「ふぅ……」
 早朝、見慣れたマンションの周りの道でのジョギング。いつものルートを走り終え、ゴールに決めているマンションのロビー。そこまで来たら後はゆっくり歩いて、三階の自分の部屋へ。ドアを開け、軽くシャワーを浴びて、朝食の準備。食パンをトースターに入れ、同時にフライパンに卵を落とす。冷蔵庫から昨日の内に作っておいたサラダを取り出して、ドレッシングをかける。
 俺――土倉恰来の、いつもと同じ朝の行動。精々それなりに朝食のメニューが変化する位だ。平日ならこの後身支度を整え学園へ、休日ならもう少しのんびりと。――今日は平日なので制服に着替え、支度を済ませ家を出る。
 MAGICIAN'S MATCHを通じて色々あったが、俺の毎日がそこまで大きく変わるわけじゃない。学園が大好きになったわけでもない。同級生、クラスメートの俺を見る目が変わったわけじゃない。
 でも――それでも、確実に変わった部分はある。
「それでね、そのまま見てたらさー。――あっ、お早う、土倉くん」
「お早うございます、土倉さん」
「お早う、真沢さん、葉汐さん」
 ほんの少しだけど、信頼し合える友人が、仲間が出来た。信じてもいいと思える人達が、出来た。――ほんの少し前の俺からしたら信じられないことだ。誰かを信じること。仲間を持つということ。
 そのほんの少しの変化は、矛盾した言い方になるが俺にはとても大きい変化だった。学園は好きじゃないが、それでも学園に行けば友人に会える。それなら学園も悪くはないかもしれない、と思うようになった。
 俺は、変わった。信頼すべき人達のおかげで。――最愛の人のおかげで。
「あ……あのっ!」
 ……そういえば、変わったことと言えば、些細なことだがもう一つ。
「お早うございます、土倉先輩っ!」
 MAGICIAN'S MATCHが終わった頃から、やたらと下級生の女子に挨拶をされるようになった。主に一年生だ。
「……ああ、お早う」
 どうしていいかわからないが一応挨拶を返すと、大体がキャーキャー言いながら興奮した様子で友人の女子辺りと駆け足で去っていく。何なんだろうか。度胸試しか何かだろうか。まあ俺だからな。
 で、まあそうやって挨拶を返すのはいいんだが、更にここからが疑問だ。
「お・は・よ・う、随分と社交的になった土倉恰来くん?」
「……お早う、随分と満面の笑みな相沢友香さん」
 大体そういう場面を目撃されると、最愛の人――友香の機嫌が、あまり良くなくなる。……何故だろう?



