いや」
「よかったら、そこに置いてあるの食べてどうぞー。形崩れちゃったのだから、お店には出せないから」
 促された先には、一個のショートケーキが。見た目にはわからないが、細部が駄目なんだろうか。まあいい、お言葉に甘えて――
「……辛子とか入ってない?」
「……は? スパイさんそういうのが好みですか? もしかして世の中のイケメンの八割は辛子プレイがお好き?」
「いや、何でもない。――頂きます」
 ――お言葉に甘えて、食べる事に。というか辛子プレイって何だ。まあいいが。
「って……うわ、こいつは」
 美味い。ファミレスのケーキなんてレベルじゃない。更に言うと普通のケーキ屋のケーキのレベルすら遥かに超えている。俺もケーキに詳しいわけじゃないが、それでもわかる、段違いの美味さ。このケーキを、このふざけた女が?
「お口に召したみたいですね。ま、私もそれが仕事だから、簡単に否定されるわけにもいかないんだけど」
「驚いた……君、何でこんな所に。もっとちゃんとした店で働こうとか思わないのか?」
「うーん……私のケーキ作りの歴史、結構短いんですよ」
 作業を止めることなく、女は語り出す。
「ケーキ作り始める前は無趣味で、将来何すればいいんだろう、って悩んでた時に、ケーキでも作ってみたら? って勧めてくれた人がいて。で、何となく始めたら、上手い具合に嵌っちゃって」
「嵌っちゃって、って……ああでも、だからそれだけ嵌るなら、本格的な店でも」
「独学なんですよ、ほとんど。ちゃんとした店って、修行に行きましたー、とかその手の学校出ましたー、とか必要じゃない? そういうのなかったし、そもそもその為に始めたわけじゃなかったから。そういうので有名になりたいわけじゃなかったっていうか、興味ないっていうか? で、何となく作ってて楽しかった頃、私にケーキ作りを勧めてくれた人が、ここと音羽さんを紹介してくれて、ここで働いてみたら? ってことになって、今に至ります」
「へえ……」
 独学でこのレベル、か。天性の物なんだろうか。天才は案外有名にならないだけで埋もれている物なのかもしれない。
「最近は時折スカウトさんみたいな人がウチの店に、って来るけど、全部お断りしてる。さっきも言ったけど興味無いし、何よりこの店、雰囲気、スタッフ、全部ひっくるめてお気に入りなんだ」
「お気に入り、ねえ」
「うん。だからさ、まあ香澄さんの目を盗んでスパイ工作なんて出来る人まずいないと思うけど、それでも本気でウチの店に何かして、ピンチに追い込んで来たりしたら――」
 そこまで言って、ふっと作業の手を止める。作業しながらだったので当然作業台に向いていた視線が、ゆっくりと俺へと向けられる。そして――
「――殺すよ?」
「っ!?」
 そして、その言葉が発せられた瞬間、俺の全身が、得体の知れない重圧で凍りついた。――朝、氷炎のナナセに見られた時の威圧も相当の鋭さだったが、それとはまた違う。説明がし辛いが……「本物の」殺意。その目は、先程のおちゃらけていた時と同じ目で、でもまったく違う恐ろしい目で、俺を見ていた。
 このままこの目に見られていたら、本当に死んでしまう。体中に汗をかく。頭の中がおかしくなりそうになる。もう駄目だ――そう思った時。
「なんて、ね」
「っ……!?」
 その一言と共に、その殺意が消え、俺も重圧から解放された。助かった? 何て言えばいいんだ? と、それよりも、
「何者……何者、なんだ、お前……!?」
 という根本的な疑問を、俺はぶつけずにはいられなかった。
「瑞穂坂学園内ファミリーレストランOasis所属パティシエール、沖永舞依。それ以外の何者でもないですけど」
「それ以外の何者でもない、って、でも今のは――!」
「それ以上の認識はしなくていいんですって。スパイさんみたいな人に知られちゃうと、本当に殺さなきゃいけなくなるし」
 見れば、また何食わぬ顔で普通に作業をしながら、サラリとそんな事を言ってくる。先程の殺意など嘘のようだ。
 でも、言っている事は本当だろう。下手な詮索は俺の命に関わる。あの威圧は、殺意は、俺にそれを示すには十分な物だった。
「まとめに入りますね。ま、つまり私はその位、ここの事が好きって事。自分の好きな事やれて、仲間に囲まれて、言う事ないから。忙しくてケーキが恋人になっちゃってるのは少々残念ですけど、贅沢な悩みかもですね」
 あははは、と笑いながら女は言う。――ここの事が好き、か。
「舞依ちゃん、ケーキの特注のお客様が見えてるんだけど、いいかしら?」
「アイアイサー、只今!」
 と、表で剣崎拓郎の奥さんがパティシエールの女を呼ぶ。
「じゃスパイさん、一旦外しますねー」
 そして俺に笑顔でそう言い残し、ホールへ出ていく。剣崎の奥さんが促す先には、老夫婦が。
「お待たせ致しました。ケーキの特注のお客様で宜しいでしょうか?」
「ええ。一週間後の孫の誕生日に贈りたいの。こちらのケーキ、とても美味しいってお話を耳にしまして」
「ありがとうございます。具体的な希望等をお伺いしても宜しいでしょうか? ご希望に合わせた上で、お孫さんがお喜びになるケーキを作る事、必ずお約束致しますので」
 穏やかな老夫婦に、優しい笑顔で応対するパティシエールの女。その姿は、自分の仕事に誇りを持ち、それを愛してくれる客に何よりも応えたいとする、一人の一流の料理人の姿だった。


