「どうした理樹、そんな浮かない顔して」
 屋上から戻った僕を出迎えてくれた恭介の第一声がこれだった。どうも分かりやすく顔に出ていたらしい。
「うん、ちょっとね」
「安心しろよ、通信機の不調は予想外だったからな。今のお前の分はノーカンだ。後であらためてやり直しする」
 そのことで浮かない顔をしていたわけじゃないんだけど、それは言えない。
「にしても、恭介氏にしては珍しい凡ミスだな。電波の届く範囲を読み違えるとは」
「俺だって完璧なわけじゃねえよ」
 違う。恭介のミスじゃない。電波が届かなかったわけじゃない。――第三者からの、介入があったんだ。
 先程の屋上での通信を思い出す。

『直枝理樹くんね?』
「そうですけど……あなたは?」
『あたしはこの学園に送られた調査員よ。そうね、「アイビス」とでも呼んで』
「調査員……? あの……僕に一体何の用件が……?」
『あたしがここに送られた理由は、この学園が学園ぐるみで不正や犯罪をしているっていう情報を入手したから、証拠を押さえに』
「この学園が、不正や犯罪を……?」
『ええ、そうよ。最も、あなたのような一般生徒が気付けるようなレベルでは行われてないけど』
「ちょっ……全然ついていけないんですけど……そもそも、どうしてその話を僕に?」
『直枝理樹くん、あたしに協力しなさい』
「え……? 協力?」
『どうしても一般生徒の協力が必要なの。あなたの性格、能力、生活環境、家族構成、全てを吟味した結果、あたしの所属する組織はあなたが協力者として適任であると判断したわ』
「いやいや、勝手に判断されても困りますから」
『あなたに選択肢はないのよ? もしあなたが断るのであればあなたの大事なお友達の将来が無くなることになるから』
「な……?」
『この学校の不正を調べている、って言ったわよね? その不正の結果を少し改ざんするだけで、あなたのお友達を退学に追い込むことが出来る』
「…………」
『この通信が切れたら、棗恭介に相談しよう。――そう、思ったわね?』
「っ!?」
『言ったでしょう、あなたのことは調べたって。あなた達の関係も調べたわ。――当然彼や他の人に相談するのもアウト。こっそりやればばれない、なんて思わないことね。あなたの行動は把握してるし、管理も出来る。棗恭介の通信を遮ってこうして通信している時点でわかってもらえると思うけど』
「…………」
『そんなに深く考えないで。あなたが協力してくれて、あたしのミッションが成功すれば誰にも被害は及ばない。そして、あなたが協力してくれれば、あたしは成功に持ち込むことが出来る』
「……具体的に、僕はどうしたら」
『細かい話は後日、何らかの形であらためて連絡するわ。それまでは普通にしていて』
「…………」
『それじゃ、また後日。――協力感謝するわ、直枝理樹くん』

  何処まで信じていいかわからない。言ってしまえば、僕はほとんど信じていない。でも万が一、万が一という可能性はある。なので迂闊に相談は出来ない。
「よう井ノ原、今日も筋トレか?」
「うおおおおお!? 教室出た瞬間クラスの奴に話し掛けられたぁーーーーっ!?」
「とりあえず、真人はビリ決定だな」
 そんな風にいつものノリで進む残りのスニーキングミッション大会も、僕は悶々とした気分のまま参加するのだった。
 