二人の願いが叶う時
〜"You and me, and our song" Episode 1〜



「……というわけで、お前に相談してみることにした」
 俺こと小日向雄真は友人である土倉恰来に相談がある、と言われ休み時間に話を聞いてみることにした。――したのはいいんだけど。
「……お前それ、マジで俺に相談してる?」
「ああ」
 まったくもって真顔だ。冗談の欠片もないんだろう。
「つまり要約すると、最近何故か下級生、特に一年生の女子に挨拶を中心に声をかけられることが多くなった、更にそんな場面を目撃されると相沢さんの機嫌が少々悪くなる。その理由がわからない、と」
「ああ」
 やっぱり真顔だ。――ため息が出た。
「……その様子からするに、お前は理由がわかるのか?」
「まあな……」
 というか普通わかるから。――まあ、恰来らしいと言えば恰来らしい。
「まず、下級生の女子に声をかけられる理由な。――お前、単純に下級生の女子に人気があるんだよ」
「……は?」
 恰来は何と言うか、ストレートにイケメンだ。背も高く、何処ぞのモデルかと思う程。そのイケメンの容姿は、MAGICIAN'S MATCHという学園全体を通じてのイベントで大きく広まり、特に恰来の普段をあまり知る機会がない下級生の人気を呼ぶ結果となった。相沢さんと付き合っている、という事実もまだほとんど知れ渡っていないというのもある。
「つまり、憧れの格好良い先輩に勇気を出して挨拶したら挨拶を返してくれた、キャー♪……ってわけだ」
「……ちょっと待ってくれ。……俺だぞ? 人気? 憧れ?」
「お前は少し自分がイケメンだということを理解した方がいい」
 悔しいが俺では百パーセント容姿では勝ち目がない。……いや容姿以外でも勝ち目があるかどうかは兎も角だ。
「自分の物にした女の数ならコールドゲームじゃないか雄真」
「そんなんで勝っても嬉しくないしそもそも違えよ俺の後ろ!!」
 ……兎も角だ。
「兎に角、お前が何と思っていようが、お前は下級生の女子に人気がある。それが下級生の女子に声をかけられる理由だ。――で、相沢さんの機嫌が悪くなる理由。単純にやきもちだ」
「……やきもち?」
「お前の彼女として、お前が他の女子に人気があって、声をかけられて、お前もお前で挨拶とか普通に返してるのがちょっと面白くないわけだ。今までそんなことが無かっただけに余計な」
「気をつけろよ土倉恰来。やきもちというのは放っておくと危険だ。その内他の女と喋るだけでうふふふふとか笑いだしたり好物のコロッケの具が他の女との写真だったり無駄に包丁の手入れとか始めたりするぞ。なあ雄真?」
「何でしょうクライスさんその俺は既に実体験済みですみたいな言い方」
「何でしょう雄真さんその俺はまだ未体験ですみたいな言い方」
「未体験だよ!!……最初のうふふふふ以外は」
 実際何度かあるからな。うふふふふとか。あれはマジで怖い。……まあ、何度も言うが俺のことは兎も角。
「というわけで、相沢さんのその不機嫌はやきもちからだ。わかったか?」
「…………」
「……恰来? どうした?」
「ちょっと待ってくれ。おかしくないか?」
「おかしい? 何がだよ?」
「俺は友香一筋なのに、どうしてやきもちを焼く必要があるんだ?」
 …………。
「……は?」
 一瞬の沈黙。俺は耳を疑った。……いや、待て、こいつ。
「確かにMAGICIAN'S MATCHを通して、小日向雄真魔術師団のメンバーと親しくなった。当然女子も含まれるが、俺がそういう目で見ている女子は友香一人だけだぞ? やきもちを焼く必要性が見当たらない」
「いや……だから……その」
 どう説明したらいいんだろう。っていうかこいつ凄い。色々な意味で凄い。
「よしわかった、逆の立場で考えてみよう」
「逆の……立場?」
「ああ。――想像してみろ。相沢さんがお前の知らない男子と仲睦まじくしている姿を。笑顔で挨拶とか交わしちゃったりしてな。相沢さんも笑顔で楽しそうなんだ。それをお前は少し離れた所で見ている。――どうだ? 何処か悶々としてきたりしないか?」
「いや別に」
「ほらな、全然悶々としない……しないのかよ!?」
 あっさりと返答された。悩んでもいないぞこいつ。
「友香は立場上性格上、色々な人と仲良く喋るからな。見知らぬ男子と仲良くしている姿なんて当たり前だろう」
「まあ、それはそうなんだけどさ、ほら、なんつーか」
「それに俺は友香を信じてる。だから何の不安もない」
 ……俺、絶句。凄いを通り越してる。恐るべし土倉恰来。
「……雄真? 俺、何か変なことを言ったか?」
「いや……寧ろ正し過ぎて困っている所だ」
「……は?」
「まあいい、気にするな。――もういい、任せろ。乗りかかった船だ、俺が何とかしてみせる」