「は〜い、今日も皆さん、お疲れ様でした〜!」
 やがて閉店の時間を迎えた。――学園内のファミレスだからだろう。他の一般的なファミレスと違い、閉店の時間は早い。なので、俺も何となくだが、最後まで残ってしまっていた。
 店は片付けに入っていた。ある程度シフトがあるようで、全員で片付けるわけではなく、決められた人数のみでの片付けで、そうでない人間は帰宅準備の為か、ロッカールームへと入っていく。
「取材してみて、いかがでしたか?」
「あ……」
 何となくそこに立ち続けていた俺に、次期店長の女が声をかけてきた。
「何て言うか……色々な意味で、凄い店だな、と。大したもんですよ。俺がどうこう出来るレベルじゃない」
「ふふっ、ありがとうございます。そう言って貰えて良かった」
 笑顔でそう言ってくる次期店長。――次期店長。あらためて考えるが、この女がこの特殊な店のトップ。
「……能ある鷹は何とやら、か」
「はい?」
「こういう店ってのは、基本ですがやっぱりトップが大切なんですよ。どれだけ才能溢れるスタッフがいても、それを使いこなせる人間がいなけりゃ何の意味もない。何だかんだで、あなたが優秀だからこの店はこのレベルになっている。その笑顔の裏に、その才能があると思うと恐ろしくなる」
「もう〜、わたしはそんなに凄い事はしてませんよ〜。ただ、お店の皆を信じてるだけですよ」
「お店の皆を……信じる?」
「はい。大切な、仲間ですから」

『このお店は、「そういう」空気を持ったお店なんです』
『そういう……空気?』
『はい。現に、音羽さんの決定に、反対する人、いなかったでしょう?』

『まあ、先に断っておくけど、マズイ事は結構してきたさ。あんたなんかよりも恐らくずっとね。でも魔法使いとして動かなくなったのはそれで危険を察したからじゃない。こっちの方が楽しそうだったからさ』
『このファミレスで、コックとして働く事の方が……?』
『ああ。ただ、それだけの事さ』

『まとめに入りますね。ま、つまり私はその位、ここの事が好きって事。自分の好きな事やれて、仲間に囲まれて、言う事ないから。忙しくてケーキが恋人になっちゃってるのは少々残念ですけど、贅沢な悩みかもですね』

「くっ……ははっ、あははは」
 つい俺は笑ってしまった。――でも、俺が笑ったのは、
「ああ、すいません。馬鹿にしたんじゃないんです。――結局、あなたが一番凄い事に変わりないじゃないか、と」
「え?」
 疑問顔の次期店長。――本当にわかってないんだろうな、この人は。
「いや、別にいいです。――それじゃ、俺はこれで。……これで、失礼していいですか? 一応スパイだったんで、何か処置を施したければ」
「いいえ、何かされたわけじゃないですから。――今度は、ぜひ普通にお客様として、来店して下さいね」
「そうさせて貰いますよ」
 俺は素直に頭を下げると、Oasisを後にした。
「――さて、と」
 敷地の外に出ると、俺は直ぐに携帯電話を取り出し、とある所にコールする。
「ああどうも、脇坂です。――先日お受けしたご依頼の件なんですが、キャンセルさせて頂けますか。ええ、はい。――ご依頼料と謝罪料はちゃんとお支払い致しますので。申し訳ありません。それから、あの店に勝ちたかったら、俺みたいなスパイどうこうじゃなくて、自分の店のスタッフをもっと信じてあげるといいと思いますよ。――俺からはそれだけです。それじゃ」
 ピッ。――戸惑う向こう側を無視して、俺は通話を終えた。
「仲間、ねえ。――俺、一人で活動するようになってどん位経ったっけか。……偶には赤木さんの所、顔出してみっかな」
 そんな独り言を呟きながら、俺は帰路に着くのだった。


さて皆さんこんにちは。筆者のワークレットです。

アフターショート第六弾。ショートストーリーということで、とあるOasisの一日を書いてみました。
ギャグとか主人公である雄真を中心としたメインキャラはほぼゼロですが、単発ならこういう話もあってもいいんじゃないかな、と。
以下補足説明。

・小日向音羽
キャラクターは既存キャラですが、オリジナルで今年の九月から店長になるという設定です。
あんだけやりたい放題なのにチーフ(二番手)なのもいい加減どうよ、と。
ちなみにやはりオリジナル設定で、彼女がチーフになったのは過去編の頭位で、ということにしてあります。

・剣崎拓郎・織枝
本編Story4でちょい役で登場してきた剣崎先生とその奥さん。
二人の出会いから結婚までのエピソードもやはり過去編の中のお話。
今回、剣崎先生が過去フリーの魔法使いである事が明かされてますが、その辺り云々も過去編ですね。
書く予定のない過去編ばかりで実に申し訳ない(滝汗)。

・角多透
コック。自称香澄の弟子。
今回ちょい役で登場しましたが、今後書く予定はあるようなないような。
書いてあげられればいいですねえ(他人事ですか)。

・沖永舞依
登場済みキャラですが、こういう「殺意」とかを見せるのは初じゃないでしょうか。
この人は今後どう転がっていくのか。こうご期待かも?(笑)

では感想をお待ちしております。



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