あの歌声の向こう側で
〜"Workret" presents the after story of "Little Basters!" 2nd〜


-The latter part-



「ふぁ……」
「どうした理樹、寝不足か?」
「うん、少しね」
 翌日の朝、現在登校の途中。僕は結局気になって寝不足だ。連絡もまだない。
「おはよう……」
「おはようございます」
「おはようございますなのです、リキ」
「おはよう。――なんだ、朝から随分冴えない顔をしているな」
「来ヶ谷さん。――うん、ちょっと寝不足で」
「ふむ。まあ、理樹君も男だから致し方ないが、程々にな」
「何をだよっ!! 来ヶ谷さんが考えてるような理由で寝不足になったわけじゃないよっ!!」
 そんな馬鹿なやり取りをしていると。
「理樹君、朱鷺戸さんにはちゃんと挨拶した?」
「朱鷺戸さん……?」
 小毬さんの指摘。だがその名前に聞き覚えがない。はて、と思っていると、西園さんがフォローをくれた。
「昨日いらした、転入生の方です」
「あ」
 そういえば、昨日は朝おかしな騒ぎになって挨拶は後回しにしようと思ってそのままだったんだ。忘れていた。
「駄目だよ、理樹君。こういうのは、最初が肝心なのです」
「そうだね。ちょっと行ってくるよ」
 既に席についていた朱鷺戸さんの下に行く。昨日もチラリと耳にしたが、成る程凄い可愛い容姿の持ち主だ。
「朱鷺戸さん」
 僕の呼び掛けに反応した朱鷺戸さんと目が合う。
「はい、何かしら?」
 イメージ通りの穏やかな笑みで返事をしてくれた。
「ちょっと話があるんだけど、いいかな?」
「あたしに……話?」
「うん」
 僕がそう言うと、朱鷺戸さんは少し考え込む。そして、
「昼休み、校舎裏に来て。そこで話しましょう」
 そう言って、今はこれ以上話すことはないと言わんばかりに目を反らした。
「……えっと……それじゃ、昼休みに」
「ええ」
 何処かしっくりこないまま会話は終了。釈然としないまま僕は席に戻った。挨拶するだけなのに、どうして昼休み、校舎裏に行かないといけないんだろう?


「ふぅ……」
 そしてあっという間に昼休み。約束通り僕は校舎裏で朱鷺戸さんを待っていた。周囲には見事な程に誰もおらず、まるで密会だ。
「お待たせ」
 そんなことを考えていると、朱鷺戸さんがやって来た。
「それで? 具体的な話が聞きたい。――そういうことでしょ?」
「え?」
 具体的な話……?
「にしても、声を変えてなかったとはいえ、よくあれの正体があたしだって気付いたわね」
「……はい?」
 あれの正体……?
「まあ別に何処かで姿は見せるつもりだったから構わないんだけどね」
 なんだろう。朱鷺戸さんが何の話をしているのかさっぱりだ。
「ごめん……朱鷺戸さんがなんのこと言ってるのか、いまいちわからないんだけど……」
 どうすることも出来ないので素直に聞いてみることにした。
「なんのこと、って……学園の不正の調査方法の話に決まってるじゃない。あなたが具体的に何をするのか聞きたいんでしょう?」
「学園の不正調査、って……もしかして、「アイビス」の正体って、朱鷺戸さんだったの?」
「え……もしかして、気付いたから朝話し掛けてきたんじゃないの?」
「いや、朝は昨日僕遅刻したから折角転入してきたのに挨拶しそこねたから、ちゃんと挨拶しておこうと思っただけなんだけど」
「そ、それだけ?」
「うん」
 僕がそう言い切ると、朱鷺戸さんは僕に背中を見せ、ガックリとしゃがみ込んでうなだれてしまった。
「(ぶつぶつ)」
「朱鷺戸さん……?」
 何かぶつぶつ呟いてるな、と思っていると、
「……早とちり、したのよ」
「え?」
「そうよ、早とちりよ! 昨日の今日だからもしかして理樹くん気付いてるかしらって朝からドキドキしてたら本当に朝一で話し掛けてくるからうわ凄い、流石理樹くんあたしの目に狂いはなかったって心の中でときめいちゃったりしてクールを装いつつワクワクして昼休みを待ってたのよ! 一流スパイが聞いて呆れるわ、馬鹿でしょ、滑稽でしょ!? 笑えば? 笑いなさいよ、なんだこの思い上がり野郎、阿呆だな、あーっはっはっはって笑えばいいじゃない! あーっはっはっは!!」
「えっと、その」
 なんだろう。どうしていいかわからない。物凄い勢いで自虐された。
「うわああああん!! あたしの馬鹿ぁぁ!!」
 揚句の果てには泣かれてしまった。
「その……大丈夫だよ、気にしてないから」
「ぐすっ……本当に?」
「うん。昨日の通信の時はどうしようかと思ったけど、親しみ易そうな人で安心したから」
 それは素直な本音だった。昨日通信した時は口調も何処か冷たく、一晩不安だったけど、今こうして接してみて、その不安は吹き飛んだ。人間らしい感情の起伏溢れる、僕と同い年の年頃の普通の女の子だ。いやある意味あの自虐っぷりは普通じゃないけど。でも、あれも見慣れた光景――
「……あれ?」
 見慣れた……光景? 今のが? 言っちゃあれだが、あんな自虐、そう拝めるものじゃない。見慣れているわけがない。なのに今僕はその光景を見慣れていると感じた。なんでだろう?
 僕は以前にも、あの自虐を――彼女を、見たことが、あるとでも、言うのだろうか?