「私が、やきもちを焼いてることに、微塵も気付いてない……!?」
 その次の休み時間、俺は相沢さんの所へ。やきもちの件を説明すると「べ、別にやきもちなんて」とちょっと頬を赤くして否定したが(やたらと可愛かった)、恰来が俺に相談に来た事、更にその内容を詳細に説明すると、否定所じゃなくなったようだ。
「うん。俺や相沢さんが考えている以上にあいつ、相沢さん一筋だ」
 俺がそう説明を終えると、へなへな、と崩れるようにそのまま相沢さんは一度机の上に突っ伏した。――ショックだったんだろう。色々な意味で。
「何て言ったらいいかわからないけど……自分が情けないわ、私」
「いや俺は相沢さんは悪くないと思う。普通はそうなるって……あいつが凄いんだよ」
 ふう、と気持ちを入れ直し、突っ伏しの状態から相沢さんは復活。
「恰来がそういう人だって重々わかってるつもりなんだけど……まだまだね、私……」
「まあ、こういう言い方も悪いとは思うけど仕方ないって」
 そう言って、二人で軽く笑い合った。
「余計なお世話かもしれないけどさ、もっと相沢さんがガンガンいっちゃっていいと思う、俺」
「小日向くん?」
「つまり、あいつそういうことに疎いからこういうことになっちゃってるわけじゃん。逆に言えばそういう知識がないんだから、相沢さんがこう! って言えばそう思うことになる。つまり、相沢さんの好きな色に結構染められると思う」
 やり方によっては駄目になる、ということでもあるけど、相沢さんならその心配もないだろうし。
「アドバイスありがとう。――でも、ゆっくり焦らずやっていくわ。こういうことも思い出の一つになるだろうし」
「うん。ま、それでもあいつはきっと問題ないだろうし」
 それで話は終了――と思われた、その時だった。
「相沢友香。――貴行、本当にそれで大丈夫だと思っているのか?」
「……クライス?」
 クライスだった。動かしかけていた足を俺は止め、再び会話の体制に戻る。
「確かに、貴行が奴とゆっくりと歩いて行く、という考えは間違ってはいない。私もそれを否定するつもりはない。――だが、冷静になって考えてみろ。土倉恰来を「染める」のは、何も貴行一人と限ったわけではないぞ」
「どういう……意味かしら」
「何も近しい人間というのは恋人に限ったことではないだろう。我が主だってそうだ。恐らく奴にとって雄真は男の中で一番近しい友人になるはず。――つまりだな」

 ピリリリリリ。
『あ、悪い、ちょっと電話出るな。――もしもし? おう。――明日? 明日は駄目だ。明後日の午後なら空いてるぞ? うん、それでいい。じゃ、明後日の午後二時に駅前でな、琴理』
 ピッ。
『……デートの約束か?』
『おう。明日は姫瑠とデートで、明後日の午前中は春姫とカモフラージュ。で、午後になってやっと予定が空くってわけだ』
『俺にはよくわからないが……やっぱりそうやって色々な女子とデートとかするものなのか?』
『当たり前だろ。正直俺、体一つじゃ足りないぜ。お前も相沢さんだけじゃなくてもっと色々な子と付き合ってみろって。世界広がるぜ? わっはっは』

「――いやあのクライスさん説明途中に口を挟みますが何でしょうかそのサンプルストーリー。酷すぎませんか俺の評価」
 更に言うなれば春姫はカモフラージュとか。どんだけですか。
「例えばの話だろうが例えばの。何も先週の金曜日の三時間目の後の休み時間にそんな話をしていたとは言ってないだろう」
「事実無根な話をそうやって具体的に説明して真実っぽくするんじゃない!!」
 恐ろし過ぎる。
「で、続きを話すとだな――」

 ――土倉恰来は悩んでいた。無論先日見た雄真の様子からだ。
 自分は普通とはずれている。雄真の方が断然普通のはずだ。――当然、普通に近い方が友香も喜ぶに違いない。
『あ……あのっ、土倉先輩!』
 そんなことを考えていた時だった。その声に振り返れば、そこには一年生の女子が。
『好きです! 私と付き合って下さい!』
 告白された。――どう考えても断るべきだろう。……いやだがしかし。
『……うん、俺でよければ』
 沢山彼女を作った方が他の皆からも信頼されて、友香も喜ぶのではないか――

「極端過ぎるわあああああ!! お前の話は極端過ぎる!!」
「可能性がゼロとは言えんぞ」
「限りなくゼロだよ! 一パーセント以下だよ!!――相沢さんごめん、クライスが余計なことを……」
「…………」
「……相沢さん?」
「ふぇっ? あ、ううん、大丈夫。心配してくれて、どうもありがとう」
 そうやって笑顔で俺にお礼を言う相沢さん。……でも、さっきの間は何だ……?