「不正の具体的な内容に関しては、明確なことはわかっていないの」
 自虐から復活した朱鷺戸さんから、あらためての説明を受けることに。
「それなら、どうして不正があるってわかったの?」
「あたしが所属する組織に確かな情報筋からタレコミがあったのね。信頼できる情報筋だから、組織はその不正の内容ごと調査するために、あたしをこの学園に送った。年齢も学生で当たり前の歳だったから、転入は簡単に成功したわ」
「どうして僕の協力が必要なのさ?」
「相手だって不正をしているわけだから、当然警戒はしてる。そこに転入生のあたしがコソコソしてたらスパイだってばれる可能性が高くなるわ。でも入学時からいる理樹くんと一緒に行動していれば、かなりのカモフラージュになる」
「僕はいざという時の盾なんだね……」
「安心して。理樹くんには被害が及ばないようにするから。それは約束するわ」
 まあその辺りは不安だが、断れない以上、彼女を信じるしかない。
「単独で調べた結果、夜の校舎で何か行われているみたいなの。だから夜、校舎に忍び込みましょう」
「それって……もしかして僕も?」
「当然でしょ。理樹くんはあたしのパートナーなんだから」
「あはは……」
 苦笑するしかない。脅迫されてパートナーだもんな。
 でも――不思議と嫌がっていない自分がいた。この状況を楽しんでいる? 僕は色々体験して、図太くなったのかもしれない。


「このドアから侵入するわ」
 夜になった。寮の前で待ち合わせをして、学園に侵入。校舎に入るポイントも決まり、いざ。
「不正が行われているとしたら、どの辺りかしら? 理樹くんはどう思う?」
「それを僕に聞くの?」
「当たり前じゃない。理樹くんは頭脳担当だもの」
「えぇ―」
 いつの間にそんなことが決まったんだろう。まあでもこのままじゃ話が先に進まないので、僕なりに考えてみる。
「職員室……じゃ在り来りだから、別の場所を選んでるかもしれない。科目別の使用教室の何処か、とか」
「音楽室とか美術室とかね。それじゃ、その線を当たってみましょう」
 階段を登り、別の階へ。ここからだと音楽室が近いかな、何て思っていると。
「……え?」
 微かに聞こえてくる、何かの音色。ピアノだろうか……って、
「音楽室に誰かいる……!?」
 ということになる。朱鷺戸さんと目配せをして、出来る限り気配を消して音楽室に近付いていく。――近付けば近付く程に、聞こえてくる音は徐々にだが大きくなっていく。
(どうするの……?)
(ドアの近くで少し様子を伺いましょう)
 ドア付近に軽く張り付くように二人並んでしゃがみ込んで――
「げげごぼうおぇっ」
「何!? いきなりどうしたのさ!?」
「だだだって理樹くん、あたしにぴったりくっついてくるから、その……うんがー!!」
「いやだからその謎の叫びはなんなのさ!?」
 ――二人距離を置いてしゃがみ込んで、中の様子を伺う。相変わらず聞こえてくるピアノの音。当たり前だが、誰かが弾いているらしい。これが一体何の不正に繋がるんだろう?
「――駄目だ!」
 中から聞こえてきたその声と同時に、ピアノの音が止まる。緊張してきた。一体何が駄目――
「全然上手くならない!! 折角年明けのかくし芸はピアノでいこうって思ったのに!! このペースじゃ間に合わない!!」
 …………。
「つまり、あの人は次回のかくし芸の為に内緒で夜中にピアノの練習をしてたってこと……?」
 まあ確かにかくし芸は普段は人に見せない意外な特技のことだ。何もない人は内緒で練習しなくてはいけない。
「もしかして、不正ってこのこと……?」
 だがそれをその大会の為に一から練習して身につけてしまったらそれはかくし芸とは言い難い。つまりは不正だ。
「朱鷺戸さんの組織、随分細かい不正を摘発するんだね……」
「あれを捜していたとか思われると本気で困るんだけど……」
 はあ、と軽くため息をつく。
「偶然だと思うし、もしかしたらカモフラージュかもしれない。――どちらにしろここに止まっていても収穫はないわね。行きましょう」


「朱鷺戸さんはさ、どうしてこの仕事をしてるの?」
 次の教室目指して移動中、ふと気になったので聞いてみることにした。
「どうして……って?」
「ほら、僕らと同い年なら、普通はあまりこんな仕事はしないかな、って思って」
「ああ、そういうこと。――決まってるじゃない、理樹くんに会――」
「え……?」
 僕に……「あ」?
「あ……あ……あ……アチョー!!」
 ドカッ!
「痛っ!?」
 いきなりローキックをされた。意味がわからない。説明を求めようとすると、
「うわああああん!! あたしの馬鹿ぁぁ!! 何で理樹くん蹴ってるのよおぉぉ!!」
「えぇー」
 朱鷺戸さんは目茶苦茶後悔していた。勝手に蹴っておいて何なんだろうこの展開は。
 ――そんなこんなで歩いていると、とある空き教室の前に差し掛かる。
「理樹くん、待って」
「え?」
「あの空き教室、誰かいるわ」
 指摘され、慎重に覗いてみる。その空き教室には随分と大きな人影が。
「――って、真人……?」
 あのバンダナ、あの体格、間違えようがない。――でも、こんな時間にこんな場所で何を……?
「……まさか」
 まさか、真人が不正に関わってる?――まさか、あの真人が? そんなわけない――と思いつつ、嫌な緊張と汗が僕を襲う。真人、こんなところで一体何を――
「ふっ、ふっ、ふっ」
 筋トレだった。心配した僕が馬鹿だったのだろうか。
「何でこんな夜中に教室で腕立て伏せする必要があるのかしら……」
「深く考えないであげてよ……真人なりの理由があるんだと思う」
 大概の場合はないけど。
「ックション!!」
 と、真人が急にくしゃみをする。もしかしたら僕らが噂をしたからだろうか。
「なんだよ……これだけ鍛えてもまだ風邪を引くのかよ、俺の筋肉」
 いやいやいや、どれだけ筋肉鍛えても風邪の抗体にはならないから。
「よし、風邪なんかに負けてられねえからな。気合い入れとくか」
 そう言うと、真人は一呼吸置いて――
「意味なんてねーよ!! ごめんなさいでしたー!!」
 …………。
「さっきの理樹くんのコメントに対するツッコミかしら……?」
「聞こえてないはずなんだけどね……」
 とにかく真人は腕立て伏せをしていただけで、不正とは関係ない――
「って、もしかして」
「理樹くん、何かわかったの?」
 腕立て伏せ→伏せ→ふせ→ふせい→不正。
「…………」
「…………」
 僕らを空しい程の沈黙が襲ったのだった。


「ふぁ……」
 寮から校舎までのいつもの短い道のり。僕は欠伸が止まらなかった。
「なんだ、理樹は今日も寝不足なのか?」
「鈴。――うん、少しね」
 流石に学園の不正調査の為に校舎を夜中徘徊しているとは言えない。まあどちらにしろ言ってはいけない約束なんだけど。
「あたしも実は今日は寝不足なんだ」
「そうなの?」
「なんと九時間しか寝てない」
「それだけ寝て寝不足なんだ……」
 まあ、鈴らしいとは思うけど。――と、僕の携帯がメールの着信を知らせる。確認してみると……

『放課後 三階の空き教室で待つ T』

  朱鷺戸さんからだった。昨日は結局真人の腕立て伏せを確認して終わっちゃったから今後のことを話し合うんだろう。――やっぱり、今日も行くんだろうな。
「誰からのメールだったんだ、理樹。随分嬉しそうに見えたが」
「え……?」
 謙吾からの指摘に驚く。――嬉しそう? 僕が?
 僕は、朱鷺戸さんとの今の状況を、楽しんで、いるんだろうか?


「当然今日も行くわよ」
 放課後、空き教室で合流後、ひとまず告げられた言葉がこれだった。まあ予測はしていたけど。「一日二日で成果が出るとは流石に思ってないわ。向こうがボロを出すまで続けるから」
「出来れば一日二日で成果が出て欲しいけどね……」
 そのまま集合時間の確認、今日回る予定ルートの検討をしていると、不意に朱鷺戸さんの携帯が鳴る。
「……出ないの?」
 が、朱鷺戸さんはディスプレイを少し厳しい表情で見たまま電話に出ようとしない。
「非通知なのよ。あたしの番号を知っている人間は組織意外では理樹くん位だから」
「知らない番号から繋かってくるわけがない?」
「組織からの連絡は携帯は使わないから。盗聴してくれって言っているものだし」
 そして意を決したのか、朱鷺戸さんは通話ボタンを押した。