「いただきまーす」
「いただきます」
「はい、いただきます」
 そして雄真から恰来の話をされた日の夜。相沢家リビングでは友香の母、兄、そして友香の三人による夕食が始まっていた。
「……はぁ」
 友香、無意識のため息。――雄真との話の時のクライスのサンプルストーリーが頭から離れない。
 実際あれはオーバーだとは思う。だがしかし、大げさな部分をカットすれば可能性として十分あり得る。あっさり付き合います、とかはなくても下級生の女子と仲良くなって知らない所で出掛けてました、位はあるかもしれない。でもそれを口で説明して止めておく、というのも変だ。まるで自分が恰来を信じていないみたいだ。
 そして、そういえば自分達は恋人同士としてどうなんだろう、という疑問に友香は達し始めていた。余所と比べて、とかは必要ないが、でも順調に仲を育んでいきたいとは当然思う。恰来との仲を育む。具体的にどういう方法がベストなのか? ただゆっくりと、なんて想いだけじゃ駄目な気がする。
 そんな疑問が、学園から帰る前から頭の中を駆け巡っていたのだ。
「友香、メンチカツいらないのか? 食べないなら俺が食べるぞ? ああでもちゃんと栄養はバランス良く取った方がいいんだぞ。お前のそのプロポーションは十分な武器なんだからな」
「……はぁ」
 友香、ため息と共にメンチカツに箸を伸ばす。
「……ため息交じりスル―とはやるな妹よ」
「え? 兄さん何か言ってた?」
 その言葉を聞いた兄が今度は友香に代わりため息。最もこちらは呆れから来る物だが。
「悩みながら飯食っても美味くないだろ。あれだろ? どうせ土倉くんとのことで悩んでるんだろ?」
「な、誰が恰来のことで悩んでるだなんて――」
「具体的なことを言えば……そうだな、進展具合について悩んでるとか。付き合い始めて少し、どういったペースで進んでいけばいいのか。嫌われるのは無論嫌、でも嫌われない程度に相手のことは知りたい! 私達、恋人同士として今どうなの!? みたいな」
「…………」
 …………。
「――図星か我が妹よ」
 流石にそこまで図星とも兄は思っていなかったようで、少々気まずい空気が流れた。
「さっきも言ったがお前のその顔と身体はかなりの武器だ。そこまでのレベルの人間は多くはない。土倉くんも男だ、一度抱かせてあげればもうお前の虜になるぞ」
「兄さんの案は安直過ぎるのよ、もう」
「……もしかして既に抱かせてあって、次のプレイ内容で悩んで――」
「アホかーっ!!」
 ズガァァン!!
「ぎゃあっ!!」
 ――兄、一時食事を離脱。
「ふふっ、でもね友香、その一線を越えることで、確実になる絆ってあるものよ。女の子の方から攻め寄っても別にお母さんは可笑しくはないと思うわ。土倉くんの家に押し掛けるっていうのはどうかしら? 今夜泊めて! って」
「あのねえ……だから私はそういうことで悩んでたんじゃなくて」
「あ、そういえばお母さん、今度の土日、お友達と泊りがけで旅行に行くことになったの」
「えっ?」
 突然の話題転換だったが、その内容は少々友香の予想外の内容だった。
「――あ、俺も土日、正確には日曜の夜までいないや。友達と出かけるんだ」
「兄さんも?」
 気付けば兄はしっかりと食卓に復帰していた。
「――って、土日ってお父さんも確か」
「うん、出張で帰ってこない。だから家に友香一人になっちゃうのよ。――折角だし、土倉くんのお家に泊って来たらどうかしら?」
「あー、それでいいんじゃね? つーかさ、友香」
「?」
「結局この家は誰かしらが家にいることが多いんだから、抱いて貰うには土倉くんの家に行くしか――」
「ああっもうしつこいっ!」
 ズバァァン!!
「ぐはぁ!?」
 ――兄、二度目の食卓離脱。
「もう、二人共結論が極端過ぎるの! 二人に心配されなくても私はちゃんと色々考えるし、第一もうそこまで子供じゃないんだから一人で一晩位留守番出来ます!」