 ピッ。――あたしは意を決し、通話ボタンを押した。確かにこんなところで電話がくるなんて「聞いていない」のだが、ここで臆せば理樹くんに怪しまれるかもしれない。
「もしもし」
『随分と好き勝手やってくれているようだな』
 聞き覚えのあるカモフラージュボイス。忘れるわけがない。
「あら、どちら様?」
 あえてそう尋ねてみる。
『いちいち名乗らせないと気が済まないのか?――まあいい。闇の執行部部長、時風瞬だ』
「部長さんが直々に何の御用かしら?」
『現時点で手を引くのであれば命の保証はしてやろう。だが続けるのであればこちらにも手がある。お前だけじゃない横の坊主も巻き添えを喰らうことになる』
「素敵な警告、ありがとう。でも悪いけどあたしは引かないわ。そのくらい、わかっているでしょう?」
『お前は勘違いをしている』
「――勘違い?」
『お前が今いる世界は遊びじゃない。お前が今見ている物語は遊びじゃない。全て現実だ』
「はあ? 何が言いたいわけ?」
 そう切り替えした時、教室のドアがガラガラガラ、と開く。そこには――
「あれ、理樹か?」
 え……?


「あれ、理樹か?」
 そう言って教室に入ってきたのは、
「恭介?」
 恭介だった。
「奇遇だね、こんなところで。――でも空き教室なんかに用事?」
「こういう場所の方が落ち着いて読めるんでな。時々愛用してる」
 成る程恭介の手には数冊、漫画の単行本らしきものがある。
「嘘……何で……?」
「――朱鷺戸さん?」
 気付くと、電話中の朱鷺戸さんがかなりうろたえていた。
「わかったか、って……分かるわけないじゃない! 時風の正体は……あなた、何者なのよ!?」
 最初冷静に謎の電話に応対していた朱鷺戸さんが、ここへきて完全に冷静を失っていた。
「――どうやら俺はここにいるのはまずそうだな」
「あ……ごめん恭介、その」
「気にするな。理由があるんだろ?――もし俺に何か出来ることがあったらいつでも言ってくれ。相談に乗る」
「うん、ありがとう」
 頼もしくありがたい言葉を残して恭介が教室を後にする。――頼りたいのは山々だが、他の誰にも話さない、という朱鷺戸さんとのルールがある。
「…………」
 恭介が教室を後にして三分位経過しただろうか。朱鷺戸さんが通話を終えたらしく、携帯電話を仕舞う。
「朱鷺戸さん……」
 いい内容の電話じゃなかったことが誰でもわかるような難しい顔をしている。なんて言ったものか、と思っていると。
「……ふふっ」
「……え?」
「面白いじゃない。何処の誰だか知らないけど、こうなったらとことんやってやるわよ!」
 逆手にとって気合いを入れていた。
「よかった。うん、その方が朱鷺戸さんらしくていいよ。元気な方が朱鷺戸さんは魅力的だと思う」
「っ……ふんがー!!」
 ドカッ!
「痛っ! げ、元気なのはいいけど、蹴ることないよね……?」
「理樹くんが急に褒めるからでしょ!? こ、心の準備が必要なのよ!」
 これから先、朱鷺戸さんを褒める時は前もって予告でもしなくてはいけないんだろうか。


 夜。約束通り僕らは集合し、昨日と同じように校舎に潜入。各階の調査を開始した。
「? 朱鷺戸さん、その右手に持ってる袋、何?」
 ふと気付けば朱鷺戸さんの右手には布の袋が。巾着袋と言えばいいか。昨日は持ってなかったものだ。
「こ、これ!?」
「うん」
 軽い気持ちで尋ねたのだが、リアクションが少々大きかった。
「もしかして、スパイの何か道具?」
「そ……そう、そうなのよ! 理樹くん鋭い! これはスパイに必要な道具ね、多分!」
「多分なんだ……」
 自分で用意したはずなのに。でもまあ本人がそう言う以上そうなんだろう。
「ね、ねえ理樹くん、その、疲れたりしてない?」
 階段を上り三階へ来たところでそう尋ねられた。
「大丈夫だよ。これでも結構鍛えてあるから」
 春から始まった野球は、なんだかんだで僕に随分と体力をつけてくれた。
「そ……そう」
 気を使ってくれたんだろうか。ちょっと嬉しい。
「ね、ねえ理樹くん、その、お……お腹……」
「……お腹?」
「お腹……お腹……オナカパンパンマーン!!」
 ドカッ!
「痛っ……今僕何か蹴られるようなこと言ったっけ……?」
 しかもオナカパンパンマンってなんだろう。何処かで聞いたことがある気はするのだが。
「理樹くんが悪いのよ、察しなさいよ……」
「えぇー」
 一体オナカパンパンマンから何を察せばいいんだろう。
 ――そんな感じで歩いていると。
「理樹くん。理樹くんって、その、ご飯って結構食べる方?」
 再び朱鷺戸さんから質問が来た。
「うーん……同い年の男子の平均値位は食べてるんじゃないかな。真人や謙吾に比べたら全然少ないけど」
 まあ、あの二人と比べる方が間違いか。真人なんかはトンカツを与え続ければ多分一生食べていそうだ。
「それじゃ、少食……ってわけじゃないのよね?」
「うん、そうなるかな。――でもそれがどうしたの?」
「あ、あの、スパイとして気になっただけだから」
 最近のスパイはパートナーの食事ぶりが気になるらしい。時代の流れ……いやいやいや、そんなわけないか。――ところで。
「なんだか食べ物の話してたら少しお腹が空いてきたよ」
 時間も時間、夜食が恋しいところだ。
「ほ……本当に?」
「うん。惣菜パンか何か用意しておけばよかったかな」
 次回からは軽く携帯してこようかな……なんて考えていると、
「あ……あのね理樹くん」
 見れば朱鷺戸さんが何か言いたげに少しモジモジしていた。暗いので分かり辛いが、心なしか顔も少し赤い気がする。
「偶々……偶々なんだけど、あたし、右手に……その、食べ物を、持ってたり、するんだけど」
 朱鷺戸さんの右手。――少し前に気になった巾着袋だ。
「理樹くんが食べたかったら、その、食べてもいいわ」
 手渡してくる巾着袋の中には。
「お弁当……?」
「べ、別に理樹くんの為に作ってきたんじゃないのよ? 偶々部屋に材料が余ってて、偶々料理が作りたくなっただけだから」
「凄い偶然だね……」
「あ……う……と、とにかくもう理樹くんにあげたからね! 食べたかったら食べれば」
「うん、それじゃ戴こうかな」
 近くの空き教室に二人で入り、椅子に座り、弁当箱を開ける。一見して手が混んでいることがわかる食欲をそそる弁当だ。
「うん、美味しい」
 味も見た目を見事に裏切らないレベルだ。
「本当!?」
「本当だよ、凄い美味しい」
 朱鷺戸さんの顔は、とても嬉しそうで――
「――って、ち、違うから、適当に作ったら偶然美味しく出来ただけだから! 理樹くんの為に一生懸命作ったわけじゃないからね!?」
「えぇー」
 誤魔化し……なんだろうなあ……
「ありがとう、朱鷺戸さん」
「だから、理樹くんの為じゃ――」
「それでも、ありがとう」
「…………」
 無言で目を逸らされた。照れてるんだと思いたい。
「それじゃ、食べ終わったし、行こうか」
「ええ、そうね」
 弁当箱を片付け、立ち上がる。――と、そこで思い出したことが。
「そういえば、昨日は食堂は調べなかったね」
「食堂……?」
「うん、ちょうど校舎と寮の間にあるよ。あ、この教室からも見えるかな」
 窓の方に動き、食堂の方を見ると――
「……え?」
 誰もいないはずの食堂で、小さな明かりがチラリ、チラリと動いている。
「理樹くん、この時間に食堂の関係者が働いている可能性は」
「まず……ないと思う」
 それはつまり、今食堂に、僕等が追っているものがいるということで――
「行こう、沙耶!」
 僕は彼女の手を取って、そのまま走り出した。