「……っていうわけでね、今度の土曜日の夜、私家に一人になっちゃったのよ」
 そして翌日、早速恰来に土日の夜、一人になってしまったことを報告する友香がいた。――ううん、違うの、何もお母さんと兄さんの案を飲んだわけじゃないの。ただ……ほら、でもいい機会なのは確かじゃない? 私から言うんじゃなくて、恰来の方から俺の家に来ないか、って言ってくれるなら、それなら――
「友香一人に? 一晩ってことか?」
「ええ、そう」
「そうか……」
 ふーむ、といった雰囲気で少し考える様子を見せる恰来。――少しずつ、友香の心臓の鼓動が速くなっていく。悩んでいる。恰来が悩んでいる。これはもしかして、期待しても――
「なあ、友香」
「何……かしら」
 真剣な面持ちで恰来が友香を見る。友香の心臓の鼓動が更に早くなる。表情に出さないようにするだけで精一杯になる。
「友香の家……一軒家、だったよな?」
「え? え、ええ、そうだけど」
「セキュリティ……警備会社とか、よくコマーシャルでもやっているだろう。ああいうのとは契約してるのか?」
「……へ?」
 その瞬間、あれ程までに早くなっていた心臓の鼓動の速度が――少しずつ、落ちて来た。
「例えば表札にそういう会社と契約しています、と表記しているだけでも大分違うはずだ。後はそうだな、電気代が少し勿体ないかもしれないが、リビングの電気を点けっぱなしにしておくとか。やっぱり明かりがついていると警戒はされるだろう」
「……いや、その」
 恰来は真剣な面持ちで続ける。――心配してくれていた。純粋に、かなり心配してくれていた。……導き出された結論は、友香の期待を大きく裏切っていたが。
「あの……ね、恰来」
「うん?」
 やっぱり、自分から言わないと駄目か。――友香は大きく深呼吸し、覚悟を決める。……自分達は恋人同士なのだ。構わないじゃないか。そう自分で自分を後押し、口を開いた。
「その、私の家のことを心配してくれるのは嬉しいの。でもそうじゃなくて……その、土曜日、私、恰来の家に泊りに行ったら……駄目、かしら」
「俺の家……に?」
「ええ」
 ドクン、ドクン、ドクン、ドクン。――耳にかなりの音量で鼓動が響く。言ってしまった。ついに言ってしまった。
「……そうか……確かに、それがいいかもな」
「えっ、それじゃ――」
「うん、友香は土曜日、俺のマンションに泊ればいい。それで、代わりに俺が友香の家に泊ればいいんだろう?」
 ズルッ。――友香、助走も無しに見事なスライディング。
「俺のマンションはオートロックだし三階だからそういう意味じゃ安心だからな。それで、俺が友香の家に居れば万が一の時も安心……友香? どうかしたのか?」
 さながら奇跡の生還の様に友香は必至の想いで立ち上がる。――緊張もクソもなくなってしまった。
「あの……恰来、そうじゃなくて」
「?」
「別にね、恰来が私の家に泊る必要は……なくない? その、二人で一緒でも。私は……その方が、嬉しいんだけど」
 …………。
「……あ」
 やっぱり、恰来が気付いたのはその瞬間だった。