「行こう、沙耶!」
 理樹くんがあたしの手を取って走り出す。躊躇う暇も恥じらう暇も無かった。
 理樹くんはあたしのことは覚えていなかった。なのにあたしのことを沙耶、と呼んだ。覚えていなければあたしのことを沙耶、と呼べるわけがない。だってあたしは、本当は「沙耶」じゃないから。ここにきてからは一度も沙耶、とは名乗っていない。なのにあたしを沙耶、と呼ぶ理樹くんは――もしかしたら、頭では覚えていなくても、心の何処かに感覚として残っているのかもしれない。
 理樹くんは知らない。――あたしが転入した初日、初めて理樹くんの姿を見れた時、その場で叫んでしまいたくなった位、嬉しかったこと。
 理樹くんは知らない。――転入翌日、初めて面と向かって話をしたとき、その場で名乗って抱き着いてしまいたくなった位、嬉しかったこと。
 理樹くんは知らない。――あたしのことを沙耶と呼ぶ理樹くんに手を引かれて走ってる今、嬉しすぎて、泣いてしまっていること。
 一つ目は、眩しさ。
 二つ目は、暖かさ。
 それ以上はもう、我が儘になるはずだったのに。
 これだけあればもう、充分だったはずなのに。
 あの歌声の向こう側には、行けないはずだったのに。
 ドアが近付いてくる。理樹くんがドアを開ける。食堂のドアを。――新しい世界へと繋がっているであろうドアを。
 そして、ドアの向こう側に、広がる景色は――


 ガチャッ。――食堂のドアを開け、朱鷺戸さんと一緒に慎重に入った直後。――パン!
「っ!?」
 パン、パン、パァン、と連続する破裂音。そして、
「あやちゃん、リトルバスターズへようこそ〜!」
「ようこそなのです!」
 パッ、と明かりが点き、視界に入るのは、リトルバスターズの全員。手にクラッカーを持っているあたり、さっきの破裂音はそれだろう。
「――って、なにこれ!? どうしてみんながいるのさ!?」
「朱鷺戸さんの、リトルバスターズの歓迎会ですよ」
「え……?」
 リトルバスターズの歓迎会……? それはつまり、朱鷺戸さんがリトルバスターズに入る、ということで……
「じゃあ、あのスパイ云々の話は!?」
「普通にただ入ります、じゃ面白くないだろ」
「恭介……じゃ、今回のことは恭介が?」
「ああ。本人の希望を組んだ結果のシナリオだ。――軽くサプライズも入れたけどな」
「成る程。あの時風瞬からの電話はあなたが仕組んだわけね?」
「いい演出だったろ?」
 朱鷺戸さんは納得しているようだが、結局の所僕はさっぱりだ。
「さてリーダー、後はお前次第なんだぜ?」
「え?」
「こいつを入れるかどうかの最終判断だ。――お前の感じるままに、決めろ」
「…………」
 僕が感じるままに。僕が、感じる、ままに。
 朱鷺戸さんに出会ったのはつい先日のことだ。正直、彼女のことを知っているのか、と聞かれたら知らない部類になるだろう。
 でも、この数日一緒に行動して、打ち解けている僕がいた。まるで以前から仲間だったように感じている僕がいた。
「…………」
 そこで生まれる疑問。また僕は、知らない彼女を、知っていたかのような感覚。ここまでくると偶然じゃない気がする。
 覚えていない僕。
 でも感覚が訴えてくる。
 曖昧な記憶。
 そんな感覚になってしまう理由が――ただ一つだけ、思い当たる。
「もしかして、朱鷺戸さんって、あの世界――いや、何でもない」
 言いかけて、止めた。――あの世界に例え彼女がいたとして、大切なのはそこじゃない気がする。
 恭介は言った。僕の、感じるままに決めろ、と。
 僕等のリトルバスターズは、そんな細かい理由云々で動く集団じゃない。楽しさ、仲の良さが大事だった。
 朱鷺戸さんを、仲間のように感じていたなら――近くに感じるのなら、それだけでいい。その他なんて、別にいいじゃないか。
「朱鷺戸さん。――リトルバスターズへ、ようこそ」
 僕のその言葉で、その場が拍手で包まれる。
「いやっほううぅぅぅ!! 今夜はオールナイトだぜ!!」
「ちょっ、オールナイトって、食堂の使用許可って下りてるの!?」
「なに、いざという時の手なんていくらでもあるさ」
「来ヶ谷さんが言うと凄い怖いんだけど……」
 まあ、いつもの僕等らしくはある、か。
「ヒャッホウゥゥゥ!! オールナイトカモーーーーン!!」
「既にもの凄い馴染んでる!?」
 そんな感じで、朱鷺戸さんの歓迎会が、幕を開けたのだった。――また明日、寝不足で遅刻かもしれない。