「どうぞ」
「お邪魔します」
 そして、土曜日はやってきた。恰来が途中まで友香を迎えに行き、その足で二人はスーパーで夕飯のおかずを購入、そして恰来の部屋へ。
 友香のテンションは上がっていた。スーパーで一緒に夕飯のおかずを何にするか、と二人で考えながら買い物をしているその姿はまさに恋人同士、さながら新婚夫婦の様で。幸せに満ち溢れていた。恰来の部屋に来るのはこれで二度目――雄真と共に一度訪れている――だが、その最初の時とは気持ちが断然違っていた。
 買って来た物を一旦冷蔵庫に仕舞い、ひとまずおやつでも――と、一緒に買って来たシュークリームを、紅茶と共に食べることにした。
「部屋、綺麗にしてるのね」
「そう……か? まあ定期的に掃除はしてるけど。あまり物も置いてないしな」
 事実、恰来の部屋は実にシンプルだった。友香の目からしても必要以上の物はほとんど置かれていないように思えた。
「男の子って、掃除しないとは言わないけど、ここまで綺麗なイメージってやっぱりないものだから」
「ああ、言いたいことはわかる。高溝辺りは部屋をあまり綺麗にしているとは思えないしな」
「高溝くんには悪いけど、それはそうね」
 ハチが汚い部屋でごろごろしている姿を想像して、二人で笑った。

「へっくしゅん!!――何だよ、風邪か? ハッ、もしかして何処かで素敵な美少女が俺の噂を……!?」

 ――美少女がハチの噂をしている、という点は間違いではなかったが、残念ながらその美少女は既に彼氏持ちであった。
「俺としては、友香の方が余程ちゃんと綺麗にしていると思ってるけど」
「まあ、汚くは当然してないわ。それなりに綺麗にはしているつもりよ。――でも、女の子だからって部屋が綺麗だとは限らないわよ?」
「そういうものなのか? 俺にはよくわからないけど」
「ええ。案外知っている所にもいたり、ね」

「へっくしゅん!!」
「? どうした杏璃、風邪かい?」
「あ、香澄さん。別に体調が悪いわけじゃないんで、偶々だと思いますけど……」
「あれだよー、格好良い男の子が杏璃ちゃんのこと噂してるんだよー。よっ、人気ウェイトレス! よりどりみどりか羨ましいぞコンチクショー!」
「舞依さんは勝手に想像して勝手に恨まないで下さい!」

 ――格好良い男の子が話をしている、という点は間違いではないが以下省略。
 そのまま二人はお茶とお菓子と会話を堪能した後、程良い時刻になったので夕飯の支度に入った。友香は恰来の予想以上の包丁捌きの上手さに驚きつつ、一人暮らし用のマンションなので少し狭いキッチンの為、相当近くで料理が出来ることが単純に嬉しかったりして。
 そんな雰囲気で作った夕飯は、とても美味しく出来た。二人でお互いの腕を褒めつつ綺麗に二人で平らげる。しばらくは二人でテレビを見つつ、食後の休憩。
 当然だが、そうしている間に時刻は夜に。少しずつ、でも確実に就寝の時刻が近付いて来ていた。――就寝。恋人同士が同じ部屋で。しかも初めての二人きりの夜。どうしてもいきつく答えが限定されてしまう。少なくとも、友香の頭はそこに辿り着いていた。――恰来はどう思っているのか。恰来がその気なら、自分にはその覚悟は出来ている。
「――風呂の準備、出来た。友香、先に入るだろう?」
「え? え、ええ、それじゃお言葉に甘えるわね」
 風呂の準備をしていた恰来が戻ってきた。表情からは読み取れない。――そもそも表情からは感情が読み取り辛いタイプなので尚更である。脱衣室に入り、服を脱いでいる間もそのことが頭から離れない。どんどん緊張が増してくる。
 浴室に入り、シャワーを捻る。ひとまず体を洗うことに。やたらと普段よりも念入りに洗っているのは気のせいではなかっただろう。――その間も緊張は止まらない。寧ろおまけで余計な妄想までが付いてくるようになった。
 もしかしたら今、恰来も準備体操か何かをしているかもしれない。――準備体操ってあるのかしら。自分で考えておいてあれだけど。
 もしかしたら今、この浴室に恰来が乱入してくるかもしれない。――恥ずかしいけど……でも、心の準備さえあれば大丈夫ね、うん。
 もしかしたら今、恰来が私の下着が気になってこっそり覗いているかもしれない。――流石にこれは引く……ああっでも恰来なら!
 ――そんなことを考えている間に、入浴は完了。恰来が乱入してきたり下着を覗いている様子はなかった。大人しく体を拭き、下着を再び身につけ、服を着る。
「……そういえば」
 もしかしたらこのドアを開けたら既に部屋の明かりは消しており、戸惑う暇もなく抱きしめられてそのまま……という可能性があった。その答えに辿り着いた瞬間、再び激しい緊張が友香を襲う。
「――ええい!」
 覚悟を決め、ドアを開けた。――その先では。
「…………」
 普通の明かりがついた部屋で、恰来が普通にテレビを見ていた。――普通だった。あまりにも普通だった。
「……お風呂、お先でした。ありがとう」
「どういたしまして。――それじゃ、俺も入るかな」
 そのまま何事もなかったように恰来は脱衣室へ消えて行った。――点けっぱなしだったテレビが、何処か虚しく見えた。
「……はぁ」
 テレビを見る気にはなれなかったので、テレビを消すと、そのまま窓際に移動、何となく景色を眺める形に。
「本当、駄目ね、私」
 そんな呟きが漏れた。勝手に期待しておいて覚悟しておいて何も起きなくて勝手に少し拍子抜けしている。焦らず行こうって決めたはずなのに。
 焦ることなんてない。今日、十分幸せだったじゃないか。楽しかったじゃないか。この先は、また次でいい。これで終わるわけじゃない。まだまだ自分達には先があるはずなのだから。――気持ちを新たにし、恰来が出て来た時用に何か飲み物でも用意しておこうか、と思ったその時だった。
「……えっ……!?」
 不意に、後ろから抱き締められた。――該当者など、一人しかいない。
「恰来……?」
「――友香が今日、泊まりに来るって決まってから、嬉しくて仕方がなかった」
 抱きしめられているので、その声も相当間近から聞こえて来る。
「正直、期待していた個所、あったと思う。でも俺は結局どうしていいかわからない。だから――今、前触れ無しに抱きしめてる。どうしていいかわからなかったから、もうこうするしかなかった」
「……恰来」
「間違ってたり、嫌だったりするなら言ってくれ。俺は友香を困らせたくて抱きしめてるわけじゃ、ないから。――何よりも愛しいから、抱きしめたいと思った」
 不器用な言葉だったが、その想いは痛い程に伝わって来る。――ゆっくりと、その恰来の手に、友香も手を重ねる。
「間違いなんてない。嫌なわけないじゃない。――私だって、愛しくて仕方ないんだから」
 そしてそのまま――二人の距離は、無くなった。