「どういう風の吹き回しだったんだ?」
 朱鷺戸沙耶――もとい、あやの歓迎会の最中。謙吾は、隙を見つけ、恭介にそう尋ねた(恭介は中心になって騒ぎっぱなしだったので中々チャンスが無かったのは余談である)。
「何だ? 闇の執行部部長が、俺に質問とはな」
「あれはお前がやらせたんだろうが……」
 要は、空き教室で恭介がいるにも拘らず、時風瞬から電話があったのは、謙吾が代わりに電話をしていたからだった。
「お前、もうリトルバスターズのリーダーは理樹で、必要以上にはでしゃばらない。そう言っていただろう。なのに今回の催しは何だ? 相手が入りたいって言ってきたのならまだしも、お前自ら見つけてきてるようじゃ、理樹の自主性など何もないじゃないか」
 謙吾の言う通り、今回の催しは、恭介が自ら持ってきたもので、理樹以外のメンバーに頼むような形で実践されたのだった(人生ゲーム、スニーキングミッション大会の中身までは説明していなかったので、メンバーの参加内容までは演技ではない)。
「まあ、そうなんだけどな」
 何処か濁すような言い方。――恭介が理由もなくここまでのことをするわけがない。何か、大きな理由があるはず。
「まさか……あの娘も、あの世界にいたのか?」
「…………」
 恭介は無言で、表情を変えなかったが――逆に、その様子が肯定を意味しているようだった。
「だが、俺はまったく覚えていないぞ? 確かにあの世界のことは曖昧にしか覚えていないが、まったく忘れたということは流石にないだろう」
「お前が覚えてないのも無理ねえよ。あいつと関わりがあったのは理樹と俺だけだし、それに――正直、戻ってきた当初は俺も忘れてた」
「思い出すきっかけがあった、ということか?」
 謙吾のその問いに、恭介はポケットに綺麗に折り畳んであった一枚の紙を取り出し、謙吾に手渡した。
「静かな所で漫画が読みたくなって入った空き教室の机に入ってた」
「これは……」
 それは、絵だった。その紙には、ぬいぐるみが飛び交うような少しファンタジーな世界で心底楽しそうに遊んでいる、恭介、謙吾、真人、理樹。そしてその理樹に手を引かれ、やはり楽しそうにしているあやの姿が描かれていた。
「どうしてこんな絵があったのかはわからない。でも――見つけてやりたくなるじゃねえかよ。そんな風に絵の中では俺達と楽しそうに一緒にいるのに、現実じゃその姿すら確認できないんだぜ?」
「成る程、な」
 ふと視線を動かせば、その先にはやはり仲間達と騒ぎっぱなしのあやの姿が。楽しそうに騒ぐその笑顔は、まさに絵に描かれていた笑顔、そのもので。
 一つ目は、眩しさ。
 二つ目は、暖かさ。
 それ以上が我が儘なんて――誰が思うだろう。
 だって、彼らには――リトルバスターズには、いつだって、それが、溢れているのだから。


さて皆さんこんにちは。筆者のワークレットです。
作品の方、いかがでしたでしょうか。
前編から3ヶ月も間が空いたとかそんなことはどうでもいいんですよ!(汗)

というわけで、沙耶のお話でした。
正直、前作よりも非常に難しかったですね(苦笑)。どうやって彼女をメンバーに加えるのか。
(人によっては死亡説まで流れてますからねえこの人)
色々考えた結果が今回の物語なんですが、キャラが崩れていないか心配です。
こんなキャラ……でしたよねえ……?
沙耶に関しては、可菜多、佐々美よりもかなり段階を踏まないとメンバーに入れるのは
難しいと思ったんで、色々考えてはみたんですが。
後半は人によっては感動系統(言い過ぎか(笑))。
まあ、個人的に彼女もメンバーに入れたかったという筆者の暴走の物語だと思って下さい……

さてリトバスss第二弾も無事完結致しました。
一応第三弾の「テーマ」も考えてはいるんですが、これは細かい点を色々捻らないと
書けそうにないので、少々書き出すのに時間がかかりそうです。
ちょっと次回は、また別ゲームのssを書いてみたいなあ、と思います。やっぱり別進行で(笑)。
上記の通りこれでリトバス完結、ってわけじゃないので、長い目で見て待ってくれるとありがたいです。

それでは、感想をお待ちしております。ワークレットでした。



BACK (SS index)