 ――耳に馴染んだ音で、友香の意識が睡眠の世界から現実の世界へと呼び戻される。
「……う……ん……?」
 友香の携帯が鳴っていた。もぞもぞ、と手を伸ばし誰からの電話かも確認せずに通話ボタンを押す。
「……もしもし?」
『その声の様子からすると、この電話で目が覚めた、そんな所かな?』
「兄さん……?」
 兄だった。意識がほぼはっきりとしてくる。
「どうしたのよ、朝から」
『いや、どうしても友香に祝福の言葉を送りたくてな。――おめでとう友香、土倉くんとの一晩は幸せだったかい?』
「はいはい、何かと思えば兄さんの勝手な想像――」
『ちなみに今俺、家だからな』
「……え?」
『更に付け加えるとお袋も家にいるぞ』
 はっきりとしたはずの意識だが、頭は混乱し始めてくる。――友人と出かけて今日の夜にならないと帰ってこないはずの母親と兄が既に家に。つまり今友香が家に居ないことがばれている。
「……もしかして」
『友香の後押しの為に嘘をついたに決まってるだろ』
「やっぱり……!!」
 やられた。その想いで友香の頭が一杯になる。――落ち着いて、落ち着くの私。ここでパニックになったら相手の思う壺。冷静に対応すればまだ!
『いやーあれだな。今日の相沢家の晩御飯は赤飯だな』
「あのねえ……第一、まだ恰来の家に行ったなんて――」
『何言ってるんだ、二人で仲睦まじく夕飯の買い物をしてたじゃないか』
 …………。
「……まさか」
『お袋と二人で後をつけてた。買った物から推測するに作ったのは白身魚のソテーと――』
 ピッ。――通話する気が失せた友香はそのまま携帯の電源を切った。
「結局、私はあの二人の掌で踊らされてたのね……」
 思わずため息が出る。帰ってからが信じられない位面倒そうだった。本当にお赤飯とか炊いてそうだった。お父さんにどう説明するつもりだろう……いや寧ろ説明されたら困るけど。
「……あれ? そういえば恰来は……」
 よくわからない勢いで目が覚めたので気付くのが遅れたが、当然昨晩同じベッドで寝た恰来の姿がない。――ふっと視線を動かせば。
「目、覚めたか?」
 キッチンで恐らく朝食の支度をしているであろう恰来と目が合った。
「もう、起きたなら一緒に起こしてくれればよかったのに……」
 もぞもぞ、と服を着ながらちょっとだけ友香はむくれてみせる。
「ごめん。気持ちよさそうに寝てたし、それに俺は早朝のランニングもあったし」
「にしたって――」
「それに――夢だったんだ」
「……夢?」
「ああ。――誰かの為に、大切な誰かの為に、朝食を作って、起こして、一緒に食べるっていうのが」
 既にテーブルの上には二人分の朝食が綺麗に並べられていた。
「今はもう慣れたけど、小さな頃はやっぱり辛かった時期もあった。朝起きても誰もいなくて、自分で自分の分だけ朝食を作って、一人で食べるっていうのが。だからいつか、誰かとこうして朝食が食べてみたい、ってあの頃はずっと夢みてた。一度は捨てた夢だったけど――叶えられて、よかった」
 恰来が浮かべる穏やかな笑みは、疑い様のない表情で。
「――恰来」
「うん?」
 友香はそのまま恰来に近付くと、
「……ん」
 優しく、恰来と口づけを交わした。
「――夢、だったのよ」
「夢?」
「ええ。――自分が好きになった人に、お早うのキス、するの」
 ちょっとだけ恥ずかしそうに、でも嬉しそうに笑う友香の表情も、やはり疑い様のない表情で。
「二人の夢、叶ったな」
「ええ。――これからも、叶えていきましょう? 二人で」
「ああ」
 二人はその幸せな表情のまま、朝食を食べ始めるのだった。


さて皆さんこんにちは。筆者のワークレットです。

ハチと小日向雄真魔術師団、アフターショートついにスタート!
第一弾はオリキャラ組でエピソードとキャラ両方とも抜群の安定性を誇った(と筆者はぜひとも思いたい(爆))
恰来&友香の二人の物語です。
恋人同士になった二人のちょっとしたエピソード。まさにアフターショートですな!(笑)

中身としては私らしいギャグパートと、私らしくない(笑)イチャラブパートの両方をちゃんと用意。
いやー、久々にストレートなイチャラブシーン書きましたが相変わらず苦手ですよ私(苦笑)。
何でこの手のゲームのssなんて書いてるんだって話。今更ですけど。
幸せな二人の雰囲気が、少しでも伝わればいいな、と思います。

ではでは、感想をお待ちしております。



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